最上峡 白糸の滝 公称落差120mか123mが大多数 段瀑 山形県最上郡戸沢村古口 2018年5月16日 日本の滝100選掲載順カウントアップ43/100

この山形県の100選滝に選ばれている(白糸の滝)に関しましては。。

以前に訪れた事が有るような気がしていたんですが。。

基本的にこの辺りの100選滝は、僕には落差が有る遠望の段瀑が3滝在るように感じてしまっていて、 訪れた事が有るような気がしていたのですが。。

実は写真も無いので、訪れていないと言う事に気付いた、微妙な滝となっていましたね。。

その3滝とは他に、同じ山形県の月山エリアの(七つ滝)と、宮城県の蔵王エリアとなる(三階の滝)となるのですが。。

なんだか似たような印象が有りまして、混同してしまっていたと言う事です。。

そんなんで、最近は寒さが身に染みて冬場は行かないしで、僕にとってベストな旅行時期となる2018年のGWに、今年最初の滝訪問として訪れる事にしましたね。。

先ずはこの滝の名称ですが。。

こちらは以前にも(富士 白糸の滝)などで書いたように、日本の滝名で2番目に多い滝名の差別化を図る為に、この滝は(最上峡 白糸の滝)と呼ばせて貰う事にしますね。。

それで今回はもう独りで行こうとしたんですが、5月に入って店に来た友人のS君に話したら、一緒に行きたいと言うのでけっきょく2人で行く事にしましたね。。

まあそうなると交通費も割り勘にすれば浮くと言う事ですが。。

やはりそれでも節約して、ここは東北自動車道方面から向かう事にして、下道の国道4号線で出来るだけ進んで行く事にしましたと。。

しかしなんだか体力的には余裕で、このまま得意の下道でずっと進んで行きましたね。。

それで途中の福島市辺りに辿り着いた辺りで明るくなってきましたかね。。

その後は福島市辺りから国道13号線に乗り変えて、何度か訪れた滑川温泉とかに向かう道を過ぎまして、更に米沢市を越えて上山市とかに進む感じでしたと。。

そうしましたら、なんか一部で田んぼの中の豪華な高層マンションとして話題になっていた(スカイタワー41)がたまたま観えて、僕はウェブでその風景を覚えていたので。。

(あっあれは。。)

と言って写真だけ撮らせて貰いましたね。。

友人は。。

(何ですかいったい突然あんなマンションが。。)

と言っていたので、やはりちょっと違和感が有る風景なのかも知れませんでしたね。。

まあとりあえず偶然観れて良かったですよ。。

そんなんで次に山県市辺りを朝の通勤ラッシュとかで渋滞しないかと心配しながら進んで行きましたが、問題なくさっさと進んで行けましたかね。。

そうしましたら間違えて、(最上峡 白糸の滝)が落ちる最上川沿いを走っている国道47号線(鶴岡ライン)ではなくて、月山を挟んで手前を平行して走る感じの国道112号線(六十里越街道)を進んでしまいまして。。

前述の勘違いを想い起こさせるように(七ツ滝)方面の(米の粉の滝)のドライブインに着いてしまったと。。

この時の時刻はけっきょく午前9時半くらいのいい時間になっていて、間違えた徒労感から僕は。。

(やっぱり似てるんだよなあ。。この辺の100選滝は。。)

なんて想いながら、駐車場で少し休憩しましたね。。

そしてこのドライブインでもう1度ナビを確りと(最上峡 白糸の滝)に合わせると。。

ここから鶴岡市の東側となる月山方面を横切りながら進めば約43kmで着くと表示されましたので、この日に(七ツ滝)も観る予定だったのですが、1時間も走れば着くだろうと言う事で、当初の予定を崩さずに(最上峡 白糸の滝)へと車を走らせましたね。。

と言うのも、僕の中でこの手の車での旅行の場合は、最初に最も遠い処から訪れて、徐々に住まいに近付いて行くように旅行をすると言うのが鉄則となっていましたので、それに従ったと言う事です。。

それで因みにこの時の(米の粉の滝)はノーマークだったし急いでいたので、観もせずに去ってしまう事になりましたかね。。

そんなんで、最初の目的地が昼になっちゃ敵わないと、最後の気力を振り絞る感じで、国道112号線(六十里越街道)~県道44号線~国道345号線と繋ぎまして。。

やっとこさ国道47号線(鶴岡ライン)に乗り、最上川が観えた時には、遂に来たかと言う想いが過りましたかね。。

そして最上川沿いとなる道を急いだのですが。。

この時ともなれば僕も少しは過去を反省し、事前の調べを其れなりにはして訪れる事にしたのでした。。

その結果の概容としましては、合っているかは別と致しまして。。

とりあえず幅広い最上川の右岸に落ちる(最上峡 白糸の滝)は、基本的に対岸となるドライブインなんかからの遠望で楽しむ滝であると。。

そしてどうもこの辺りは最上峡と言われる峡谷になっていて、船下りの観光舟なんかに乗れば滝に近付けるとからしいと。。

あとは滝直下に自力で訪れたければ、実は3kmくらい下流の(さみだれ大堰)から川を渡って道を遡上して行けば、けっこう手軽に辿り着けるらしいと。。

まあそう言った感じの事前の調査となりましたかね。。

そんな事を考えながら最上川沿いを走って行きましたね。。

そうして最早迷う訳もなく進んで行ったのですが。。

更に事前の調べでどうもこちらの観光の舟下りは、1964年に設立された最上峡芭蕉ライン観光株式会社が運営している(芭蕉ライン)と言うのと、1977年に設立された最上峡観光開発株式会社が運営している(義経ロマン観光)の2社に分かれて運営しているらしいと。。

そんな事で、ここで(芭蕉ライン)の地図を拝借して考えさせて貰ったのですが。。

どうも2社の舟下りを乗船する定期便のコースは。。

先ずは(芭蕉ライン)の出港場所は、ドライブインより約10km程上流となる古口港となり、着港場所はドライブインより何100mか下流となる草薙港までとなる、約1時間12kmの下りの船旅で、帰りは別料金のバス乗車で戻るコースとなっていると。。

そして(義経ロマン観光)の出港場所は、ドライブインから何100mか上流となる、車道と平行して走るようなJR陸羽西線の高屋駅から徒歩2分くらいの高屋駅乗船場を出港し、途中で対岸の源義経ゆかりの縁結びの神社である(仙人堂)に上陸し参拝するコースになるらしいと。。

それで両社共に、この定期便を基本に料理付きやら色々プランが有ったり、他のルートも少しは有ったりで、選択は人其々となるように僕には想えましたね。。

この辺りの詳しい事は、両社のHPなんかを閲覧して貰えればと想いましたね。。

こうした中で僕が選びましたのは。。

(義経ロマン観光)の高屋駅から仙人堂を500円で往復する渡し舟のコースでしたね。。

定期便だと両社とも2000円以上しますし、(芭蕉ライン)の方にも(最上峡 白糸の滝)に降り立ち往復する30分のコースが1670円で有りますが、こっちの方が断然安いしと言う事で。。

まあ僕がこの地へ訪れた主旨は舟下りでは無くて、滝を観に来た訳ですからね。。

この渡し舟に乗れば滝直下に行けるのかと想ったのですよ。。

しかしこれがまた根本的な大間違いを犯していたんですけれどね。。

何故ならば、僕は(最上峡 白糸の滝)の滝直下に在る赤い鳥居の場所が(仙人堂)なのかと想っていたんですけれど、そこは不動明王が祭られた(不動堂)の方であり、(芭蕉ライン)で降り立つ方であったと。。

