那智の滝 公称落差133m幅13m 直瀑 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 2002年9月頃 2009年9月18日 2013年4月25日 日本の滝100選掲載順カウントアップ37/100

山深い紀伊半島の南端にあり、古来より自然崇拝と山岳信仰の霊場として、 平安時代からは貴族や上皇、庶民など全国の人々から信仰を集めてきた熊野。。

その熊野信仰の中心となるのが熊野三山であり、 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3社の事を示すと。。

その熊野三山の中で、那智大滝に対する原始の自然崇拝を祭祀の起源とする熊野那智大社の別宮となる 飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の御神体となる「那智の滝」は勿論100選滝に選ばれているので振り返りますと、少なくとも3回は訪れていますね。。

想えばこの「那智の滝」はたぶん一般的に考えた場合は日本を代表する1番の滝だと言う事なんでしょうね。。

これはやはり落差133mと言う1段の落差としては日本1のスペックはもちろんですが、神道と仏教と言う日本の軸となる宗教が神仏習合し、異なる宗教の聖地が繋がる熊野古道の中心となる熊野三山に存在する「那智の滝」は、日本のアイデンティティーが詰まった滝となるからでしょうかね。。

たぶん一般的に対抗する滝を選ぶとしたら日本3名瀑の中から微妙と言われる「袋田の滝」を外して日光市の「華厳の滝」と言う事になるのでしょう。。

なんだか関東に住んでるせいか、知名度は「華厳の滝」の方があるような錯覚かは分からない感じになりますが、近くに日光東照宮やらは在れど関係性は薄く、どうも観光産業による俗された滝の印象が拭えずに、やはり「那智の滝」が一般的な見地としての日本1の滝としては相応しく想えますかね。。

「那智の滝」の場合は宗教の聖地となりますから、建造物とかも自然に馴染んだ統一感が生まれるところですからね。。

そして日本1となると一般的にと言う基準となりますから、それは観光滝から選ばれるものであり、「那智の滝」で良いんだと言う事ですね。。

しかし日本の中心地が京都奈良の時代ならまだ近いですが、ここは関東からは結構な距離に感じますわね。。

紀伊半島の事は「不動七重の滝」とかでも書いたし、まあ良いとしまして、どうも日本最大の半島の先の方は遠い感じがしますかね。。

まだ伊勢志摩方面なら東名高速から伊勢湾岸線とかで近いですが、どうもこの紀伊半島の先の方は高速道路も通って無かったし、キツい印象が残ってますね。。

ここは2009年9月18日を最初の軸に書いていかせて貰いますが。。

この時は伊勢湾フェリーで鳥羽港に着き、酷道425号線の滝群やら「不動七重の滝」やらを観て1泊して、翌日に他の100選滝の「笹の滝」「布引の滝」「桑の木滝」なんかを訪れた最後の午後に「那智の滝」を訪れた感じでしたね。。

「那智の滝」を訪れた時は総て途中で寄り道してからでしたが、相模原市辺りから一気に訪れる場合は、東名高速~伊勢湾岸線~東名阪自動車道~伊勢自動車道~紀勢自動車道と来て国道42線を進み那智勝浦町まで約520kmくらいとなりますが、やっぱりけっこう面倒な距離ですね。。

僕が最期に訪れた2013年4月25日辺りには、熊野灘側からの紀勢自動車道は紀伊長島ICまで延びている感じでしたが、その先を通る国道42号線部分とかの下道が面倒にもなってましたかね。。

今は海山IC辺りまで延びて熊野尾鷲道路なんかも全線開通して少しは訪れ易くなってるんですかね。。

南紀白浜側とそのうち繋がり、大阪方面から名古屋方面まで紀伊半島をぐるっと一周できるようになるのかもしれませんが、いつ全線開通するのか、そして需要はどこまで有るのかと言うところですかね。。

そんな事で2009年は紀勢自動車道では無くて、他の100選滝やらを訪れた後に、なんだかとりあえず熊野三山の1つである熊野本宮大社に先ずは訪れましたね。。

そうしたら田んぼの真ん中にでっかい鳥居が在ったので、先ずはそこに降り立ちましたよ。。

大斎原の大鳥居と言うらしいですね。。

大斎原は、熊野本宮大社がもともとあった場所らしく、元々この場所は、熊野川、岩田川、音無川の3つの川の合流地であったと。。

しかし1889年8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座したらしいと。。

そんな事で、現在の熊野本宮大社から約500m離れた大斎原の入り口にスチールで出来た高さ33.9メートル幅42メートルの日本一の大鳥居が建っていると言う事だったらしいですね。。

この時はそんな事全く知りませんで、ただ田んぼの真ん中にでっかいのが建っているインパクトで近付いてみただけでしたけどね。。

ここでまたまた100選滝巡りにも当然の如く良く絡んでくる世界遺産の話となりますが。。

2004年に吉野・大峰、熊野三山、高野山とそれらを結ぶ参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)が 「紀伊山地の霊場と参詣道」 として世界遺産に登録されましたと。。

何でも道が含まれた世界遺産は「スペインの巡礼路」と「紀伊山地の霊場と参詣道」だけだと言う事ですが。。

登録地は和歌山県の熊野三山、奈良県の高野山、三重県の吉野・大峯の広範囲に渡り、2016年には参詣道40.1kmなどが追加登録されて、登録地域の面積は、構成資産が506.4ヘクタール、それを保護する緩衝地帯が12,100ヘクタール、登録されている参詣道の総距離は347.7kmであり、山岳信仰を基本とするので複合遺産でも良さそうですが、文化遺産としては日本最大であるらしいですな。。

この参詣道の通称が熊野古道(くまのこどう)となるらしくて、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称でありますと。。

熊野古道には伊勢神宮から熊野三山を目指す参詣者が歩いた「伊勢路」。田辺市から東に分岐する「中辺路」。高野山と熊野本宮大社を結ぶ「小辺路」。「吉野・熊野」と熊野三山を結ぶ修験道信仰の道「大峯奥駈道」。紀伊田辺から海岸線を歩く「大辺路」。京都・大阪と熊野を結ぶ「紀伊路」など6つのルートがありますと。。

しかし紀伊半島は中央から突端方面は紀伊山地の深い山に覆われている為に、交通路やそれに伴う市街地などが重複し消えてしまっている部分が多いと。。

中心なる中辺路で全ルートの6割程度、伊勢路は2割程度、大辺路は1割程度と言う感じで、派生ルートや不明区間も有り、実際の総延長距離は約1000kmだか何だか分かりませんが、観光産業としては、各地登録追加を目指したりするところですかね。。

そんな事でとりあえず全国3,600社にも上る熊野神社の総本宮であり熊野三山の中心である現在の熊野本宮大社の参道入口の鳥居の前に着きましたね。。

熊野本宮大社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えであり、神武天皇東征の時に熊野から大和に入る険路の先導となったという伝説上の大カラスである三本足の八咫烏(やたがらす)のマークが随所に目立ちましたかね。。

