金引の滝 公称落差40m幅約20m 分岐瀑 京都府宮津市滝馬 2011年5月5日 日本の滝100選掲載順カウントアップ44/100 extra 天橋立~琵琶湖

この(金引きの滝)に関しましては、2011年5月4日からの1泊旅行で、兵庫県の神戸市の(布引の滝)や養父市の(天滝)なんかを観た後の翌日の朝一番に訪れた滝となりましたね。。

この時の旅行は、友人達の都合も考えてGWの後半となる日程になりましたが、振り返れば成人以降の旅行において唯一のGW中の旅行となりましたかね。。

出来れば混むし宿泊料金なんかが嵩むんで避けたいんですけれどね。。

それでこの時は、前日の最後に訪れた(天滝)を観終わって駐車場に着く頃には薄暗くなってきまして、この場所から約80kmくらいの距離となる日本海側の滝となる(金引きの滝)近郊の宿を目指したのでした。。

それでGWの宿泊価格高騰に嵌まってはいけないと、調べた揚げ句に見付けたのが大江山連峰の山麓の与謝郡与謝野町に在る(加悦青少年山の家)なる公共宿泊施設でしたね。。

とりあえず休日の宿泊料金アップとかは無いみたいで、結果的には素泊まりで1人3465円で泊まらせて貰えましたね。。

(天滝)から宿までは、国道312号線~国道426国道~国道482号線~県道2号線とかを乗り継ぎまして。。

最後に丘陵地帯の坂を登って向かう辺りは、明かりが少なくてかなり寂しい感じでしたね。。

宿に着いたのはけっきょく21時を過ぎていたとは想いますが。。

辿り着いた時には何だかホッとしたものでした。。

(加悦青少年山の家)は、名称の印象だと簡素な合宿施設みたいに想っていましたが、予想とは違い古民家風のやたらと屋根が高い木造平屋建ての味の有る物件で、それが印象に残りましたね。。

宿では襖を開けたら隣の部屋と繋がっていて、隣に宿泊しているお客さんと目が合ったりしてビックリして直ぐに閉めたりするアクシデントが有りましたが。。

その日は約1000km近く車で走ったりしたので、ぐっすりと眠れて、朝はスッキリと7時前くらいには起きて、外の販売機で缶コーヒーを買って飲みながら少しフラフラしましたね。。

