笹の滝 奈良県吉野郡十津川村大字内原 公称落差32m+渓流瀑 2009年9月18日,2019年4月26日 日本の滝100選掲載順カウントアップ49/100 extra 十津川村

この(笹の滝)に関しましては、やはり以前の2009年9月18日に1度訪れているのですが、やはり写真が足りないと言う事で、今回2019年4月25日からの1泊旅行の2日目に再訪する事にしましたね。。

しかしこのコラムを書いていて想いましたが、この紀伊半島はやはり滝の宝庫なのか訪れる頻度が高く、滝が在ったからこそこんなに訪れる事に成った地なんだと想うと感慨深いものが有りますね。。

まあでもこの地域は僕としてはなんとか1泊で訪れられる距離ですし、比較的に積雪が少ない地域でそんなに時期を気にしなくても良いと言うのも有るから頻繁に訪れるのかと想うところも有るのですが、それでもやはりこれからも何度も訪れる事になる筈なので、愛着が湧いて来るところでした。。

それで今回の(笹の滝)のコラムは、新しく車を購入したのでそのテストドライブを兼ねて紀伊半島の既訪の100選滝で写真が足りない滝を再訪して行こうと言う事でして。。

深夜出発の1日目からダラダラとこちらに向かい三重県熊野市紀和町の(紀和 布引の滝)をやっとこさ観て、その後に近くの(丸山千枚田)なんかを観た後のかなり暗くなってきた時間にやっとこさ(笹の滝)が落ちる十津川村に辿り着いた感じでしたね。。

もちろん(笹の滝)はもともと十津川村に泊まった翌朝の1番に訪れようと言う計画だったのですが。。

初日はたいして好きでもない(紀和 布引の滝)以外は(丸山千枚田)しか観れなかったので、いまいち旅行としては不満なところも有りながら、とりあえず十津川村に入ったところから(笹の滝)の再訪のスタートとして書かせて貰いますね。。

紀伊半島の中央部に位置し奈良県の南端となる十津川村は十津川村は日本1大きな村と言う事で、東京23区(619km2)を上回る672.38km2の面積を誇るみたいで、2019年度の推計人口は3160人あまりで人口密度4.7人/km2の森林が面積の約96%を占めるみたいですね。。

それで村の中心を熊野川の上流域の名称となる十津川が南北に南流して流れていて、川沿いを地域の大動脈である1959年に全線開通した国道168号線が通っていますが。。

現在この幹線道路は、その国道の部分々々を橋やトンネルに改築したりしながら全線開通を早期に目指す時速60kmでの走行を想定した地域高規格道路となる国道168号線五條新宮道路(五條市~新宮市間 延長約130km)に変わって行こうとしているみたいでして。。

こちらの十津川村の中を通る大字平谷から大字小原に至る6.0㎞の道路はその一部となる十津川道路として改築されると言う事で、そのうちの大字折立~大字小原の区間となる4.3kmは紀伊半島大水害の直後となる2011年9月に時期を早めて開通させて、残りの1.7kmとなる十津川温泉北トンネルなどを今秋の開通に向けて工事しているらしいと。。

それでこちらの事業は奈良国道事務所が行っているみたいですが、急峻な山々が連なり孤立しがちで多雨で災害にも見舞われやすいと想われる紀伊半島全域は、このところ国や県が一体となって交通インフラ事業を邁進している感じがしましたが。。

この時の僕としましては、全く住まいと違う地域の道路事情は疎いし、眠いし腹は減っているしで、この時は山間部としては走り易い道と言った感じで早く休みたい一心のもとに、1泊素泊まり4000円でこの日の宿の予約を取っていた(民宿 松乃家)が在る十津川村大字平谷の十津川温泉の中心部と想われる辺りに着きましたね。。

そんなんでとりあえず宿泊地の十津川温泉には着いたのですが。。

僕としましては日本一広い村と言われる十津川村のいったいどの辺りにいるのかもよく分からず、時刻は暗くなった19時を回る頃ですし、GW前の閑散期ですし、点在する店やら施設も閉まっているみたいですしで、何だか寂しい感じがするところでしたね。。

それで調べますと、十津川村はどうも2015年の時点では54ぐらいの大字(地区)に分けられたりしていて、主要な集落は周りが1000mクラスの急峻な山々に囲まれていると言う事で比較的に平坦な十津川の斜面辺りに集まっているらしいですが、山の頂上や山中にも集落が在ったりするらしいと。。

それでこちらは十津川村のやや南部となる大字平谷と言った二津野ダム湖畔の十津川温泉を中心とした地区になり、(昴の郷温泉保養館星の湯)や(庵の湯)や(南部老人憩の家 憩の湯)と言った公衆浴場の他に十津川村で最も旅館や民宿やお土産屋などが密集している地区だったらしいですかね。。

それで僕としましては、その地区の真ん中辺りで幅広になった十津川と言う感じの二津野ダム湖に合流する上湯川に架かるライトで赤く浮かび上がる橋が印象に残りましたが。。

最初は新宮市方面から来た場合その橋の手前の袂近くに在った山菜釜めしが名物らしい(ドライブイン長谷川)の店前の駐車場に車を止めさせて貰いましたが、19時が閉店時間となり店仕舞いをしている店員さんらしき方に。。

(この辺りでまだ営業している飲食店なんかは在りますか?)

と聞いたところ。。

(橋を渡った先の居酒屋さんやラーメン屋さんなんかは遅くまでやってますよ)

と言う事だったので、ここはラーメン屋さんに行こうと言う事で、最初に橋を渡った先の道を車で走りながら開いているのを確認し、近くの夜は明らかに解放してそうな小売店の駐車場に車を止めさせて貰って、そのラーメン屋さんに向かいましたね。。

しかしこの十津川村はコンビニなんかは無くて、信号すらも村には2機しかないとか言う話で。。

まあそれはなんとなく知ってはいたのですが、前回(笹の滝)を訪れた時を含めてこの辺りは2回くらい通っているし、地方は店仕舞いが早いとかは分かってはいる筈なのに食事に関しましてはかなり無計画となり、ついつい時すでに遅しの状態に成りがちでして、この時もまともに夕飯にありつけるのか少し心配にはなりましたね。。

でもそれ以上に危険なのは開いてるガソリンスタンドがないと言ったケースだったりするところでして、これに関しては最近はしっかりとするようになってきてるかとは想いました。。

そんな事ですが、ラーメン屋さんの方は、店に近付いてみると他に開いている店も少ないせいか、けっこうお客さんが入っているなと言う感じでして、とりあえず営業している飲食店に辿り着けて安心しましたね。。

中に入りますと、どうも店にいる何組かのお客さん達は地元の方達と想われる感じでしたね。。

僕と連れの友人2人が店に入った後からも、何だか地元の工事関係者と言った感じの人達が4人くらいで入店されて来まして、他のお客さん同士で馴染みの関係と想われる会話とかをしていた感じでしたからね。。

それで僕は勝手に自分達だけ余所者だと想えて、妙によそよそしい感じになってしまったような気がしましたが、何だかこのラーメン屋さんで十津川村のコミュニティの一角を見れたような気がしましたね。。

それで飛び込みで入ったようなこのラーメン屋さんを今になって調べますと、どうもこちらは2018年4月にオープンしたらしい、これまた村で唯一のラーメン屋さんだと言う(十津川らーめん 輝 teru)と言う店でしたね。。

それを知りますと、ラーメン屋さんって人口との割合で考えると山形県が最も多いと言うように、地方にも多い印象も有り、コンビニよりラーメン屋さんがやっと一軒出来たとしたら、僕はそっちの方が驚くところでした。。

しかしこの店は今回僕達が訪れた観光の閑散期でも地元の方達が常連で訪れてそうですし、繁忙期なら観光客も見込めるだろうしで、村の唯一のラーメン屋さんと言うのもあり、かなりの集客が見込めるのではないかと想ったりしましたね。。

肝心の味の方はと言うと、それがこの店に着いて席に座った時点で眠気がマックスになり、もちろん美味しかったんでしょうが、残念な事によく覚えていないんですよね。。

どうも店では醤油ベースの(輝そば)なんかが人気だったみたいですが、何故か僕は味噌ラーメンと何かご飯ものを頼み、もう眠くて眠くて早くここから赤い橋を渡り返した先の(民宿 松乃家)で眠る事だけを考えてラーメンを食べ終えましたね。。

それでその後やっとこさ宿に辿り着きさっさと眠りに着いたと言う事で、十津川村に着いた夜はこのラーメン屋さんだけが想い出に残っているだけのところでしたね。。

そして(笹の滝)に訪れる朝を迎えた訳ですが。。

とりあえず前夜は夜8時くらいに宿に着いて風呂も入らずにぐっすりと眠り込んでしまったので、朝6時くらい起きて当館自慢の貸し切り露天風呂に1人でゆっくり入りに行きましたね。。

後で通って分かったのですが、こちらは国道168号線から少し下った道沿いの宿でしたが、国道からもこの露天風呂はよく見えていましたね。。

あいにく雨が降っていたので置いてあった蓑笠みたいなのをかぶって湯に浸かりましたが、まあ天気予報なんかを見るとそのうち止むだろうと言う事で余裕でしたね。。

こちらの露天風呂は、場末感を助長するような安っぽいライトアップと言うのは微妙でしたが、モスグリーンか何だかの二津野ダム湖と言うか貯水池がよく観えて、景観は良かったですね。。

貯水池は半分霧ががったたりしているようにも観えて幻想的に観えましたね。。

そしたらどうもこちら貯水池周囲の斜面には、薪炭材を採取していたシイやカシの二次林が広がっているらしく、ドングリやシイの実なんかが好物のオシドリが越冬地として飛来する国内最大級の場所であったらしいですね。。

しかしどうにも2011年9月のの紀伊半島大水害以降、もともと問題視されているところも有った熊野川の濁水が長期化して近年深刻な問題になっているらしいと。。

それでその原因としましては、熊野川は新宮市熊野川町で十津川と北山川が合流して熊野灘にそそいで行きますが、その水害時において十津川の上流部などで大規模な山腹崩落やら法面崩落による土砂崩れが発生したりして土砂がダムや河川に流れ込み、それ以降も降雨時にそれら崩落地や山肌やらの脆弱な岩盤から濁水が発生しやすくなっているからだと。。

そしてこちら十津川に存在する二津野ダムと、この上流の風屋ダムの貯水池は土砂で水が濁り、深層部なんかは汚泥がたまっている状況で、その水を発電の為に約10kmほど下流の発電所に導水管で流すたびに熊野川に深刻な濁りを発生させていたみたいだと。。

それを知りますと、何だかダムが建設される以前から十津川の濁りはあったみたいだとか、現在は対策を施そうとしているだとかみたいですが、清流と呼べる十津川の川色を僕は確りとは知らないので判別出来ませんが、この現在の貯水池の水の色はどうだったのかとは想いましたね。。

調べますとどうも二津野ダムは1962年に竣工した堤高76m、堤頂長210.6m、総貯水容量4.300万m3、のアーチ式コンクリートダムとなりますが、上流には先の1960年に竣工した堤高101m、堤頂長329.5 m、総貯水容量1億3000万m3の重力式コンクリートダムの風屋ダムが存在するらしいですね。。

そんな事で、上流からまず風屋ダムが在り導水管で約8km下流の十津川第一発電所に送水し約7万5千KWの発電を行い、そのすぐ下流にこちらの二津野ダムが在り約10km下流の十津川第二発電所に導水管で送水して約5万8千KWの発電を行っていて二津野ダムは十津川第一発電所の放流水を調整する逆調整池の役割も担っていると言う事みたいでしたが。。

どうも運営の方は戦後の電力不足を解消する為に国が1952年に電源開発促進法を定めて設立し、2004年に完全民営化した電源開発株式会社(J パワー)が行ってきみたいですね。。

それでこうした濁水長期化の問題が顕著になった事で、現在Jパワーはその対策として濁水防止フェンスやら表面取水設備の改造工事なんかを施そうだとか濁水の早期排出だとか色々と行っているみたいですし。。

熊野川の河川管理者である近畿地方整備局や三重、奈良、和歌山の3県、流域11市町村、ダム管理者の電源開発西日本支店などで構成された熊野川の総合的な治水対策協議会なんかで対策に取り掛かっているみたいですが。。

上流部の奈良県や和歌山県では人家や公共施設の周辺の山腹工事の方が優先としていますし、治山や砂防をして森林自体を変えなければならないところもあって、あまりに広範囲な崩落の抜本的な対策は厳しいところも有るらしいと。。

そんな中で2014年の調査によると、Jパワーは通常は濁度の低い表面取水を行っているはずが、ゴムシートだかが破損していて濃度の高い中層の水が放水されていたりしたらしくて避難されたり。。