1931年から日本サッカー協会のシンボルマークにもなっていると言う事ですね。。

この時はもう少し細かく想い出しますと、三重県熊野市の100選滝であります「布引の滝」に訪れた後に、県道780号線で熊野川沿いを走る国道168号線に出て熊野本宮大社へと言う事で、「布引の滝」からの距離は約26kmくらいで、程好いくらいの距離でしたね。。

そう考えますと、現在の熊野と言う地に在る100選滝は「布引の滝」となるとか想ったりしましたが。。

それはいいとして、熊野川も国の方で新宮川の名称になっていたりして名称問題がゴタゴタしてそうですね。。

徒歩を原則とした熊野古道ですが、平安時代以降の上皇や貴族達は、熊野本宮大社から熊野速玉大社の往復には熊野川の舟運を利用されたりして、熊野川は他に類のない川の参詣道として文化的な意味でとても貴重なものだと考えられ世界遺産に登録されていると。。

しかし本来は清流に石灰が混じった独特のコバルトブルーの水色も、電源開発のダムに溜まった濁水の放流やらで濁ったりして対策とかも大変そうですね。。

熊野という名前は古くは大化の改新前にあった熊野国という紀伊半島南部の地域の名前が元になっていて、 由来は神々の棲まう奥まったところという意味だとか、道や川が曲がりくねって入り組んだ場所という意味であったりだとか、僻地であるなど様々な解釈が有り定かじゃ無さそうですが。。

とりあえずこの時に国道168号線を通りながら観た熊野川は、色がどうなのか分かりませんでしたが、存在感は有りましたね。

とりあえず杉木立の中を本殿へと続く幟が両側に靡く158段の石段を登って行く感じですが、まあ駐車場から訪れるだけなら近いもんでしたかね。。

何故この時に熊野三山の各大社に訪れたのかは覚えてませんが、とりあえず「那智の滝」に関連して熊野三山を意識したんでしょうね。。

熊野古道の最終到達地であるとかの熊野本宮大社も、こうして車で来れば呆気ないもんですな。。

なら熊野古道を歩くかと言うと、とりあえず今はそっちの観光に精を出してはいられないから残念と言いますか、そっちに気持ちは動いてませんね。。

こちらはユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産として、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する修験道の修行の道である大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の一部として指定されていると言う事ですが、それは指定されるもんでしょうね。。

創建年代は不詳ですが、古代に本宮の地に神様が降臨したのがはじまりと伝わっていると。。

熊野本宮大社は参拝の順序が決まっておりしっかり守る必要がありますと言う事でしたが、訪れた時は全く順序を忘れてましたね。。

石段を登って社務所などを過ぎると、正面には拝殿が在り、その右側には神門が在り、くぐった先には御社殿がある神域となるらしいと。。

神域は写真撮影が禁止だと言う事なので、僕も例に倣ってここまでにしておく感じですかね。。

熊野本宮大社の建造物の調べをここでまとめると。。

創建は約2000年前だかの崇神天皇の時代にまで遡るとされる歴史ある神社でありますと。。

社殿は飛鳥時代の615年に現在大鳥居がある熊野川・音無川・岩田川の合流点にあたる大斎原に建てられ、当時は能舞台などもあり今の8倍の規模を誇っていたらしいと。。

中洲にあった社殿は1989年の洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社三棟を1891年に移築・遷座したものが現在の場所に在ると。。

向かって左手の社殿が牟須美(むすみ)・速玉(はやたま)の両神。中央は主神の家津美御子神(けつみみこのかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られているのだと。。

三山の中では最も古い起源を持つという事で、ここだけ他の2大社と違う朱塗り様式では無い渋い年代物の景観と言う事ですかね。。

この時はそんな事は露程も考えずに、何となく観ただけでしたけれどね。。

ここで何となく古道っぽい処を少し歩いて歴史を振り返りますと。。

熊野古道は熊野三山へと通じる参詣道の総称でありますと言う事ですが。。

日本古代からの伝統的な自然崇拝である神道。。

3社はそれぞれ自然崇拝を起源とする原始神道の独自の信仰をもっていたらしいと。。

そして弥生人の信仰である先祖神信仰が流入して、日本神話の神々が熊野三山のそれぞれ割り当てられそうだと。。

そして自然神信仰と密教が習合した信仰である修験道が熊野に入り、修験道を介して神道と密教が一体となって熊野信仰となったとされているらしいと。。

6世紀に伝来された仏教は日本国内に普及していく過程のなかで、次第に神道との融和をはかるようになり、神の本体は仏であるという考え方が生まれ、神仏習合という共通の信仰の土台ができたことにより本宮・新宮・那智は協力関係を築きあげることができるようになったと。。

平安時代中期辺りにそれぞれに互いの主神を祭りあうようになり、一体化して熊野三山、もしくは熊野三所権現と呼ばれるようになりましたと。。

そして熊野速玉大社・ 熊野那智大社を中心とした、熊野三山の信仰が高まり、皇室や貴族をはじめ、 武士や庶民階級にまで熊野詣が流行、その様子は蟻の熊野詣と言われたと。。

さしかしながら、明治維新政府の神仏習合を禁止する神仏分離令をきっかけに、全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、寺院や仏具が破壊されたと。。

さらに1906年に施行された神社合祀令によって全国で5万もの神社がつぶされ、熊野でも神社の森が伐採されるという危機に瀕したと。。

この危機に対して和歌山県出身の博物学者の南方熊楠(みなみかたくまぐす)は、神社をつぶすということは自然と人間社会を破壊するものと日本で初めてエコロジーの考えを提唱して神社合祀令に反対し、熊野の森を守れと立ち上がり、那智大滝の原生林や樹齢500年をこえる熊野古道の杉木立は、そうした運動により守られたと。。

最近は世界遺産になり観光客が増えて熊野古道の各所の苔が無くなったりだとかあるみたいですが、頑張って欲しいところですかね。。

まあこんな感じで何となく軽く熊野本宮大社を後にしましたね。。

熊野三山は、和歌山県の南東部にそれぞれ20~40㎞の距離を隔てて位置していて、熊野古道の中辺路によってお互いに結ばれていると言う事で、次は熊野川沿いの国道168号線を熊野灘の河口方面に向けて30km強進むと軽く着きましたね。。

こちらも境内近くの50台だか置ける無料駐車場から直ぐに拝観できる感じで、平日で空いてるしでサクサク観ましたかね。。

新宮は熊野川の河口近くにあり、水玉の勢いを示すという熊野速玉大神が主神となっているらしいと。。

熊野三山の主祭神である熊野三所権現が最初に降臨した神倉山から、現在の場所に遷されたことから「新宮」と呼ばれているらしいと。。

その神倉山には神倉神社があり、こちらは新宮に対して元宮や旧宮と呼ばれているらしいと。。

こちらも敷地内にある1200点にものぼる国宝が保管展示されている神宝館は入館料500円取られるみたいですが、基本的に境内は自由に参拝出来て金がかからなくて良いですね。。