それで昨夜登って来た道の方を観降ろすと、斜面に連なる畑やその先の街なんかが観える感じで爽やかでしたね。。

昨夜の夜は暗過ぎて心細く感じたけれど、そう言う場所って朝になったら爽やかなところが多いよなって想いながら景色を眺めたものでしたね。。

それでここから山間部の県道705号線~県道16号線と進めば。。

2015年辺りの時点で人口約18500人くらいの宮津市の街の中心を通っている県道9号線に繋がり。。

宮津高校が一角となる十字路を曲がって少し進めば(金引の滝)が在ると言う事で向かって行きましたね。。

距離的には(加悦青少年山の家)から約15kmでしたから近いもんかと想いました。。

この道ならGWでも渋滞しないかなって感じでしたね。。

それで宮津高校の十字路が有ったなと言う事でしたね。。

宮津市は丹後半島の東南部に在る若狭湾の西端に位置し、(天橋立)で2分された宮津湾と阿蘇海沿いに街が在る感じですかね。。

その宮津湾やらを鼓ヶ岳(標高569m)を最高峰に150~300m級の丘陵が囲んでいると言う事みたいですね。。

それで市は車通行不可の(天橋立)によって南北で飛び地となると言う事で、それを聞いてなんだか凄い地域分けをされた市なんだと想いましたね。。

(金引の滝)が在るのは、市の中心となる(天橋立)の北側の地区に有る宮津駅から徒歩約2.6kmと言う事らしいので。。

正にこの滝は里の滝だなと想いましたね。。

宮津駅は北近畿タンゴ鉄道宮津線と京都丹後鉄道宮福線とのハブ駅となるらしいですね。。

そんなんで宮津高校の十字路を左折して行きましたね。。

それで曲がって行くと世帯数約220くらいとなる滝馬集落の中を左に右に曲がって進んで行く感じでしたね。。

適度に畑なんかが有る住宅地と言った感じでしたが、滝の道標なんかはけっこう確りと設置されていましたね。。

まあ集落の中でゴチャゴチャ迷われても迷惑でしょうからとか想いましたよ。。

滝馬集落を過ぎて行くと、集落上部の砂防ダムの辺りから森林の中と言った感じになっていきますね。。

この辺りは幾つかの沢が砂防堰堤を伴う護岸対策を確りと施して滝馬川に集まり流れて行く感じですが。。

(金引の滝)を含めて宮津花崗岩の風化した真砂土の堆積なんかが激しく、川の扇状地に広がる宮津市全体で土砂災害が多い地域と言えるんでしょうかね。。

だいたい(天橋立)じたいが海と河川の砂礫の流れによって創られた砂洲の名勝地なんだからそうだろうなと想ったりしましたね。。

それで(金引の滝)へ向かう遊歩道だか参道だかの入口を70mくらい過ぎた先が約10台分くらいの駐車場になっていて、そこに適当に車を駐車しましたね。。

駐車場と言うかL字の道の広がった部分と言った感じでしたがね。。

なんでもこの辺の道は近畿自然歩道とかになっていて、このまま進めば車は通れなくなりますが、滝の源流域となる地蔵峠(標高290m弱)の方に続いていたらしいですね。。

そんなんで車から降りてのんびりと遊歩道の入口に引き返すように歩きましたね。。

入口に着きましたが、滝への遊歩道は入口だけが二又で、向かって左がスロープで右が石段となり、すぐ上で繋がってる感じですね。。

その間に(日本の名瀑 金引の滝)と刻まれた石碑やら説明板やら灯籠なんかが有りましたね。。

石碑には平成2年と刻まれているから100選滝に選考された時期となりますが、そうした事は明記しないところに奥ゆかしさを感じましたね。。

入口の向かいには公衆トイレが有りまして、ここから約130mだかで(金引の滝)に着くと言う事で、手軽に観れる滝ですね。。

最寄り駅は宮津駅から京都丹後鉄道宮福線で1駅隣の宮村駅となり、徒歩約1.5kmくらいだと言う事ですし、それすら歩くのが困難な方は近くにバス亭も有るみたいですからね。。

車なら京都縦貫自動車道の宮津天橋立ICから約2kmとなりますし、滝としてのアクセスはかなりいい方なんでしょうね。。

(金引の滝)は金引山(標高265m)の南麓を流れる滝馬川の標高約100mに落ちる滝で、その流れは大手川に合流して宮津湾へ注ぐと言う事ですね。。

それでこの辺りの近畿自然歩道ってのは、宮津街道を重複させている感じなんですかね。。

近畿自然歩道とは近畿地方を中心とした2府7県にまたがる総延長3258kmの長距離自然歩道であると言う事らしいですが。。

宮津街道はと言うと、かつての宮津藩主の参勤交代や西国三十三所の巡礼道として使われた江戸時代の主要街道だったらしいですが、宮津から大江山を越えて福知山に至る旧街道であると。。

江戸時代初期に宮津街道が整備された時に、その宮津街道を今普甲道と呼び、古い道を元普甲道と呼ぶようになったらしいですが、 石畳なども残っていて平安時代からの1000年の歴史が有る道みたいですね。。

宮津湾も江戸時代には西廻り海運の湊町として栄えたと言う事で、それを聞くと100選滝としては最上川に流れ落ちる(最上峡 白糸の滝)を連想するところでしたが、まあこちらも歴史有る地域だと言う事ですね。。

それで駐車場から車道で滝馬川を渡り返した入口から進んで行きますが。。

最初は滝馬川の向かって左となる右岸を登って行きますね。。

しかし今になって気付いたのは、日本の滝100選に選ばれた(金引の滝)とは(臥龍の滝)、(白龍の滝)、(金引の滝)の3滝を総称していたらしいと言う事ですね。。

この訪れた時には、それはノーマークでしたね。。

どうも単体の(金引の滝)と思っていた滝も(男滝)と(女滝)と言う名称の滝で、それに(臥龍の滝)と(白龍の滝)を併せて(金引の滝)と言う可能性も有りそうに想えたりしましたが。。

とりあえず下流の渓流にある(臥龍の滝)と(白龍の滝)は共に5mクラスの渓流の一部と言った印象の滝でしたから、今さらそんな風には想えないので。。

ここは勝手にメインの滝を単体で(金引の滝)と呼ぶ事にしたいと想いましたね。。

そんなんでとりあえず、(臥龍の滝)は遊歩道から覗きこむように観るらしいですかね。。

まあこの時は何となく偶然に渓流として(臥龍の滝)の近くの写真は撮っていて、この先の向かって左辺りを落ちているらしいですが、観たと言う記憶は全く無いですね。。

しかしこの辺りの下流は、塩化ビニールパイプが近くを通っていたり、コンクリートの遊歩道が流れの治水を兼ねているような感じで、自然景観としてはいまいちな記憶でしたかね。。

流木やらもかなり堆積している感じでしたしね。。

しかし前述通り、下流の滝馬集落などは土砂災害が頻発しかねない地域ですし、ここ辺りから下流の治水対策は必須なんでしょうね。。

近年でも死者が出た2004年の台風23号による被害などが顕著なところですしね。。

でもそれらを考慮してコンクリートに所々石材を埋め込んだような遊歩道は、程好く苔むしていますし、観方を変えたらいい感じなのかも知れないとも想いましたね。。

そしてまた進んで行くと、北向地蔵尊が在りまして、その直ぐ先に(白龍の滝)が落ちていると言う事でしたね。。

滝の手前にはベンチが置かれたスペースが有ると。。

北向地蔵尊は名前の如く、北の方向を向いた珍しい地蔵尊らしいですが、北向きの地蔵尊は願いを1つだけ聞いてくれると言ったご利益が有るらしいですね。。

しかしこの地蔵尊に関してはさっさと歩いてしまい覚えてないですね。。

そして(白龍の滝)の方ですが、手前にスペースが有るし、明るい感じで(臥龍の滝)よりは分かり易い感じでしょうね。。

真砂土の堆積は白っぽくて綺麗に観えるってのもありますから、一休みする場所としていいのかも知れませんね。。

でもゴールの(金引の滝)まで距離が近かったせいか、ここで立ち止まらないで一気に進んでしまったので、ここもいまいち記憶が薄い事になってしまいましたね。。

遊歩道は(白龍の滝)の処で滝馬川の左岸に移り、 階段を登って進むと、呆気なく滝前の空間に着きましたね。。

けっこうな広さですけれど、真ん中辺りに滝の下流の流れが在って、樹木が点在していて、その隙間から光が差しているような空間ですかね。。

向かって右上の方には大正時代に改築された大聖金引不動尊が在ると言う事ですが。。

こちらは1000年くらい昔からすでに高野山真言宗の如願寺の塔頭である威性院の寺地だったらしくて、それで金引山不動明王尊がこちらに勧請されたと言う事らしいですね。。