県も一時期には、絵的に厳しいと言う事で熊野川の写真や説明を観光パンフレットから外して問題になったりしたみたいで。。

平成の名水百選にも選ばれ世界遺産の中で唯一とも言われる川の参詣道もこのままでは登録抹消も危惧されると言う事で、観光産業や他にも漁業に大打撃を与えられる下流の新宮市なんかを中心に濁水長期化の早期解決を強く訴えているみたいで大変みたいですね。。

そんな中で僕なんかは悠長に旅行を楽しんじゃってるんだなと複雑な想いにかられるところでしたね。。

それで露天風呂から上がった後は、連れはまだグーグたー眠っているしで軽く宿沿いの道を散歩しましたね。。

昨夜は国道からこの道を少し下って来まして、よく観るとポツンと明かりが付いているこちらの宿に着いた訳ですが。。

昨夜は廃墟が並ぶ真っ暗な通りみたいで少し不安になったなと想いながら歩きますと、やはり朝になってもそんな趣でしたね。。

まあでも十津川温泉は湖畔なんかに8軒だか9軒だかの旅館や民宿が点在しているって話ですから、別に他は民家とかも在ったんでしょうし、考えれば普通の静かな通りだったのかとも想いました。。

しかし道沿いには販売機が幾つか有って缶ジュースでも買おうかと想ったら全部稼働していなくてそれは残念でしたね。。

それで考えますと、十津川村の主要産業は林業、農業、川魚養殖業、加工業、そして観光産業と言ったところみたいですが、1965年の15000人強をピークに人口は主要産業の林業衰退なんかに伴い減少し、少子高齢化と過疎化が進むと言う事で、現在の地方のパターン化した現象だなと想いましたが。。

かつて熊野川沿いの道としては、熊野古道伊勢路の川端街道くらいしかなく、十津川の資材なんかは筏を組んで熊野川を南紀方面へ流すしかなかったみたいで、その為に林業なんかが活性化したのは1950年代に熊野川の開発計画が立ち上がりそれ以降に風屋ダムや二津野ダムが建設されると言う事で、建設資材を運ぶ為に五條市方面からの縦貫道路が国道として其れなりに確りと開通し、それに伴い林道なんかも張り巡らされた1960年代辺りからだったみたいで。。

それも貿易自由化による安価な外材の輸入やら木材の需要減少により続かず、けっきょく人口のピークなんかは映画館や飲み屋も創られた道路建設も含めたダム関連の土木業が基幹産業となり林業なんかとリンクした一時だったのかと想われましたね。。

それで何となく古来から秘境と呼ばれたこの地に近年において道が開拓されて来た歴史なんかを大雑把に調べてみますと。。

国道168号線の先祖となるのは西熊野街道となるみたいで、江戸時代は奈良県五條市から丹生川に沿って南下して天辻峠を越えてから十津川に沿って南下して十津川村川津まで行く道であったらしいですが、1907年となる明治40年から五條市側から道路の整備が始まり1923年となる大正12年に十津川村七色までが奈良県道五條本宮線となりまして。。

険しい地形の中で工事は進み1940年となる昭和16年には車道が十津川村小井まで延びたところで国が戦争に突入し工事は中断しますが、戦後に工事は再開して1952年には十津川村平谷までの車道がだいたい開通したみたいだと。。

そして1953年に道は国道168号線となったみたいですが、こちら十津川村平谷から和歌山県八木尾までの間は分断された状態だったみたいですね。。

そしてその後は吉野熊野総合開発事業の一貫として風屋ダムや二津野ダムが造られるにあたり道は急ピッチで開発されていき、道路の拡幅や蛇行部分のトンネル化や橋梁化が成されて行き、1959年には未開通区間が開通して国道168号線はとりあえず全通して比較的現在に近い状態に成ったらしいと。。

そんな事でどこの道でも多かれ少なかれそうですが、僕なんかが旅行において車で一瞬で通ってしまうような道にも様々な歴史が詰まってるもんだと想いましたね。。

まあそんなんでこの時は1人宿の前の道をフラフラした訳ですが、二股に分かれる道の先の宿の風景を観たりしますと、まるで横尾忠則のY字路にぴったりな風景にも巡り逢えたとも想えましたね。。

それで今度はこちらの温泉の事なんかを大雑把に調べますと。。

十津川村には湯量が豊富な為に日本の温泉地として初めて湯を循環せず沸かさず薄めない源泉かけ流し宣言を2004年に行った湯泉地温泉、上湯温泉、十津川温泉の3つの高温天然温泉が在り、それらの温泉で国民保養温泉地にも指定されている十津川温泉郷を形成しているみたいですね。。

それで今回はその中の十津川温泉に泊まったんだと言う事ですが。。

元禄年間(1688年~1704年)に炭焼き職人によって発見されたと言われる十津川温泉の源泉は上湯川沿いに在って、同温泉郷の上湯温泉に対して下湯と呼ばれていたらしく、二津野ダムとそれに伴うダム湖が造られた後の1974年に湖畔の平谷地区まで源泉を引湯して温泉街を形成したらしいと。。

それで泉質はナトリウム炭酸水素塩泉のお湯は切り傷や火傷などの外傷を癒す効果があると言われ、ナトリウムイオンが皮脂と反応する為に、肌の古い角質を除去するダブルクレンジング効果が有り入浴後の保湿が必要だとかの話でしたね。。

まあでも僕なんかは何も考えずに湯に浸かり温泉を満喫したって感じだったんですが、それにしてもこの辺りは本当にダムと運命を共にしたようなところなんだなとは想いましたね。。

散策を終えた後に部屋に戻りますと、連れの友人はまだまだグーグーと眠り込んでいたので、僕は部屋で一息付いた後に今度はまた1人で内湯なんかに浸かりに行ったりして、けっきょくチェックアウトの時間ギリギリの朝10時近くまで宿でグダグタ過ごすと言ういつものよく有るパターンの一つに陥りまして。。

最後に昨晩は直ぐに爆睡してしまいろくに話さなかった宿のおばちゃんと軽く談笑して(民宿 松乃家)を後にする事に成りましたね。。

それで昨夜までは(笹の滝)を訪れた後に自宅の在る神奈川県方面に帰るように約120kmぐらい車で走って、やはり観きれてない三重県名張市の100選滝となる(赤目四十八滝)も再訪してしまおうかと想っていたのですが、(赤目四十八滝)は観るのにけっこう時間も掛かると言う事で諦めまして。。

この時点で(笹の滝)だけを再訪して後は弛く帰宅がてら近辺を観光して行こうと言った考えにシフトしましたね。。

他に宿を後にする時に想い出されるのは、宿内に有った観光のパンフレットなんかに手を伸ばすと外国語のしか残っておらず、今の時代は国内何処にでもインバウンドの波は押し寄せているんだなと改めて想ったりした事でしたね。。

宿を出た後は、とりあえず国道168号線を走って直ぐに昨夜開いてる店について教えて貰ったドライブイン長谷川が在りまして、その少し手前の国道沿いに無料の駐車場みたいなのが有ったので、そこに車を止めまして、明るくなればこの辺りの道の雰囲気も違うなと想いながら最後に二津野貯水池を眺めたりしましたね。。

そこでまたこのダムにまみれた熊野川とはどう言った事なのかと考えましたが。。

戦後の日本は、復興のための電力需要が年々大きく伸びる一方で発電所の建設が追いつかない中、日本最多雨地帯でもおり急峻な大峰山脈を水源域とする熊野川は、熊野川総合開発計画のもとに日本の水力発電において最適な場所として開発が進められたみたいだと。。

それで戦前の1937年には関西電力により十津川より更に上流部となる奈良県吉野郡天川村の天の川に九尾ダムが竣工されたのを皮切りに、1940年には宇治川電気(後に戦後の電力分割民営化により関西電力が事業を継承)が川迫ダムを竣工、そして戦後となる1958年には現国土交通省により猿谷ダムが建設されますが、こちらは奈良県北部の大和平野や紀伊平野の水不足を解決する為に紀の川へと流域変更により分水を行い紀の川に造られた大迫ダムと津風呂ダムによって大和平野に分水して灌漑用水などに利用する目的も兼ねた不特定利水と水力発電の為の利水専用ダムであるらしいと。。

そして1960年にはJパワーにより前述の風屋ダム、1962年にはこちら二津野ダムが竣工して、1964年には十津川と二分する熊野川の支流となる北山川に日本最大級のアーチ式コンクリートダムである池原ダムが竣工され、1965年には下流に七色ダムやら小森ダムが竣工され、1978年には関西電力により熊野川水系の旭川に旭ダムとその支流の瀬戸谷に瀬戸ダムが竣工されてと言う事みたいで。。

現在熊野川界隈には11基の水力発電を主とした基本的に洪水調整機能などは無い利水ダムが存在するみたいですかね。。

それでその背景を考えますと、戦後荒廃した日本には台風なども襲来し、以前からの極度の電力不足と食糧不足は大きな問題となっていて、アメリカ合衆国のフランク・ルーズベルトによるニューディール政策におけるテネシー川流域開発公社による河川開発を参考に、財政面では公共事業費、財政投融資、GHQによる見返り資金などによる潤沢な国庫補助を背景に地域の経済活性化を促進させることを主とした国土総合開発法が1950年に制定されたみたいだと。。

そしてこの中で全国で1951年19地域、1957年3地域が指定されて1967年度で全地域の計画が終了となり合わせて22の地域が特定地域総合開発計画の指定地域となり利水なんかを目的に強力な開発が進められたと言う事みたいですが。。

熊野川総合開発計画もその内の1つで、他にも関東方面で言えば只見川やら東北方面で言えば北上川やら同じように幾つも開発されていったみたいですかね。。

そうなるとそうした幾つもの日本の大河もそうですが、熊野川は現代の人間社会の生活に殉じて発電により塞き止められ、灌漑用水なんかで分水され改造された人口の川なのかと想えて考えさせられるところでも有りましたね。。

そして暫し二津野貯水池を観つめた後は、宿のおばちゃんと連れの友人でやたら話が盛り上がった人力ロープウェイの野猿に行ってみようと言う事になりまして。。

この辺から上湯川沿いの龍神十津川線を進めば約2kmで着く野猿に向かいましたね。。

それでまったりと進みまして、下の河川方面に簡易トイレ付きの駐車場が有るみたいでしたが、人の気配がせず降りるのが面倒なので横着して幅広の駐車場入口に車を止めましたね。。

この頃には雨は上がって爽やかな晴れ間が広がったもんでした。。

そんなんで時期も閑散期だった為か、観光用と言うには何だか道沿いに質素にポツンと在るだけで誰も回りに居ない野猿に乗ってみようと言う事になりましたが。。

野猿とは猿が木のつるを伝って行く様子に似ている事からこの名がつけられた、川の両岸からワイヤーロープを張ってそこに屋形を取り付けて別に渡されたロープを自ら手で手繰り屋形を前進させて対岸に渡ろうとする昔の川を渡る為の交通機関だと言う事ですかね。。

それで現在では他にも徳島県三好市の奥祖谷二重かずら橋辺りや静岡県菊川市の瀧生山永寶寺なんかにも有り、他にも籠渡しとして南アルプスの聖岳には西沢渡の籠渡しやら残っているらしいですが。。

以前は籠渡しとして明治時代まで飛騨の白川や越中の黒部川や床川なんかにも有り、戦後までは同じような糸魚川市の蓮華温泉近くの瀬戸川の渡し、徳島県那賀郡相生町の川浦の吊舟、北海道の豊平峡のつり籠の渡し、只見川上流のかご渡しなど各地に有ったらしいと。。

そんな中で十津川村には複数の野猿が残っているみたいで、観光用としてはこちらの野猿となるらしく、とりあえず全国の野猿の代表として、十津川村の野猿がそれかと想い体験する事にしましたね。。

それでとりあえず定員1名と言う事で、監視員とか誰もいないし操作の仕方なんかを全く分かってないので不安も有りましたが。。

連れの友人は高所恐怖症の為にビビって乗ろうとしないので僕が乗り込み、乗ったら固定フックを外して下さいと書いて有るので、それを外してロープを引っ張ると前進したので、ああこうして進むのかと言った感じで進んで行きましたね。。

それで犬小屋の中にいるような窮屈な体勢で手でコキコキと屋形を進めて河川の中間辺りまで行きましたところ、高さ的に落ちたら死ぬだろうと想える中で、まだ余力は有りますが万が一手が痙ったり体力が尽きたらどうしようと言った想いが強くなり、反対岸まで行ったらかなり疲れそうだと想えて引き返す事にしましたね。。

