乙字ヶ滝 公称落差6m幅60m~100m 渓流瀑 福島県須賀川市前田川滝下地内 2009年5月20日 2017年8月24日 日本の滝100選掲載順カウントアップ35/100

2017年8月23日から1泊旅行で蔵王の「三階の滝」辺りを訪れて、神奈川県に引き返す形で日程を組みまして、安達太良山麓の「横向温泉 中の湯旅館」に泊まった僕と椎間板を痛めた友人でした。。

「三階の滝」でカメラを故障させましたし、連れの友人が椎間板を痛めていて無理な歩きは出来ないと言う事で、もう今回の旅行はユルくで良いやと言う事になりました。。

僕はそうした中で、この「乙字ヶ滝」は1度2009年5月に訪れているのですが、 帰路の国道4号線からも近く、殆んど歩きを強いられないで観られる滝なので、再訪してみる事にしましたね。。

やっぱり写真が少ないので掲載するには必要ですからね。。

そんな事で、昨夜は夜に着いて直ぐに眠ってしまったので、早起き出来ました。。

昨夜は「中の湯旅館」の温泉も景観も楽しんでいないので、朝からチェックアウトの時間までゆっくりと温泉に浸かったり、歪な味の有る旅館を見学させて貰いましたよ。。

けっきょく宿泊して其れなりの遠方に訪れる時は、色々と動いて宿に着いたら疲れて直ぐ眠ってしまったりですから、自炊部で素泊まりできる温泉宿なんかは、僕にとって最も好都合だと言う事になってますね。。

そしてなんだか自炊部の有る温泉宿は東北方面に多いと。。

この「中の湯旅館」は完全自炊専門の宿と言う事ですし、ボロ宿マニアの間で評価が高いので、とても楽しみに泊まったのでした。。

宿泊料金は入湯税やら消費税やらかかって総額3860円。。

源泉かけ流しでこれなら十分だと。。

朝6時から爽やかな陽射しが差す中で、温泉成分がこびりついてヌルヌルする湯船にドボンと入りましたよ。。
仕切りも何もかも確かに全てボロボロして、時の刻みを感じさせて良かったですわ。。

何でも東北の震災以降にぬる湯だった源泉が熱くなったらしいですが、水でうめてるんだか何だか少しぬるめで良かったですわ。。

けっこう熱い温泉がありますけれど、熱い湯は苦手でしてね。。

良かった良かったと言う感じでしたね。。

渓流沿いの露天風呂って最高に好きなんですよね。。

何だか内湯もろくに男湯と女湯の仕切りが無かったですが、殆んど僕達の組しか泊まってない感じでしたから、気兼ね無く入ってられましたね。。

何だかホースがウニョウニョしてた。。

けっきょく椎間板の友人はチェックアウト時間ギリギリまで眠りこけて、温泉に入ったのかも良く分からない状態でしたね。。

僕は独り入ったり出たりを3回繰り返して温泉を満喫しましたよ。。

湯船から上がったら、昔ながらの販売機でコーヒー牛乳を飲みましたね。。

何だかUFOキャッチャーみたいな動きで懐かしいですね。。

風呂上がりのコーヒー牛乳って堪りませんね。。

泊まったのは階段を上がった先の長い廊下に並ぶ部屋で、現在はこのエリアしか部屋は使われていないとか何とかでしたかね。。

階段も廊下も何もかもが歪んだりベコベコしていましたね。。

バリアフリーのようなスロープも有ったように感じましたが、ただの傾きでしたね。。

廊下の先に自炊の場所が有りましたが、面倒なんで弁当とか買って来たので使いませんでしたね。。

そんなんで、10時ギリギリに支払いを済ませたのですが、昨夜から入口の横の居間みたいな場所で生活するように宿を管理していた年輩のおばちゃんと色々話しましたね。。

おばちゃんは。。

「うちは本当は常連さんしかとらないんだよね。。常連さんだけでいっぱいになるもんでね。。1ヶ月とか泊まっていく人もいるからさ。。」

なんて事を言って来ましたね。。

なるほど。。だから予約の電話の時に(うちは自炊だけしか受け付けませんし本当に大丈夫ですか?)とか色々と聞いて来たのかと想いましたよ。。

何だか悟りを開いたような雰囲気を携えた冷めた口調で、更におばちゃんは色々と話してくれました。。

「ここが建ったのは昭和4年だったかな。。だからもう90年くらいになるかねぇ。。どうしようかと想ってるんだけれど、常連さん達が残してくれって言うしねぇ。。今はほら、マウント磐梯の方がさぁ。。」