こちらは中世期には何度か戦場になったりもして、旧藩時代は家士の心身修練の道場でもあったらしく、古くから真言密教の霊域だったらしいと言う事で、それから各時代の藩主によって護られてきたみたいですが、明治維新の神仏分離以来は衰退を余儀なくされたらしいと。。

それでそんな事で、こちらには木造の不動明王とかも在ったらしいですが、そっち系はこの時は何だか殆んど観なかったですね。。

たぶん滝では多いと想うのですが、僕の中では特に100選滝を巡ったりしていると、こうした修験道関連の事は過半数で関係してくるみたいな印象で、重要視する考えが希薄になってしまっていると言う事だと想いますね。。

まあそれ以前に、滝そのものを観に訪れている傾向が強いので、そっちにあまり気が向いていないところが有るんでしょうね。。

そんな事で、こちら(金引の滝)が落ちる金引山は、古くから霊峰として、パワースポットとして、崇められ大切にされてきた山だと言う事ですが。。

山頂の巨岩には題目が彫られているから題目山とも呼ばれているらしいですね。。

それなのに気に止めなかった僕が、唯一建物として印象に残ったのは。。

吉祥院跡と書かれた看板が有り、売店や休憩処であったように観える、トタン屋根の廃墟みたいな物件ですね。。

GW中なのに利用されているような感じには観えず、使ってないんでしょうし、この廃墟みたいな場所にわざわざ(吉祥院跡)と看板があるのは何でなんですかね?

調べますと、どうも元禄16年となる1703年のこちら宮津町辺りの城下絵図には吉祥院と記載が有ったと言う事で、ここにそれが在ったと言う事ですかね。。

しかしこの物件は単なる売店や休憩処の廃墟にしか観えなかったんで、利用しないなら撤去した方が良いような気がしましたね。。

でも以前に(金引の滝)の滝道には茶店が設けられて御用滝そばなんかが名物だったみたいですし、市民の憩いの場所としてあり続けたような場所だと言う事で。。

こうした里の滝は、人の往来がある方なので、過去には色々と有りそうな気がしますし、よくは分かりませんね。。

それで近年の事を色々と調べて考えますと。。

どうもこの辺の一帯は民有地となり、無人の滝馬神社が所有するとか言う話で、1963年には金引不動明王奉賛会と言う組織が発足して管理したりしてたらしいですが、それも1976年には解散したみたいですと。。

その後は地元の滝馬自治会と、宮津市観光協会、宮津観光ピント会との共同開催なんかで、1984年から不動火祭りを行ってきたみたいですが、それも2012年で終わりを告げたらしいと。。

そう考えると、何だか緩く栄枯盛衰を繰り返しているような滝に想えましたね。。

それで何だか宮津観光ピント会と言うのは、元は天橋立観光協会宮津支部から独立したような組織みたいですが。。

観光業者さんだけではなくて地元市民の様々な方たちが集まって組織運営されているような団体なんですかね。。

こちらの団体さんは、現在でも活発に地域の為に活動していそうに想えましたね。。

しかし2017年には遊歩道が倒木の問題で立入禁止になり、色々揉めて再開するのに時間がかかったりして、管轄が定まってないと難しいところだと想いました。。

特に市街地に近い滝なんかは色々入り乱れて、そうなりやすい傾向が有るとは想いましたね。。

まあでもとりあえずこの滝前の広場は木漏れ日が居心地良く、てきとうに写真なんか撮りながらフラフラしましたね。。

でもなんだかこちらで2012年まで行っていた(金引の滝火祭り)と言うのが終わってしまったのは、その内容によるところが大きかったらしいんですかね。。

祭りは7月の最終日曜日に開催されていたらしいですが。。

滝はライトアップされてかがり火が炊かれたりして、遊歩道やこの広場周辺には竹燈籠やペットボトルなどを置いて蝋燭が灯されたりすると言う中で。。

神事、巫女舞奉納、ホラ貝吹き、火の滝太鼓や津軽三味線、 各種コンサート、 フィナーレの大護摩法要、などなど色々と行われてきたらしいですが。。

この祭りの最大のクライマックスが。。

ガソリンを流した滝に、巫女が火の弓矢を滝に向かって放ち、火柱燃え上がる滝にすると言う自然破壊を越えたような過激なものであったらしいですね。。

どうもこの様な行事を行っていた経緯は。。

その昔、滝の近くに住んでいた悪い赤鬼を神火の矢で射って、滝を業火に変えて鬼を退散させたと言うような、火に因んだ伝説が有るからだと言う事ですが。。

昔からの祭り事や伝統と言うものは、 今の時代には問題になるような内容が含まれていたりする事が多々あると言う事ですかね。。

このケースは、やはり自然破壊や危険行為と見なされてしまうところが有ったのでしょうかね。。

なにか現在も行われている諏訪大社の御柱祭やら、岸和田のだんじり祭を想い浮かべたりもしましたが。。

この祭りに関しましては、始まったのが1984年だとか言う話ですから、そんなに伝統的な祭りでは無いような気がしたんですが、どうなんですかね?