しかしロープは確りと張ってあるとは言えやはり弛みは有り、必然的に行きの中間までは降りとなるので帰りは昇りともなり、そして途中で引き返す場合は体勢の向きを変えられないので後ろ向きでロープを引っ張る為に必要以上に力がいる感じで、1人空中の屋形の中で心細く焦りが生じましたね。。

そんなんでここは安全策で早く戻ろうと必死にロープを引っ張ってフックを固定して野猿を降りた時はホッとしたものですが、今想えば楽しい想い出のアトラクションには成りましたね。。

それでもちろん僕が乗った後はビビる連れの友人にも乗ってもらう事にしましたが。。

友人はなかなか進もうとしないので、僕が乗り場でフックを外しロープを引っ張って無理矢理に屋形を進めたところ、5mぐらい進んだところでもう勘弁してくれと言うので、帰って来なと言いつつロープを動かないように掴んだら泣きそうな声を出していましたね。。

その後まあこれくらいで勘弁してやろうと掴んで固定していたロープをほどいたら友人は自力で必死にロープを引っ張って戻って来ましたが。。

考えれば体力が尽きた場合は連れや他の人にロープを引っ張って貰えば大丈夫なんだなとは想いました。。

しかしもし1人旅の人なんかが誰も居ない時に1人でこの野猿を体験して途中で引き返せなくなった場合は自己責任のもと大変なんじゃないかとか想いましたね。。

まあでも調べましても大事故の話なんて目につかなかったので大丈夫なんだろうと想い野猿を後にしたところでした。。

野猿を体験した後は、その上湯川沿いを400mくらい戻った下流となるところに柳本橋なる目立つ吊り橋が有ったので、駐車場などは無かったですが路肩に車を止めて渡ってみる事にしましたね。。

そうしましたらこちらは橋長90m高さ10mの世界遺産である(紀伊半島の霊場と参詣道)の構成資産の1つである熊野参詣道小辺路を繋ぐ吊り橋だったみたいで、橋を渡って進んで行けば果無山脈を観渡す美しさから天空の郷と呼ばれる果無集落が在ったみたいですね。。

それで小辺路は紀伊半島の中心部を南北に1000m級の3つの峠を越えて約70kmで高野山と熊野本宮大社を結ぶ険しいルートみたいですが、とりあえずこの時は先程の野猿に比べれば吊り橋なんて怖くないとばかりに穏やかな気持ちで橋を往復しましたね。。

それで橋の真ん中でゆっくりと上湯川の流れを観たりしましたが。。

川端街道なんかは現在は県道小船紀宝線なんかが通っていて殆んど消失してしまったみたいですが。。

十津川村には世界遺産の構成資産として小辺路の他にも修験者が修行する吉野と熊野を結ぶ大峰山を縦走する大峯奥駈道が十津川村の両脇を縦断するように通っていますし、川沿いに集落が集まる十津川村には現在も生活用の吊り橋が大小合わせて60基以上架かっているだとか言う話で、そうしたものが現在では観光アイテムとして重宝されて遺されて行くと言う事なんでしょうね。。

僕としましては、こうした過去の時代の社会などにおいて使われていたもので偶然やら必然やらで残ったものは、その後の時代にはそこだけ切り取られて観光アイテムとして重宝されて行くと行ったパターンが垣間観れた想いでしたね。。

それでこの時は前述通り滝の訪来は(笹の滝)だけにしてまったりと観光をしていこうと言う気持ちで、後でこの村の最大の観光橋である(谷瀬の吊り橋)も観て帰ろうとは想っていましたね。。

それで橋から上湯川を観た風景としましては。。

この辺りは上湯川と西川の合流地点となるみたいですが、堆積する土砂とかが半端じゃなくて、堆砂処理工事なんかが大変なんだなと言ったところでしたね。。

紀伊半島は太平洋プレートで押し上げられて隆起してできた半島でありひびが入って崩れやすいらしく、土砂の生産量も多い河川であり、現在の熊野川には1889年に起きた十津川大水害によって上昇した川床による広い川原が観られると言う話ですが。。

現在は礫に覆われた広い河原にも以前は集落や田畑が在って、それが水害で埋まってしまった場所もあると言う話ですから大変なものだとは想いましたね。。

しかしここの流れでも堆積土砂みたいなので仕切られた左右の水の流れの色が全然違くて西川方面の水がかなり濁っている感じがしまして。。

これが清流と濁流の違いなのかとも想いましたが、これについては利水ダム方面とは違うので一時的なものだったのかどうか僕には分からなかったところでしたね。。

そんな事で柳本橋を観た後にやっとこさ(笹の滝)へ向かう事に成りましたが。。

この大字平谷辺りからは国道168号線を風屋ダムの方へ向かって進み、そこから林道内原線に曲がれば約30km強で着く感じで、これらも全部が十津川村の中だと言う事ですから、やはり村は広いんだなと想うところでしたね。。

それで国道168号線を少し進んで行くと、十津川道路の残された十津川温泉北トンネルの工事現場を横切りまして、慌ててカメラのシャッターを切ったりしましたね。。

この流域の土地利用は森林が約95%となり、水田や畑地などの農地が約1.5%、宅地が約0.5%、その他が約3%と言う事で、下流部の僅かな平野部に人口の殆んどの約4万人が暮らしていると言う事らしいですが。。

こうしてトンネルなんかの道やらも熊野川沿いに造られるのが必然であり、こうして隣接して道などが造られていくのは地下水の低下や地形改変による斜面の脆弱化なんかはどうなのかと想いますが、とりあえず造れるなら道なんかはどんどん造られていく感じなんだなとは想いましたね。。

そして進んで行くとの在る大字小原の辺りを村役場通過して行きましたね。。

1890年となる明治23年に旧6村の合併により成立した十津川村の2019年時点での人口は、約3200人弱になるかと想われましたが。。

どうも十津川村の過去を調べますと、その前年の1889年8月の十津川大水害では1080ケ所で山崩れが起こり、37の堰止湖が現われたりして168人の方が亡くなり、田畑の27%が埋没したらしく、村落の1/4が壊滅状態になり、約600戸、2500人余りの住民が北海道石狩のトック原野に集団移住して原始林を切り開いて新十津川村を創り上げたと言った凄まじい過去が有ったみたいですね。。

場所は現在の北海道樺戸郡新十津川町となり1957年に現在の新十津川町と名を改めて北海道有数の穀倉地帯に発展したらしいですが。。

現在でも新十津川の町民は十津川村を母村と呼び関係が続いていて、両町村の町の章も同じであり、2011年9月の紀伊半島大水害では義援金や寄付金を立て続けに送ったりと交流は深いみたいですね。。

北海道はこの十津川村だけではなく、多くの天災や戦災により生活の場を奪われた人々の移住者によって開拓されてきたと言う歴史も有り、国は開拓の捨て石としたと言った話も有りますが。。

とりあえず新十津川村の話を聞くとフロンティア精神の究極と言えるドラマチックな印象を持ちまして、当事者の方々はそんな生易しいものじゃなかったのは当然でしょうが、衝撃を受けるところでしたね。。

そして走って行きますと、途中で風屋ダム十津川第一発電所に送水する導水管の下を潜って行きましたね。。

それで濁水の事ですが、熊野川水系の他のダムの前例としましては、旭ダムに関しては上部に瀬戸ダムが在り、500mの高度差を利用して揚水発電とかをしているみたいで、当初の予定より堆砂が進行し濁水長期化現象も起こったので排砂バイパスによる堆砂対策を行ったら堆砂量が激減して濁水長期化がなくなっただとか言う話が聞かれましたね。。

他に池原ダムなんかは貯水池に溜まった濁水を混ぜて放水し、洪水の時以外は表面に貯まった澄んだ水を使って放水したり発電する装置を、ダムの水を一時抜いて取り付けて濁水長期化を防いでるみたいな話ですが、北山川は十津川ほど崩落しやすい地形地質じゃないところもありそうで十津川程の濁水は観られないとか。。

そして熊野川における国や県の管理区間では治水の為の河道掘削に取り組んでいるだとか言う話やら色々ですが。。

しかし何だかこうして色々と熊野川の水域における斜面崩落や濁流の話を聞いて考えますと、その総てが危うく想えまして、太古からの大自然の営みに手を加え続けた事による異変に対して都合良い修正など出来る筈もなく、僕としましてはカタストロフィの予見しか頭に浮かばない気もしましたね。。

それで最近の十津川村では、利水ダムとしては珍しく河川管理者とダム管理者の間で治水協力協定が結ばれたり、2005年には年間52万m3超となる土砂の一部を搬出し、砂利採取協同組合に販売する事で得た収益の一定額を十津川村への協力金として支払う協約書が交わされたりとかが有ったみたいですが。。

利水ダムなんかはそのダムが存在する市町村に国の直轄ダムだと地方交付税は減るらしいですが所在市町村交付金が支払われ、民営とかだと固定資産税をそのダムが所在する市町村に払ったりしているみたいですから、こちらでも減価償却により税収は減っているでしょうが、固定資産税なんかが其れなりに払われて来たんでしょうし、新宮市にしても長く昔からJパワーに沢山のお金を貰っていると言う話が聞かれるところで。。

まあそれは良いとして、Jパワーなんかは小説化/映画化された九頭竜川ダム汚職事件なんかが有名で、こうした事を追及なんてしていられませんが、巨大公共事業やらそれに類似するものの実際の金の動きなんて分かったもんじゃないと想うところでしたね。。

それで水利権の更新やらは30年に1度だと言う事で、風屋ダムなんかの更新は様々な意見や要望が出る中で更新されたみたいですが、2020年には年池原ダムの水利権更新があり、水域となる県市町村で結成された新宮市議会の熊野川濁水治水関連対策特別委員会とかが水利権更新の際の同意書の必要性や、 二津野ダムの治水専用ダムへの転用やら色々と主張したりもしていますが。。

こうしたものに納得する解決策などは有る筈もなく、国策会社の方が必要だと言うのなら存続し続けるものかと想われますが、観光産業なんかの国際化が激しい現在、この先悪化の一途を辿るなら何か有るかも知れないと、気にはしていこうと想いましたね。。

走りながら何気なくの方を眺めますと、合流十津川する支流なんかは連なる砂防堰堤に堆積した土砂がガチガチに成っていまして、熊野川の問題を浮き彫りにしているなと想ったものでしたが。。

今になって調べますと、こちらは正に2011年の紀伊半島大水害において大規模な山腹崩壊を起こした赤谷川を支流に抱える川原桶川と十津川との合流地点だったみたいですね。。

それで最後に熊野川の濁水長期化の問題を考えますと。。

そもそも濁水長期化の原因となる斜面崩壊や土砂崩れの類いは、戦後に国策として木材需要の増加を見越してスギやヒノキの針葉樹を植林しまくったら必要なくなり、こちらの斜面にも見られたように間伐されないで放置されたりした人工林が国土の約67%を占める森林の内の約40%に存在する為らしいと。。

そうした事でこの問題はダム建設だけの問題ではなくて様々な複合的要因が有るのかと想いますが。。

十津川において二津野ダムまでの上流部はブナ林等を主とする天然広葉樹林およびスギなどの植林が植生となっているらしいですが、奈良県と和歌山県の人工林率は60%を越えているらしく、本来なら伐ってはいけない原生的な照葉樹を伐採し、植えられる場所は殆んど植え尽くすと言った感じでスギやヒノキを植えてしまった場所がものすごく沢山あるらしいですと。。

それで間伐されない山の木は十分に根を張ることができず斜面が崩れやすくなっているらしいと言った話から。。

森林の中の木の密度が高い為に、上部に密集する葉に遮られて日光が森林の中に入らずに下草なんかが生えず土壌がむき出しとなり、雨水なんかを浸透しにくくさせたりして、本来の森林が持つ保水力を低下させてしまったり、雨粒が木々の上部の葉に溜まるり、重みに耐えられなくなった葉から大きくなった雨粒が落下し、地表に与える衝撃が強くなるだとか言った話が聞かれましたが。。

どうもカシ、ナラ、クヌギ、シイといった日本の中低山に元々生えているような雑木林では、落葉が堆積して腐葉土が創られ永く山肌に堆積し保水力を持ったスポンジ状の地面になり雨水なんかは最小限に抑えられ、河川が氾濫する事は滅多に無いと言われているみたいで、それに対してスギやヒノキと言った針葉樹は葉に油分が多く含まれているため、落葉しても腐葉土にはなりませんが、場所によっては地形や落葉下の土質の関係から針葉樹林も広葉樹林も保水力にほとんど差がない場合も有るらしいと。。