だから(最上峡 白糸の滝)の滝直下に降り立ちたければ、(芭蕉ライン)の往復コースに乗るべきだったんですよね。。

まったくと言うか、今回は反省して事前の調査を行った筈なんですが、やっぱり狙いとは全く違う方向に向かいましたね。。

そんな事で話を進めて行きますが。。

その間違った選択の(義経ロマン観光)の舟乗り場の辺りも最初は通り過ぎてしまい、最上川を右手に観ながら引き返したりしましたね。。

でも蛇行した最上川が良く観えて良かったですね。。

そうして観おとした高屋駅乗船場を観つけて、手前の駐車場に車を止めて、とりあえず行ってみようと言う事でしたが。。

よくよく考えたら、受付は高屋駅でするってHPに書いて有りましたから、これも間違いでしたかね。。

こちらの駐車場は山形そばの店である(八郎兵衛茶屋)の駐車場で、車は後で移動して道の反対側の少し先となる(義経ロマン観光)の空き地みたいな駐車場にちゃんと駐車させて貰いましたけれどね。。

それで(八郎兵衛茶屋)の駐車場の横から舟乗り場に降る道を進んでみましたが。。

誰もおらず、次の乗船時間は11時30分だとかベニア板みたいなのに書いてありました。。

受付は高屋駅だとかも書いてあるのが有ったので、この時は駅で受付なんだと初めてここで知りましたね。。

なんだかローカルな渡し舟乗り場って趣に感じたりしました。。

調べますと、どうも普段の平日の基本便は10:00、11:30、13:00、14:30、の4回しか運航しておらず、やはりGW明けの平日ですから、空いてるなあと言う感じでしたね。。

まあ空いてるこの方がベストですし、乗り場なんかも素朴な感じが良いですから、僕としては良かったですけれどね。。

この時の時刻は午前11時少し前くらいでしたが、とりあえず500円の渡し舟に乗ろうと高屋駅の受付に向かう事にしましたね。。

それで(八郎兵衛茶屋)の道の反対側に延びる急坂を登れば駅だと言う看板が有ったので、歩いて駅に向かう事にしましたね。。

なんだか晴れてて爽やかでいい感じでしたね。。

けっこうな急坂を登った先には、高屋駅前のロータリーと言うか、広場が開けていましたね。。

こちらJR陸羽西線は、山形県内の新庄市の新庄駅から床内町の余目駅までを結ぶ43kmの路線となりますが、(奥の細道 最上川ライン)の愛称を冠するローカル線であるらしいですね。。

列車は余目駅から羽越本線と合流し酒田駅まで運行している便が大半で、新庄駅~酒田駅の55.2kmを約1時間強かけて走るらしいと。。

釣りをしてる3人家族みたいなイラストが描かれた跨線橋が目立ちましたが、向かう先は廃業した国設最上川スキー場の跡地らしくて、橋は実質的に使われてないみたいですね。。

しかしこの時はローカル線の事を考えて訪れた訳では無かったのですが、なんだかこの駅周辺の風景がいい感じに観えましたね。。

それでとりあえず、高屋駅にある(義経ロマン観光)の受付は何処に有るのかと想いましたが。。

この広い駅前の広場の隅であり、出入り口となる登ってきた坂道の横に有るコンテナハウスの事でしたね。。

こう観させて貰いますと、こちら戸沢村はこの舟下りを中心とした観光を主産業の1つとしていて、それを担う2社の内の1社としては、かなり細々と経営しているように一瞬想えましたね。。

まあでも舟下りや渡し舟なんかの施設は、元来そんな豪華なものは不必要だと想いますし、これでいい感じですね。。

僕は渡し舟乗り場近くのそんな大きくない駐車場に車を止めさせて貰いましたが、HPに何百台単位で駐車できると書いてある高屋駅の大駐車場は、元々は廃業したスキー場関連とかの駐車場の残りみたいですし 、それもコストをかけずに使えそうで良さそうですかね。。

しかしこの時は午前11時くらいだったのですが、受付に行ってみても誰もいないので、とりあえず高屋駅を見学する事にしましたね。。

JR陸羽西線は、先ずは1913年に新庄駅~ 古口駅の間が酒田線として開業し、翌年となる1914年に全通した歴史が有る路線らしいですが。。

こちらの駅は1920年に信号場として開設され、後の1952年に乗客などが乗降する駅に変えて開業した駅だと言う事だと。。

簡易木造プレハブの駅舎が素朴でいい感じに観えましたが、 こちらは2003年に旧駅舎跡地を利用して建てられたもので、隣に建っている白い倉庫は開業時に建てられた旧駅舎の一部を遺した物であるらしいと。。

それを想うと郷愁を誘われる気持ちになりましたね。。

駅舎に入ると時刻表なんかが掲げられていましたが、やはり本数は1時間に1本も無い感じで少なかったですね。。

どうも2000年以降の1日の乗車人員数は1桁で推移して現在は3人くらいとからしいですが。。

こう考えますと、JR陸羽西線は起終点駅を含めて10駅有り、この駅は路線のちょうど真ん中辺りに位置する駅に観受けられますし、こちらの舟下りはこの高屋駅から近く、もう1社の(芭蕉ライン)もお隣の古口駅から近いので。。

新庄駅や酒田駅からローカル線に乗ってのセットの舟下りで楽しめばより良さそうな気がしましたかね。。

お隣の古口駅は、駅としては村の中心となるらしく、島式ホーム1面2線を有する起終点駅を除けば線内で唯一の交換駅となるらしいですね。。

しかし1日の乗車人員数は30人余でやはり少なく、この辺はやはり車を使ってと言う事ですかね。。

現在の戸沢村は、1955年に旧戸沢村、旧古口村、旧角川村、の3村が合併して生まれた面積261.31km2の村で、人口は2017年時点で約4500人強となりますが、やはり移動は車が多い感じですかね。。

だいたいこの高屋駅の周辺なんて、駅前の大駐車場スペースの奥に一軒だけ民家っぽいのが有りましたが、他に人が住んでいそうな気配はしませんでしたからね。。

とりあえず駅のホームなんかも覗いてみましたが、友人のS君はやたらと気に入ってましたね。。

電車が走る姿は観られませんでしたが、なんだか想い出に残る駅には成りましたね。。

そんなんで暫く駅を見学して楽しんでいると、受付にスタッフと見受けられる人が戻って来たらしいので、急いで向かい話をさせて貰いましたね。。

僕は。。

(すいません。。渡し舟に乗りたいのですが。。)

と聞きましたら、その方は。。

(今日は渡し舟の方はちょっとやってないんですよね。。)

と言う事を言われました。。

それで僕はどうしようかと想ったんですが、その方は。。

(良かったら11時半から周回の渡し舟が出発するから乗って行きませんか?)

と言ってこられたので、もう僕はせっかくだからそれで良いと言う感じで、話に乗せて貰う事にしましたね。。

何だか気さくな方でしたし、その時は色々と話を聞かせて貰いましたね。。

上梓した本を持ち出しての話だとか、少し乗船料を割り引きしてくれるだとか、途中で立ち寄る(仙人堂)で飲める(銘水のわき水コーヒー)の割引券貰ったりだとか。。色々話しましたね。。

まあ楽しそうな方でしたし、乗船券は喜んで購入させて貰いましたよ。。

乗船券はけっきょく2000円くらいとなりましたが。。

最後にこの最上川を俯瞰する高台のような場所に位置する高屋駅前の大駐車場スペースから、その最上川の景色を観ましたね。。

そうするとこちら高屋駅は(縁結びステーション)なる名称も頂いているらしい看板も有りましたね。。

どうも仙人堂は、全国でも珍しい渡し船で行く縁結びパワースポットだと言う事で、それに関連しての駅名称と言う事ですね。。

そう考えると、もっとローカル線との兼ね合いで集客をとか想いましたが、電車の利用者は少なそうですね。。

そんな事をしていたらけっこう出航の時間が迫っていて、先程訪れた高屋駅乗船場に道を降って急ぎましたね。。

そしたらいつの間にか他にも年配の夫婦の方とおぼしき2人と、2人組の女性の方も乗船していて、この時は僕達を含めて6人の乗船となりました。。

こちらの乗り場はどうも縁結びの神社に因んで(縁結び乗り場)とも言われていて、これから向かうコースは(縁結びライン)とも呼ばれているらしいですが、この時は全くその様な感じはしませんでしたね。。