何だかこうして知ると、1度はその祭りを観てみたかった気がしますが。。

とりあえず僕が訪れた時は、GW中だけれど行き帰りで他には2組くらいの観光客にしか会わなかったので、祭りのイメージが湧かないような静かな場所と言った感じでしたけれどね。。

そんなんで、訪れるまでに車道を含めて幾つか観ましたが、広場にも丸みを帯びた昔ながらの燈籠が在って、可愛らしくも渋かったですね。。

それでやっと主瀑の(金引の滝)の話となりますが。。

(金引の滝)は宮津の花崗岩や閃緑岩の中に発達する垂直な節理面に沿って形成されているほぼ一枚岩を流れ落ちる分岐瀑で、落差m幅20mの滝となると。。

滝は向かってやや左の辺りとなる樹木の生殖を伴う縦に走る岩の出っ張り気味の部分で微妙に分かれ、左側の幅の狭い方が女滝、右側の幅の広い方が男滝になると。。

滝は大きな岩を包み込むように上から七条ほどになって水を落とす滝だから以前は(霊漠七条の滝)と言う滝名だったらしいですね。。

源流は約3km先の地蔵峠辺りとなり、集水面積は狭いが水は其れなりに落ちていると。。

それで観てみますと、幅は右の男滝の方がありますが、水量は女滝の方がありましたかね。。

それでこの滝は落差約40m幅約20mの分岐瀑と言う事ですが。。

この独特の丸みを帯びた巨石を落ちる滝は、僕の独自分類で言うとカボチャ型タイプと言う、好きな形状の滝ではありますね。。

類似する代表としては、山梨県のドンドコ沢の(五色の滝)や、100選滝で言えば岐阜県の(田立の滝)群の中の(不動滝)辺りになりますが。。

このタイプは希少な方で、丸みを帯びたフォルムの為に、下部がオーヴァーハングする感じになりますね。。

このタイプは前述した滝も花崗岩ですから、花崗岩に多いタイプとみましたね。。

そして(金引の滝)に関しては、落差が40mもないと言われる事がありそうで、どうも下流の(臥龍の滝)と(白龍の滝)を併せた落差だとか言われたりして、そうなのかも知れませんが。。

この滝は上部が徐々に角度をつけて落ちてくる形状で、樹木の遮りが有る為に、落ち口が不明瞭であり、落差は分かり難いところですかね。。

しかし1つの巨石を幅広く流れ落ちる様は、其れなりに大きく観えて、そんなに数値に対しての違和感は無かったですね。。

滝下の空間は広いけれど、樹木や苔むした岩の堆積に伴い微妙に鬱蒼としていて、その状況が大きさをそれ以上に感じさせたのかも知れませんがね。。

滝の下は花崗岩が風化した真砂土が堆積されて、渚の様にも観えましたが。。

苔むした岩や太鼓橋なんかも然りげなく在るので、水は流れているけれど枯山水のような趣があったりするようにも観えましたね。。

そう想ったりすると、丸みを帯びた(金引の滝)が燈籠の巨大な 宝珠のように観えて来たりしました。。

しかし樹木やシダみたいなのが生えた滝壁を流れるこの滝だけを観ると、何だか亜熱帯地方のジャングルに落ちていそうな滝にも観えましたね。。

まあでも全体的には、やはり苔むした和の雰囲気の滝と言った印象が勝るところでしたかね。。

この綺麗な砂色の真砂土の堆積した景観は、山梨県の(北精進ヶ滝)の下流に落ちる(九段の滝)が似ているかなと想いましたが。。

やはり真砂土の堆積景観と言う事で。。

そうなると(九段の滝)とか(北精進ヶ滝)の場所は、まだ居住地域まで距離が有るから少しは余裕が有ると想いますが。。

こちら(金引の滝)の下部は直ぐに民家などが在りますので、その脆めの地盤に伴う堆積した真砂土や土砂災害対策に関しては、バッチリと行っていかなくてはいけないと言う事でしょうね。。

たぶん(金引の滝)の滝下やら下流には土砂の堆積やらが溜まったりして、今の堰堤だけでは補えなくなり、景観や生活の為には砂の搬出なども必要になってと言う事かも知れません。。