しかしスギやヒノキの植えられた人工林の山では腐葉土やら下草や根やらが雨水を保水することができませんから、降り注いだ雨はそのままダイレクトに川に流れ出ることに成るらしく。。

それでスギやヒノキの人工林の面積が大きくなればなるほど川に流れ込む雨水は多くなり、川が氾濫するリスクは高くなると言う事らしいですかね。。

他にもそ植林化による鹿の大量繁殖による森林の保水力低下、生態系破壊、農作物被害と言ったところから、ダムによる影響も含めたアユなんかの魚類の激減、河口付近でのシラス漁の不漁や海岸線後退などの海への影響やら様々な問題が考えられそうで。。

更には土砂の流れ込みによる天然ダムの形成なんかも問題となり、こちらではその水抜やら浸食を抑える事が必須であり、洪水や土砂堆積を少しでも防ぐ為にも水路護岸や砂防堰堤を多数造り続ける感じだと言ったところみたいでしたが。。

それでダムとなりますと、基礎地盤から堤頂までのさが15m以上のものをダムと定義しているらしく正確には把握出来ませんが、日本には現在約3000基余りのダムが有り、他に砂防堰堤は約6万2000基余り有るらしいく、もう日本はダムやら堰堤だらけだなと想ったところでしたね。。

それで十津川水系は地質が悪く十津川大水害の影響も残り昔から濁水は流れたらしいですが、ダムが無い頃はすぐに元の清流に戻ったらしく、濁水長期化はダムが原因であり、ダムが無くならない限り濁水は永遠に続くって話やら、自然林のままだったら大雨が降っても土砂崩れなんかはそうそう起きないだとかの話も聞かれますが、どちらにしろもうこうなってしまった以上もとの自然の清流が完全に戻る事は無いと言った感じでして。。

しかしよくよく考えますと、こちらは太平洋ベルトにおける4大工業地帯の2地帯である中京工業地帯と阪神工業地帯の間にある日本最大の半島であり、そちらに送電するには全くもって都合の良い場所であったんだと想いましたね。。

それで更に想えば福島県や茨城県辺りから西の本州沿岸部において自然的な景観って伊豆半島と紀伊半島と言った半島の先の方しか残って無いのかとも想い愕然とするところでしたが。。

日本の電力供給体制は1950年代後半から総発電電力量の約8割を占めた水力発電から石炭から石油に燃料が転換し技術の進歩も著しい火力発電へと移行して行きましたが、この地に原発が造られなかっただけまだ良かったと言ったところかとも想うところも有りまして。。

どうも深層崩壊だとか表層崩壊だとか言った言葉や表現も曖昧らしく、大規模な防止工事なんかもゼネコンに仕事を与えるだけの確りと的を得たものでは無いとするような話も聞かれますので、行く末を憂いたくなるところで。。

地球温暖化に付随する豪雨の問題やらは更に広義における問題となり、この濁水長期化においてどこまでの要因になっているかは判断出来ませんが。。

約46億年前に誕生した地球の自然環境を一瞬で激変させた現代社会の在り方には、専門家や識者が大丈夫だと言った結果が的外れであるように、いずれ人間には到底抗い切れない不幸な結末が待っているのではないかと不安に駆られるところでしたね。。

そんなんで十津川沿いの国道168号線を進んで行きましたが。。

もう少しで風屋ダムに着くかと言ったところの超ヘアピンカーヴの処に笹の滝の目立つ立看板が有り林道内原線に右折する事になりましたね。。

何だか新宮市方面から走って来ると、ヘアピンカーヴの先に看板が有るので、おっここか?と急ブレーキをかけると追突事故でもお越しそうな危険なシチュエーションかとも想えたりもしましたが。。

右折する道の反対側には(笹の滝)まで12kmの看板も有り、とりあえず後12kmだと言う事で快適に進んで行きましたね。。

そしてこの辺りからは2009年9月に訪れた時の記憶も残っていたので、久しぶりにまた来たなと言った気持ちにも成りましたね。。

(笹の滝)は十津川の支流の滝川の上流域となる涅槃岳(標高1376m)の西側の標高約500mに落ちる滝だと言う事ですが。。

涅槃岳は奈良県および近畿地方の最高峰である八経ヶ岳(標高1915m)を最高峰にして標高1200m~1900mの急峻な山岳が連なる大峰山脈の南部に位置する山となりまして。。

こちらはまたまた(世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道)に含まれる(大峯奥駈道)がその山脈の尾根を沿うようにして通っているらしいと。。

それでこちらは南北に奈良の吉野山と熊野三山を結ぶ熊野古道の中でも最も険しく極めて過酷な精神修行のルートみたいで、山上ヶ岳(標高1719m)などは現在も一応は女人禁制だとかで印象に残るところでしたが。。

この大峯山脈は東西を先程までダムの件とかで散々話した十津川と北山川に挟まれている感じらしくて、地図を改めて見ますと山脈の反対側には下北山村の100選滝となる(不動七重の滝)が直線距離としてはけっこう近くに落ちているものだなと想いましたね。。

そんなんで滝川沿いだかの林道内原線を走って行きましたね。。

それでどうも十津川村は大別すると7つの地区に分かれているらしく、この辺りは二村区となるみたいですが。。

その中で国道168号線の超ヘアピンカーブから林道内原線に入る辺りは大字風屋花園だったらしく、林道内原線を進んで行く方面は大字滝川となるみたいで、何となく民家や畑が有る道沿いを進んで行きましたね。。

進んで行きますと滝川に架かる赤い鉄筋の橋が観えまして、この辺りが大字滝川の中心なのかと言った感じでしたが。。

そう言えばこちらの林道内原線も前回訪れた後の2011年9月の紀伊半島大水害によって(笹の滝)の手前の大規模な土砂崩れにより長い間通行止めとなり、2015年9月にやっと再開通したと言う事で、何だか変わって無さそうなのに劇的な事が有ったんだなと言う想いでしたね。。

それで赤い鉄筋の橋の処まで来ましたが、(笹の滝)へ向かう林道内原線は橋を渡って行く方面になるみたいですね。。

渡らずに真っ直ぐ進む方面は林道栗平線となり、川も橋の少し上流で滝川と栗平川に分かれる感じで、もちろん林道栗平線は栗平川に沿って進む感じの林道となりますが。。

栗平川のこの先の上流でも大規模な斜面崩落が有り天然ダムなんかが出来て湛水池を創り、それによる土砂災害を防止する工事なんかが今も行われているらしいですね。。

そうなるとこの時は前夜からのけっこうな雨なんかもあって滝川の水も濁り気味に観えましたが、植林なんかによる為に起こった過剰な土砂堆積や濁りの問題は有るのか無いのかと想うところでしたね。。

赤い鉄筋の橋はズバリ橋と言う橋名でして、橋滝川には(笹の滝)までは11kmと言う看板が有りましたが。。

大字滝川は橋を渡った先の方に多めに民家とかが有りまして、石垣沿いを走って行ったりしましたね。。

(笹の滝)までの距離を示す看板は頻繁に有りましたし、滝川橋に有る林道栗平線との分岐以外は迷いそうな分岐は無く、順調に進んで行きましたね。。

そんなんでスイスイと進んで行きまして。。

この林道内原線に関しましては、何だか狭くてカーブも多く厳しい林道だみたいな声も散見されましたが、僕がこの時に走った感想としては別になんて事はない林道と言う感じがしましたね。。

ただガードレールとかが殆んど無いので、その危うさは感じて注意しながら走ったもので、閑散期で対向車がいなかったから良かったところでしたね。。

それでこの辺りでは枝道から対岸に渡った場所の斜面に内原と奥里の集落が在り、滝川には取水堰堤なんかも在り、道沿いには内原の公衆トイレなんかも有ったらしいですが、そうしたものは運転に集中していたのか全く観た記憶が残ってませんでしたね。。

進んで行きますと、奥里集落なんかを過ぎてから(笹の滝)までの残り約7kmとなる林道内原線は特に道幅が狭く森林に覆われた薄暗い道が続くと言う話でしたが。。

やはり僕としましてはガードレールが無い危うさ以外はよく有る林道と言ったくらいのものでしたね。。

しかしこの林道を通りながら想ったところとしましては、広い十津川村には電車も無いと言う事で、この(笹の滝)は公共交通機関を使って訪れるのはかなり厳しいらしいですね。。

それでこちらに公共交通機関で訪れるとなると、方々のメディアで聞いていたところですが、全長166.9㎞となり停留所の数は167くらいの近鉄大和八木駅とJR新宮駅の間を約6時間40分かけて走行する高速道路を使わない路線では日本一の走行距離を誇る路線バスの八木新宮特急バスに乗って、奈良県側なら近鉄大和八木駅かJR五篠駅、和歌山県側からなら新宮駅から長い時間をかけて先ずはこちらに向かうみたいだと。。

そうして乗った後は、バス停の風屋で降りてタクシーで林道内原線などの約13kmを進むか、バス停の風屋花園で降りて村営バスの奥里行きに乗車し、終点の奥里のバス停で降りてから林道内原線を約6km近く歩くかの2択が主になるみたいですが。。

そうなると、こちらのバスで大和八木駅から新宮駅まで乗り切った場合の通常運賃は6190円と成るみたいですが、行き帰りの事を考えた場合こちらには国道168号線を走る為に付いた名前の168バスハイク乗車券と言う2日間有効で途中下車可能の乗車券が5250円で有りますのでこちらを購入して向かう事に成りまして。。

僕のように神奈川県と言うか紀伊半島南部に住んでるとか旅行で周遊しながらの一環とかじゃないならば、普通なら大和八木駅方面から乗って行く事になるかと想い調べますと。。

バスのダイヤは1日3往復となり大和八木駅発の時間は午前9時15分、11時45分、午後13時45分となり、新宮駅発の時間は午前5時53分、7時46分、9時59分となると言う事で。。

とりあえず始発の9時15分の大和八木駅発の八木新宮特急バスに乗ると時刻表では風屋バス停の到着時間は12時49分で、風屋花園のバス停なら12時52分となり、とりあえず3時間34~37分ほど路線バスに乗り、その後にタクシーやら村営バスと歩きやらで(笹の滝)を目指すと言う事に成りますので。。

帰りの事や宿泊するならそこまでの交通の事も考えなくてはいけませんし、確かに厳しい行程と成りそうなところでしたね。。

しかしこちらの路線バスは~(世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道)やら温泉を含めた十津川村のスポットなんかを走り抜けていく味の有る路線として一部で脚光を浴びているらしいと言う事でして。。

僕も何だか魅力を感じて来てしまい乗ってみたいところだと想いましたが、普段の生活からバスは殆んど乗らず、旅行なんかは車で行ける範囲なら時刻表なんかに囚われないマイペースの自家用車の旅が基本でしたので、中々機会が無いところかと想いましたね。。

まあでもこれからは滝にしても何にしても車で行くには遠いと想える場所が多くなるところも有りますし、飛行機や列車、或いはバスに乗っての旅も楽しみたいところで、こちらのバスもいつか乗れたらと想うところでした。。

しかしここら辺りは滝川へ枝沢なんかが幾つか流れ込んでいて、豪雨なんかが有った場合はやっぱり道は危うそうだなと想えたりもしましたね。。

それで今になって航空写真なんかを見ると林道沿いに広範囲に土が露出した場所が有るので、長期の通行止めの原因ともなった土砂崩れはこの場所かとも想いましたが。。

走っている時はあまりそうした事を考えずに気楽に走っていたせいか気付かないところでしたね。。

そんなんでやっとこさ(笹の滝)のゲートが設けられた遊歩道の入口付近に着きましたね。。

もう少し林道の手前のカーブに奥里生活組合が運営しているが殆んど閉まっているであろう笹の滝茶屋が建っていて、そこに約20台分だかの駐車場が有り、そこから(笹の滝)の遊歩道入口まで約100mらしいですが。。