とか何とか言ってきましたね。。

どうも調べましたら、「マウント磐梯」って言う旅館はこちらの館主の兄弟が経営していてお湯はそっちから引いているらしいですな。。

なるほどなるほどと想いましたね。

そうしたらおばちゃんは、悟りを開いたような冷めた声で。。

「うちが常連さんしか取らないのは、みんな湯治場のルールを守ってくれないしねぇ。。あなた達も布団を押入れにしまっていかなかったね。。」

と言ってこられて、別に怒ってる訳では無かったのですが、ギクッとした僕は。。

「そうだったんですか?知らなかったです。。すいませんでした。。」

と謝らせて貰いましたね。。

布団はしっかりと畳んでおいたんですがね。。

口頭では聞かなかったので、何処かに書いてあった注意書を読まなかったと言う事だったのかと想いましたよ。。

その後も椎間板の友人はトイレに行ってなかなか帰ってこないしで、色々と話を続けまして、おばちゃんは。。

「今日も誰もいないように見えて、実は常連さんが何人かいるんだよね。。ふふふ。。」

とか言ったりしていましたね。。

僕が見た限りでは、中年の男性が1人居たのを見かけたのですが、何だかよく分かりませんでしたね。。

老舗の湯治場には、色々と現在のよく有る宿泊システムとは違う、通わなければ分からない利用の仕方が有るもので、敷居が高いもんだなと想いましたよ。。

そんな事で椎間板の友人が戻ってきたので僕は。。

「もう布団を押入れにしまうルールは分かりましたから、また宜しく。。」

とおばちゃんに言って宿を出ましたね。。

この外観が気に入ったから宿を取ったと言う、微妙に歪んだ宿の前の外観を最後にじっくりと眺めましたね。。

もう今日は適当にフラフラして滝は「乙字ヶ滝」だけと言う予定だったので、かなりダラダラしていましたね。。

昨夜はもう暗くなっていて、真っ暗で全く分からなかったので、入口はこうなっていたのかと想いましたよ。。

石の門からダート道を約200m進むと宿へ着くとからしかったですが、夜に通ると真っ暗で寂しかったですね。。

でも明るくなれば爽やかなもんですな。。

実は「中の湯旅館」の予約は、椎間板の友人が僕の店に来た時に電話でしてくれたんですよね。。

予約の時に色々と質問を始めた友人は電話で。。

「そこは浴衣とか有るんですか?」

とか聞いてましたが、そんな事を聞くような宿では無かったと言う事ですね。。

更に友人は電話で。。

「バスタオルなんかは有るんですか?歯ブラシなんかは?」

とか聞いちゃって、そうしたら。。

「ちょっと分からないから館主を呼んできますね。。」

と言われて、年輩の男性の方に電話が変わり、その館主さんは。。

「有ったかなあ。。ちょっと分かりませんね。。」

と言ってこられたと。。

そんなんで椎間板の友人は最後に。。

「じゃあ必要な物は持ってけばよい感じですね。。分かりました、失礼します。。」

と言って、電話を切りましたね。。

その後僕に椎間板の友人は。。

「どう言う事なんですか? 長いこと旅館経営しているのに、何故備品が有るか無いかも分からないのですか?」

とか言って来たので僕は。。

「湯治場ってそんなものでしょ。。まあいいじゃないか。。」

とか言ったんですが、そんな事を聞くのは愚問だったと言う事ですね。。

とりあえず昨日の蔵王から100kmくらい神奈川県方面に戻って来ていますから、行きより帰りは楽だなと。。

この横向温泉エリアから「乙字ヶ滝」までは国道4号線や東北自動車道をクロスして更に神奈川県方面に近付く方向で約60kmとなりますと。。

まあ今日は適当にまったりと帰路に進みながらで良いやと想いましたよ。。

来る時に長いトンネルだなあと想いました「土湯トンネル 延長 3360m」を抜けて行きましたね。。

どうもこの道は、福島市方面から猪苗代方面に向かう総延長19.8kmの土湯バイパスと言う道になるらしいですが、1989年に土湯トンネル辺りは開通して、2005年に全線開通したらしいと。

来る時は山奥の峠道でも進むのかと想ったりしましたが、かなり壮大なトンネルを通って訪れたので、印象に残ったものでしたよ。。

トンネルの上は箕輪スキー場らしいですね。。

スキー場にしても温泉旅館にしても、このバイパスが出来てアクセスはかなり良くなったんでしょうね。。

だからと言ってこのご時世、何処にしても上手くいくって訳では無いでしょうがね。。

トンネルを抜けた先で、せっかくだから軽く歩けば行けそうな、福島県大玉村の安達太良山麓にある「三日月の滝」にも寄ってみましたね。。

何だか小さい落差4mだかの滝ですが、丸い岩を放射状に水が落ちる個性的な観てくれでして、滝マニアの間では全国的にも人気が有ると言うし、気になってましたんでね。。

せっかくだからここまで来て「乙字ヶ滝」だけではしょうがないと言う感じですしね。。

「三日月の滝」は、安達太良山系の標高1602mの和尚山や、標高1395mの前ヶ岳を源流とする、杉田川渓流に存在するらしいと。。

どうも遊歩道は周回コースが有るらしいですが、今は通行止めで、「遠藤ヶ滝」と言うのが在って、そこからピストンして帰って来る感じになっていると。。

しかし通行止めの区間は、渓谷から離れて森林の中を歩いて来る感じのコース部分で、観処はちゃんと観れるので問題ないかなと想って向かいましたよ。。

どうも「安達太良温泉」って一軒宿が在るらしくて、そこにナビを合わせれば、その先の遊歩道入口の駐車場に着けるからと言う事で向かいましたね。。

岳温泉の中を走って登っていくと、何だか途中で予想以上のダート道になって面白かったですね。。

そうしたら県道380号線だかに繋がったのか、道がしっかりしてかなり広いトイレ付きの駐車場に着きましたね。。

素直に進んでいれば良かったのに、間違った道の選択をしたんでしょうね。。

まあでも「横向温泉 中の湯旅館」から約25kmで着きましたよ。。

何だか「杉田川渓谷」で「三日月の滝」が人気ですが、遊歩道は「遠藤ヶ滝遊歩道」となっていて、主役の座を奪っていましたね。。

とりあえず「遠藤ヶ滝」まで30分くらいだって話ですから、散歩するって感じかなと。。

とりあえずこの2滝を観れれば良いと言う感じで向かいましたよ。。

歩いていくと杉並木の先に石段みたいなのが観えましたよ。。

どうも階段の上に有る「遠藤ヶ滝不動尊」の参道になっているらしいですね。。

これはこれで良い雰囲気でしたよ。。

「遠藤ヶ滝不動尊」はなかなか渋い処でしたが、いつもの如く誰もいませんでしたね。。

毎年5月と9月に不動尊祭礼が行われ、沢山の参拝者が訪れるらしいですが、誰もいない神社とかは静謐感が有って僕は好みですね。。

どうやらこの地は、平安時代の武士であります遠藤盛遠が、1170年代前半頃に男女のいざこざの末に悔い改めて、 滝に打たれ荒行を修めたりして偉い坊さんである文覚上人になった場所らしいと。。