そんな事を想像しましたが、こちらの砂も流れ流れて美しい(天橋立)の白砂の一部に成っているのかも知れませんかね。。

そうした中で、この滝前の空間と言うか広場には、やたらと椿の花みたいなのがボトボトと落ちていて、何だか綺麗なアクセントになっていた感じがしましたね。。

と言う事は、この辺の木は椿の木がけっこう在って、紅葉はそんなにする方でも無いって事なんですかね。。

分かりませんが、何かこちらは夏の清涼な時期の話が多くて紅葉時期の話は少ないので、そんな感じがしましたね。。

何だかこの辺りはお隣の与謝郡与謝野町に日本最長寿クラスの藪椿の巨木を擁する(滝の千年ツバキ公園)とかも在るし。。

宮津市はミツバツツジが咲くスポットやらあったりで、花も楽しめるんでしょうね。。

そんなんでこの滝前の広場には30分弱くらい滞在する感じでしたが。。

なんだか駐車場から近い距離を一気に往復した感じで、振り返れば滝前の広場でうろちょろした記憶しか残ってない印象が強いですね。。

この滝は市街地から近く、歩く距離は短い感じの手軽な観光滝なんでしょうからね。。

しかしそれにしては参道とも呼ばれる遊歩道も悪くなかったし、主瀑を観る滝前の広場も、一辺に大きな滝の壁が在る箱庭的な場所で良かったと想います。。

それでその広場はポツポツと樹が立っていて空を覆っていますが、隙間から微妙に光を落としていて。。

天然の白砂、苔むした岩肌、太鼓橋や石段、燈籠、慎ましい不動尊、なんかが在ってなかなか複雑で、半分自然に出来た庭園みたいな趣でしたね。。

そう考えるとなんだか京都府の滝として、イメージ的に合っているなと想いましたね。。

それで振り返るとこの地は吉祥院跡と看板が有ったのですが。。

この名称は真言宗の寺院にある名称のような感じですかね。。

そんなんで修験が行われたりもしていたみたいですが。。

寺院の庭園と言った場所も兼ねていたと言うか、勝手にそうした日本庭園的な場所に落ちる滝としての印象を持って、この地を後にしましたね。。

それでその後は、日本三景の1つと言われる(天橋立)がすぐ近くなんだから、どうしても行っちゃいましたね。。

まあ僕にとっては当初の一番の目的は(金引の滝)だった訳ですがね。。

それで(天橋立)の基本となってそうな(股のぞき)なんかをして俯瞰するスポットとして(天橋立ビューランド)なるのが(金引の滝)から約5kmの近距離に有るので。。

迷わずに向かいまして、適当に近くの有料駐車場に700円くらいで駐車しましたね。。

そしたら(天橋立ビューランド)なるものは、標高135mの文珠山の山頂に在る天空遊園地って事で、文殊駅って所からリフトかモノレールに乗って向かうらしいと言う事でしたね。。

それで入園料と共通往復乗車料金を含むチケットを、即座に50円割引クーポンだかを提示して800円で購入したりして並びましたね。。

さすがにGWですから混んでる感じでしたが、まあ20分くらいの並びでしたので、それくらいなら大丈夫と言った感じでした。。

いつも平日の空いてる時に出掛けるので、たまには賑やかなのもいいかなと納得して並んだりしましたね。。

それで行きは常に時間を開けずに乗客を運ぶリフトに乗って向かいましたね。。

約6分で着くと言う事ですが、こうした完全な観光地ってのも、たまには楽しいなと想いましたよ。。

(天橋立)は全長約3600m、幅20m~170mほどの宮津湾と阿蘇海を分ける砂州(砂嘴)でできた砂浜で、大小約8000本もの松が茂っている珍しい地形らしいですが。。

砂州とは、沿岸流や波浪によって運ばれた砂礫が、海や湖から細長く突堤状に形成された地形を呼ぶそうですね。。

(天橋立)の場合は、世屋川をはじめとする丹後半島東岸の河川から流出した砂礫が沿岸流で南下し、野田川の流入で生じる阿蘇海の東流が南下流の側面に当たり、江尻よりほぼ真っ直ぐに砂礫が海中に堆積したものが、約4000年前に海面に現れたものではないかと言われているらしいと。。

要は川からの砂と沿岸からの砂がうまく堆積することにより細長い陸地が形成されて、現在の形になったらしいと言う事ですが。。

宮津市は(天橋立)が在るから年間観光客数は約260万人となっているみたいで、京都府では流石に5000万人を越える京都市には敵いませんが、第2位の観光客数を誇っているらしく。。

2万人に満たない人口で考えれば、比率の上で京都市を上回る事になるのではと想ったりして、市の大切な財産だと言う事でしょうね。。

そんなんでスキー/スノーボード以外ではリフトに殆んど乗らないので、なんだか楽しかったですね。。

そしてリフトで楽に上がって行って撮影スポットに立ったら。。

何かで観た事有るなあ、と言うような風景が広がっていましたね。。

とりあえずこちら(天橋立ビューランド)からの眺めは、天橋立が天に舞う龍のように見えることから(飛龍観)と呼ばれているらしいですね。。

それで其れなりに沢山の人がいて、(股のぞき)をやっている人もいましたが。。

その人がいる中で、僕は(股のぞき)をするのが恥ずかしく想ったりしてしまい、やらずじまいで終わりましたね。。

しかしどうも(金引の滝)やら宮津駅が在るこっち側は文珠エリアと呼ばれていて、反対側が府中エリアと呼ばれているらしいですね。。

そして反対側にも(天橋立ビューランド)と似たように、ケーブルカーやリフトで上がって行き、標高130mから(股のぞき)で景観を観れる(傘松公園)が在ったらしいと。。

それでどっに行けばが良かったのかと、ふと想いましたが。。

その(傘松公園)からの眺めは(斜め一文字)に観降ろす事が出来て、天橋立が昇り龍のように観えることから(昇龍観)と呼ばれているらしいですね。。

そして傘松公園ケーブルカーの開業は1927年と歴史が有り、(股のぞき発祥の地)とか呼ばれているらしいと。。

そう考えると、こっちの(天橋立ビューランド)は遊園地とかで、開業は1970年と新興だしだとか、(傘松公園)の(斜め一文字)ってなんだか渋いしとか、他が良く想えたりするものでしたが。。

こちらからの景色は、(天橋立)ってこの景色だよなあと想ったところも有り。。

けっきょくどっちもどっちで、両方は行ってられないしと言う事で、これで良かったですね。。

ただ交通の便で言えば、こちら(天橋立ビューランド)の方が WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)の天橋立駅も有るし、宮津市の中心側なので、良いのかなとは想いましたがね。。