誰もいない様子ですし、それより遊歩道入口に近い公衆トイレの横の膨らんだスペースに車を止めましたね。。

前回訪れた時も確か同じような状況で、同じようにここに車を止めたのを想い出したところで、懐かしくも感じましたね。。

そしてとりあえず林道を(笹の滝)の遊歩道入口に向かいフラフラと歩いて行きましたが。。

入口には幕末の国学者であり歌人である伴林光平の歌碑も建っていまして、この辺りは2009年9月に訪れた時と何ら変わりが無い感じがしましたね。。

それでこちら(笹の滝)は滝川の上流域の滝と言う事ですが、厳密には滝川の支流となる苅安谷が滝川に合流する近くに落ちる滝と言う事なんでしょうね。。

苅安谷は(笹の滝)の上流で二俣に分かれていてローソク滝(落差25m)とかが落ちるホホゴヤ谷とかが在るみたいですが。。

地図なんかを見ますと苅安谷の源流域は涅槃岳やら中八人山と言った感じで、滝川の本流と想われる源流域は釈迦ヶ岳方面にも観えましたけれどね。。

それでその(笹の滝)が落ちる苅安谷の下流に架かるこちら林道内原線の笹之滝橋の上から、苅安谷の下流の流れを眺めたりしましたが。。

これは2009年9月に訪れた時の写真で有りまして、パターン化した行動を取るのか、前回も今回も同じような順序で(笹の滝)を訪れているなと想いましたね。。

天気も降ったり止んだりするその時と同じ様な天気でしたが。。

こちらの滝を訪れた方々の中でもけっこうな方々が観ている三条に分かれて深い釜に落ちている渓流瀑の一環の様な滝ってこの笹之滝橋の直ぐ下流の事だったらしいですかね。。

僕は訪れた時に勘違いして遊歩道沿いに観られるのかと想って探しても無かったので観るのを諦めたんですが、今になって調べますと林道沿いからとか観る滝だったらしくて観れなくて残念でしたが。。

場所が判明しましたし、深い釜は観たんだからと何だか妙に納得しまして、今になって満足してしまいましたね。。

それでこの時も過去もやはり同じく上流の方を眺めたりしまして、とりあえずこの辺りは滝川渓谷とも呼ばれるみたいですが。。

この苅安谷はオレンジ色がかった独特の岩が特徴だと言う事で、淵や釜なんかはやたらと緑色がかっていて、川筋と言った部分はやたらとオレンジ色で、その他の岩石や流れは白色と言った感じで、何だか妙に明るくて水量が多めで勢いの有る渓谷だなとは想いましたね。。

そんなんで暫く笹之滝橋からの苅安谷の流れを眺めてから遊歩道に進みましたね。。

そんなんで遊歩道を歩いて行く事にしましたが。。

まあこちらは滝までの道は中々変化に飛んではいますが、滝まで5分か10分足らずで着くと言う事で、大して滝に興味が無くてめんどくさがりな連れも余裕で誘って楽な気持ちで進んで行きましたね。。

とりあえずゲートを潜った最初は先があまり観えない軽い石段を登って行く感じですが、この辺りから先は完全に以前訪れた時の事を覚えていまして其れなりに良い滝だなとは想っていたので、また訪れられて良かったなと言う気持ちではいましたね。。

それでこちらの遊歩道みたいなのは、入口から滝下のエリアと言った場所までずっと苅安谷の左岸を進んで行きますが。。

石段を登って進んで行きますと、先ずは鬱蒼とした森林が広がる感じですかね。。

それでこちらの遊歩道みたいなのは短いと言う事ですが。。

この短いルートは偶然にも印象が深いルートに成っているみたいで、僕としましてはその最初のエリアがこの森林エリアとなると言った感じがしましたね。。

こちらでは基本的に苅安谷から離れた向かって右に屹立する岩壁沿い辺りに踏み跡が有る感じで、そこを中心に進んで行きましたが。。

先ずは浸食の為か下部の抉れが特徴的なこの岩壁がやたらと印象に残りましたね。。

この岩壁は苅安谷の河岸段丘の段丘崖なのかと想いましたが、存在感の有るところでしたね。。

森林の方は緩やかな斜面と成りまして、地表を伝う木の根がこれまたやたらと目立つ苔むした岩やらが点在する薄暗い雰囲気の味の有る場所と言ったところでしたが。。

この剥き出しの木の根なんかは、降雨量の多い地域ですし、雨後の地表流なんかによって水が流れる事による表面浸食が顕著なのと、後は踏み跡なんかによってそうなっているのかなと想ったりしましたね。。

水の流れが起きれば必ずや土や石も流れるってものらしいですが。。

こちらは原生林だと言う事で、こうした状態の森林なら土砂崩れなんかは起こり難いのかとも想いましたね。。

まあでもここはそんなに傾斜が無いので有るとしたら渓谷の周囲の崖の崩落とかに成るのかも知れませんが。。

台風やら豪雨が起きた時なんかは苅安谷の水流が溢れてこっちにも少し流れ込んだりする事が有るのかも知れないとも想える場所ではありましたね。。

ここで前回訪れた時の写真なんかを観てみましたが、そんな細かく観てないせいも有るのか分かりませんが、僕には何だか全く変わり無い様には観えましたね。。

林道やら熊野川やらは台風とかで甚大な被害を受けたと言う事でしたが、この辺りは特別に変わりは無かったのかと想うところで、上流部だし人工化の少なさも強味かなんて考えちゃったりしましたね。。

まあでも堆積やら濁りなんてのは下流方面に厳しいところでしょうがね。。

それでこれも前回訪れた2009年9月の写真ですが。。

初秋と言えるこの時の方が熟しきっていたのか緑は濃かった気がしましたね。。

今回は2019年4月と言う事で新緑には少し早かったのかと言ったところで、天気も訪れた時間には曇りでしたしね。。

まあ前回訪れた時も天気は微妙だったのですが、ちょうど訪れた時間には晴れ間が広がって景色は明るい感じでして、今回の方がどちらかと言うと暗い感じがしたところでした。。

それで遊歩道は短いと言う事で、この森林エリアってのも歩くのはせいぜい数10mと言ったところですが、ここでは苅安谷の流れが観えないのでどうなっているのかと少し樹木を掻き分ける様に向かってみますと、林道の少し上流に出ましたね。。

まあ先程に笹乃滝橋の上から眺めた景色の場所に出たって感じでしたが。。

この辺りは花崗岩の地質でと言う事で、やはり白い花崗岩の巨石が堆積していて、深い淵とかの辺りは緑色で、浅い部分やら水流に触れている岩石の部分はオレンジ色でと言ったところで、水は豊富に溢れている様な感じでしたね。。

ここでまた上流方面を眺めますと、落差の少ない小滝が釜を創って続いている様な感じに観えるところでした。。

しかしここの渓流は白い花崗岩と言うのもありますが、その花崗岩が水流によって変色したように観受けられるオレンジ色が効いていて、渓相はやたらと明るい印象が有るなとは想いましたね。。

そんなんで鬱蒼とした森林を抜けて進んで行きますと、ここでこちらの遊歩道の基本ルートとしては最初に苅安谷の岸辺に立つ感じに成るのかと想われましたが。。

ここが(笹の滝)直下の渓流瀑と呼ばれるこの滝を人気の有る滝にしている最大の要因となる存在の流域の一角なのかと想ったところでしたね。。

しかしここでは上流方面は点在する巨石の1つに遮られて観難いところで、下流方面に流れていく苅安谷が観られると言った感じで。。

渓流瀑は下流で緩く左にカーブしていき、この渓流瀑はいったい何処までの事を言うのかと言うのは非常に難しいと想えるところで、観方によっては林道の笹乃滝橋を越えた先までずっと続いているとも言えますが。。

考えれば明確な直瀑の下に渓流瀑と呼べるような流路形状が存在し、明るく開けた空間を流れているなんて、何とも都合のいい創りをしているなと想ったところでしたね。。

*写真は2009年9月時

そんなんでやたらと観栄えのいい(笹の滝)の下流の流れと成り、ここはこの遊歩道においてその出合いとも言える重要な場所にも想えましたが。。

しかしここでは前述の上流方面の景観を遮る巨石が、この場所において渓流との出合いを上回るような存在として鎮座している事に成りますかね。。

要はこれまた都合よく、この渓流において平常時の河床に対してギリギリの境となる岩床の高水敷と言えるような位置に鎮座しているこの巨石には、人1人屈んで通り抜けられる天然のトンネルみたいな空間が開けていまして、ここを潜り抜けて滝へと向かうルートと成り、これがまたともすれば淡泊に成りがちな短い遊歩道の道程において冒険心を煽る大きな効果を発揮していると。。

そんなんでこの天然トンネルの下流側の入口にはちょっとした手摺付きのコンクリート舗装が施して有るので、訪れたらここを通って行くんだと分かるところかと想いますが。。

これまた何とも都合よいものがこの滝のルートには在るんだなとつくづく想いましたね。。

*写真は2009年9月時

それでこのトンネルを連れの友人なんかはさっさと進んで行きましたが。。

以前訪れた時と変わらずに巨石に設置してある(この辺りの岩は滑って危険だから登らないで下さい)と言った主旨の看板通りにトンネルの回りなんかは湿ってやたらと滑るので、設置されている鎖に掴まりながら慎重に進みましたね。。

まあトンネルは短いものですぐに潜り抜けられましたが、滝への遊歩道に短い洞窟なんかが在って妙味に成っていたなと想える滝と言えば、青森県の白神山地の(暗門の滝)や僕の住居に近い八王子市の(金剛の滝)なんかを想い浮かべましたが、花崗岩と考えれば愛知県豊田市の岩戸山に珍スポット扱いとして存在した(風天洞)なんかの胎内巡りなんかを想い浮かべたところでした。。

しかしこのトンネルの入口辺りを2009年の写真と比べてみますと、コンクリート舗装の部分なんかは浸食したような岩が張り付く様に覆っていてかなり違っているので、変化が著しいなと想えましたね。。

トンネルを抜けると一枚岩に水が流れる河床の外側となる高水敷言った岩場を遡上して行く感じに成りまして、増水時には岩のトンネルからこの辺りの岩場から何から通れるものではないだろうとは想えましたね。。

岩のトンネルは入口側は苔に覆われていましたが、出口側には生えておらず白い花崗岩の巨石と言った感じでして、こちら側は苔の自生環境には適していなかったんだろうと想いました。。

それでここからは先に落ちる直瀑の(笹の滝)がよく観える様に成りましたが、ここは何だか渓流瀑を堪能するエリアと言った感じがしましたが。。

その歩行する岩場の河谷と言った部分も水が流れる河床も微妙に入り組んだ地形になっていると言ったところですが、まあ渓谷なんだからそりゃそうでしょうね。。

花崗岩はマグマがゆっくりと冷えて固って創られた岩石であり、融点の異なる様々な同じような大きさの鉱物から構成されていて、融点の異なるそれぞれの鉱物が十分な結晶の形を成して結合し固体化しているので、それぞれの熱膨張率の違いなどから温度差によって風化しやすく脆いらしく、雨や風や水流と言った物理的な衝撃による表面の構造変化が起こりやすいらしいと。。

それでこちらの一枚岩を清流が流れ落ちていくスラブ滝みたいに観えるような岩場には甌穴とかも在ったみたいですし、花崗岩によく観られるポケットやら浸食による滑らかさやらと言った、河床変動による様々な地形が観られるのかと想ったりしましたが。。

しかしここの地形ではそこまで危険だと想える高度差や深さなんかを感じる事は無かったので、終始穏やかさや爽やかさを持って落ち着いて渓流を眺められたところでしたね。。

まあ上流域の滝ですし、例えば同じ100選滝の群馬県沼田市の(吹割の滝)の様な間違って滑って流れに落ちたら死ぬと言った様な雰囲気は僕には感じなかったと想うところでした。。

そして色々とこちらを訪れた方々の話なんかを拝見しますと、岩のトンネルを越えたこのエリア辺りから渓流瀑と主瀑をセットで観たり写真を撮ったりするのがこの(笹の滝)のベストアングルみたいなのかと想いまして、僕も渓流と主瀑をセットで写真に納めたりしましたが。。

まあ僕はそんなに写真の出来映えに拘りは無いので、何となくパシャパシャと何枚か撮った感じで終わりましたが、タイトル画なんかはやはり流れに乗ってこの辺りからの渓流と主瀑のセットの写真を採用する事にはしましたね。。

そんなんで暫くこちらの渓流を眺めたりしていましたが。。

何だかこの滝にしてもそうでしたが、紀伊半島南部の滝なんかは歩く距離が短い滝にしても秘境感を少しは感じれるところが有るかなと想ったりしまして。。

それはやはり急峻で山深く人口密度の低いこの地の雰囲気がそう想わせるのか、それとも住まいから其れなりの遠隔の地で山間部の車道をかなり運転して来た先に在る滝だったからそう想わせるのかと自問しましたが、おそらくその両方だと言う事で。。

ここで考えましたのは、辿り着くのに困難な滝とはそこに辿り着くまでの交通手段を含めた事を言うのか、それともその滝へ向かうにあたり歩き始めた地点からの事を言うのかと言った事で、これは住む場所によって人其々になりますが、僕としましては時間や費用も含めた交通手段を含めた困難さの方が気掛かりだと想うところも有りまして。。