そして昔は山岳修行道場として多くの修験者が厳しい修行に明け暮れたらしいと。。

滝への途中には女人堂碑が建てられていて、その昔はその先に女性が足を踏み入れる事は禁じられていた女人禁制の場所であったと。。

そんなんで立ち並ぶ不動明王を観て、神々しい雰囲気に包まれましたよ。。

「遠藤ヶ滝不動尊」を過ぎると、渓谷沿いの遊歩道と言った感じになっているとなりましたね。。

橋なんかも幾つか有って、深い緑と豊富な水量の渓谷沿いを進んで行く感じでしたね。。

昔は大小四十八の滝があったので遠藤ヶ滝四十八滝とも言われていたとか何とかですが、こちらの滝を伴う遊歩道は、滝が多いと言うより大岩が観受けられる鬱蒼とした渋い渓谷と言った感じで、高低差はそこまで感じなかったですね。。

そんなんで進んで行くと、印象に残る「三日月の滝」が左下に落ちていたのですが、階段に目がいってて通り過ぎそうになりましたが、直前で気付いて、アッ!これだって感じでしたね。。

何だか妙にここだけ赤い色した大岩を、うまいこと半放射状に流水が白くなる薄さで落ちていると。。

何だかとっても可愛く感じる滝ですね。。

こんな形で人気が出る滝も有るんだなあと、そんな想いでしたね。。

しかしみんなこの滝はスローシャッターで撮るから、写真だと過剰に白く観えるんじゃないですかね?

一眼レフが故障して来た僕には、よくよく考えれば不向きだったのかも知れませんが、そこまで写真の写りには拘ってはいないので、とりあえず写真を撮れて良かったですよ。。

とりあえずこの印象に残る半放射状ナメ滝に来れて良かったと言う事で、反対岸に渡って記念撮影しましたね。。

しかしこれって水量の加減での良し悪しがかなり有りそうな滝じゃないかと疑問に想いましたが、けっこうこの渓谷は水量が安定してそうだし、大丈夫なのかもしれませんね。。

そんなんでいちおうゴールの「遠藤ヶ滝」に向かいましたよ。。

何だか「三日月の滝」近く辺りから上流になるにつれて、遊歩道は岩がゴロゴロして急になったりした感じがしましたが。。

まあ近いもんで、この梯子を登れば「遠藤ヶ滝」って感じでしたね。。

そんなんで梯子を登ると、一枚岩の上と言う感じで、進めば「遠藤ヶ滝」の正面と言う感じでしたかね。。

滝の横の大きな岩の下には、遠藤盛遠が帰依した不動明王の本尊があると言う事ですが、あの左岸の岩の下のやつですね。。

この岩に関しましては、隆起侵食とかでは無くて、転がってきた岩が固定されている感じがしましたかね。。

その分不安定な感じも加わり威圧感を僕は得られましたよ。。

そんなんでこの「遠藤ヶ滝」も、やはり滝と言うか岩間を流れる段差箇所と言った趣に感じましたが、何だか梯子を登った先の箱庭的な巨石空間と言う感じで、良かったとは想いましたね。。

そんなんで引き返しましたが、この時は椎間板の友人も一緒に「遠藤ヶ滝」まで訪れましたね。。

彼が来れるんだから、たぶん誰でも来れる滝だと言う事ですかね。。

この渓谷は、高さや幅やらのサイズでは無い何かを求める方が、軽い渓谷観賞をするのに良い場所だと想いましたね。。

派手さは有りませんが、片道30分ほどで、神社も在って、深山幽谷の渋い渓谷を楽しめる良い場所だと言う事で、この地を後にしましたよ。。

そんなんで昼過ぎになったのですが、椎間板の友人はどうも賑やかな所が好きみたいで、途中で通った「岳温泉」に寄って昼食を食べる事になりましたね。。

岳温泉交差点から両側に店や温泉宿が建ち並ぶヒマラヤ大通りが賑やかに観えたんでしょうね。。

確かに中央に水路が流れる約300mのこの通りは、安達太良山麓の標高600mの地の中で賑やかに観えましたね。。

以前はコスモと言う独自通貨や1時間の時差も取り入れた「ニコニコ共和国」と言うミニ独立国家観光政策を打ち出していたとか。。

なかなか熱い話ですが、安達太良山の「くろがね温泉小屋」付近から湯を引いていると言う事で、僕は以前にそこに泊まった事が有るので、それを想い出したりしましたね。。

とりあえず「岳温泉」の事は、名前は知っていましたが、たまたま寄っただけでしたから、無料駐車場に車を停めて、何か食べる処はないかと探してフラフラ歩きましたね。

そうしましたら椎間板の友人が、ヒマラヤ大通り入口に在る、ソースカツ丼で人気が有るらしい「成駒」と言う店を見付けまして、食べたいと言う事なので、こちらの店で昼食を頂く事にしましたね。。