それで30分くらい眺めを観ながらフラフラしましたが。。

眺め以外の遊園地とかはここでは必要なかったし、子供向けなので気に止めなかったですね。。

でもなんだか僕が訪れた翌年に、こちらに有った小型のジェットコースターが、レール部分を板に代えて(飛龍観回廊)と言う(天橋立)の展望アトラクションとして、生まれ変わったらしいじゃないですか。。

どこも観光地は観光客の誘致を考えて頑張っているのでしょうが、小型ジェットコースターよりはこちらの方がいいんじゃないかとは想いましたね。。

そんな事でこの時は、行きはリフトだったので帰りはモノレールで降りましたが、けっこうギュウギュウとなりまして、帰りもリフトにすれば良かったかと想ったものでしたね。。

それでモノレールを降りて、せっかくだから実際の(天橋立)の方に行ってみようと言う事で、フラフラ歩いて行きましたね。。

宿やら食事処やら土産屋さんやらが並び、よく有る観光地のパターンだとは想いましたが、全く初めての観光街ってのはなかなか楽しく感じましたね。。

それに錯覚かは分かりませんが、京都府だし日本海側だしで、比較的に観光地でも落ち着いた印象が有ったような気がしましたね。。

(天橋立)は歩いて渡ると片道約50分、自転車約20分、125cc以下の原付バイクは通行可だと言う事ですが。。

まあこちらを訪れた主旨は(金引の滝)でしたし、有名な飛龍観とかも観れたしで、軽く入口辺りまでと想いながら歩いて行きましたよ。。

それで(天橋立)の基本構成みたいなのを考えたりしますと。。

どうもこちらは分かれているみたいで。。

阿蘇海と宮津湾を分けるように細長くノコギリ状に砂浜を創って続く砂州の大天橋(2410m 18.8h)。。

文珠エリアの陸地に細い文珠水路(文珠切戸)を間にして平行するように創られた砂州の小天橋(830m 4.9h)。。

その小天橋の先の埋め立てられて陸続きとなった砂州の第2小天橋(430m 0.9h)。。

と言った3砂州になるらしいと。。

それでここで気付いたのですが、僕は今の今まで大天橋となる砂州が(天橋立)の総てだと勘違いしていまして。。

第1小天橋とか第2小天橋とかに分かれた砂州の存在を知りませんでしたね。。

そして陸続きの第2小天橋と言うのは、いまいちマップやらにも載って無かったりする場合が有るし、その存在がイメージ出来ずに今もってよく分かっていないですね。。

そして名称を調べてみますと。。

陸地と小天橋を結ぶ橋が同じ小天橋と言う名の橋となり、同じく小天橋と大天橋を繋ぐ橋の名も大天橋となっていたりで。。

橋なのか砂州なのか区別出来ずに、非常に分かり難かったですね。。

それで他に調べると砂州である大天橋を北砂州、小天橋を南砂州と呼ぶケースも見られたので、僕は砂州はそのように呼ぶ事にしましたね。。

大天橋と小天橋と言った名称は、橋を呼ぶのに使う事にしようと。。

それで南砂州の事を調べますと。。

どうもこちらは江戸時代後期からの土地開発の増加によって砂の供給量が増加した為に、今から約200年前に現れたばかりの砂州であるらしいですね。。

そして大正3年となる1914年には、京都府が阿蘇海への航路を確保する為に、その南砂州を中央部で切断し(文珠水路)を完成させるにあたり、埋め立てられて陸地と化した南砂州の南側が第2小天橋となるらしいと。。

それでメインとなる北砂州の方がどうだかもう一度調べてみましたら。。

最初に幅広い砂州が創られたのは2000年前であるだとか。。

現在の形くらいになったのは平安時代であるだとか。。

土砂は河川からの流入と言うよりも2200年前の巨大地震による土石流で既に海底に蓄積されたものであるだとか。。

そう言った話もあって、(天橋立)がいつどのように創られたかは定まっていないような気がしまして。。

それでとりあえず僕は、(天橋立)は地形としては比較的新しく創られたものであり、非常に変化しやすいものなんだって解釈するくらいに留める事にしましたね。。

それでこの時は結果的に小天橋の方に歩いて行く事になりましたが。。

歩いて行くとなんだか交通整備とかが始まって、何かと想ったら橋が横に回転し始めてビックリしましたね。。

天橋立と陸は2本の橋で結ばれていると言う事で、こちらが小天橋と呼ばれる橋と文珠水路だった訳で、この橋は廻旋橋(かいせんきょう)となりまして。。

船が通るたびに90度旋回する珍しい橋となり、その歴史としては。。

大正12年となる1923年に手動でまわる廻旋橋が完成し、橋の下を通る大型船舶が多くなったので1960年5月から電動式となりまして、多い日には50回ほど廻ったりしているらしいと。。