そう考えますと、この紀伊半島の滝々なんかは京阪神都市圏や中京都市圏の方々はまだ訪れやすい方で良いなとか想ったりもしましたが、まだ関東都市圏の僕もましな方で、日本列島の端の方やらこうした半島の先やら離島やらに住む人が、何々100選とかの類いを巡ろうとかしましたら大変な労力が掛かるんだろうと想像したりしまして、染々と渓流を眺めたものでしたね。。

そしてこの渓流観賞エリアと言える様な場所の先には、滝前に堆積する巨石群の狭間にこれまた上手いことステンレス性の階段みたいなのが設置されていまして、これで主瀑の直下へと向かう感じに成りますね。。

向かって左の巨石なんかはここに転がる巨石では最も大きかった感じがしましたが、つくづく短いながらも渓谷の醍醐味を味わえる都合良いルートだなと想ったものでしたね。。

それでこの巨大で動かなな滝前の巨石なんかはそう、2009年からこの2019年の間に動いたりはしているのかと、なんとか残っている2009年に撮った写真と比較してみましたが。。

巨石の配列なんかはそんなに変わりが無さそうには観えましたね。。

まあ浸食やら崩落やらで何時かは変わり失くなって行くものでしょうが、とりあえず近年の豪雨なんかでも変わらない強固なものなんだなと想うところでしたね。。

それで階段を登り最後に滝の直下と言えるエリアに辿り着きまして、とりあえず久し振りに(笹の滝)を間近で観た感じに成りましたが。。

何だか記憶以上に遊歩道の入口からここまでが近かったですね。。

渓流瀑の横を通るルートももう少し長かった様な気がしていましたが短いものであっという間にここまで着いたと想えました。。

調べますとどうも遊歩道の入口となるゲートからここまでは100mと少し位しかないような話なので近いものなんでしょうが。。

まあそれだけこの渓流を伴う滝の印象は強かったのかと想いまして、滝も記憶よりは小さい印象がしましたが、前方に勢い良く落ちる滝はなかなか爽快でやはり明るい渓相に溢れていて、良い滝だなとは想いましたね。。

そんなんで以前訪れた時から10年も経ったのかとやはり染々と想いを巡らせながら滝を観たものでしたね。。

そして下方を眺めると、やはり開放的で明るい渓流瀑が続いて行く眺めが観てとれたと言う事で。。

何故にこの滝は印象が強い良い滝に観えるのかと僕なりに考えましたが。。

もちろんこの主瀑の下流の渓流瀑が効いてるのは当然ですが、滝なんてのは渋い雰囲気のものが多いものですが、特に紀伊半島の滝なんてのは深山幽谷の趣となる厳かさなんかが加味されたそうした雰囲気の滝が多いと想う中で、この滝とその下流の渓流瀑を伴う渓相は、やはりまるでこの地域において紅一点と言ったような明るく開放的な雰囲気に満ちていて、周りの渋さがあるぶん余計にその明るさが目立つからかと想ったところです。。

そうした事でそれに関連しまして、この巨瀑や名瀑がひしめく紀伊半島において選ばれた9滝在る100選滝(赤目四十八滝は除外)の中で、暗いと言うか渋い(桑ノ木の滝)と明るい(笹の滝)とが陰と陽と言う感じで対となり、この地域の有名な小中規模の良滝のとして印象に残っていると言うところですね。。

そんな事で階段を登った滝直下と言うか主瀑直下のエリアで暫く(笹の滝)を眺めていまして、連れの友人なんかもけっこう気に入ったみたいで記念写真なんかを悦んで撮っていましたが。。

ここからではまたまた転がる巨石が邪魔をして滝壺を伴う正に滝の直下の景観がしっかりと観えなかったりする感じですかね。。

それで主瀑付近は落石が有る為に公式には立入禁止だとかの話ですが、そうは言ってもこの状況は建前上そうなっているだけで、勝手に自己責任で観るなりしてくれと言う状況なのは明白かと想うところでして。。

そんなんでその滝直下前に転がる巨石とかには鎖なんかが設置されていますが、これは立入禁止の印としての意味合いと、滝直下へ向かう場合の補助としての意味合いの両面が有ると言う憎い演出がされているなと深読みしたりしてしまいましたね。。

それで前回はもちろん滝壺周りまで行きましたし、今回も何となく行っとこうかと想いまして、向かって右となる左岸の板状っぽくなっている岩場から鎖を頼りに近付いて行ったのですが。。

ここって確かに言われているようにやたらと滑るんですよね。。

それで今回は写真が少なかった林道やら遊歩道の写真を撮る事を主としての再訪でしたし、革靴履いての普段着だしと言う事で、気持ちも緩く成っていて軽く覗き見しただけに留まってしまいましたね。。

それでここからは軽く前回訪れた2009年9月の話になりますが。。

この時も、ここは歩いてすぐに観れる滝だと言う事で普段着のまま向かいましたが、滑りやすい岩場と言う話は聞いていたので、せめてと言う感じで運動靴みたいなのは履いたりして向かったんですよね。。

それで今回と変わらずに鎖が付いている巨石なんかを越えて向かおうとした訳です。。

そうしましたらこの時もやっぱりやたらと滑ってこりゃ堪らないと言う事でしたが。。

この時は水量が今回より少なめだったのもありまして、主瀑の正面辺りの河床に点在する乾いた感じの滑らなそうな岩を伝って滝壺を拝みに向かったんですよね。。

そうして拝んだ(笹の滝)の滝壺は、やたらと深そうで碧々としていたものでしたね。。

まあ滝の下流は一枚岩みたいなのを流れ落ちる渓流瀑なんですから、その主瀑直下のその岩の部分は強烈に落下する水に打たれ続けて深く抉れて行くのかと想ったりしましたが。。

この滝壺の色だけはやたらと明るいこちらの渓相の中で禍々しくも観えたのを覚えているところですね。。

そしてここでまた2019年4月に訪れた今回の話に戻りまして。。

今回は(笹の滝)を10年前に訪れた時の事なんかを想いだしたりしながら眺めたりして遊歩道を引き返して行ったと言うところでしたが。。

そんなんで考えますと、こちらの遊歩道は、先ずはゲートを潜った先の鬱蒼とした森林エリア、次に岩のトンネルを潜った先の渓流観賞エリア、そして巨石に架けられた階段を登った先の主瀑直下エリア、と3つのエリアで構成された何とも短いのに恐ろしく都合良くできた距離に対しての密度の濃い遊歩道だとは想いながら引き返しましたね。。

それでまた帰りに人気の渓流瀑を眺めたりしましたが。。

想えば僕はずっと何故にこの渓流はこんなにオレンジがかっているのかと漠然と疑問に想っていて、この色は温泉成分か或いは昔は密かにこの上流に鉱山か何かが有って、その鉱山跡の有毒水でも流れてるのかとか想ったりして、今回も泊まった(民宿 松乃家)のおばちゃんにもそんな事を聞いてしまい、そんな話は知らないと言われたりしてしまいましたが。。

せっかくだからここで冷静に調べて考えてみますと。。

花崗岩が創られる上でマグマが冷えて固まる際に、その中に微量に含まれていた金属成分なんかが,水蒸気や熱水と言った水分と共にマグマから分離して濃集するらしいと。。

それでそうした金属成分が周囲の岩石や花崗岩自身の割れ目に入り込み,その熱水やガスによって結晶化して金属鉱脈なんかが出来上がると言う事でみたいで。。

それを考えますと、この渓流のオレンジ色に観える岩石の色は花崗岩が持っていた鉄分なんかが水流なんかによって染み出したりしてそうなっているんだなと、とりあえず解釈しておいたところでして。。

実際どうだかは分からないですが、滝壺周りを筆頭にやたらと過剰に滑りやすい岩場もそうした何らかの成分が付着した結果だと想えたりもするところでしたね。。

それでこの時は滝やら渓流ばかりを気にして他はろくに記憶も写真も残っていないのですが、歩きながら右岸なんかを観ますと、樹木に覆われ気味ながらも処々オーバーハングしている様な絶壁が観えまして、明るく開けた渓流だけれどけっこうな谷間なんだろうとも想ったりしまして。。

よく分かりませんが、この辺りの崖やらには花崗岩であるが故の方状節理に因んだ岩石の形状も観られるような気がしてならないところでしたが。。

まあ本当に短いながらも色々と観処に溢れた遊歩道ではありましたね。。

そんな事で、こちら(笹の滝)とかを含めた滝川渓谷の水は、奈良県内で少しづつ増えているみたいで数がいまいち定まりませんでしたが、たぶん2019年となる現在は41ケ所が選定されている(やまとの水)の一つに選ばれているだとか。。

十津川村では村内の本流なんかを除く各支流に約27万匹前後となる大量のアマゴの稚魚が毎年放流されたりする釣りでも人気のエリアとなるらしく、やはり2011年9月の水害で重里地区に有る養殖施設なんかも被害を受けたみたいですが、施設もその後に復旧してと言う事で、人為的な面も探せば色々と有るんでしょうが、こちらでは清らかな水が保たれていたんでしょうね。。

下流の熊野川は濁流長期化の問題とかでアユやら
魚なんかが減ったと言う話も聞かれて気になるところでしたが、上流域ほど自然が守られるのは常と成りますから、そんなんでこうして残っている清流なんかはこれ以上荒らされる事が無いようにと言ったところで、また岩のトンネルを潜って渓流を後にしたところでしたね。。

そしてまた鬱蒼とした森林を抜けて入口のゲートに戻って来ましたが、何だかやはり記憶していた以上に歩く距離が短かったせいか呆気ない感じはしましたね。。

まあでもこの滝はもう一度訪れてみたいと想えるところも有ったので、とりあえずまた訪れられて満足したところでした。。

しかしこのゲートの先の森林と言うのも、明るい渓相の渓流を含めた(笹の滝)との明と暗と言ったコントラストを演出しているようで、最後までつくづく短い距離に対して都合よく出来た遊歩道だなと想いましたね。。

ここで最後にまたに訪れた時の同じゲート2009年9月付近の写真を載せて比べてみましたが、何だかゲートの色が褪せたくらいで、そんなに変わりは無さそうに観えましたね。。

しかし改めて記憶を振り返ってみますと、今回にしても前回にしても(笹の滝)の遊歩道近くに車を駐車してから帰る迄の滞在時間はだいたい1時間ほどだったと想いますが。。

けっきょくこの地では他に駐車する車も一切見なかったですし、誰1人として人に会う事は無かったですね。。

まあ僕は平日の閑散期に出掛ける事が殆んどなのでこれもよく有るパターンなのですが、こちらの滝は紅葉なんかも素晴らしいみたいですし、繁忙期には其れなりに沢山の方々が訪れる滝みたいだと言う事で、極めて静かにこの滝を眺められたのはこれはこれで良かったとも想うところでしたね。。

そして車に戻って林道を引き返して行きましたが。。

そう言えばこちらの林道をここから更に1km余り進むと(不動滝) なる岩穴から落ちる様な落差15mだかの滝も在り観処だったみたいで事前に調べて知ってはいたのですが。。

現地に着いたら久し振りの(笹の滝)の事しか頭になくなってしまい、すっかり忘れて帰ってしまいまして観に行くのを忘れましたね。。

まあこの辺もいつもの事でして、この地では(笹の滝)だけを訪れたと言う事に成ったところでした。。

まあそれでこの時は、林道を12km引き返して国道168号線に戻りまして、ちょうど林道内原線の入口を中間点にするように国道168号線を五條市方面に12km強ほど進んだ辺りに在ります、中野村区の大字上野地と大字谷瀬を結ぶように観える、日本最長の生活用鉄線であるらしい(谷瀬の吊り橋)に向かいましたね。。

まあ今回は(笹の滝)を中心に十津川村の観光をしようと言う事でこちらに訪れた中で、どうも十津川村の観光におきまして最も名の上がる観光スポットみたいな感じがこの吊り橋にはしていましたし、帰宅ルートとして今度は国道168号線を五條市方面に走り、その先で馴染みの名阪国道に乗って神奈川方面に帰ろうと言ったところでしたからね。。

それで国道168号線から1998年に開通した上野地トンネルの旧道となるような大字上野地の集落内を通る道に逸れたらすぐに(谷瀬の吊り橋)に着いた感じでして、とりあえず目についた2時間500円だかの村営上野地駐車場に車をちゃんと駐車させて貰いまして、朝からろくに食べていなかったので吊り橋の隣に建つ(喫茶 たにせ)で昼食をとらせて貰いましたね。。

こちらでは吊り橋を観渡せるカウンター席が有りましたので、そこから吊り橋を眺めながらうどんを注文して食べさせて貰いましたが、カメラの充電が切れかけだったので、店のコンセントから充電させて貰いまして感謝するところでしたね。。