椎間板の友人は1000円のヒレカツを頼み、僕は950円のロースカツを頼んだのですが、かなりボリューム満点でしたね。。

美味しかったとは想いましたが、腹がパンパンになりましたよ。。

そんなんで食べ終わって、腹が苦しい中で車をまた走らせましたね。。

とりあえず「三日月の滝」や「岳温泉」の在る辺りから「乙字ヶ滝」は約45kmくらいでしたかね。。

安達太良山の南東麓から下って行き、国道4号線~国道118号線と南下して行けば「乙字ヶ滝」の辺りに着くと。。

何だか出発した岳温泉周辺辺りも、向かった「乙字ヶ滝」周辺なんかも田んぼが多かったですね。。

その中で出発した大玉村辺りの田んぼが瑞々しく観えて印象に残っていますかね。。

何だかもう安達太良山麓から国道4号線に降りてからは。。

人口33万人強で現在東北第3位の中核市である郡山市を通り抜けて、国道118号線であります石川街道で人口7万7千人弱の須賀川市を走ってと。。

「乙字ヶ滝」に向かう辺りは、正に市街地の幹線道路と言ったところでしたかね。。

この辺りは東北第2位の54万人強の郡山都市圏であり、106万人くらいの経済圏で有りますと。。

やはり首都圏から東北新幹線で約80分、東北本線、東北自動車道、磐越自動車道、国道4号線とやらが交差してと、東北方面においての社会における交通の便の良さがこのような事になって行った地域なのかと。。

しかし僕にとってはどうも郡山市の印象が薄いんですよね。。

たぶん猪苗代湖周辺や安達太良山周辺なんかは幾度も訪れたんですが、郡山市内とかには、僕が観光する様な場所が無かったからかも知れませんね。。

何か見付けたら伺いますので宜しくと言う事ですが。。

その郡山市を中心に、東西を阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれたこの地域は中通りと呼ばれる地域であり、そのほぼ中央を阿武隈川が流れている為に阿武隈地方と呼ばれることもあるらしいと。。

で、その阿武隈川の中流域に落ちるのが「乙字ヶ滝」 でありますと。。

そして「乙字ヶ滝」は旧国道118号線となる須賀川市と玉川村の境界の乙字橋の直ぐ下流に落ちていると。。

そんな事で現国道118号線となる石川街道と、旧118号線となる乙字ヶ橋を通る道の分岐に着きましたね。。

郡山市方面から来たから反対側の分岐から進めばと想いましたが、こっちの玉川村側がメインなんでしょうね。。

反対側の分岐は記憶に無くて、通り越したんでしょうね。。

まあどちらにしても800m強くらいの差しか有りませんからどうでも良かったんですけれどね。。

阿武隈川は那須連峰の標高1917mの三本槍岳の東斜面の原生林辺りを源水域として 、荒川、摺上川等の支川を合わせて、福島県中通り地方を北流し、阿武隈渓谷の狭窄部を経て宮城県に入り、さらに白石川などの支川を合わせて岩沼市と亘理町の境で太平洋に注ぐと。。

東北では北上川に次ぐ長さの幹川流路延長239km、流域面積5,400㎢の規模を誇る一級河川で有りますと。。

「乙字ヶ滝」はその中で、福島県中通り内の郡山盆地を流れる阿武隈川の本流に落ちる滝でありますと。。

阿武隈川本流で唯一の滝が「乙字ヶ滝」であると言う話ですから、それを聞くと何だか貴重な気もしますね。。

とりあえず国道181号線との分岐の入口から少し進めば駐車場が有りますね。。

何だか2009年に訪れた時も駐車しましたから、何にも考えないで、看板が有る進んで左の砂利の駐車場に駐車しましたね。。

どうもこの「乙字ヶ滝」は。。

1689年に 「奥のほそ道」の旅に出た松尾芭蕉と河合曽良の二人が須賀川に8日間滞在したらしいと。。

郡山(守山)への出発を予定した4月28日に松尾芭蕉達は、来訪した矢内彦三郎や等雲などの勧めで「乙字ケ滝(石河の滝)」に立ち寄ることにしたらしいと。。

しかし断続的に降り続く雨の影響で水かさが増して、阿武隈川の徒渡りが難しいことから出立を翌日に延期したらしいと。

その時か何かに松尾芭蕉が「五月雨の 滝降りうづむ 水かさ哉」と言う俳句を詠んだらしいと。。

この話がやたらとこの地では宣伝されている感じがしましたね。。

しかし車を降りると、駐車場の向かいはいきなりラブホテルの廃墟と言う、滝環境にはと言うか、通常でも最悪の景観を創り出していましたね。。

しかも100選滝の「乙字ヶ滝」が落ちる阿武隈川を指してリバーサイドと命名されていると言う、洒落にならない状態には観えましたね。。

こちらは営業されているみたいな感じでしたが「乙字ヶ滝」を渡った先にもラブホテルが有る感じでしたし、想えば国道181号線の入口にも「乙字ヶ滝」の看板と一緒にラブホテルの看板が有ったと。。

こう考えますと、寂れた廃墟が存在する100選滝は多々在ったかと想いますが、露骨にラブホテルの廃墟が直ぐ横に有る100選滝と言うと、僕はここしか想い浮かびませんでしたね。。

対岸で営業されているラブホテルは、もしかしたら100選滝が部屋から観える日本で唯一のラブホテルかも知れないと。。

何だかそんな想像をして、笑ってしまいましたね。。

確か2009年に訪れた時も有ったと想うし、蔦がかなり伸びていたので、廃墟になってかなり経っているように観えましたがね。。

気になって調べると、どうも前回の2009年に訪れた時くらいまでは営業していたような感じがしたんですが、僕には全く想い出せないですね。。

1990年に日本の滝100選が選定された時からこの辺りにはラブホテルが建っていたのですかね?