そんなんで縦に開く跳ね橋は観た事が有るような気がしましたが、横回転は記憶が無かったので、暫くその姿を観続けていましたね。。

しかしそう考えますと、この橋の名称は小天橋ではなくて、廻旋橋そのものでもいいんじゃないかとか想いましたね。。

そして廻旋した橋に船が通って行くのを観ましたね。。

こちらは観光船やらモーターボートも運航し、夏は海水浴もできるみたいだしで、レンタサイクルで楽しそうに走る人も見掛けました。。

そして元に戻った橋を渡って少し先に進みましたが、すぐに引き返してしまいましたね。。

この先に何千本もの松並木の砂浜の道なんかが続いて行くみたいですし、なんだかこの先や歩いて来た道も含めて。。

智恩寺、 天橋立神社、丹後一宮 元伊勢籠神社、 奥宮 眞名井神社。。

と言った神社仏閣も在ったと言う事ですが、観ずに帰る事になりましたね。。

廻旋橋が良かったのと前述の考え通りにこれで十分だと妙に納得してしまいましたので。。

しかし今想えばもう少し先の大天橋までは行けば良かったと想いましたがね。。

(天橋立)は、名松、白砂青松、日本の道、日本の渚、名水、歴史公園、美しい日本の歴史的風土、日本の地質百選。。

と言った幾つもの日本の100選に選ばれて、名勝やら数々の公園に指定され。。

2016年にはまたまた出てきたユネスコ後援のNGOである(世界で最も美しい湾クラブ)にも日本で3番目に加入して。。

そして世界自然遺産は無理で、富士山みたいに世界文化遺産の登録に向けて頑張っているみたいだから、楽しみですね。。

そんなんで、引き返す時にもう一度廻旋橋に船が通るのを観て駐車場に向かっていきましたね。。

車に戻ったのは13時くらいとなりましたかね。。

しかし(天橋立)は小天橋が現れたのがつい200年ほど前と言うように、非常に変化しやすい地形だと言う事ですかね。。

どちらにしても一方向の卓越した沿岸漂砂の堆積作用により形成されたものらしいですが。。

(天橋立)も全国の他の海岸と同じように、河川に砂防ダムが建設されたり海岸には防波堤やら舗装なんかがあって、 海水による堆積作用よりも砂浜の侵食作用の方がが顕著になったりしているらしいと。。

それで存在が危ぶまれる状態もあり、流失防止突堤だとか、海水と一緒に砂を吸い上げてパイプで移動させるサンドバイパスを設置したりとかで、それを阻止したりしているらしいですかね。。
しかし他にも色々あるみたいで。。

松食い虫の大量発生の為に一時は松の立ち枯れが頻発し全滅の危機に瀕した為に、駆除を行ってくい止めたり。。

土壌の富栄養化による松の木の環境バランスの悪化や雑草の繁殖やら広葉樹への植生遷移があったりして、それを阻止するような対策が施されたり。。

台風やら豪雨による倒れ木や流木の撤去や補修もありますし。。

他にもゴミや生活排水などが大量に流れこんだ事なんかで栄養塩類濃度が高くなり、カキが異常繁殖して殻が島を創ったり悪臭を放ったりしてどうにかしたり。。

更に2004年の台風23号では、波打ち際の砂が12m後退した為に、行政側が付近の山の土5300tを約1kmに渡って補充したところ、雑草が繁殖するようになったらしいとかで問題になっていたりと。。

他にも色々と、白砂青松の特種な自然景観を維持するのは大変なところなんでしょうね。。

なんだかこう考えますと、都合よい美景観を維持するのは大変なんだろうなとか想いましたね。。

それでやはり、こちらの南砂州なんかは人間の生活により出来たような感じだし。。

主役となる北砂州にしても創られたのは精々何千年前だから人間の影響はかなり有るのではないかと想えるし。。

台風とかも自然だから、それにより破壊された状態を元に戻そうとするのも自然破壊であるのかとも言えるしと言う事で。。

元々の(天橋立)の景観そのものもどこまで自然なのか分からないし、景観の維持そのものが自然破壊とも言えるのかと想ったりして。。

自然とはいったい何なのか難しいと想いながら、とりあえず日本三景の1つを観れて良かったなと言う事で、こちらを後にしましたね。。

それでその後はまだ時間が有るのに。。

なんだかつまらない場所を訪れようとしてハズれたんだかは忘れましたけれど。。

何かを観た記憶も無いままに、気が付けば琵琶湖の左岸を走りながら神奈川へと帰るように走っていましたね。。

しかし丹後地方ってなんだか渋い感じで、良いなとは想いましたね。。

それで調べたらどうも、気になっていた(伊根の舟屋)と言うのは、(天橋立)の府中エリアの先に在ったらしいですし、また機会が有れば訪れたいなとか想いました。。

京都府って太平洋側の古都京都って印象が強いからか、日本海側のイメージが少ないような気がしますが、僕はこっちの方に魅力を感じたりもしていますね。。

まあ京都府って南北に長いって感じですかね。。

難点は、太平洋側に住む僕には東西の移動だけではなくて、南北の移動も加わるので、大坂なんかに行くよりも面倒になるって事かと想いましたがね。。

それでまだまだ遠いと言う事で休憩も兼ねて、琵琶湖の湖畔の(お食事処スズラン)とか言う処に適当に入って、遅めの昼食としてカキフライ定食かなんかを食べましたね。。

まあ京都府は都道府県の中では滝は少なそうだけれど、その先の山陰エリアも兼ねて、訪れていかなければと想いましたよ。。

しかし本州の南北の移動が面倒だと言っても、この琵琶湖辺りは本州の中間辺りでは、最も南北が細くなるところだと言う感じだし。。

余裕を持ってあまり観た記憶が無かった、日本最大の湖の琵琶湖を眺めながらのドライブを楽しみながら、帰りのルートを走りましたかね。。

そうすると琵琶湖に浮かぶ朱塗りの大鳥居が映えていたので、近江の厳島と呼ばれる(白髭神社)で少し休憩しましたね。。

何でも創建は1900年前らしく猿田彦命(さるたひこのみこと)と言う事で、最近はパワースポットとなっているらしいですが。。

この辺りが琵琶湖の景観として想い出に残っていますかね。。

まあこのエリアには、まだ訪れていない100選滝の(八ツ淵の滝)が残っているんですが、少し歩行時間がかかるのでいつかと言う事になりましたけれどね。。

だからまあ、また来るのはたしかなんですけれどね。。

それでもうこの時は、面倒だからさっさと琵琶湖大橋を200円払って渡って、名神高速やら乗って高速で帰ろうとしたんですが。。

最後にこの琵琶湖大橋の西側の袂辺りに何にかで観た風景が。。

それはかつてワンダージャパンとかに掲載されていた、廃墟観覧車のイーゴスの姿でした。。

元々こちら辺りは展望室が回転しながら昇降し、琵琶湖や比良山地を一望できると言う高さ63.5mの(びわ湖タワー)を目玉にして、1965年に開店したドライブインだったらしいですが。。