きっと繁忙期はさぞや熱いもんなんでしょうね。。

それで舟に乗り込んだんですが。。

とりあえず舟は座敷タイプになっていて、靴を脱いで中に座り込ませて貰いましたね。。

舟は何だかビニール張りの屋形船タイプと言った感じでしたが、風は其れなりに吹いていたし、雨とかも凌げるから良いんでしょうね。。

座ったら何だかんだでここまでハードな道程だったので眠くなるところでしたよ。。

そうしましたらけっきょく先程の受付をしてくれた方がマイクを片手に船頭も始められましたね。。

自らが著した本も舟に2種類ほど置いて売っていました。。

僕はこの方は地元の観光の為に頑張ってるなあと想いましたよ。。

船頭さんは舟唄を歌ったり色々とこちら最上峡の話をこ慣れた感じで楽しく話されてましたね。。

何だか僕は回りの風景の写真だとかを撮るのに気持ちが傾いてしまい、確りとお話を聞いていないところも有り、申し訳無かったですが。。

なにかインスタグラムとかには好きなように載せて下さいだとか、昔のジュリアンナ東京がどうだとかの下らなそうな事も交えて楽しく話されてましたね。。

まあこの辺の事は事前にHPなんかで拝見していたので予想はついていましたけれどね。。

しかし調べますと、この方はこの(義経ロマン観光)の事業を行う(最上峡観光開発株式会社)の社長さんである芳賀由也さんと言う方であったらしいですね。。

そう考えますと、こちらの社長さんはさくらんぼの全国宅配事業の最上川特産やら、この地域を題材にした多数の本の執筆やらもしていますが、(義経ロマン観光)の渡し舟は極めてこの社長さんの個人事業的な側面が大きいように見えましたね。。

片やもう1社となる(最上峡芭蕉ライン観光株式会社)は、 なかなか豪華な古口港に在る戸沢藩船番所を本社として、各種飲食店や土産屋や、道の駅とざわ高麗館やら、関連会社の最上川交通株式会社におけるバス事業なんかを手掛けて、社員を募集して各部門に役員置いたりしているので、企業としての大きな経営をしていると言う事に見受けられましたね。。

こちらは創業された社長さんが現在も新庄観光協会会長やら最上地域観光協議会副会長やらに就いていると言う事で、規模的にもこちらの地域における献上は大きそうに想えますかね。。

調べますと、なにか観光客が利用するのは(芭蕉ライン観光)の方が断然多いとか、マスコミに取り上げられるのも多いとか見ましたが。。

しかしこうして利用した後に考えますと(義経ロマン観光)の方も色々と地域に根ざしてやってそうだし、もちろん初めて訪れたってのを抜きにも僕にはなんとも分からないところですね。。

何れにせよこうして現在まで永い間2社で共存して地域の主要産業として成り立ってるんですから、素晴らしいもんなんでしょうね。。

そんな事で、船頭さんの話を聞くのもあやふやに舟は進んで行きましたね。。

とりあえずこの日の最上川の水はけっこう濁っていましたかね。。

水量は確かに多そうで川幅目一杯に水が流れている感じでしたね。。

しかし雨後やら融雪期で水量多くて濁ってたのかは分かりませんが、中流域って事もありますし、この辺りの水質は元々そんなに良く無さそうな気はしますね。。

こちら辺りの上流には米沢市が在るように、最上川の流域には人口約110万人の山形県の8割りの方が住んでいる為に生活排水やらも多いと。。

他にも工業水やら農業水やらの影響も有りますし、源流域での廃鉱山の影響も有るらしいと。。

処理施設なんかの建設とかも大変でしょうが頑張って欲しいですね。。

まあでも十分僕には爽やかに感じられて舟は進んで行きましたよ。。

ここで最上川について考えてみますと。。

最上川は標高2035m西吾妻山付近の源流から、米沢盆地、山形盆地、新庄盆地、庄内平野を流れて酒田市で日本海に注ぐ最上川は総ての流れが山形県内となるらしいと。。

弱冠ですが、宮城県の二井宿峠や灌漑用水の横井堰からの水も含まれるらしいですが、これは許容範囲となり、1つだけ極端に大きい北海道は除きまして、1都府県内を流れる河川では最長となるらしいですね。。

そして流路延長は国内第7位の229kmとなり、流域面積は国内第9位となる7040km2であり、河口幅は380mにもなりますと。。

集める支流の数は400余りで、山形県の面積の約3/4の水を集めて1つの県で源流から河口まで流れていると。

しかし川幅とは堤防から堤防までの距離であり日本1の川幅となるのは埼玉県を流れる辺りの荒川の2537mとなりますが、水流幅は数10mしかなく、流域と言う順位実際にはどの川がどうなのかと言うところですかね。。

そうした中で流路延長は国内第7位ですが、水量は3位だか4位らしい最上川で、熊本の球磨川、静岡県の富士川と並ぶ日本3大急流と言われているらしいですね。。

しかしなんだか最上川って、ゆったりと流れている印象が有りますけれど。。

実は日本で最も急流なのは富山県の常願寺川だと言うように有名な1級河川の中で選んだ物であり。。

と言うか、どこも有名な1級河川の中流から河口にかけては傾斜は緩やかであるので。。

その中で比較的に、川幅が狭くなる狭窄部が全体的に存在し、 水量がとっぷりと豊富で流れが速いと言う事で、解釈したところでしたね。。

これはやはり山間部の豪雪地帯を源流域にしている為に水流が多くと言う事ですが。。

ちょうど地形的にどちらかと言うと太平洋側に位置する奥羽山脈の中で、東北地方では最高峰クラスの吾妻連峰から幾つかの盆地を流れて行く最上川は水が沢山集まるって事ですかね。。

確かに最上川と言うのは川原なんかは少なくて目一杯気味に水が流れているように観えますからね。。

山形県て何だか東北の県としては小さい印象が有ってよくこんな大きな河川が全部県内で収まるなと想ったのですが。。

調べると9323.44km2あって、僕の住む神奈川県の4倍近くの面積があるので、 成る程なあと想ったところでしたね。。

しかしこう考えますと、(母なる川)と呼ばれているように、山形県の方達にとって最上川と言う川はとてつもなく大きな存在なんだなと想ったりしましたね。。

現在も(最上川)が織り込まれている学校が県内の小・中・高合わせて107校も有ると言う事ですからね。。

僕なんか実家の近くを流れている相模川の事を考えた事も無いので、恥ずかしいところですね。。

そして現在舟下りが盛んなこちら(最上峡)とはどう言ったものなのかと言いますと。。

100万年とか前からの話になりますが。。

最上川は奥羽脊梁山脈が陸地化し海水は徐々に後退して行く過程で、高い部分となる盆地が陸地化して低い部分は湖沼となり、それらを繋ぐ流れが出来たのが始まりらしいですね。。

その後に最上川は地盤の隆起や沈降によって氾濫をくり返したり周辺河岸を浸食しながら、次第に現在のような姿になったらしいですが。。

そうした事で米沢盆地、山形盆地、新庄盆地やら他にも盆地が創られ、その盆地間を繋ぐ間は狭窄部が形成されて峡谷を創り出していったと。。

その構成の中で、最下流となる新庄盆地と床内平野を結ぶ位置となる、戸沢村古口地区から庄内町清川地区の間の全長約15kmだかに亘る峡谷が(最上峡) となりますと。。

(最上峡)は最上川の急流が堆積岩を浸食して形成した出羽山地を東西に分断する、両岸の高さ約320mとなる箱形褶曲の地質構造を持つV字谷となりまして。。

一帯には広葉樹に混じって樹齢1千年を超す天然木の(山の内杉)が群生し、特に左岸の土湯山の一角は(幻想の森)と呼ばれていて現在観光化していると。。

そして両側岸の黒森山やら鍋流森から流れ込む多くの滝が見られ、それらは(最上四十八滝)と呼ばれているらしいですね。。

そんなんで四季折々に色々な表情を見せる(最上峡)は、最上川流域の中でも随一の景観を成していて、 最上川県立自然公園の中心となっているとからしいですが。。

とりあえず最上川の現在は、近世の開削やら後の幾度もの治水対策事業などでそこまで急流では無くなっていると言う事で優雅な舟下りが出来ると言う事ですかね。。

しかし其れなりに波打つ荒さも感じられましたかね。。

(芭蕉ライン)の舟とも何度か擦れ違いましたよ。。

どうも乗船している内に、こちらの舟下りと言うか舟での周回コースでは、たくさんの観処が在ると言う事で社長の船頭さんが色々と解説してくれてましたね。。

とりあえず(最上四十八滝)と言うくらいですから滝は多いらしく。。

最上峡の中で2番目のスケールを誇る(大滝)やら山頂から7段に落ちる(七滝)やら在ったみたいですが、どうも樹木に隠れ気味だったりで、分かり難くて良く覚えていませんね。。