神門のしめ縄がなかなか立派でしたかね。。

しかし考えれば、途中の熊野川に流れ込む高田川の支流にまたまた100選滝の「桑の木滝」が在り、熊野と言う地域には100選滝が3滝在ると言う事ですかね。。

でもこの「桑の木滝」もいまいち写真が少ないので、もう1度訪れるべきか迷うところで、もどかしくなってるところですね。。

こちらも何となく軽く調べますと。。

創建は2000年程前の第12代天皇・景行天皇(けいこうてんのう)の時代とされているらしいですが、何だかこちらもやはり歴史が古いしで不詳みたいですな。。

主祭神は、 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神であり、日本書紀に登場する速玉之男神の名前が神社名の由来だといわれているらしいと。。

もともとは熊野三山の主祭神である熊野三所権現が最初に降臨したとせられる神倉山の磐座に祀られていた神らしいですが、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれていて、標高120mだかの神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶらしいと。。

その神倉山には熊野速玉大社の摂社であります神倉神社が在り、熊野三権現が最初に降臨したとされるゴトビキ岩が御神体として、社殿の上に今にも落ちてきそうな感じで祀られているらしいと。。。

1883年(明治16年) – 打ち上げ花火が原因で社殿が全焼したらしいと。。

1967年に鮮やかな朱塗りの社殿を再建したらしいと。。

と言う事ですが、新宮市の街外れに在る熊野速玉大社ですが、何だか今振り返ると全く記憶に有りませんね。。

神倉神社と言うのは訪れて無いですし、多分この時は熊野三山の大社を何となく訪れてみようと言うだけで、何にも考えていなかったんでしょうね。。

何かこちらは天然記念物に指定されている梛の大樹が有名らしいですが、平安末期に、平重盛が手植えされたと伝えられていて、樹齢は1000年(推定)を超え、 基部の幹周りが約5.45m、目通りの幹周りが約4.45m、高さが約 17.6mの老巨木であり、日本最大級の梛の木と言われていると。。

何だか写真はけっこう撮ってるんですけれど、全く記憶に無いですね。。

たぶん僕の中で紀伊山地エリアは滝やらを観に行こうと言う考えに行ってしまっていて、寺院仏閣の方は序でに寄るくらいの考えになってしまっていたと言う事でしょうね。。

しかし振り返ってみると、とりあえず訪れられて良かったですよ。。

熊野速玉大社から熊野三山巡りの最後に「那智の滝」の落ちる 熊野那智大社に向かった感じでしたが、那智山の標高500m辺りに位置する熊野灘の海岸線辺りを走り那智山方面に入り進んで行けば約20kmくらいで着く感じでしたかね。。

「那智の滝」は熊野灘からも観えるとからしいですが、 河口から「那智の滝」まで直線距離で約5kmと言う事ですし、大きな滝だから開けた場所ならそれは観えるでしょうが、那智川は流域面積が24.5km2で幹川流路延長約 8.5kmと短い2級河川でありますと。。

しかしこの辺りは年間降水量は3,000mm越えとなり豪雨も多く、2011年の土石流災害などは大変だったらしいですね。。

那智川辺りの地質は新第三紀堆積岩の泥岩や砂岩が主体となる熊野層群の上に貫入岩である熊野酸性岩類の花崗斑岩が覆っている特殊な地質構造となっていて「那智の滝」はその境界に創られた滝でありますと。。

紀伊山地一帯はどこも急峻な地形やら地質やらの問題もありますが、近年の土砂災害などは植林や林道建設による自然環境の変化によるところが大きいらしいと。。

まあ全国どこでもそうかも知れませんが、そんな事で「那智の滝」が落ちる熊野那智大社の別宮となる飛龍神社に着いた感じでしたね。。

なんだかこの熊野那智大社周辺だけは熊野三山の中で微妙に有料となる駐車場が中心となってそうですが、何気ない平日にいつも訪れているせいか、飛龍神社の入口となる鳥居前のカーヴの内側の数台分の無料駐車場がいつも空いていて、そこに毎回駐車出来たので想い返せば幸運でしたね。。

そんな事で、とりあえず熊野那智大社ではなくて、その別宮となる飛瀧神社の入口の鳥居前をうろうろしましたが、飛瀧神社は「那智の滝」自体が御神体であり、本殿は存在しないし拝殿もなく直接滝を拝む神社であるらしいと。。

入口にしっかりと高さ133m、銚子口13m、滝壺の深さ10mと表示されているので、これが「那智の滝」の公称サイズだと言う事で良いんでしょうね。。

そんな事で鳥居を潜って、巨大な杉が生い茂る降りの石畳の参道を進んで行きましたかね。。

調べますと、今から約2700年前に初代天皇の神武天皇が、熊野灘から那智の海岸の丹敷浦(現在の那智の浜)に上陸された時に、那智の山に光が輝くのを見て「那智の滝」を見付け、神として祀ったのが熊野那智大社の始まりとされていると。。

国造り神話で有名な大国主神である大己貴命(おおなむちのみこと)を滝の御神体としてお祀りしていたと。。

その後には那智三峰の一峰である光ヶ峰に神々が降臨すると言う事で「那智の滝」をお祀りしていましたが、 仁徳天皇の時代の317年に、山の中腹にあらためて社殿を設けた事により熊野那智大社の創建となったらしいと。。

「那智の滝」ははるか昔から自然崇拝として祀られ、古くから修験の聖地であり、 熊野修験の道場でありましたと。。

熊野那智大社はそもそも大滝を崇拝する自然信仰から始まったもので、現在もこちらに自然信仰の形がそのまま残っているわけでありますと。。

実際にこの地を訪れた時は「那智の滝」を観て帰るかくらいしか考えてなかったんですがね。。

そして手摺り付きの幅約6メートル133段の石段を右側通行で降りて行けば滝前の広場と言った場所に着きますね。。

なんだかストレートに降りて来た感じで、大した距離では無かったかと想いますが、振り返ればなかなか壮観にも観えましたかね。。

何気無い平日ですから空いてて、それの方が厳かさが増して良い感じがしましたかね。。

滝の前方約200mのところに神籬を立てて拝所としていると言う事で、 正面にあたるところに鳥居があったり、護摩を焚く炉があったりしたと。。

広場の向かって左隅に社務所があり、右側には記念写真を飾ったりしてる土産屋みたいな建物が有ったような気がしたが、よく覚えて無いですね。。

否が応にも正面に「那智の滝」が観えますが、この2009年9月の時は時期的にも水量は少な目だったかとは想いましたかね。

しかし南紀の辺りは余り降雪は少なそうだし、春先に水量が豊富になるとも言えないような気がしますから、豊水を期待するなら梅雨から夏の降雨期と言う事にも想えて難しいところなのかと想ったりしましたね。。