僕にはよく分かりませんが、この時には滝環境として最悪だなあと想ってしまいましたよ。。

ラブホテルの廃墟なんてさっさと撤去するなり出来ないのかと想いながら歩きましたが、利権とか絡んで難しいんでしょうかね。。

まあ歩くと言いましても、このように少し先に「乙字ヶ橋」が在って、手前を右に曲がって進めば「乙字ヶ滝」は観れる感じですけれどね。。

滝までの歩行時間は直ぐだと言える滝だと想えますね。。

とりあえず「乙字ヶ橋」方面に進むと、手前に「みちのく自転車道」なる看板が目立ち道が延びていると。。

どうやら阿武隈川沿いを走るサイクリングロードみたいですが。。

スタート地点が「乙字ヶ滝」となり、今のところはゴールが郡山市日和田の小和滝橋となる全長32.1kmの自転車道らしいですね。。

最終的には二本松市までの全長61kmの自転車道とする計画があるようですね。。

そのスタート地点に立入禁止とかの注意書きとかが書かれた先程のラブホテルの廃墟の壁が続いていまして、気になって仕方なかったですね。。

自転車道の先には、僕が車を止めた駐車場よりしっかりしてそうな駐車場が有りますね。。

こっちがメインの駐車場なんでしょうね。。

こちらは砂利では無くて緑化ブロックを使ったような駐車場でしたかね。。

公衆トイレも有って、花壇に花が咲いたりしている感じで、まあこじんまりとした駐車場でしたね。。

メイン駐車場の先に芝生の広場みたいなのが有りまして、ベンチや東屋なんかが設置されていますね。。

駐車場からここを通って行けば「乙字ヶ滝」を観る一般的な場所に行けると言う感じだったんでしょうね。。

僕は振り返ると、何処から観るのが良いのかは定かで無い記憶になってしまっているんですけれどね。。

何だかこの芝生の広場みたいな所にも石碑が沢山有りましたかね。。

この地には石碑が沢山有ったのかも知れませんが、平均的には慎ましい感じで、目立つ感じでは無かった印象ですね。。

実は基本的に僕は石碑とかにはそんなに関心が無かったりして、普段も観忘れが多いので、まだ有った事は覚えている分だけここの石碑は良かったのかも知れないと想いましたね。。

そして進んで行きますと、おそらくこの地で滝以外での明確な観どころとなります空海(弘法太師)が創建したと言う伝承が残る「滝見不動尊」が在りますね。。

弘法大師(空海)の彫ったと言われる不動明王像を安置するお堂だそうですが、こちらもそんなに規模が大きいものではなくて、やはり慎ましくと言う感じでしたね。。

「滝見不動尊」の近くの「みちのく自転車道」の道脇辺りに、正に慎ましく松尾芭蕉と河合曽良の石像が立っていましたね。。

1813年、江戸の俳人であります一可が、滝見不動堂の氏子が住む地域である竜崎須賀川の俳人たちの協力のもとに建立された石像でありますと。。

とりあえず小ぶりでくすんでいて、例の俳句が書かれた説明文の看板だかの方が、鮮明なので目立っている感じでしたね。。

松尾芭蕉達は「乙字ヶ滝」を訪れた翌日の快晴に恵まれた4月29日に、乙字ヶ滝から1kmほど下流の「田中の渡し」を渡り、先に向かったらしいですな。。

石像やらで一番インパクトが有ったのは、この1907年だかに創られた聖徳太子だかの像ですかね。。

これにしても然り気無い感じでしたけれどね。

この時は聖徳太子だとは想いませんでしたが、何だか阿武隈川の逆を向いて木立の中に立っていましたね。。

まあ覚えている石碑や石像はこれくらいですね。。

「滝見不動尊」辺りから「乙字ヶ滝」を観ましたが、流心はこちら側ですね。。

駐車場にしても「滝見不動尊」にしても阿武隈川の右岸に在りますし、観光整備はこちら玉川村の方から「乙字ヶ滝」を観るように創られている感じなんですかね。。

阿武隈川の中央が玉川村と須賀川市の境だと言いますが、「乙字ヶ滝」の観光利権は玉川村の方に有ると言う事ですかね。。

駐車場やら何やら全部玉川村の方で、こちらは「乙字ヶ滝公園」とかになってますからね。。

考えましたが、須賀川市の側は、水路やなんやらが有って、自然観光としては無理があってと言う事だったんですかね?

この「乙字ヶ滝」の住所は須賀川市になっている事が大半で、行政区分の大きさは須賀川市の方が大きそうですが、松尾芭蕉が「乙字ヶ滝」を観たのは玉川村側からですし、 歴代白河藩主が滝見に訪れ、堂宇の修復などを行なってきたと言う「滝見不動尊」が在るのもこちら側ですから、玉川村の方にイニシアチブが有ると言う事なんですかね?