まあいつものように細かい観かたはしない習性が出たのかも知れませんが、雄大な流れをボーッと観る感じでしたかね。。

他にも天気の良い日には五色の虹が見られる(慈光の滝)やら。。
滝壁に源義経と弁慶の馬の蹄の跡となる穴が点々と空いていると言われる(駒づめの滝)やら。。

弁慶が力だめしに投げた石が地肌にめりこんだと言われる(弁慶のつぶて石)やら。。

地形が複雑で流れが荒くて難船が絶えず、河童が舟を引きずり込むと考えられた(河童淵の瀬)やら。。

他にも(天狗岩)やら色々在ったと想いますが、どうも小ぶりだったり分かり難かったので、よく覚えていませんね。。

なんか船頭さんが。。

(あれどうですか?猿に観えませんか?)

とか言ってた(猿岩)みたいなのも在ったような気がするんですが。。

どの紹介などにも載ってないし、あやふやですね。。

もうどれがどれだか良く覚えてませんが、とりあえず両岸に観られる滝やら岩石やらの観処は、どれも小粒だし緑で遮られて分かり難かったと言う事ですね。。

そう考えますと、こちらは365日運営していそうだし、ウェブの写真なんかを見ると、冬景色を官能したりする寒い時期が渋くてベストなのかも知れないとか想いましたが、分かりませんけどね。。

今想い返しても、どういった行程だったか曖昧なんですが。。

最上川を最初に約20分ほど遡り、右岸の(沓喰(くつはみ)集落跡)を目印に、Uターンして下るルートだったらしいですね。。

(沓喰集落)に住まわれていた方達は1970年代辺りに国道沿いの古口に集団移転したらしいですが、5戸ほど在った集落の方達は何処か行くには基本的に渡し舟に乗るしかなかったらしいですね。。

集落には小学校とかも有ったらしく、現在どれだけ再利用されているのかは分かりませんが。。

以前に使われていた浮き桟橋は、現在(芭蕉ライン)が日本でここだけの水上コンビニエンスストアとして舟下りのルートに取り入れていると言う事ですね。。

こちらには現在、更衣室やトイレも有り、バーベキューや滝すべりや魚のつかみ捕りなんかの自然体験が出来る(ふるさと村)として利用されているらしいですね。。

なんとも郷愁を誘うところです。。

そして舟は下りになって、前述の小ぶりな滝なんかを観ながら(仙人堂)へ向かって行く感じでしたが。。

僕としてはなんか右岸の支流に架かるような橋の跡みたいなのが気になりましたね。。

(最上峡)の右岸には幾つか集落が存在していたらしいですが、多分これは大外川と小外川と言う昔(仙人堂)を管理していた集落の道なんですかね?

(仙人堂)はその昔は修験の霊場だったと言う話も聞きますが、現在この辺の右岸には人は住んで無さそうで 狩猟期には鴨猟が許可されたりしてるって話ですが、詳しい事は分かりませんね。。

そして舟は(仙人堂)の船着き場に近付いて行きましたね。。

桟橋に停まってるのはこちら(義経ロマン観光)が所有している感じの(仙人丸)ですね。。

渡し舟に使っているのか分かりませんがね。。

(義経ロマン観光)の所有する舟は、今回乗ったのはどっちだったか考えても無かったので分かりませんが、(第1義経丸)と(第2義経丸)の2隻しか舟はないようですね。。

そう考えると(芭蕉ライン観光)の方は舟が18隻だかあるらしいので規模はやはり大きい感じですね。。

でもなんだか少し下流に停泊しているように観える(しらいと1号)と言う舟は、以前から放置されているらしく、どうなってるんですかね。。

そして舟が着いて(仙人堂)に向かってコンクリートの階段を上がって行きましたね。。

どうもこちらは1187年辺りに牛若丸として有名な源義経が、対立した兄の頼朝から逃れる為に、家来の武蔵坊弁慶と常陸坊海尊の同行のもとに最上川を舟で遡り、藤原秀衡がいる岩手県の平泉を目指した過程で、体を休めた場所であったらしいとか言われていますね。。

そしてどうも(仙人堂)は、その後この地を気に入った常陸坊海尊が源義経の許しを得てここに留まり、籠って修験道の奥義を極めて仙人になったとの由来がある神社らしいとか、常陸坊海尊が自らの厳しい山伏修行のためにこしらえたお堂であるとか、諸説有る場所となりますね。。

どうも常陸坊海尊と言うのは生没年は不明で、神出鬼没っぽくて、長寿だとか不老不死だとか言われている何が本当なのか分からない人物みたいですが、それはこの一向全員に言える事で、とりあえず(仙人堂)は長寿のご利益を授かる事とかが出来るみたいですね。。

こちらは1869年の神仏分離令により、外川神社と改めなければならず、(仙人堂)の正式な名称は(外川神社)と言うらしいですが、 日本で唯一船でしか行けない場所の(仙人堂)の御朱印は大変人気が有るとかですね。。

確かに舟で行く場所っていい感じがしますね。。

こちら(仙人堂)のエリアに上陸したと言う事で調べますと。。

どうもこちらの(仙人堂)は、1970年代中程に戸沢村の方でも金をかけて造成したりして、(芭蕉ライン観光)の方が立ち寄るコースを営業したりしてたらしいですが、その後手を引いたりして放置される状態になっていたらしいですね。。

それを80年代終わり頃に、こちら(義経ロマン観光)の社長さんが、面倒な行政手続きなんかをクリアしつつ花を植えたりしながら再び開墾し、現在の1観光地としての状態にもっていったと言う事かと想いましたね。。

何かこの社長さんの郷土愛、そして(仙人堂)への想いと言うのは並々ならぬものが有ると想いましたね。。

最早この(仙人堂)の利権はこの方が握っていると言わざるを得ない感じがしましたね。。

そんな事で、階段を登ると灯篭と湧き水の銘水を飲めるポイントがありました。。

左に向かえばすぐに(仙人堂)と言う感じでしたね。。

ここでこの地の昔を振り返ってみますと。。

どうも日本有数の穀倉地帯である最上川周辺は、古くから水稲農耕が行われてたらしく、河川開発は灌漑を中心とした 利水整備が当初の中心であったらしいですかね。。

鎌倉時代なんかになると、本格的な灌漑用水整備が始まったりして、建久1年となる1190年頃に寒河江川に建設された二ノ堰を代表に、次第に堰が各河川に建設されていったらしいと。。

米やら穀物を生産するには水が必須となりますからね。。

しかし昔からたびたび洪水を起こして暴れ川と呼ばれた最上川から暮らしを守る為に、人々は様々な工夫や努力もしてきたらしいですね。。

その一人として米沢藩下の米沢城主の直江兼続は、慶長7年となる1601年辺りから城下町を水害から守ったりする為に、石を人力で積み上げて堤防を造ったりして治水に努めたらしく、そうした中で米沢城下で水を引き入れた生活用水や農業用水も造ったりしていったらしいと。。