なんでも滝口の岩盤に二つのくぼみがあり、水が三つの筋に分かれて流れ落ちる事から「三筋の滝」とも呼ばれていると言う事で、水量が少ない方がその様に観え易い事でしょうかね。

振り返りますと、2013年4月25日に訪れた時は水量は多かったので単純に観応えが有ったような気がしたが、やはり春先の方が水量は多いのでしょうかね。。

この時は2011年9月の台風の時の為なのか、「那智の滝」の下流の土砂災害の復旧工事だかでクレーン車やら色々と工事車両が稼動していましたね。。

滝を観ますと滝口にはしめ縄が飾られていますが、毎年7月14日の那智扇祭り前と新年を迎える前の年2回張り替えられて、白木綿十反で編み上げられた真っ白いしめ縄は、神職たちの手で滝の落ち口に担ぎ上げられ、古い物と変えられるらしいと。。

どうもこの滝は、やはり寺院仏閣巡りの一貫と言った感じで捉えるところですかね。。

しかし自然崇拝と言う事で、微妙なところと感じてもどかしいですね。。

那智の滝を拝するために、鳥居の前には神籬(ひもろぎ)が立てられていますと。。

またまた調べてみたりしますと。。

「那智の滝」は古くから原住民に神として崇められてきた滝で、 仏教や儒教が伝来するまでの古神道の御神体であると。。

やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる 本地垂迹(ほんじすいじゃく) 、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになったらしいと。。

那智の滝は神でもあり仏でもあり、そのため那智の滝は「飛瀧権現(ひろうごんげん)」と呼ばれましたと。。

権現とは仏が仮に神の姿で現われたということらしく、「那智の滝」を飛瀧権現と呼ぶのは、那智の滝が神であり仏であると言う事なのですと。。

神仏習合が熊野信仰の特徴のひとつですが、那智の滝に祀られた大己貴命の本地仏は千手観音だと考えられ、かつては「那智の滝」の岩壁には千手観音に見立てられていた岩が在りましたが地震により崩落したらしいと。。

そしてこの神仏習合の信仰形態も、明治の神仏分離によって破壊されてしまい、那智の滝の近くには千手堂が在りましたが廃されて、飛瀧権現は仏教・修験道を廃した熊野那智大社の別宮として飛瀧神社となったらしいと。。

何だかこのような寺院仏閣の歴史の話はいまいち僕には難しく厳しい感じですかね。。

社務所の横には、那智御ん滝拝所への入口がありまして、さらに近くまでいって滝を拝める展望台が在ってと言う事ですね。。

そこに行くには入場料として大人300円、小中学生200円が必要だと言う事で、何だか行かなくても観れるからスルーしてたのですが、2013年の時は300円払って最近の展望台だか拝所まで行きましたね。。

飛瀧神社の拝観時間は 7:00~17:00とかで、お拝所には16:30までしか入れないとか有るらしいので、あまり外れた時間だと良くないかも知れませんね。。

滝前の拝所舞台とやらまでは2分程ですから、すぐと言える距離ですかね。。

延命長寿に御利益があると伝えられている那智の滝を流れ落ちてきた霊水を、すぐ隣に置いてある神盃を初穂料100円で購入したら飲める場所が在りますね。。

なんでも花山法皇が千日籠りのときに、九穴の貝を滝壷に沈めたことがもとで霊水となったと言い伝えられているらしいと。。

神盃は持ち帰れるから記念品に良いと言う事ですが、飲んだかどうか忘れましたね。。

赤コーンとか置いてあるといまいち景観に良くないとは想えましたね。。

石段とかを進んで近付いて行きますが、御滝拝所まで行かなくても十分観れるような気もしたし、やっぱりこっちまで来た方が観れる気もしたしで、何とも言えないところでしたかね。。

「那智の滝」は総合落差では日本の滝で第12位の落差であるらしいと。。

しかし一段の滝として落差133mは日本1位だと言う事ですが、 100選滝で言えば称名滝の4段目が落差126mとなっていてもどかしいですね。。

まあ100m越えの1段の滝となると其れなりに限られるかと想いますが、同じ紀伊半島でも1段で130mとか言われている岩屋谷雄滝とか色々と高瀑は在るし、全国色々探せば在るか分からないし、公称値なんて当てにはならないしで、何とも言えませんけどね。。

しかし滝だけ観れば見事な直瀑なんでしょうね。。

観光滝と言うのがマイナスかも知れませんが、太古から崇められていた歴史有る宗教滝と言うならば、何も畏れ多くて言えないところですかね。。

そう言えば、この滝を2012年7月15日にクライミングで登って物議を醸した事件が有りましたが、このような厳格な立入禁止の場所に入って行こうとは、僕は絶対に想いませんね。。

この様な観光滝は観光に徹するところですね。。

もちろんどちらにしても「那智の滝」の滝壁を登る技術は有りませんけれど、登る気にもならないですね。。

そんな事で許される最先端の観瀑ポイントとなる朱塗りの拝所舞台とやらで記念写真を撮りましたね。。

しかしこの「那智の滝」の上流の那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝が架かっていて「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称であったらしいと。。

しかし、現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指しているらしいと言う事で、とりあえずこの落差133mの滝が「那智の滝」で良いんですね。。

そして調べますと。。

那智山とは広くは標高966mの大雲取山を含む場合もありますが、基本的には は熊野那智大社の社叢(しゃそう)(那智原始林として国指定天然記念物)とその周辺山地をさすらしいと。。

その場合は最高峰の標高約910mの烏帽子山やら、光ヶ峰、妙法山などに囲まれた地域の総称となり、「那智の滝」は那智山中の大雲取越の舟見峠辺りを源流とし、帽子岳や妙法山などを源流とする4本の渓流を集め、2級河川の那智川となって那智湾に注いでいると。。

そんな事で、上流は普段は立ち入り禁止区域の世界遺産であります那智原始林となっているらしいですが。。

那智原始林は、「那智の滝」の東側に広がる原始林で面積は33.5ha程の森林でありますと。。

昔から熊野那智大社の禁伐林として保護されてきたので原生林が残っていて、構成種も極めて多く豊富な植物がみられ、自然林の特徴をよく保っているらしいと。。

那智原始林は、熊野那智大社の許可がないと入山できないらしいですが、 その神域は死霊が集まる場所ともされており奇怪な話も多いとか、金や銅の鉱脈があるとの話も聞きまして、何やら色々と曰く付きで気になりますね。。