それでうどんを食べた後はとりあえず(谷瀬の吊り橋)を渡り往復して帰ろうと言う事で、先ずは店を出まして吊り橋を挟んで反対側の元駐車場を利用したような(日本一 谷瀬の吊り橋)と言った看板が建つ記念撮影ポイントの様な場所から吊り橋を眺めたりしましたね。。

(谷瀬の吊り橋)は1954年に架設された長さ297.7m、高さ54mの無補剛吊橋でありまして、とりあえず現在でも生活用の鉄線吊り橋としては日本最長だとか言う話らしいですが。。

とりあえずこの辺りはその吊り橋を中心に数件の飲食店や土産屋が並ぶ様な小ぢんまりとした観光スポットと言った感じがしましたね。。

そしてこの時はさっさと吊り橋を渡って行ったものでして、すぐに吊り橋の反対側となる大字谷瀬のたもとに着いてしまった感じでしたが。。

想い返しますと今まで方々へ出掛ける中で巨大な吊り橋の観光スポットも観かける事が度々有ったなとは想いましたね。。

僕がパッと想い浮かべるのは茨城県常陸太田市の竜神峡に架かる1994年に完成した100m、長さ375mの竜神大吊橋や、群馬県多野郡上野村の1998年に完成した長さ225m高さ90m上野スカイブリッジなんかでしたが。。

どうも僕には吊り橋と言うのはいずれも主目的のスポットに訪れた序でに時間が有れば訪れると言った感じで、そこまで関心を持ってはいなかったんですが、こうして考えますと橋って言うのも立派な観光における1ジャンルだと改めて想ったところでしたね。。

吊り橋の反対岸に着きますと、茶屋が有る簡素な場所と言った感じでして、吊り橋の少し上流の谷瀬橋を渡ればこちら側に小さめの無料駐車場も有ったみたいだと言ったところでしたが。。

こちらには近年に村民の方達がDIYで創ったような(ゆっくり散歩道)が有りまして、ここから1.6km歩いた先に(谷瀬の吊り橋)を観渡せる展望台が有るらしかったですね。。

何だか何処へ行っても観ようと想えば観処って言うのは幾らでも有るもんだなと想ったりしましたが、こちらは元々軽く立ち寄ったと言った場所なので吊り橋を往復するだけで引き返させて貰いましたね。。

しかし吊り橋って言うのは現在も観光振興の為にけっこう創られているみたいで、こちら(谷瀬の吊り橋)は歩行者専用の吊り橋として長さが日本1だったみたいですが。。

その後に高さは21mしか有りませんが長さが315m有る神奈川県愛甲郡清川村の宮ヶ瀬湖に架かる(水の郷大吊り橋)が1995年に開通したり。。

更にその後には前述の(竜神大吊橋)が1994年に開通してその座を譲り。。

更にこれまた高さは26.2mしか有りませんが長さが320m有る栃木県那須塩原市の塩原渓谷に架かる(もみじ谷大吊橋)が1999年に開通し。。

更に2006年には大分県玖珠郡九重町の鳴子川渓谷に架かる長さ390m高さ173mの(九重夢大吊橋)が開通してそれを更新し。。

更には2015年に静岡県三島市に長さ400m高さ70.6mとなる三島スカイウォークが開通しその座を奪うと言った感じでこうした巨大な橋は創られていっているみたいですが。。

調べさせて頂く過程で、日本1と言う称号はまあ目くじらを立てる程のものでは無くて何処でも好きなようにすれば良い事かと想っていますが。。

この十津川村が永遠に訴えたいであろうカテゴリーの無い日本1と言う称号とは、この吊り橋は生活用の鉄線吊り橋であり、観光目的で創られたような物ではなくて、この地の人達が生活を営なんでいく為に創られた村の歴史そのものの本物の橋として日本1なんだと言う事なんだと。。

そんな事でこの橋は、洪水の度に流される橋を何とかせねばならないと、この地域の方達が当時の額で国民の平均年収を上回るような20万円~30万円と言う金を出し合って総工費約800万円と言う金を掛けて創った正に十津川村の象徴と成りえる橋であり、現在も地元の人達は橋は生活に欠かせない橋として通学や配達やら生活の為にこの吊り橋を渡り、今回僕は見なかったですが地元の人達は特権としてこの吊り橋を自転車やバイクで通る事が出来るらしいと言う事で。。

観光振興の目的で意図的に創られたと言ったような巨大な吊り橋よりもこちらの方が遥かに訪れる価値が有るんだろうとは想いましたが。。

それとは別の考えとしまして、僕の感覚からしますとこうした吊り橋ってある程度の大きさが有ればそんなに大きさの違いって分からなくて感覚的に同じような感じで、まああとは景観とかを楽しむものなんだろうと想いましたが、何だかんだで渡っている時は橋の事に意識がいっているのか景観の記憶が不鮮明でやはり僕には何とも言えないところでしたね。。

それでこうした高所をか細く渡る吊り橋って言うのは揺れたりもしてスリル満点みたいで、こちらの吊り橋なんかの場合は古い創りですから中央部に幅約80cmの板と3cmおきに置かれている横木が鉄線で繋がっているだけだと言う事で怖さを煽るような話ですが。。

僕としては逆にこうして観光化された橋と言うのは事故を起こす訳にはいかず確りと整備されてはいる筈だと言う考えが働いてそうした気持ちは湧かないところでしたね。。

それなら先程訪れた(野猿)の方が自分の体調を含めた何かアクシデントはないかと言った不安が付きまといそれを感じるところでした。。

しかし十津川村は日本一吊り橋が多い村と言った面も有るらしく、村内には60以上の吊り橋が架かり、合わせて大小170もの橋が架けられていると言った話で。。

2012年の中央自動車道の笹子トンネルで天井板が崩落して多数の死者を出した大事故などから近年は国や自治体が老朽化の進む全国の橋やトンネルと言ったインフラの一斉点検を実施したりしたらしく、そうした中で十津川村も過疎地域となりますから財政上の問題で橋の工事などに充てられるのは1億円程度だと言う事で、直したくても直せないところも有ると言う事でして。。

そうした橋やトンネルを危険性の程度に応じて4段階に区分すると、壊れる可能性が高く緊急に措置が必要なレベル4かそれに準ずるような橋が十津川村には80橋くらい在るらしく、真に怖い橋って言うのはこうした橋なんだなと想ったところで、創ったのはいいですが、後々の維持が問題になってくもんだとは想いましたね。。

まあそんなところですが、改めて過去に訪れた観光化された吊り橋を振り返りますと、徳島県三好市に在る(祖谷のかずら橋)とかの方が高さ14m長さ45mとサイズは小さいですが、さな木と呼ばれる丸太や割木を荒く編んだスカスカな床面だけに怖さは有ったかなと想ったり。。

更に非観光化と言うならば訪れた事は無かったですが、吊り橋王国の静岡県において寸又峡上流の逆河内川に架けられていた長さ144m、高さ83mの林業作業用の吊り橋となる(無想吊橋)みたいなのは正に恐怖そのものであり、渡りたくはないと言った感じで。。

こうして吊り橋の事を考えるのも楽しいものだなと想ったりするところでして、こちら(谷瀬の吊り橋)は1度に20人以上は渡れたいと言う事なのに明らかに人数がオーバーしている事も有るらしいですが、安心してまったりと橋を渡ったところでしたね。。

まあそれで最後には吊り橋の中央辺りから十津川の眺めなんかを観たりして帰りましたが。。

細い川床に対して広い川原と言ったところで、白い花崗岩は綺麗に観えて特だなと想ったところですが。。

こちらの吊り橋の建設当初は橋の高さが70mだかあったらしいですが、土砂の堆積なんかで現在の54mの高さになってるみたいな話ですし、この辺りの川原は過去の大水害によって埋まった村やら施設やら色々とあったみたいで、川原は現在キャンプ場とかにもなってるらしいですが、この穏やかな流れとは裏腹に洪水時は凄いもんなんだろうなと想うところでしたね。。

そんな事でしたが、こちら十津川村を代表する観光スポットである(谷瀬の吊り橋)を渡れたと言う事で、とりあえず満足して村を後にしようと言った感じでしたね。。

そしてその後は大水害において大きな効果を発揮したらしい帰路ともなる国道168号五條新宮道路を通って五條市方面に車を走らせて行った感じでして、けっきょく今回の十津川村に泊まる1泊旅行では、1日目に100選滝の(布引の滝)と(丸山千枚田)に訪れた後に十津川村で唯一のラーメン屋さんでラーメンを食べて十津川温泉に泊まり、(野猿)(笹の滝)(谷瀬の吊り橋)を訪れてと言う事で、とりあえずこれで十分だなと想うところでしたが。。

訪れて意識して観た僕の印象では、村と言うのは山なんかで隔てられた場所に在る昔ながらの集合住宅的な印象を勝手にイメージしていて、十津川村が日本一広い村と言ってもそう言った事で広い山間部に点在する50余の大字と言うのが村と言った印象で、それが集まった十津川村と言うのはどちらかと言うと広い市と言った感じの印象を持ってしまうところでした。。

それで市と村の違いを地方自治法に乗っ取って考えますと。。

市となるには、まずは人口が通常は5万人以上もしくは1965年以降は市町村の合併の特例に関する法律の規定が適用されれば3万人以上の人口が条件になり、他に中心となる市街地に家が全体の家の数の6割以上在る事、商工業に関わる人たちやその家族の割合が6割以上必要であるなどの条件を基本に。。

高等学校以上の教育施設やら図書館、公民館、公会堂と言った文教施設が有り、上下水道、病院、診療所が有って主要道路が舗装され街路灯や側溝などが整備されていて会社や工場などの事業所が相当数有り興行場、娯楽施設、公園、ホテル、その他の観光施設が相当数あるのが市であるらしいと。。

そして規模で言えば村の上に町があると言う事で、町である条件とは、その町のある都道府県の条例に定められている条件を満たす必要があると言う事で都道府県によって違うみたいですが概ねとしましては。。

人口が8千人以上で中心となる市街地に全体の6割の住宅が在り、商工業に関わる人の人口が全体の5割以上いる事なんかを基本に。。

水道などの施設や公民館などの施設や側溝や街燈などの施設が整備されていて、会社などの事業所やら娯楽施設やらホテルなどの観光施設が相当数有るのが町であるらしく。。

そしてそれら市や町の条件を満たさない地域が村となったりするらしいですが。。

2018年10月の時点で全国には792の市、都の特別区が23、町が743、そして村が183在る中で、これは日本の行政上の区分ではありますが、その都の23区を合わせたよりも広く奈良県の約5分の1の面積にもなる巨大な十津川村は凄いもんなんだろうなと言ったところでして。。

僕自身は村って感じがあまり分からなかったですが。。

九州からやって来た神武天皇を導いた八咫烏(やたがらす)を祖先とし、南北朝時代には南朝に奉仕して吉野朝廷の直轄地として税を免除され、その後の幕末の争乱期まで狂言廻しのように現れる十津川郷士を輩出すると言った日本の歴史形成にも大きく関わり、周囲とは隔絶し半ば独立した村落共同体として独自の文化や気風を保ち、日本の三大秘境の一つと呼ばれる地で村民大移動なんかを含めた災害も乗り越えて今も存在する十津川村と言うのは。。

僕のような一介の旅行者などには分からない確固たる強い絆で結ばれた紛れもない村なんだろうなと言う事で、この地を過ぎて行くところでしたね。。

そんなんで今回の旅行では命の道と呼ばれる建設途中の国道168号五條新宮道路に熊野川町宮井辺りで国道311号線から乗りまして、終点となる奈良県五條市釜窪町の方面にその延長距離約130kmの内の約100kmを北上する様に走って来たと言った感じでしたが。。

この広い十津川村は東西幅33.4km、南北幅32.8km
と言う事で、今回は南北を横断して行った形に成りますが、その村の入口と出口を考えますと。。

入口と成ったのは和歌山県田辺市本宮町と大字七色との境となる土河屋トンネルであり、出口と成ったのは大字長殿と奈良県五條市大塔村との境となる城門トンネルと成るので、やはり十津川村は山を隔てた地であったのかと想うところですが、で疾走して来た僕にはその分かれ目が想い出せない感じでした。。

しかし入口になる大字七色には車道から間近で観た高瀑の(十二滝)が印象に残っていて、あの辺りが十津川村の入口だったのかと気付きますと、自然破壊的な景観にも観えますがなかなか素敵な村への入口だったとも想えましたね。。

そして進んで行きますと、国道168号五條新宮道路は五條市に入り、猿谷貯水池沿いなんかを越えて行く感じと成りまして、離れて行く十津川村を今回は其れなりに観光したつもりでしたが。。