いっぽう庄内平野辺りの灌漑事業は、慶長2年となる1596年に上杉景勝の重臣である甘粕景継が酒田を支配し、最上川右岸の灌漑を図るため(大町溝)を建設した辺りが始まりらしいですかね。。

しかしまた広い土地があっても、最上川は低いところを流れているので水を取り入れる事がなかなか出来ない場所も有ったようですが。。

慶長17年となる1612年の秋には、山形藩下の北館大学助利長なんかが、ついに延長10kmを超える北楯大堰を完成させたりして、新田開発が進み農地は飛躍的に拡大して行くと。。

そうしたら米沢方面では、米沢藩下の黒井半四郎忠寄が約17kmの上堰と約12kmの下堰からなる黒井堰を長い時間をかけて寛政12年となる1800年頃に完成させたりして灌漑整備は進んで行くと。。

そんな感じで各地で利水やら治水やらは進んでいったんでしょうね。。

山形県は米やらさくらんぼやら果物といった農業が盛んな県になってそうですが、こうした事で広がっていった感じですかね。。

漁業なんかも海での漁よりは少ないですが、最上川で捕れる魚は山形県の総漁獲高の約25%だと言う事ですから、盛んだったんでしょうね。。

そんな事ですぐに(仙人堂)が在りましたが。。

(仙人堂)は杉の大木に囲まれるように、やはり小じんまりと佇んでいる感じでしたかね。。

しかし其れなりに雰囲気は有りましたね。。

それでこちら最上川は、やはり舟運が有名らしいと言う事で考えて行きますと。。

とりあえず鉄道や自動車が無かった時代には、船が物資輸送や人々の大切な交通手段だったと言う事ですね。。

酒田は戦国時代には堺や博多と同様の自治港湾都市として、奥羽随一の商業都市に発展していたらしいですね。。

その為かと想いますが、山形藩主の最上義光が1596年~1614年にかけて三難所とされる碁点、三ヶ瀬、隼、を中心とした大規模な開削工事を手がけたりして、村山地方の米や荷物を河口の酒田まで運べるようにしていったらしいとか、色々と最上川の開削が進んでいったんでしょうね。。

そして江戸経済が安定してくる頃には、人口が増加による主食である米やら穀物の不足が問題にもなり、そこで米どころの多い日本海を通る航路の見直しの為に、 万治2年にとなる1659年には幕領米の輸送を請け負った江戸の商人正木半左衛門らが酒田から江戸を結ぶ西廻り航路を開通させていったと。。

更に後の寛文11年となる1671年には、幕府の御用商人である河村瑞賢が派遣され、 下関などを経て大阪に至り、さらに紀伊半島を迂回して江戸に至る航路となる日本海を西回りする大ルートを開拓したりして。。

酒田の港は商業都市として、江戸やら京都やら大阪との交流で大変賑わったらしいと。。

そんなこんなしてると、米沢藩の御用商人である西村久左衛門が1693年~1694年にかけてもう一つの難所とされる五百川峡谷の特に黒滝の開削工事を莫大な費用をかけて手がけて、米沢から酒田の河口までの航路が開けて米沢藩は大きく発展する事になったりすると。。

なんだか関ヶ原の敗戦により財政難だった米沢藩はもとより、どこも物資で財を成そうと必死だったのかも知れませんね。。

こうして昔の賢人たちの努力により最上川の上流から河口まで航路が開かれて、たちまち主要な輸送路として舟運が発達していきましたと言う事で。。

山形で収穫された米やら物資は、最上川を下って輸送されて酒田の港から全国に届けられたと言う事ですかね。。

こうして中流部以下が水上交通に利用され,近世には峡谷部が開削されて舟運が栄えたと言う事ですが。。

とりあえず今回の(義経ロマン観光)のコースでは(仙人堂)には15分くらい立ち寄ると言う事でフラフラする事にしましたね。。

(仙人堂)の中には源義経の書状など、義経関連の歴史的な資料が多数展示されているらしいですが、それは見れない感じでしたね。。

最上川舟運がもたらした富は、芭蕉をはじめとする多くの文人や墨客を流域の地に招くことになったと言う事ですが。。

ここで最大に宣伝されているのが松尾芭蕉だと言う事ですね。。

諸説有りそうですが、(おくのほそ道)は松尾芭蕉が46歳の時に門人曽良を伴って陸奥やら北陸を行脚し、その後5年の推敲を重ね完成させた有名な紀行文となりますが。。

元禄2年となる1689年3月27日に江戸深川を出発し、岐阜県大垣に到着するまでの約150日間(約1900km 若しくは 約2400km)にわたる旅路の中で、 山形県では43日間過ごし、山寺から出羽三山に至る道程の中で、最上川を舟で下って行ったらしいと。。

船着き場やら川港なんかも増えてったんでしょうが。。

その過程で7月13日に山寺(立石寺)へ参詣した後の7月14日に大石田で船問屋の高野一栄の家に泊り、引き留められて3泊とかしてしまい有名な。。

(さみだれを 集めてすずし もがみ川)後に(五月雨を集めて速し最上川)に改作。。

を詠んだりする事になったらしいと。。

そんなんで松尾芭蕉が最上川の舟下りをしたのは7月19日らしいですが。。

その時は、現新庄市本合海となる本合海での川港で最上川舟運の舟に乗船し、出手形(通行手形)を差し出すために古口でいったん下船し、新庄藩の番所に手形を提出して清川に上陸していったらしいと。。

(最上峡)の辺りは陸路では南の板敷越という難所の多い山道を越えなければならなかった為に、舟運の船着場として栄えた処であり、新庄藩は庄内藩との境目に近いこの地に関所を置き、通行の取締りを行っていたらしいですね。。

それでこの時は上流の方へ少し歩くとボロボロになった(奥の細道 仙人堂)と書かれた木碑みたいなのが建っていて記念写真を撮りましたね。。

先の方は原っぱみたいになっていて大きなトイレが有ると言う感じで、歩いたのは狭いここまでの範囲となりましたね。。

そうしたらビニールハウスみたいなので、例の割引券を貰った(湧き水コーヒー)を、こちらもまた社長さん自らが入れたりしてましたね。。

通常価格450円らしいですが、割引券やらHPのプリントやらで安くなったり実税価格はいくらか分かりませんが。。

こちらでは日本のコーヒー史には約300年前の1690年頃にオランダ人が長崎の出島で日本人にコーヒーを供したと記されているから時期は一致すると言う事もあり。。

松尾芭蕉もここで珈琲を飲んだかもしれない、或いは飲んだ。。

と言う謳い文句を掲げている感じでしたね。。

その真贋は別として飲みたい気持ちになるところですが、この時は長い車の運転の最中にガボガボとコーヒーを飲み続けていたので、飲める状態じゃ無かったですね。。

残念なところでしたが、コーヒーやら色々と商売上手にやってる感じでしたね。。

舟で出す蕎麦やら食べ物なんかは地域の店と提携したりすれば良い訳ですし、そうして地元の観光産業に献上するんだなとか、勝手に想いましたね。。

そうしたら(芭蕉も腰かけた石)って言うのも在ったので、腰掛けさせて貰いましたね。。

(おくのほそ道)では。。

(白糸の滝は青葉の隙々に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水みなぎつて舟危し)

と書かれていると言う事で、 松尾芭蕉が川向こう真正面に板敷山が観えたこの場所に降り立ったのは確かなんでしょうかね。。

そしてこちらは松尾芭蕉が。。

(さみだれを あつめて涼し 最上川)を(さみだれを あつめて早し 最上川)に考え直した場所だとも言われ。。

最上川と言う名が最初に文学に登場したという古今和歌集の。。

(最上川 のぼれば下る いな舟の いなにあらず この月ばかり)

と言うのは、この地からの風景の事らしいとか。。

そして(義経記)には正妻である北の方が。。

(最上川 瀬々の岩波 堰き止めよ 寄らでぞ通る 白糸の滝)