しかし勿論ここは完全に一般観光の枠で終わらせる感じでしたね。。

御滝拝所の帰り道は、違う道順になっていて「お滝祈願所」を通ると言う事で、よく覚えてませんがそうだったんでしょうね。。

飛滝権現の本地堂に代わって造られたもので、お滝を拝するようにされており左側に「観音菩薩」右側に「役小角先達」とその眷族や滝不動などが安置されているらしいと。。

300円払えば霊水やらこれらも観れるから、拝観した方が良かったのかも知れませんね。。

そんな事で、毎回一般観光を其れなりに堪能して飛瀧神社を後にしますが。。

どうも那智の滝にいたる参道脇には平安末期以降、数多くの経塚が営まれたらしいと。。

経塚とは仏法が滅んだ後の世の為に、経典や仏像を経筒や経箱に入れ地中に埋納して、弥勒菩薩が出現すると言う五十六億七千万年後の遥か未来にまで保存する目的で造営された仏教遺跡の事らしいと。。

大鳥居をくぐってすぐ左側も、それらの写経を経筒に入れてお納めした那智経塚でありますとの事ですが。。

これらは全く観た記憶が残っていませんで、「那智の滝」を観る事だけを考えていた末路だったんでしょうね。。

でも十分に色々と観れた気がしましたよ。

この後は朱塗りの三重塔からの「那智の滝」を観ようとして、 飛瀧神社の入口のバス停辺りから延びる近道の鎌倉式石段を登って行きましたね。。

そして大した距離では無かったと想いましたが、車道に出て登れば三重の塔の辺りに着きますと。。

三重の塔は 平安末期に建立されて、1581年の兵火によって焼失していましたが、1972年にほぼ400年ぶりに再建されたらしく観た目にも新しい建物であると。。

現在の塔の高さは25mで一辺の長さは12m、各層は美しい格天井となっているらしいと。。

その内部には飛滝権現本地千手観音が安置されており、内部の壁面には彩色の金剛諸界仏、観音、不動明王などの壁画が描かれているらしいと。。

三重の塔は実際には4層になっていて、最上層は那智の滝を見渡す展望台のようなスペースになっていて、エレベーターも設置されているらしいと。。

拝観料200円が掛かるらしいと言う事ですが、何故か内部には入った記憶が無いですね。。

たぶん僕は三重の塔と「那智の滝」をセットで観て写真撮って満足してたんでしょうね。。

しかしこちらは熊野那智大社の隣にあるお寺の、こちらも世界遺産となる那智山青岸渡寺(せいがんとじ)の境内に在るものだと。。

正に神仏習合と言う事なんでしょうね。。

ここで「那智の滝」と言うか、熊野那智大社周辺の地図を観て考えてみますと、いつも「那智の滝」を観るのが目的でしたから、飛瀧神社の直近の無料駐車場が空いているので駐車していましたが、もしこちら周辺を其れなりに観光するんだと言う事で訪れたなら、僕は多分もっと手前の大門坂駐車場に車を駐車していたかと想いましたね。。

100台ほど駐車できる大門坂駐車場も無料ですし、ここから聖地への小さな架け橋の振ヶ瀬橋を渡り、巨大な夫婦杉を筆頭に杉並木に囲まれた石段の大門坂という古道を約30分かけて歩いて行けば良さそうだったかとは想いましたね。。

その先には467段だかの石段が在り、登ると熊野那智大社と那智山青岸渡寺に着くと言う事で、少々疲れるかも知れませんが、このルートが良かったのかと今になって想ったりしてます。。

大門坂を登った場所には那智山バス停があって、1つ手前のバス停が「那智の滝」の入口に有る滝前バス停ですから、まあ歩いても大した距離では無さそうですしね。。

と言うか、467段の石段を登って熊野那智大社と那智山青岸渡寺を観て、その後に飛瀧神社を観る為にいつもこうして登って行くルートを降って行けば良かったと。。

そして疲れてたなら帰りは滝前バス停から大門坂バス停までバスに乗って帰れば良い訳ですからね。。

そんなんで、僕はせっかくだから帰りは大門坂を降って行くかも知れませんが、もし次に訪れるなら大門坂を通ってみたいと想いましたよ。。

まあでもとりあえず熊野那智大社辺りの駐車場に行くには神社防災道路通行料だかが800円とかかかりますし、それも有って駐車するならこの辺の無料駐車場から観光したいとは想いましたね。。

そして想ったのは、この熊野那智大社周辺のメイン道路は和歌山県道46号那智山勝浦線と言う事になるのかも知れませんが、車道と言うのはいまいち景観にはマイナスに感じるところかなと。。

まあ仕方無いですかね。。

そして多分この後に車道だか何だかを進み、手前となる青岸渡寺に向かう山門の在る石段を登って行ったのでしょうね。。

なんでも今は那智山青岸渡寺の山門になっていますが、昔は熊野那智大社の大門だったらしいと。。

以前は熊野古道の大門坂の約650mの石畳の道を登ったところの空き地にあったらしいですが、1933年に現在の場所に移設したようだと。。

先には一の鳥居を潜って那智大社に向かう467段の階段の途中なのかも知れませんが、けっきょくこっちは全く登ってないのかも知れませんね。。

そして青岸渡寺の本堂の前に立ちましたが。。

中世から近世にかけて如意輪堂と称され、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場として知られていたらしいと。。

最盛時には7カ寺36坊を有したが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で寺と神社に分けられて、 ご本尊の如意輪観音坐像を祀る入母屋造の本堂(重要文化財)を残して、ほとんどが失われてしまったらしいと。。

青岸渡寺の本堂は重厚な入母屋造で、 織田信長の軍勢によって焼き討ちされた後、1590年に豊臣秀吉によって再建されたものらしいと。。

桃山時代の建築をとどめていて、熊野地方で一番古い建造物らしいと。。

朱塗りではなく、なかなか渋い建造物と想われましたが、実はこの青岸渡寺がこの地で最も観どころ有るのかとも想いましたね。。

そして青岸渡寺の境内裏手には那智大瀧の展望台がありますと。。

ここからの「那智の滝」の景観が、この地での最遠望景観として、何だか残ってますね。。

そう言えば、豊臣秀吉の寄進した本堂の鰐口は直径1.4mで重量450kgの日本一の大鰐口だそうですし、三重の塔といいやはりこの青岸渡寺が最も観どころの建造物群だったかも知れませんね。。

そして熊野三山の中で、神社と寺が隣接して神仏習合時代の名残を残しているのは熊野那智大社だけと言われると言う事で、お隣の朱塗りの那智大社の方に移動しましたね。。

前述の経緯なども含めて仁徳天皇時代の317年に、那智山の中腹に社を建て、那智の滝の神も含め、十三柱の神を移しましたと。

467段におよぶ石段の上に建つ6棟からなる社殿は、標高約300mだか約500mだかに位置していて、 那智は大滝の聖水のもつ生産力への信仰が根源とされ、熊野夫須美(産霊)大神(くまのふすみおおかみ)を主神に祀り、それぞれに神様をお祀りしていますと。。