観処は何処でも沢山在るように、他にも十津川村には熊野古道の小辺路が通る果無(はてなし)集落なんかが在りまして、果無山脈を見渡す美しさから天空の郷とも呼ばれていて訪れてみれば良かったと想うところでした。。

しかし調べますとこの地は絶滅種として名高い日本狼が最後に確認された地でもあったと言う事を知り、自然と人間のあり方とは何が理想なのかと答えの出ない想いを巡らせるところでありまして。。

植林の丘陵地の下に点在する住居施設なんかの眺めが壮観だなと想ったりしながら土砂災害やらそれに伴う熊野川の行く末を憂慮する考えを携えて道を進んで行ったのでした。。

そんな事ですが、この時の僕の当初の予定では(笹の滝)を再訪した後に(笹の滝)から日本の大動脈に車で約120kmくらい北上したような方面に在る(赤目四十八滝)にも再訪してしまおうと想っていたのですが。。

(谷瀬の吊り橋)からもまだ車で100kmくらい距離があるのに、朝からダラダラと行動していたところもあって時間も既に午後2時半くらいと成っていまして、(赤目四十八滝)は渓谷観賞型の100選滝となるので往復で3時間はみないといけないと言う事で、まあ朝からそんな感じでいたんですが再訪は諦めましたね。。

それでこの後はどうしようかと連れの友人と話をしていたら、友人がこのまま北上して行った方面に在る(法隆寺)に行きたいと言ってきたので。。

調べますと(谷瀬の吊り橋)から(法隆寺)までは約70km強となり、国道168号五條新宮道路は着々と全線開通を目指して工事は進んでいる感じで、通っている時は何処が何処だか分かりませんでしたが、2018年3月にも辻堂バイパス(4.1km)が完成してと言った事で特に五條市方面は完成している感じで走りやすいと言う事で、(法隆寺)の拝観時間は2月22日~11月3日の期間は入場が16時半までらしいので飛ばせば間に合うと言う事で、付き合ってくれた友人の為にも最後に向かおうと言う事に成りましたね。。

それで(法隆寺)に向かって行きましたが、僕は(法隆寺)には2010年3月に1度訪れていますが、その時は何らかの理由でこちらの観光の中心となる金堂や五重塔が建つ西院伽藍には入らなかったので、まあ訪れても良いかと言った気持ちで向かいましたね。。

そして進んで行きまして、市街地なんかに入ると踏切やらでいまいち車の進みが悪くて到着は16時半ギリギリになってしまった感じでしたが、(法隆寺)の近辺は閑散期の拝観時間ギリギリのせいか空いている感じで、空いている近辺の道を観え隠れする西院伽藍の境内に建つ金堂と五重塔に近付くように車を走らせれば何処か駐車場が有るだろうと進んで行きました。。

そうしたら(法隆寺)の境内の広さは約18万7千m2だと言う事ですが、その土塀回りの道を進むに至り、やたらと狭くて焦りながら運転する事に成ってしまいましたね。。

そうして行き着いた先はどうも東大門だったらしくて。。

その前が何だか空いてれば勝手に無料で駐車出来る様な小さな駐車場だか駐車スペースみたいな場所だったので。。

駐車料金やら拝観料やらまた色々と金が掛かるかと想っていたところこれは良かったと駐車しましたね。。

そうしたら時間は正に拝観時間ギリギリの16時半に成っていましたが。。

とりあえず東大門を潜り長い石畳を西院伽藍に向かって歩いて行きましたね。。

そして西院伽藍の正面口である中門に着きましたところ16時半を過ぎていて、西院伽藍に入場するのは無理かと想いまして。。

とりあえず柵越しにでも拝観出来るのでまあ金堂も五重塔も何となく観れたので、入場料金を取らないエリアを散策して帰ろうかと想うところでいました。。

それで僕は中門の前辺りでフラフラと西院伽藍の中を観たりしていたんですが、連れの友人がその中門の西側辺りの拝観入口で職員の人達と話をしているなと想いましたら。。

(櫻井さん、何だか時間過ぎたけど中を観させて貰えるらしいですよ!)

と言って来るので入口に近付いて行きますと、職員の人が。。

(せっかくだから拝観料は要りませんから観ていって下さい。。)

と言って来るので、いいのかなと想いつつ導かれるままに西院伽藍の有料エリアに入って行きましたね。。

そうして回廊に囲まれた部分となる西院伽藍に入って行きまして、最早他に誰もいない回廊で囲まれた金堂と五重塔の前に立ちましたところ職員の人達は。。

(どうぞどうぞ。。時間を気にせず観ていって下さい。。)

と言ってくれたりしましたね。。

しかしそれでも何だか特別に見学させて貰っていると言う気持ちが僕には働きまして、よそよそしく手短に見学させて貰おうとしたところでしたが。。

連れの友人は(法隆寺)に訪れられた事をやたらと喜んでいて、職員の方々もやたらと親切に対応してくれてまして、盛り上がってそれら建造物の説明を受ける事となりましたね。。

それで連れの友人はその後もやたらと親切な職員の人に案内されて回廊なんかに入って行って盛り上がって説明なんかを受けていましたが。。

何だか僕には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されて、国宝やら重要文化財に指定されているものを約200点余り所蔵し、通常なら、西院伽藍、大宝蔵院,東院伽藍の共通の入場料金として1500円とこの様な観光地においても高めの料金を徴収される、本当かは分ないけれど聖徳太子ゆかりの寺院として知られている(法隆寺)は、厳格な規律の元に現在は運営されている印象だったので。。

それが今まで訪れたどの有料の観光地にも無かった職員の方達のアバウトさと言うか大らかさと言うか何と言うかに触れてしまい愕然とし、狐につままれた様な気持ちに成りましたね。。

そうして連れの友人が職員の方達とワイワイと説明を受ける中で、いつもの様に細かい事は面倒になっていた僕は(法隆寺)のシンボルと言える様な建造物が建つこの地に立っているだけで良いと言った気持ちに成っていまして、職員の方達に。。

(僕はじっくりと金堂と五重塔の写真なんかを撮らせて貰いながら眺めるだけで結構ですから。。)

と言ってそうさせて貰いましたね。。

そんなんでこの時は、他に誰もいない様な夕暮れ刻と言った、現在から約1300年前に創られた建造物群を悠久を感じながら眺めるにはベストなシチュエーションの中で、その景観を満喫させて貰いまして有り難い事必至でしたね。。

しかしこの様な超A級の観光地の事はわざわざ詳しく書く気は有りませんが。。

振り返りますと何かと金の掛かる観光において、この超A級の観光地では駐車場も含めて一切金が掛からなかったと言う非常に貴重な体験をさせて貰った気がしましたね。。

そうしたおかげでそのあまりのVIP待遇に、景観を満喫とか言いつつその待遇の方が印象に残ってしまい、景観の記憶が希薄に成ってしまったところでしたかね。。

そんなんでこの様な事はあまりに特別な事だったと想うところでして、これを参考に拝観時間ギリギリを狙って(法隆寺)を訪れましても、僕達の様な事になる事はまず無いと想いまして、推奨する事はしませんと言ったところで。。

今回の旅行では最後に訪れた地と成った(法隆寺)を後にしましたね。。

そして非現実的な印象の残る(法隆寺)から現実に戻り、ここから約450km余りの家路を車で走って行った訳ですが。。

近くに無料の名阪国道が通っているのは有り難かったですが、連れの友人が土産を買うだとかで色々付き合っていたらけっこう時間がかかったり、僕は僕で相変わらずに高速を出来るだけ回避するルートを選んだりで、帰宅はいつもの如く明け方に成ってしまいましたね。。

でも相変わらずに1泊2日の小旅行の中でも内容濃く楽しく巡れて良かったと言う想い出が残るところでした。。

最後に。。

とりあえず今回は(笹の滝)を含めた旅行記的なコラムと成ってしまった感じでしたが、その主役である筈の(笹の滝)についての感想を述べますと。。

先ずこの滝は遊歩道だけと言う事ならば、その5分か10分と言った短い道程の中で、深い森林や屹立する岩壁や岩のトンネルや明るく豪快な渓流やらと言った観処が満載の、何とも労力の割りに自然を観てそれに触れ合える都合良い素晴らしい滝と渓流の観賞が出来るような気がしましたね。。

しかしこちらは国道168号五條新宮道路が全面開通しつつある今はどうだか知りませんが、以前は秘境と言われた地であり紀伊半島南部の山間部であるこの辺りは、自然観賞をする上でそれは多かれ少なかれ当然の事と想いますが、公共交通機関を使って向かっても車を運転して向かっても、その遊歩道入口に辿り着くまでに労力がいると言ったところなんでしょうかね。。

まあでもこの問題は住んでる場所によってまちまちですし、やはりこの滝だけが特別に人工アイテムを使って入口に辿り着き難いと言う訳でも無いので。。

その入口からの道程を基準にすればお手軽に観れる滝でありまして、そうしたお手軽な滝の中では自然を楽しむには距離に換算すればトップと言える都合の良いシチュエーションに溢れた滝ですから。。

歩くのが面倒だけれど自然と戯れて景観を楽しみたい人には最高にお勧めの滝なのかなと言った感想に成りますね。。

そしてこの(笹の滝)が100選滝に相応しい滝かと言いますと。。

他の紀伊半島エリアの100選滝でも書いたように、この紀伊半島エリアだけでも100選滝が9滝(赤目四十八滝は除)が選ばれている事からも証明されるように、この地域には有名無名問わずに沢山の良滝が在るでしょうから(笹の滝)が絶対と言う訳では無く、日本最大の村である十津川村の目玉観光スポットの1つであると言うのが効くと言うか目立つところがアドバンテージとなり選ばれたところも有るのかと考えましたが。。

この滝はこの滝で100選滝に選ばれても何ら文句の無い良い滝だったとは想いましたね。。

しかしこうして書いてきまして気になりましたのは、戦後の電源開発やら植林政策やらその他道路や観光開発ってのも有るかも知れませんが。。

特に電源開発と植林政策によって長期濁流化した熊野川の行く末が気になって仕方ないところでしたね。。

この熊野川と言うのは三重県、奈良県、和歌山県の三県に跨がり流域面積2354.6km2、幹川流路延長182.6kmとなる、大嶺山や熊野三山に見られるような日本を代表する宗教文化の中心地とし人間の文化とも古い歴史で繋がった大河川であり、紀伊半島のと言うか日本を代表する大河川とも言え、日本の自然のシンボルの1つであり、自然のバロメーターとも成り得るところでして。。

それがこの惨状となりますと、それは大変に憂慮するところで有りますが、この大自然を元に戻す事は最早不可能だと想えるところで、人類に対する自然の悲劇的な審判が下される時はいつか有ると想えて成りませんでした。。

しかしそうは言いましても、僕もこの様な秘境と呼ばれた地に車道が有り、車が有るから訪れられた訳で、それを利用して楽しんでいる僕も自然破壊の一端であると想いますと。。

そうした構造の一端の中で滝なんかに訪れて楽しむ者であると言える自分に対して、何か強烈なジレンマに襲われて答えなど見付けられず、もうこれ以上の開発は要らないと考えるのが精一杯でして。。

自然と人間の共存とは難しいものだと考えつつ、実際に利権にまみれた無駄な開発は多いので、それが無ければまた少しは違ったんだろうと言ったところでしたね。。

それで今回の旅行で最後に観た(法隆寺)が創られた1300年前の熊野川を考えますと、そこにら美しい独特の青い清流が流れ、辺りは自然林に覆われたバランスの取れた自然環境が保たれていた事なんでしょうね。。

それが特に19世紀に入ってからの産業革命以降に大規模な自然の改変が顕著に成っていき、現在もその延長発展の中にあるのでしょうが。。

美しいありのままの自然が少しでも残されてくれたらと想うところでありましたね。。

まあそんなところですが、(笹の滝)に関しましては。。

日本の滝100選にも選ばれて(やまとの水)とかにも選ばれているこの十津川の支流の更に上流域となるこの辺りが開発されるような事は最早絶対に無いと言ったところでして。。

とりあえずこの(笹の滝)は100選滝の中でもその主瀑となる32mの滝とその直下の渓流瀑と呼べる流れが合わさったコンビネーションが特筆の特別な差別化された景観が観られる滝でありまして。。

そしてそのオレンジがかった景観が深山幽谷の中でもここだけやたらと開けていて特別に明るいと言う、素晴らしく希望に満ちたような渓谷風景を創り出しているのでお勧めだと言う事で、終わらせて頂きたいと想います。。

奈良県吉野郡十津川村大字内原

問合せ
 
十津川村観光協会 0746-63-0200

駐車場

(笹の滝)の遊歩道入口から約100mの処に約20台分