(最上川 岩超す波に 月冴えて 夜面白き 白糸の滝)

という和歌を詠んだと記されていると。。

そんなんでこちらの話では。。

芭蕉の旅は義経の足跡を訪ねる旅であったとも言われ、時空を超えて義経と芭蕉が出会った(仙人堂)と言う場所やらこの辺り一帯は、現在でも多くの方々に感動とロマンを与える素晴らしい場所だと言う事ですね。。

そう考えますと、こちらではこの石に腰掛けて芭蕉はコーヒーを飲んだかもしれないと言う話ですから、今想えば無理にでもコーヒーを飲めば良かったかと後悔するところでしたね。。

そうこうしている間に舟に戻る時間になりましたね。。

(仙人堂)は一応渡し舟も有るように、高屋駅船乗場の対岸に位置するような感じですから、ここから降り場までは直ぐと言う感じでしたね。。

しかし乗る時から薄々気付いてはいたのですが、僕が目指した赤鳥居が在る(最上峡 白糸の滝)の滝直下は、こちら(仙人堂)では無くて、(不動堂)の方であったと。。

よく考えれば(白糸の滝 ドライブイン)の向かいに落ちてる訳だし分かるもんですが、(仙人堂)ばっかり紹介されているし、こちらの乗場も何百mしか離れてないので勘違いしたんですね。。

けっきょく来る時に(白糸の滝 ドライブイン)も何も観ないで通り過ぎちゃったし、緑も繁っているしで、ここまで目的の(最上峡 白糸の滝)は全く観ていない状態になっているのでした。。

僕の当初の目的からすれば、ちょうど最近の2015年8月24日から新航路としてオープンした(芭蕉ライン観光)の方の草薙港から往復する(白糸の滝航路)に乗るべきだったんですね。。

料金も1670円らしいですしね。。

まあしかしこちらは(仙人堂)が歴史的にも訪れる場所として相応しかったのかと想えましたし、楽しかったし、(義経ロマン観光)の方に乗って良かったと想っているところですよ。。

そんなんで対岸まで最後の舟旅をしましたね。。

そして高屋駅船乗場で束の間の舟旅を終えたのですが。。

舟は社長さんじゃなくて誰か別の年配の方が運転して対岸の方へ向かって行きましたね。。

けっきょくこの時は、受付から船頭から何から何まで殆んど総て社長さんだけが担当してくれた感じでしたね。。

舟を降りたら同乗した年配の御夫婦とおぼしき方達と軽く話をしちゃいましたね。。

そうしたら埼玉の川越市からお越しになったと言ってました。。

社長のおじさんとも挨拶をして別れましたよ。。

江戸時代の最上川舟運では、幕府や大名の年貢米輸送が最優先されましたが、商人の物資の輸送も盛んに行われ、紅花、青苧、大豆小豆、あずき、煙草、蝋、漆、菜種、などが酒田港から各地に運ばれていったらしいと。。

特にに山形の紅花は品質がよくて(最上紅花)として人気を集めたり、 大石田の河岸は舟運の重要な中継地として大いにに賑わったりしたらしいですが。。

各地に人や荷物の積み降ろしをするための河岸や船着場が沢山造られて、急な流れや細い川にも入っていける小さな船となる(小鵜飼船)なんかも登場したらしいと。

そして明治時代になると、川船制度の廃止により舟運は自由化されて更に活性化し、旅客船や貨物船を運航する会社が誕生するなどして、明治30年代初め頃には江戸時代の船数を上回る事になったりしたらしいですね。。

そんなんで(最上峡)辺りは河口からおよそ40km程となりますが、舟運全盛期の遡上限界点は山形新幹線の高畠駅の西側となる糠野目となり、河口からの距離は216kmにも及んだらしいと。。

そう言う事で、経済や文化の交流の舞台となった最上川ですが。。

道路としては、明治になって山形県令の三島通庸が最上川沿いに現在の国道47号線の原型となる(磐根新道)を開削する事になり、主要交通路はそちらに移っていきますし。。

なにより鉄道が、明治20となる1887年には東北本線が開通し、明治36年となる1903年には奥羽本線が新庄まで開通し、大正3年となる1914年には陸羽西線が開通する事になりと言う事で。。

交通の役割は陸路に変わって行き、最上川舟運は急速に衰退して逝きましたと。。

そうした間に。。

明治時代の正岡 子規は芭蕉の足跡を訪ねる旅に出て最上川の句を残し。。

上山市に生まれた歌人の斎藤 茂吉は、昭和21年となる1946年から2年間、大石田で独居生活を送り、最上川に関する歌を残し。。

若山牧水も滞在して歌を残しと。。

様々な文化人もこの地を訪れたと言う事ですが。。

今はこうして観光地として舟運が遺されていると言う事ですかね。。

こうして永い人間の歴史が積み重なっていますと、自然破壊とは言うけれど、またそれを上回る勝る重みが加わって、これはこれで素晴らしいものなのかと言う想いで、この地を後にしましたね。。

(義経ロマン観光)さん有り難う御座いましたと言う事ですな。。

こちらのレストランで普通のざるそばを650円で食べましたよ。。

腹が減ってたので美味しかったですね。。

ここからでも(最上峡 白糸の滝)は観えましたが、とりあえずここでは食べる事に集中しましたね。。

ここで考えましたが。。

松尾芭蕉と言えば、100選滝では福島県須賀川市の(乙字ヶ滝)も松尾芭蕉の絡みを推していましたが、その件ではやはり舟運の大動脈を兼ねたこちらの方に分があるかと想いましたね。。

まあそれで、こちらのドライブインから対岸の(最上峡 白糸の滝)か観えると言う事は有名なので分かっていたのですが、何処から観るのが良いのかと、施設内をウロウロしたりしましたね。。

それでウロウロした挙げ句、レストランと土産屋さんの真ん中辺りの長椅子が有る辺りのガラス越しが正面のベストポイントになる感じで、そのように眺めるようになってる感じでしたね。。

そこから眺めてみましたよ。。

でもガラス越しってのもないなと想い、直ぐ近くに外のベランダに出る自動ドアが有ったので向かいましたら、自動ドアの電源が入ってませんでしたね。。

それでレジの店員さんに。。

(すいません。。あのベランダから滝を観てもいいんですか?)

と、僕は聞きました。。

そうしましたら店員さんが。。

(どうぞ。。今開けますから。。)

と言って、電源を入れずに手動で開けてくれましたね。。

そして。。

(観終わったら閉めておいて下さい。。)

と言ってレジの方に帰って行きました。。

だからどうもこちらの滝を直で観れるベランダは、普段はもう使われていない感じに見受けられましたね。。

ですから一般的な(最上峡 白糸の滝)のビューポイントはこちらの対岸を陣取っているドライブインからのガラス越しからの眺めになるのかと想いました。。

そうなるとガラス越しでしか観えない状況になっているので、何だか良く無いなと想ったりしましたね。。

それでベランダから(最上峡 白糸の滝)を眺めましたが。。

しかしどうもこの(最上峡)の辺りは狭窄部であるけれど100何十mかは有るらしいし、緑が繁って滝を隠しているのは変わらないので、やはり外に出てもいまいちよく観えなかったですね。。