本殿は熊野造りで屋根には檜皮が使われていて、1581年の堀内氏善との戦いで燃えましたが、後に再建されて1853年に修復されたらしいと。。

拝殿の奥には本殿が第一殿から第五殿まで横一列に並んでいて、主祭神は、第四殿に祀られているらしいと。。

御本殿のお隣の第六殿となる八社殿の前には、日本の神話で神武遠征に出てくる八咫烏の像がありますと。。

那智大社は熊野十二所権現に大滝の神であります飛瀧権現を合わせて祀る為に、熊野十三所権現とも呼ばれていますと。。

調べまとめますと。。

熊野三山の三社は別々の一神を主神として祀っていて、熊野本宮大社の主神は家都美御子大神であり、熊野速玉大社の主神は熊野速玉大神であり、熊野那智大社の主神は熊野夫須美大神であったと。。

三社には各々一神づつが祀られて、同時に他の社の主神を互いに勧請して三神を一社内に祀っていると。。

更に天照大神である若王子(にゃくおうじ)を含めた五所王子(小守の宮・児の宮・聖の宮・禅師の宮・若王子)と四所明神(武甕槌命・経津主命・天児屋・比売命)を合わせて十二神となったのでこれを熊野十二所権現と呼ぶことになったらしいと。。

そんな事で、熊野は十二所権現といい、十二体の神様とその本地仏をお祀りしているらしいですが、この熊野那智大社は、 那智の滝を崇拝する原始神道に始まったとされるので、第一殿に瀧宮を加えて熊野十三所権現と言うらしいと。。

僕には神社の歴史やら由縁は何だかよく分からないところでしたが、とりあえず熊野三山を全部観れて良かったですかね。。

こちらには「那智の滝」に因んだ133cmのジャンボおみくじや、 樹齢800年と推定されて樹高は27m、幹回り約8.5m、枝の張りは南北に25mもある樟の大木で、根幹部は空洞化していて胎内潜りが出来る那智の樟なんかが在ったりして、色々と楽しめそうな場所だったんですね。。

しかしそんな事は全く知らずに境内をうろうろして、いつもの様に観損ねたものをたくさん残して、最後は第二鳥居からの山並みの眺望を観てこの地を後にした感じでしたかね。。

殆んど歩きませんでしたが、熊野古道のすごさは、異なる宗教の聖地を参詣道がつないでいる事であり、これは世界中のどこにも存在しない現象であるらしいと。。

高野山と熊野を結ぶ小辺路は仏教真言密教の聖地である高野山と熊野が参詣の道で結ばれていますし。。

吉野と熊野を結ぶ大峰奥駈道は修験道の聖地であります吉野と熊野が山伏の修行の道で結ばれていますし。。

伊勢と熊野を結ぶ伊勢路は同じ神道でもまるで違う伊勢と熊野も参詣の道で結ばれていますしで。。

神と仏や違う宗派が敵対するのではなく、融合し共存していると言う素晴らしいものであるらしいと。。

そんな事で何だかんだで、熊野本宮大社から始まってごちゃごちゃ観たので時間もかかり疲れたところでしたかね。。

この地を訪れた時に唯一エリア内と言える場所に泊まっていったのは2013年の時でしたね。。

それ以外の時はいつも散々うろうろした後にここから帰路に着くと言うのが疲れた記憶が有るところでしたかね。。

そして何処に泊まったかと言えば、勝浦湾に面した3000人分の客室を持つ超巨大温泉宿の「ホテル浦島」でしたね。。

参詣道の一部としてつぼ湯辺りが世界遺産に登録されている湯の峰温とか、色々と昔ながらの温泉地も在るとは想いますが、ここはあえて大規模な観光開発と言えるような大型温泉リゾートホテルタイプに泊まろうと言う事でしたね。。

しかし熊野の観光振興に関連した観光政策としては1936年の吉野熊野国立公園の指定が挙げられるところですが、この地の観光産業の成長は1970年頃からの温泉ブームやら熊野詣のための巡礼ツアーなどによる観光客の増加であったらしく、リゾート法の適用はグリーンピア南紀くらいらしくて、地形的な問題も有るのか、そこまで大開発はされていないのかも知れませんかね。。

しかしこの勝浦港辺りに1950年代末期辺りに創られた日本最大規模のホテル浦島やお隣のホテル中の島辺りを観ると凄いもんですな。。

那智勝浦町や古座町なんかでも原発誘致の話も有りましたし、自然を残すのは大変なところですかね。。

そんな事で、とりあえずこのホテル浦島のアトラクションの1つと想え事前から知っていたのが。。

駐車場からホテルまでは、浦島太郎の伽話に因んだ竜宮城へ向かう亀に見立てた送迎船だかでホテルまで行くらしいと。。

それを何だかんだで楽しみにして大きな駐車場に車を駐車して向かおうと想ったら、時間が19時くらいに着く感じになってしまった為に、係りの方に言われて地下のトンネルだかを使って車で直接ホテルに向かう事になり乗れなくて残念でしたね。。

どうも送迎船は朝の8~9時台と夕方の15~18時台はピストン運航しているらしいですが、遅い時間だった為に本数が少ないのか何なのかで直接ホテルに車で向かってくれだとか何だとかでしたね。。

こちらは島のように観えていましたが半島となっていて、 勝浦港を北東に取り囲んでいる狼煙山半島全体を敷地としているらしいと。。

どうも一般的には紹介してないようですが、別に隠してる訳でも無い感じですよね。。

送迎船に乗る専用駐車場で直接車で向かう駐車場をマップだかを頂いて説明して貰い向かいましたよ。。

行ってみたら警備員がいるゲートを通り、大きなトンネルを越えて向かうと。。

地下の駐車場では無くて、野外の駐車場に駐車したかと想いますが、こちらからの入口があるのは、本土に最も近いか道を通し易かったかの日昇館という建物で、まずはここのフロントで仮の受付をして、自分が泊まる本館までの道順を説明して貰い、そちらに向かいましたかね。。

ホテル浦島は4つの巨大なホテル棟から出来ていて、送迎船が到着する正面玄関となるのが本館で、送迎船に乗って来た場合に向かって右斜め方向の山の上に見えるのが山上館で、本土側となる左の崖側に本館と並ぶように建っている棟がなぎさ館で、更になぎさ館のちょうど裏側にあたる太平洋側に建っているのが日昇館でありまして、これら4つの巨大なホテル棟はエスカレーターや地下トンネルで結ばれているらしいと。。