何だか滝見不動堂のすぐ隣に長寿の水なるものが在ったらしいですが、これは記憶に無いですね。。

その後「滝見不動尊」とかが在る場所を過ぎて「みちのく自転車道」を少し進むと幅広の石段が有って、降りると川原から「乙字ヶ滝」を観られる感じになっていましたね。。

近所の子供なんかが釣りをしに来ていて自転車を停めていましたね。。

階段の割には降りた先の川原は何もない放置した場所と言う感じでしたね。。

上流の「乙字ヶ滝」は玉川村側の段丘が弱冠ブラインドになる感じでしたかね。。

滝の直下辺りで子供達が釣りをしていましたが、この辺は釣り禁止じゃないんですかね?

地元連中の事は分かりませんが、大丈夫なんでしょうね。。

なんでも江戸時代白河藩の時代には、この川を遡上する鮭,鱒,鮎が滝を飛び跳ねるうちに次々と梁にかかるため,その漁獲収入が地元民を潤したというじゃないですか。。

そして例年の初漁は藩主に献上する決まりになっていたため,その時期になると藩の役人がこの地に滞在して監視を行っていたらしいと。。

そしてその際の滞在費は地元漁師の負担とされていて、その代り他の賦役は免除されていたと。。

さすがにダムが出来てから魚の遡上は無くなったような話ですが、それでもここは良く釣れる場所なんでしょうかね。。

「乙字ヶ滝」は石英安山岩質凝灰岩の断層が創られた場所に落ちる滝だと言いますが、大昔の地震により創られた断層だと言う説は確定していないんですかね?

柱状節理と言うのは侵食による段丘の崖の部分の事を言ってるんですかね。。

何だか僕は2009年に訪れた時は左岸から観た景観が印象に残っていたので、こちら側は軽く観て引き返してしまいましたね。。

今回はそれなりに水量があったのかもしれず際どそうでしたが、水際の岩床部分を歩いて行けば滝直下に着ける感じですかね。。

何だか面倒な場合は「滝見不動尊」の辺りの柵を乗り越えて降りれそうな場所から向かう方が楽そうだと。。

こちらは過去に水難事故で亡くなってる人も沢山いるらしいですし、注意が必要なんでしょうね。。

とりあえず中流域ですし、生活水や農畜産水やらも含み水質は濁っていて悪いと言う事ですかね。。

左岸はどうしても用水施設が自然景観の邪魔をしているように感じましたが、断層景観は良く観えている感じはしましたね。。

幅の100mと言うのは増水してこの段差目一杯に流れ落ちる場合の事を言うんでしょうかね。。

左岸には、約2万年前の石器、石斧などが出土し、須賀川市で最も古い遺跡である「乙字ヶ滝遺跡」が在るって話ですが、想い返しても僕は遺跡を観た記憶が無いので良く分かりませんね。。

乙字ヶ滝の近くには古墳やらも在ったりと、この様な大河の回りには遺跡やらそう言ったものが多いと言う事なんですね。。

何だかこの滝はワイドな景観ですし、パーっと観る感じになってしまうんですが、とりあえず今回も「乙字ヶ橋」を渡って左岸に行ってみましたね。。

赤い欄干が特徴的な橋ですが、2011年の東日本大地震で欄干が一部崩壊したために、しばらく通行止めになっていまたらしいですが、修復が完了し渡れるようになったと。。

僕が前回訪れたのは震災前でしたので、この橋が通行止めになった姿は観た事が無いと言う事ですね。。

赤い欄干は「滝見不動尊」とかとは関連はないけれど、それっぽく観せる景観のためにそうしたんですかね?

橋から下流を眺めましたが、「乙字ヶ滝」の下流1500mの区間には弾薬が埋もれていると推定されていると。。

土砂の採取は禁止で、立ち入りは厳重注意だと言う事ですが、危険だけれど注意すれば入って良いと言う事なんですね。。

旧日本軍が滝つぼに武器弾薬を隠したとかなんとかそういう噂も有るらしいと聞きまして、なかなかの凄い滝だと想いましたね。。

逆に「乙字ヶ橋」から上流を観ると現国道118号線の「乙字大橋」が観えますね。。

更に会津蒲生領時代の1605年から利用される浜田用水の横断堰があり、1905年より水力発電にも利用されているらしいと。。

この滝の回りはゴチャゴチャいっぱい造られていますね。。

そう言う事で左岸に水路が造られていますが、水路は「乙字ヶ滝」より下流の落差7.48mの低落差発電所であります前田川発電所まで続いているらしいと。。

考えましたが、この滝に類似する中流以降の幅広の100選滝としては、大分県「原尻の滝」落差20m幅120m辺りかと想いましたが、類似比較としましては100選外となる鹿児島県「曽木の滝」落差12m幅210mになりますかね。。

なんでも「曽木の滝」は上流に観える橋が景観を崩しているために100選の選定から落選したとか言われていますが、それならば100選に選ばれたこちら「乙字ヶ滝」の方が、橋から何から色々と有り過ぎるように観えた気がしましたけれどね。。

ただ「原尻の滝」を含む大分県、熊本県、宮崎県の3県で100選滝が12滝在り、里方面の滝がも多く、密集している印象も有りますからと想いましたが。。どうなんでしょうかね?

あとパッと観で連想したのは、愛知県の「蔦の渕」あたりですが、こちらは差別侵食により創られたと言われていますが。。

「乙字ヶ滝」は断層のずれによる段差だと言う事なんで違う感じなんですかね?