どうもベランダから降りて行ける階段が有りましたが、チェーンで施錠されていて、店員さんに聞いたけれど降りてはいけないと言う事でしたね。。

階段を降りた先には、更に川に向かって降りて行けるコンクリートの階段が有りましたがね。。

そしたらどうもこちらは元船着き場だったらしいですかね。。

流れが強い最上川は危ないと言う事で立入禁止になったのかは分かりませんが、とりあえずこの場所ではベランダまでとしましたね。。

(最上峡 白糸の滝)と同じ右岸の下流には(草薙頭首工)が観えましたね。。

1970年に完成した最上川から庄内地方の広大な水田に農業用水を送る取り入れ口となりますね。。

もう少し下流となる滝より約500m下流の左岸には、(芭蕉ライン観光)の降舟場となる(最上川リバーポート)が有ると言う事ですね。。

2016年4月に道の駅じゃなく(川の駅 最上峡くさなぎ)に変わったそうですが、こちらの方が免税店やら飲食店があってけっこうな施設みたいですね。。

本来の(最上峡 白糸の滝)の滝直下に行く目的なら、ここからの(白糸の滝航路)に乗れば良かったと言う事ですね。。

しかし結果的にこちらのリバーポートは観た記憶もないと結果になりましたね。。

最後に(最上峡 白糸の滝)をここから確り観ましたが、やはり上部なんかは特に全く観えない感じでしたね。。

(最上峡 白糸の滝)は、(最上峡)にある最上四十八滝の滝群の中で西端に位置する最大の滝で、最上川に落ちる水が白糸のようであるところから名付けられたと言う事ですが。。

滝の高さは120mだとか123mだとか標示される事が多いですね。。

それで段瀑だと言う事ですが、何段なのかいまいち分からないところが有りますよね。。

細かく段になってそうで、10段くらいあるのは確かそうですが、滝直下からでは最下段辺りしか観えないと言う事らしいし、こちら対岸の正面からでは樹木が邪魔して観えないし、公式に何段だとか標記されてないので分からないところがもどかしいですね。。

回りは標高300~500mの山地が急斜面を形成していると言う事ですが、 滝は最上川本流と支流の侵食力の差によって生じた懸垂合流となるものらしいですね。。

そしてどうも源水はその山地の湧き水になっているらしいと言う事ですが。。

こちらの(最上峡)の底を流れる最上川の標高と言うか海抜は、僕が調べた感じだと、どうも30mがいいところみたいで低そうですね。。

先は平坦地の庄内平野で、河口まで約30kmくらいですからね。。

だから(最上峡 白糸の滝)の落ち口は、標高200m無いくらいかと想ったりしましたね。。

そんなんでちゃんと自動ドアを手動で閉めてここを後にしましたよ。。

ドライブインを出て車に戻ろうとする時に、ドライブインの横から観ようとしましたが、なんかこちらも工事中の黄色いテープが張ってあるし、どちらにしてもよく観えなそうでしたね。。

そんなんで、なんだかいまいちモヤモヤした気分でこの地を後にしましたね。。

少し下流方面へ行った空地辺りから滝が正面に観えるとか言う話も有りますが、大して変わらなそうだしもうここはいいって感じでしたね。。

その同じ下流方面に少し行った処には(草薙温泉)が在りますね。。

県令の三島通庸が磐根新道を開削している時の明治12年となる1879年に偶然湧出し、三島通庸が(草薙)と名付けた温泉らしいですが、2軒くらいしかない温泉で全くノーマークで記憶に無いですね。。

そう言えば(最上峡 白糸の滝)の滝直下にある(不動堂)と言うのも、名前から修験道の地であった感じですが、調べても僕にはいまいち分からないところで、色々と謎を残した処でしたね。。

そして僕は最後の手段としての、自力滝直下ルートを目指したのでした。。

そんなんで僕は、もうこんなドライブインやら建物で色々と制限された場所は期待しないと言う事で。。

3kmばかり下流の(さみだれ大堤)やらで最上川を渡って、川沿いの道を遡り(最上峡 白糸の滝)の下流約300mから歩いて滝直下に向かうルートへ急いだのでした。。

まあ3kmですから直ぐに着きまして、渡った先には最上川を泳ぐ魚の姿を見ることができる(フィッシュギャラリー)なんてのが有るので、確りと看板も有ったので間違わずに右折できましたね。。

そして渡った先まで進みました。。

(さみだれ大堤)は1995年に完成した全長209.5m日本最大級のゴム堰となりますが。。

上流にある(最上川取水口)と(草薙頭首工)なんかが土砂堆積なんかで取水量が減少した為の対策として造られたものになるらしいと。。

通常は河床と同じ高さですが、空気を送り込むと起立する仕組みになっていて、両岸に魚道がつけられて自然やら色々考慮した多自然工法が成されているらしいですね。。

まあ現在において最上川水系では、治水の利水の為に多くの河川施設が整備されていると言ったところですね。。

最上川は、生活、農業、工業、発電と何でも利用され、基本的に支流や上流部を中心にダム、発電所が多く設置されているらしいですが。。

この(さみだれ大堤)以外にも昭和以降辺りにおいて。。

多目的ダムとしては、1953年に管野ダムが1953年に建設されたのを始めに、最上川水系に次々建設されて行き。。

1967年の羽越豪雨を機に建設省によって最上川系最大の寒河江ダムやら白川ダム、長井ダム、なんかが建設されていったと。。

水力発電のみのダムは、本流に造られた唯一のダムである上郷ダムなどが有りますが、小規模なものが多いらしいですね。。

灌漑用としては1944年に蛭沢ダム建設されたのを始まりに新鶴子ダムを筆頭に農林水産省の国営農業水利事業によって多くの直轄ダムが建設されるに至っていると。。

他には治水としては、多目的ダムの建設と兼ねるところも有りますが。。

1933年の大規模な堤防建設に始まり、砂防ダム、遊水地、排水機場、なんかが造られ、水質改善に浄化施設なんかも造られて現在も整備計画は行われ続けてと。。

現在も賛否を巡りながらダムやら治水利水施設は造られていると。。

何処の河川もそうですが、常に色々行われている感じですかね。。

そして僕は(最上峡 白糸の滝)が落ちる最上川右岸沿いの道とやらを進んで行きました。。

そう言えばこの地は、1983~1984年のNHK朝ドラで平均視聴率52.6%のドラマ最高記録を打ち立てた(おしん)の舞台ともなった場所でしたね。。

丁稚奉公に出される(おしん)が、最上川を筏で下るシーンは名場面となっている訳で、最上川はその場面となった場所でありますと。。

ロケ地は西村山郡大江町となりますが。。

現在10万人台だかの舟下りの観光客数も(おしん)ブームの時は30万人台だったとか言う話なので。。

海外の多数の国で大ウケした(おしん)を、芭蕉や義経より全面的に打ち出せば、インバウンドも兼ねて利益をもたらすかも知れませんね。。

とりあえず道はスイスイ進んで行きましたよ。。

そして進んで行くと、この辺りは(最上峡)を過ぎた下流域となるので、現役の民家なんかも在る感じでしたね。。

そしてもう少しかと想いながら進んで行くと。。

何やら(草薙頭首工管理道路 進入禁止)の赤字の看板が立っていましたね。。

この看板を見て、僕は躊躇しましたね。。

進入していけば丸見えっぽいですからね。。

事前にウェブで調べた情報では(最上峡 白糸の滝)の下流約300mくらいまで道が有って進めてと言う事で、何人かの方が簡単に訪れているような事が書いてありましたが。。

それで僕はもしこの看板が有ったら、そうは書いたりしないんじゃないかと想ったのですよ。。

その人達が訪れた時には、この看板は無かったのではないかと想いましたね。。

(草薙頭首工)は予約すれば無料で見学出来るらしいですが、最近は滝直下への無断の立ち入りとかには厳しくなったのかと想いましたよ。。

なんだかやりきれないので車から降りて看板を見てみましたが。。

どうも上から(進入禁止)と張り付けられたようにも見えましたね。。

ここで僕は考えましたよ。。

もしかしたら(芭蕉ライン観光)が、滝直下の(不動堂)に降り立つ(白糸の滝航路)を始めたから、自ら歩いて訪れられるルートを塞いだとか。。

もちろん勝手な推測で分かりませんけれどね。。

勘違いした全く違うルートだったのかも知れませんしね。。

しかしふと想いましたが。。

滝直下の(不動堂)へ降り立つには、近辺が浅瀬になっている為に舟が寄せられないから無理だと言う話をウェブで見たのですが。。

今は(白糸の滝航路)が出来たから、観光の為の開削をしたと言う事なんですかね?