1967年には遊園地として拡張し、1992年にはタワーに変わる新しい目玉アトラクションとして、当時世界最大となる108mの高さを誇った観覧車イーゴスを誕生させたと。。

その後は(びわ湖タワー)の名前は変えずに、昔ながらの滋賀県最大の遊園地として営業してきたらしいですが。。

2001年にはその歴史に幕を閉じる事になると。。

それで遊園地の姿は無くなり、元敷地には新しい店舗やらもポツポツと建ってきている中で、イーゴスだけは残っていると言った状態だったわけですね。。

この時観たのはその姿であったと。。

しかしこの時で廃墟となって10年目と言う事で。。

近くで観ていて倒壊したら回りに有る店舗が危なそうだなとか想いましたが。。

実は再開を求めたりしていた所有者である(びわ湖タワー) の元社長さんだかが、たまに動かして劣化を防いでいて、保存状態は良かったらしいですね。。

それでけっきょく2013年頃まで残されていたのですが、ベトナムのダナンの遊園地アジアパークへ解体移動して行き、現在はサンホイールと名を変えて稼動しているらしいと。。

そんな事で、無駄にならなくて良かったと言ったところですが、最後にこの地を印象付けるものを観れてた気がしましたね。。

そして琵琶湖大橋を渡ったら、もうこの時は帰るだけに広がる世界だと言う事で、ここを最後にさっさと帰って行きましたね。。

最後に。。

今回はなんだか初めて訪れたエリアで、(金引の滝)の近くに(天橋立)とかも在るので、合わせた旅行記みたいになりましたが。。

とりあえず(金引の滝)に関しましては、手軽に観られる観光滝で、そこまで自然に特化した滝でもないですが。。

滝前の広場を伴う滝空間は鬱蒼としているようでもあり、木洩れ日が射し込む緑に癒されるような空間でもあって、なかなか良かったような気がしましたね。。

そして滝そのものも、丸みを帯びた草木が点在する岩を流れ落ちる個性的な姿形ですし。。

下流はと言うと、堆積した真砂土や苔むした岩肌と言った自然によるものと、太鼓橋や灯籠や不動尊と言った昔ながらの人工物が合わさり、(金引の滝)の巨大な丸い宝珠に観える姿も相俟って、僕には日本庭園的な風情を感じましたからね。。

僕としてはそのように感じたところがみそで、滝として修験場や神社仏閣の御神体と言った印象を与える滝は多々在りますが、庭園的な風情を醸し出す滝は100選滝においてこの滝が唯一のような気がしました。。

これはやはり自然堆積する真砂土が効いているところかと想いますが、その景観が偶然なのか必然なのか、京都府において唯一の100選滝となっているところが、京都の印象とぴったりだと想いましたね。。

そう言った事で、日本の最高となる国際的観光地を内包する府を代表する唯一の滝として、そこまで凄い滝でもないですが、雰囲気も有り印象的な形状のこの(金引の滝)を選んだのは良いかとは想いましたね。。

因みに以前に他の滝で、日本3大都市には確りと1滝づつ100選滝が選ばれていると言いましたが。。

それにプラスして京都を入れても、やはり1滝となりますね。。

そしてこの4都市の滝をくらべた場合は、この(金引の滝)が最も僕は好きなところですかね。。

まあ実は、一番遠くて馴染みがないからそう想えるだけかも知れませんけれどね。。

しかし調べると京都府と言うのは、際立った滝は比較的に少ないかと想えましたね。。

それでどうしてかと想いましたが。。

京都府は山地や丘陵地は多いけれど、最高峰は滋賀県との境に在る皆子山(971m)となり、低山しかない感じだからですかね。。

そしてその最高峰がある中部辺りのエリアも、滋賀県側の方が急斜面だからかは分かりませんが、琵琶湖方面に(八ツ淵の滝)やら(楊梅の滝)やらが在って、京都府側はいまいちそうな感じがしましたしね。。

そして南部は降雨量も少ない低山麓盆地と言う感じですから際立つ滝は少なそうだしで 。。

なら降雨量や積雪が多く山地を形成する北部かと言うと、この(金引の滝)やらあとは(今福の滝)くらいかと想ったりするので、そう言うところなんでしょうね。。

まあ都市を形成する場所は其れなりに往来がしやすくて、だいたい広く平坦な場所となるでしょうからね。。

そんな事で、南部が目立つ京都府ですが。。

北部で有名な(天橋立)の傍に、然り気なく落ちる中々の(金引の滝)には、序でに寄って見ればと言う事で。。

終わりたいと想います。。

京都府宮津市滝馬

駐車場 無料10台超くらい

問い合わせ 天橋立観光協会
http://www.amanohashidate.jp/spot/kanabiki/