そして橋を進んでまた下流を観ますと。。

左岸に発電所の水路が続いていますが。。

それより内側の雑草の中にうっすらと観えるのが、 江戸時代に舟を通したルートでありますと。。

1858年から24年間かけて硬い岩盤を掘削して造った舟運路だったらしいですが。。

当時は白河藩の廻米を阿武隈川を下ってまず仙台まで送り、そこで大きな船に載せ換えて、海路江戸まで送っていたと。。

その際に「乙字ヶ滝」では、馬に積み換えたりして迂回して手間がかかっていたが、この舟運路完成後は、積み換え作業が不要になったらしいと。。

それを知りますと、対岸の松尾芭蕉とかに対抗して須賀川市側は、この跡を観光地として推す方向に持っていってとかは考えなかったのですかね?

そんなんで橋を渡りきると左岸の下流には砂利道が続いていますね。。

何だか大きめの石碑が1つだけ有りましたね。。

何だったかは記憶に無いですけれどね。。

そうして進んだ先のこちら側は、何だかもう広場跡みたいになっていてグチャグチャでしたね。。

河川段丘と想われる崖はこちら岸の方が迫力が有りそうな感じがしましたけれどね。。

想い返せば。。

2011年に訪れた時は、この先の藪道だかを進んで「乙字ヶ滝」の左岸の川原に楽に出たような気がしましたが。。

何だかもう今回はビッチリと雑草が生い茂っていて進むのがかったるいので、前回行ったからいいやで止めましたね。。

しかし調べますと。。

前回も今回も訪れた時は最早その痕跡は無くて気づきませんでしたが、何だか熱い話がこの地で有ったらしいじゃないですか。。

なんでもこちらの須賀川市は「ウルトラマン」や「ゴジラ」で有名な円谷英二の出身地らしいと。。

そんな事で、須賀川青年会議所を中心として町おこしを目的に開始されたビッグプロジェクトであります「ゴジラの里」構想なるものが発足して、この地に創られていったらしいと。。

そんなんで1988年辺りには10m弱の張りぼての「ゴジラの卵」と長さ11m幅6mの「ゴジラの足跡」足跡が完成して設置されていたと。。

なんでも構想は大きく、山肌に150個の電灯を灯してゴジラのシルエットを浮かばせたり、高さ約80mのゴジラの像を創ろうと計画したりしたそうだと。。

しかし1997年3月に放火によってゴジラの卵は焼失、撤去されてしまい、夢と希望の計画は土に返ってしまったらしいと。。

対岸は松尾芭蕉、こっち側はゴジラと、なかなかシュールな感じですな。。

こちらに訪れた時は、そんな事知らないでいましたが、そんな場所だったと知り、愕然としたものでしたよ。。

そんな事で、ここからは2009年の事になりますが。。

この時にしても、こっち側は何にも観光整備がされていなかったような感じでしたかね。。

でもこの時は、簡単に藪道や用水施設を通って歪な模様をした一枚岩のような岩床に立った記憶が有りますね。。

そしてこっち側の岩床の上から色々と風景を観た印象が、この地では1番残ってるんですよね。。

何だかこっち側の方が、岩床も広いし眺めも良いなあなんて勝手に想っていて、松尾芭蕉が観て俳句を詠んだ対岸の記憶があまり無いんですよね。。

そして今考えますと、この用水施設の前のくり貫かれ水が流れる場所が、現在も鮮明に残る舟運路の下流部分だったと言う事なんですかね。。

やはり観処はこちら側なのかとも想いましたよ。。

とりあえず「乙字ヶ滝」ですが、古くは「竜崎滝」とか「石河滝」などと呼ばれていたそうですね。。

現在の「乙字ヶ滝」と言う名前は、水が「乙」の字の形で流れ落ちることから「乙字ヶ滝」と名が付いたと言う事になっていますね。。

何となくそれは知ってはいましたが、乙の字の事なんて全く考えて無くて、それを意識して観たりするのはすっかり忘れていましたね

そんな感じで2017年に戻りますが、前述通り左岸の状況が悪く面倒なので、引き返して橋からの眺望を観てさっさと帰りましたね。。

玉川村ってのは人口7000弱の村ですが、村内に福島空港が在るから今も独立してやっていけるのかとか、こんな処にも色々と歴史が有るもんだなと想い帰路に着きましたよ。。

椎間板の友人は終始つまらなそうに歩いていましたね。。

帰りはまたダラダラと国道4号線を走って行きましたが、椎間板の友人が宇都宮で餃子を食べたいと言うので、道を逸れるのが面倒だと想いながらも、仕方ないから寄って行きましたね。。
餃子屋でも何だか有名店の「宇都宮 ミンミン」で食べたいと言うので、けっこう並んで食べる事になりましたね。。

面倒だと想いながらも、とりあえず200円台の焼き餃子と100円くらいのライスを頼みましたが、普通の餃子と言う感じが僕はしましたね。。

しかしコスパは格段に良かったので最高でしたね。

そこからまたダラダラと終始下道で帰りました。。

けっきょく「乙字ヶ滝」を16時くらいに出発して、帰宅したのは日付けが変わるくらいの時間になりましたが、軸のカメラが故障した割には充実していたと言う事で納得して眠りに就きましたよ。。