まあでもとりあえず、もうこの看板を見たので勝手に進入して問題になったりしたら嫌だし、なんだかもうここはいいやって言う気持ちになりましたね。。

それで不思議とそこまで残念な気持ちにも成らなかったですね。。

(義経ロマン観光)で訪れた(仙人堂)の方が意義が有ったような気もしたし、(最上峡 白糸の滝)の滝直下は滝の景観はいまいちだってウェブで見たのが頭を掠めましたしね。。

まあでも普通に舟下りとかを満喫して、観光滝なんだって徹底して想い込んだって事が一番の理由かも知れませんね。。

(義経ロマン観光)の社長さん有り難うって事で、この地を後にしましたね。。

この後は、最初に間違えて着いてしまった同じ山形県の100選滝となる(七ツ滝)に向かったのでした。。

日本海の海岸線は風が強いのか、やたらと巨大風車が回っているのをいつも来る度に観ますが。。

こちら庄内町にも11基だかの風車が回っていて電気を生み出していると言う事で、また風車が有るなあと想いましたよ。。

僕は最上川の水を観て濁流のような感じだったので、水質が悪そうだと想いましたが。。

下流に行くほど汚染物質の混入率が減って水が綺麗になると言った話を耳にしました。。

なんでも(白神山地)みたいに世界遺産にはならなかったみたいですが。。

山岳部には136000km2となる日本最大のブナ天然林が存在している為、 湧き水やら伏流水がいたる処で噴出し、表流水として中小河川を形成し最上川に注いでいたり、強い流れの場所で波立ったりするので空気中の酸素を取り込み、それが汚れを酸化したり除去したりするらしいと。。

最上川に流れ込む支流やらは400以上在るらしいし、それなら素晴らしいものですね。。

最上川水系には、渓流部にヤマメ、イワナ、カワセミ、サワガニ、ホタルなんかが生息していて、山岳地にはツキノワグマ、ニホンカモシカ、 イヌワシなんかがいるらしいと。。

中流域にはヤナギ、クルミの木が繁っていて、ウグイ、オイカワなどの魚類が生息していたりすると。。

河口域では、カワヤツメ、モクズガニが生息していたりして、冬には渡り鳥のオオハクチョウ、コハクチョウ、カモが大量に 飛来するらしいと。。

そして全域で、ニグルミ、ノイバラ、ヨモギ、ヨシなんかの植物が確認されてと。。

豊かで多用な自然を形成していると言う事ですね。。

上流の置賜地方には江戸時代に建立された、草木に感謝しその成長を願って建立する草木塔が今も建っていると言う事で。。

その昔から続く自然を尊ぶ精神を大切にして、これからもと言う事ですね。。

しかし最上川は渇水期と豊水期との格差が大きいので治水や利水は厳重にと言う事で。。

変な利権やらおかしな事にならないように最上川を大切にして行きましょうと言う事ですね。。

そんなんで、時間に終われて(七ツ滝)に向かうのでした。。

最後に。。

こちら(最上峡 白糸の滝)は、なんだか滝を観ると言うより舟下りの観光をしたと言うのが殆んど総てと言った結果になりましたね。。

遥か昔から難所と言われる場所だからか、そんなに賑やかに開けている感じでもなかったのですが、滝の正面を陣取っている(白糸の滝ドライブイン)と舟下りのおかげで、なんだか過去最高に観光に振った100選滝となりましたね。。

ただ過去に舟乗り場だったか知りませんが、このドライブインの存在に関しては良くないと想いましたね。。

それでとりあえず(最上峡 白糸の滝)そのものは、季節のせいも有るかも知れませんが、全体はもちろん、部分的にも殆んどよく観えないのでなんとも言えませんでしたね。。

しかしなにかこう歴史を絡めた選考と言う意味では、舟運の大動脈を形成した永い歴史から言って、最も相応しい滝なのかも知れないとは想いましたね。。

そのような歴史を絡める選考って言うのは、僕は余り求めていない方なんですが、その様な事が好きな人には良いのではないでしょうか。。

しかしお勧めするとしたら、それは滝では無くて舟下りが在ってこそだと想えましたので、やはり滝そのものはいまいちなんじゃないかと想ったりしましたね。。

最上川と舟下りと言う存在に比べて(最上峡 白糸の滝)は存在感が薄く感じましたからね。。

だから滝だけだと言うならば、同じ戸沢村に在り、山形県道57号戸沢大蔵線も造られて駐車場から約40分くらいで辿り着けるようになった(浄の滝 公称落差100m)の方が、景観的にも良いのではないかと想ったりしましたね。。

まあでもこちらの地域の軸を成す舟下りに、少しでも箔を付ける為に(最上峡 白糸の滝)が100選に選ばれるのは仕方の無い事なんでしょうね。。

とりあえず中々訪れる機会はなさそうですが、今度は(芭蕉ライン観光)の(白糸の滝航路)に乗せて貰いましょうかね。。

分かりませんがね。。

上流の村上村にも三難所の舟下りも在りますし、そっちに訪れるかも知れませんしね。。

しかし(義経ロマン観光)の社長さんのせいかも知れませんが。。

何かこちらの舟下りに関わる方達のこの地を想う情熱やら気持ちは並々ならぬものが有るような気がしました。。

ですからこれからもその想いで戸沢村を盛り上げていって貰いたいと想いましたね。。

しかし1つ気になるのは。。

高度成長期以降には、何処でも地方の農林業を営む村などは、過疎化による人口減に悩まされていたと。。

そして国の嫁不足解消の政策の一貫やらなんやらで、こちら戸沢村はその政策の急先鋒に立ち、1980年代末期辺りから200人余りの嫁を受け入れて成功させた村だとか言われていると。。

なんでもその象徴として最上川の古口より上流部の国道沿いに有る(道の駅 とざわ)は実質的に(モモカミの里 高麗館)として韓国一色になっているとか。。

折しも2000年代に入り日本列島を襲った韓流ブームの勢いに乗せて、花嫁様達は(戸沢流キムチ)やらを開発促進し、冷麺やらラーメンやら色々販売しているらしいと。。

韓国に乗っ取られた、或いは占領されたなんて吝かでない噂が流れるにつれて心配になるところですが。。

戸沢村は日本で初めて健康保険のシステムを整えた自治体であると言う事で、その様な心配をよそに、きっとその共存共栄の精神で幸せに過ごしていってくれる事でしょうね。。

しかしこの地は最上川の文化一色で残して行くのがベストかとは想いますがね。。

そう考えますと今回は訪れなかったので、今度この地を訪れたならこちらの(モモカミ 高麗館)が、最も訪れてみたい場所になってしまったかもしれませんね。。

(公式HPから拝借)

まあそんな事ですが。。

とりあえず何れにしましてもこちら(最上峡 白糸の滝)は、(最上峡)の舟下りと言うのがメインであり、(最上峡 白糸の滝)はその景観の1スポットとして観るもので、滝そのものの景観は期待しない方がいいとは想いましたね。。

しかし日本海側の最大の港として栄えた酒田を河口とする最上川のメインスポットとなる(最上峡)は、人々の歴史的観点から見ると、訳の分からない観光開発が成された滝とは違い、訪れる価値は有るのかとも想います。。

ですから滝はそんな大した事は無いけれど、水の文化歴史と言う観点で訪れるには100選滝でもトップなのかも知れませんので、そう言った事ではお勧めしますと言う事ですね。。

最後に僕も実体験から一句詠ませて貰いますと。。

(もがみがわ。。たどりつけぬは。。しらいとのたき)

で終わらせて頂きたいと想います。。

山形県最上郡戸沢村古口

白糸の滝ドライブイン 普通車150台

最上川リバーポート 普通車150台

(義経ロマン観光)の高屋駅も(芭蕉ライン観光)の古口港も沢山駐車できる。

問い合わせ。

白糸の滝 ドライブイン

http://www.shiraitonotaki.com/

最上峡芭蕉ライン観光

http://www.blf.co.jp/

義経ロマン観光

http://mogamigawa.jp/