そして迷わないように、廊下には緑やオレンジの太いラインが真ん中に入っていて、各色を進めば各棟やら温泉やらの方面へ向かえると言う工夫がされていると。。

何だか暗かったし疲れてるしで、良く覚えて無いんですけれどね。。

マップだかを載せときますね。。

そしてこの時は本館だかの受付を済ませて、何色だったか何処の棟だったかも忘れましたが、さっさと進んで部屋に着いて温泉に入って眠ろうって感じでしたね。。

そんな事で、どうせ暗くなるギリギリまで観光やらして着くのは遅いなと言うのと、宿代を安く済ませようとした思惑が重なりまして、この時は1泊朝食付きにしましたね。。

確か4人1部屋で泊まったのもありまして、5000円前後くらいで泊まれた気がしたんですけれど忘れましたね。。

何だかホテル内は入り組んで巨大で、確かに何処が何処だか分からない感じでしたが、この整合性の無さは最初に本館が建築されてから継ぎ足して継ぎ足して創られた賜物なんでしょうね。。

でも好きですよ、こう言った物件。。

何だかカラオケやら土産屋やらゲームセンターやら、何でも色々有りまして、まるで1つのコロニーを形成しているようにも感じて、昭和時代の鄙び感が有ればこそですが、感心しきりと言ったところでしたかね。。

普段は温泉と言えば秘湯が多いし、このような巨大ホテルタイプの温泉には泊まる機会が殆んど無かったので、有ったとしても僕にとってこのホテル浦島が今まで泊まった宿泊施設では最大だったんでしょうね。。

そんな中で亀の送迎船よりも何よりも、このホテルで最も有名なのは、忘帰洞やら玄武洞やらの巨大洞窟温泉風呂であると言う事は承知していたので、疲れている中でもこの2つの洞窟温泉風呂は夜の内にも入りに行きましたね。。

けっきょく朝も両方入りに行きましたが、何だか昭和の観光ホテルの場末感にも似た雰囲気その物の中で、この2つの洞窟温泉風呂だけは、今でもとんでもなく凄いなと言えるものが有ったかと想いましたね。。

何でもよくよく考えましたら、忘帰洞と玄武洞の他にも、なぎさの湯、磯の湯、滝の湯、山上湯と、全部で6つの温泉が有って、全部の温泉に入ると粗品が貰えるスタンプラリーなんてのも有ったらしい話ですが、全く記憶に無いですし、 忘帰洞と玄武洞以外に入った記憶も無いので、今想えば勿体無かったですね。。

とりあえず忘帰洞ですが、基本的にこの温泉風呂がこのホテルの最大の代表なんでしょうかね。。

間口25メートル、奥行き50メートル、高さ15メートルの、熊野灘の海流に侵食された、大自然が作り出した巨大な洞窟をそのまま天然温泉にしたものらしいと。。

内部は壁で男女分かれておりますが、入れ替え制となりますが両方入ると忘帰洞の中だけでも9つのお湯が楽しめるらしいと。。

泉質はナトリウムカルシウム塩化物泉で、源泉かけ流しの湯はやや白濁していて硫黄の臭いが強いらしいと。。

忘帰洞の名は、大正初期に元紀州藩の徳川頼倫公が(帰るのを忘れるほどの名湯)と称賛した事からきているそうで、それを謳い文句にしている感じですかね。。

床は石張りで年代物の柱が立ち、洞窟はセメント舗装も多い感じでしたが、巨大な天然洞窟空間の雰囲気は十分出ている感じでしたかね。。

まあこの忘帰洞に入った僕の記憶としては、開けた海景色を観る波打ち際方面の湯船より、洞窟の内側の湯船にゆっくり浸かってた記憶が有りますね。。

乳白色の比較的ぬるめの湯で、意外に本格的な温泉なんだなあと想いながら浸かってたのを想い出しますよ。。

何か観上げると、大きな洞窟空間がグロテスクにも観えたものですが、こちらに幽霊が出るとか言う話も有るみたいで、確かに一人で入っていたら怖い感じがしそうだなと、何となく想ったりもしましたね。。

そしてもう片方の玄武洞の方ですが。。

こちらも自然が作り出した洞窟温泉で、忘帰洞よりは小さいけれど、玄武洞の方が普通の岩肌のままでありますと。。

僕としましては、こちら玄武洞の波打ち際に在る湯船が一番印象に残ってますかね。。

波が荒かったのか分かりませんが、入っていると波の飛沫がギリギリかかってくる状態で、それが熊野灘の荒々しさを感じられる様で、何とも言えず良かったと想えましたよ。。

ですから僕にとってこのホテル浦島の温泉の中で最も良かったと想えたのはこちらの玄武洞となりましたかね。。

こちら玄武洞は日昇館に有る温泉で、忘帰洞は本館に有る温泉であり、泉質なんかは各温泉で微妙に別々らしいですな。。

朝は5~6時から入れて、昼時は一時的に閉まり、夜は23~24時に閉まる感じで24時間営業では無いと言う事ですね。。

他の温泉には入ってないので、こちらの温泉群を満喫出来てはいないのかと想いますが、改めてこちらのホテル浦島は、温泉だけは本格的に凄い感じはしましたね。。

そして朝は山上館だったか何処だったか良く覚えてないですが、爽やかな天気の中で寝惚けながらバイキングを食べたかしましたね。。

しかし忙しない状態だったせいか、底となる本館とホテル最上位置となる山上館を結ぶ、乗り継ぎ式では長さだ高低差がだかが日本一とか言うエスカレーターのスペース ウォーカーに乗り損ねたと言う事になってしまいましたね。。

忘帰洞やら玄武洞の洞窟温泉と亀の送迎船ばかりに気を取られてい、このエスカレーターの事は全くノーマークだったんでしょうね。。

これが全長154メートル、階段数で言えば428段分に相当し、高低差は77メートルで傾斜角度は30度だとか。。

本館1階から32階となる山上館へと向かうのに所要時間5分45秒だかかかり、熊野灘の風景も良く観えると言う事で、乗らなかった事を後悔しきりでしたね。。

この時は山上館に行ってバイキングを食べたとしたら、寝惚け眼でエレベーターでさっさと会場に向かってしまったんでしょうね。。

やはりこうして書き物をしていると、改めて観落としているものが多す過ぎて反省するところですね。。

そんなんで今日も1日色々と回るぞと想いながら、けっきょく朝は弱いのでチェックアウトの10時ギリギリまで宿でダラダラして、2つの洞窟温泉風呂だけは満喫して宿を後にする事になりましたね。。

しかし直で駐車場に向かっては名残惜しく、せっかくだから送迎船に乗せて貰えないかと本館前の船乗り場に向かいましたね。。

何だか寂れた湖辺りで運航している遊覧船その物の趣が堪らなく、どうしても乗りたくなったので、船乗り場にいる法被を着た係りの方に僕は。。

(すいません。。昨夜は遅くて直で車でホテルに向かい船に乗れなかったので、せっかくだから記念に乗りたいので、乗って往復させて貰えますか?)