最後に。。

今回は起床した「横向温泉 中の湯旅館」から帰宅するまでの話となりましたが。。

「乙字ヶ滝」に関しては、僕としてはやはりいまいち評価できない滝かとは想いましたね。。

滝好きの方達の中でも、100選滝の中で評価が平均して低いところと見受けられますが、僕もそれに準じる形となりましたかね。。

先ず僕としましては、滝そのものがどうこうと言うよりも環境が良くないのかと想いましたね。。

整理しますと。。

先ずは旧国道と現国道が連続して上流間近に架かっている。。

更にその間に用水の横断堤が造られていて、滝の左岸には上流から下流の彼方まで用水路が平行して流れ、滝近には用水施設が有ると。。

更に江戸時代の舟運路の跡が滝の左岸側に刻まれてと言う事ですが。。

これに関しましては、横断堤を伴う用水路は微妙ですが、逆に歴史の観光ポイントとしてプラスに持っていけるところも有るのではと想います。。

しかし下流の弾薬が埋まってるかもしれないと言う危険地帯と言うのは、不穏な空気を醸し出す負の遺産と言えるものなのではと想ったりしますし。。

水質は各種廃水なども有り、あまり良くないのでしょうし、須賀川市側の観光開発の頓挫による左岸の放置状態もマイナスでしょう。。

それに対してまだ玉川村となる右岸は。。

松尾芭蕉や「滝見不動尊」を伴う慎ましい公園とかであり、サイクリングロードなんかも企画して、中流域の滝としては良いとも言えると想えます。。

しかしこちらの駐車場前から公園に隣接するような場所には、ラブホテルの廃墟と言うこれ以上無い最悪の物件が今もそのまま残っていますね。。

反対岸には現役のラブホテルも有りましたし、これは100選に選ばれた滝としては想像の遥か斜め上を行く事態だとは想いましたけれどね。。

では滝そのものはどうかと言いますと。。

「乙字ヶ滝」は落差は公称6mだかで低いですが、幅はアーチを描くような段差となって幅が100m有りますと。。

この幅100mと言うのは、たぶん増水して目一杯に段差を水が流れ落ちたらと言う事かと想いますが。。

通常は右岸の流心がせいぜい30mくらいで、少し間をおいて10m弱の流れが落ちていて、その先の段差には処々にチョロチョロと言う感じには観えましたね。。

いやでも円を描いているし直線で考えたらもっと幅が有ったのかも知れないし、僕が観た時は実は弱冠渇水の時だったのかも知れない。。

「富士白糸の滝」にしてもそうですが、この様な滝の幅と言うのは目測は難しいですね。。

何れにせよ、幅はかなり有るのは確かですね。。

そしてこの滝の世間の評価としましては、低い段差が有る程度でがっかりな意見も散見されますが、回りの広い歪な岩床と段丘の崖を合わせた全体の滝景観は、もし大自然の中に在ったら素晴らしく観えたのかも知れませんね。。

しかし日本国内の、しかも本州の1級河川の中流域以降で、そんな素晴らしい滝が在るのかと言うと。。無いんじゃないですか?

日本に手付かずの大自然が何処まで残っているのか定かではないですが、100選の滝にしても殆んどが上流域か支流を成す位置に在るのではと想ったりします。。

この阿武隈川の源流域にも「赤滝」や「雄滝」を擁する本沢などが在り、100選に選ばれるにはこちらとかの方が相応しいとは想ったりしますが、100選滝は観光滝メインですし、上流域ばかりでは無くて、下流域の最たる例としてのバリエーションを選定に持たせるのは大事だと都合良く考えたりしましたよ。。

結果的に100選にこの様な中流域の滝が選ばれる事によって上流域の滝が観光開発から守られる訳ですからね。。

今回は宿泊して出発した方面の安達太良山麓の「三日月の滝」も序でに書きましたが、この様な滝が乱開発されるよりは、元々開発されている「乙字ヶ滝」が100選に選ばれるのが良いと言うベストの選択だと言う事ですね。。

最後の最後に何故この「乙字ヶ滝」が100選滝に選ばれたかと言うと、何らかの地域の後押しが有ったからと言う事でしょうかね?

言い分としては阿武隈川と言う日本を代表する河川に落ちる唯一の滝と言う事と、何より松尾芭蕉が効いていると言う事なんではと想いましたよ。。

松尾芭蕉は江戸時代に、曾良を伴って旧奥州街道を北上し、旅をしながらその土地で俳句にまとめ、「奥の細道」を完成させた偉人であると言う事ですが。。

須賀川市辺りには長期滞在し、この「乙字ヶ滝」の俳句も読んでいるとなると。。

その様な歴史的背景を盾に100選滝を選定するとなると、「乙字ヶ滝」は別として、どんな滝だろうと選べてしまうと言う構図が成り立ちますね。。

これは自然景観とは全く別の厄介なものとなるなと想いましたが、観たかぎり100選滝で開発を抜きにすれば、そこまで疑問の付く滝は少ないかと想います。。

しかし何だかもう色々と有って、この地は観光資源として放棄された印象も有りますね。。

これは今となっては100選滝によく有る現象ですが、バブル最末期に選定されて、その後の現実を見て、利益にならないと分かった結果だったかと僕は想っていますね。。

僕は地元の100選滝であります「洒水の滝」でそれを強く感じましたが、この「乙字ヶ滝」はその上を行っていましたね。。

しかし元々中流域の開放的な景観でありますので、陰鬱な雰囲気は少ないと言うのが救いだと想いましたね。。

これが上流域の狭窄した空間の100選滝だと、寂れ感が半端じゃなかったと想えましたからね。。

まあとりあえず環境を抜きにすれば、観れるところも有る滝ですし、100選滝は人間が選んだものですから、人物との兼ね合いを楽しむのも1つの観賞の仕方として、訪れてみてはで。。

終わりたいと想います。。

場所

福島県須賀川市前田川滝下地内

駐車場

乙字ヶ滝公園併設の駐車場 10台分くらい

廃ラブホテル向かいの駐車場 もう少し沢山止められそう

問い合わせ

玉川村企画産業課 0247-57-4629