と、聞いたのでした。。

そうしたら係りの方は。。

(どうぞどうぞ乗って下さい。。)

と、快くOKしてくれたので喜んで乗船させて貰いましたね。。

そして最大搭載人数100人だかの浦島号は、僕らを乗せてポコポコと那智勝浦港を進んで行きました。。

乗船時間は5分程ですが、何だかやっぱり楽しくて乗って良かったですわ。。

反対の本土となる駐車場側の船乗り場となる勝浦港の観光桟橋はJR紀伊勝浦駅からでも徒歩5分とアクセスは良いんですね。。

どうも乗り場は勝浦港に浮かぶ島に観えるホテル中の島と併用されてるみたいですが、ホテル中の島は完全な島ですので船で訪れるしか無いんでしょうね。。

ホテル中の島も泊まってみたいなあと想いましても、なかなか予定が組めないのがもどかしいところと想いましたね。。

何だか僕には然り気無く大型温泉ホテルに囲まれた港と言った印象に成りましたが、こちらは 日本有数のマグロ延縄の漁業基地として有名で、陸揚量は静岡県の焼津漁港と神奈川県の三崎漁港に次いで全国第3位であり、生鮮マグロの水揚高は日本1を誇るらしいですね。。

この時はそんな事は露知らずに優雅に晴天の海を眺めていたもんでしたよ。。

なにかこの様なキャラクター系の遊覧船みたいなのに乗るのは幼少の頃以来の気がしてノスタルジックにもなりましたね。。

在る意味ここは、珍スポットとしても扱える物件なのかとも想いましたが、なかなか楽しい温泉ホテルだと言う感想でしたね。。

そんな事でUターンしてまたホテル浦島の本館の入口前に着く感じでしたね。。

ホテルの正規の入口に帰りに初めて訪れた気持ちにもなりましたが、何だかホテルの前では有料で釣りが出来るみたいですね。。

よく調べるとこのホテルは色々と他にも有って奥が深いもんですよね。。

何でも夏は海水プールやドームプールやらとかも有るとか。。

しかし他に観落としていたものとしては、山上館方面から向かえる浦島稲荷神社やら熊野国立記念公園にも指定されている狼煙山遊園なる場所も在ると。。

スカイウォーカーからのルートは絶壁に造られた屋根付き通路を通って行くらしいですが、灯台も在り海抜約80mの高さの展望台からは熊野の山々を見ることができる山側と町並みと太平洋側と両方見る事が出来て、360度の見渡せる大パノラマが広がっている風光明媚な場所で在るらしいと。。

敷地内に神社などは4ヵ所在るらしいですし、いやはやこのホテルの何でも有り感は半端じゃないと改めて帰りに想いましたね。。

まあまた毎度の事で、観落としは多数有るので、いつの日か再来して今度はゆっくりとこのホテルを満喫出来たらと想いながら、車に乗って陸路を引き返してこの地を後にしましたよ。。

この後はまたこの熊野界隈でごちゃごちゃと他の滝などを訪れて帰ったんでしょうが、1泊の強行日程が常でなかなかゆっくりしてられないところでしたかね。。

何とか今度は2泊辺りでゆっくりと再来したいと言う事で。。

熊野よさようなら、また逢う日までと言う事で。。

最後に。。

滝と言うのは観光において一般的にはややマイナーなものなのかも知れませんが、滝は滝で立派な観光の1ジャンルではあると想います。。

そうした中で、どの様な観光ジャンルでも有無を言わせぬものが存在したりしますが、滝と言う観光ジャンルで考えた場合は、この「那智の滝」がそれに当てはまるものなのかと想ったりしましたね。。

太古の時代から崇められ、日本の2大宗教である神道と仏教が融合し、歴史を刻んで来た地の御神体と言う超有名な滝についてあーだこーだ言っても仕方無いと言うところでありましょうね。。

そして想いましたのは、この滝は熊野三山の根源となる御神体でありますから、どうしても滝と言うよりも神社仏閣を巡る方面になってしまうところですかね。。

そう言う事で、この滝は100選の滝の中でも最も滝と外れたコラムになったかと想えたりもしましたね。。

しかしこの様な超有名滝に関しましては書きようが無いところが有りまして、これで良かったかとも想いましたね。。

そんなんでこの「那智の滝」そのものに関して書かせて貰いますが。。

どうしてもこの様な観光滝と言うのは、いまいち醒めて観てしまうところが有りますが、もしこの滝が秘境と言える場所に在ったら観事な直瀑の滝と言えて感動できる事でしょうね。。

まあ少々通常の水量は少な目なきらいが有るように想いますが、それを差し引いても滝だけ観たら素晴らしいと言えるところでありましょう。。

水量に関しましては過去に築いた滝上流部の水源域の林道網とそれに伴う森林伐採と植林化の問題が見えて来ますが。。

まあ再生プロジェクトなんかが発足して何とかなるものかも知れませんけれどね。。

でも観光滝と言っても、こちらは歴史的宗教に名指した観光滝ですから、景観にも確りと統一したコンセプトが有り、自然破壊と言ってもバブルに向かって創られた観光滝とは違う、日本的な自然と其れなりに調和した美しさと言うものが在るのでしょうね。。

従って前述しましたが、この「那智の滝」がやはり一般的には日本を代表する1番の滝と言えると想うところです。。

そんな事で最後の滝の写真として、残っていた2002年9月に来訪した時の「那智の滝」の写真を載せておくところですね。。

しかし最後に想うのは、こうして熊野エリアを観光した中で、僕にとって何が1番印象に残っているかと言うと、熊野三山やら熊野古道やら「那智の滝」とかでは無くて、ホテル浦島だったと言う事ですかね。。

この世界に誇れる共存共栄の精神を持った歴史有る宗教エリアと言う地で、それに関連性が無いような、巨大な昭和時代のリゾート観光ホテルが何より印象に残ったと。。

そう考えると僕はこの先言い続けるかも知れません。。

熊野と言えば何が在りますかと聞かれたら。。

(あぁ。。あのホテル浦島が在るところですね。。)

と。。

この不条理と言える様なひねくれた考えこそ、僕が陥った人格の一端であり、その事を再確認出来た場所であったなと言う事で、終わりたいと想います。。

場所

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

駐車場

無料なら飛龍神社入口前の数台分か下部に離れた大門坂駐車場に100台分とか辺り。。

あとは周辺の土産屋とかなら特典割引とか有るか知りませんが400~500円で色々と。。

もしくは上部の那智大社の駐車場とかは無料ですが辿り着くのに神社防災道路通行料だとかが800円必要ですから実質は駐車料金800円みたいなもの。。

問い合わせ 那智勝浦観光協会

http://www.nachikan.jp/kumano/nachinotaki/