花園神社大酉祭(酉の市)の見世物小屋 東京都新宿区新宿5-17-3 2015年11月17日、2016年11月11日 消えていく昭和文化。。

働き始めてから土日祝祭日は仕事なもので、全く祭りと言うものに縁が無くなっていましたが、日本に現存する最後の見世物小屋だとか言って、花園神社の「酉の市」 と言う祭りで見世物小屋が興業されていると耳にして、どうしても行きたくなってしまいましたね。

想い返せば小学校低学年の辺りは東京の立川市に住んでいまして、 毎年8月に行われる立川諏訪神社例大祭に家から歩いて家族で訪れてたんですね。。

この祭りは派手な神輿や獅子舞で有名らしいですが、失礼ながらそれは何だか記憶に無いのですけれど、見世物小屋の記憶だけは朧気に覚えているんですよね。。

その記憶がフラッシュバックすると、行かずにはいられない。。

ですがもう全く祭りに疎くなっていた僕は、どうせ土日の昼間メインに開催するんだろうと想って期待しないで調べましたら、なんと曜日は関係無く11月の酉の日に行われると言うじゃありませんか。。

干支は12支で11月は基本的に30日だから、年によって2回から3回行われると。。

これは平日もやってるなシメシメと想いましたよ。。

そう想ったらなんと。。

前夜祭と言うのが夕方辺りから夜中の2時くらいまでやっていると言うじゃないですか。。
ウロウロの玩具や?あ
本祭も昼頃から夜中の2時くらいまでだと。。

本祭でも見世物小屋や出店なんかは夕方くらいからだと。。

11月は暗くなるのも早い。。

これはもう夜の祭りみたいな感じで、仕事が終わった後にも行けるから何曜日でも大丈夫そうだと。。

しかも「酉の市」には開運招福、商売繁盛を願い自営業者や経営者の方なんかが縁起熊手をこぞって買いに来るらしいと。。

そんなんで、これは正に僕の為に有るような祭りだと想いこみ向かわせて貰う事にしましたよ。。

それで2015年、2016年と連続で訪れたのですが、とりあえず2015年の時は電車嫌いになっていたので車で向かい、花園神社に程近い大成有楽不動産の歌舞伎町2丁目駐車場に駐車しましたね。。

祭りの特別料金で何時間かで2000円以上はしたと想いましたが、まあこんなもんでしょうとね。。

新宿駅東口から徒歩7分と言う事らしいですが、この時は駐車場から約400mほど明治通り沿いを歩けば花園神社の正面入口が在りましたね。。

とりあえず赤い大鳥居の入口から入りましたが、YMビル側にも入口が在って、拝殿からコの字型を描くように出店とかが並んでる感じがしましたね。。

何だかビルやら建物中で、この一画だけに樹が繁っていて、建ち並ぶ出店と大鳥居が相まって、まるでトンネルのように感じましたよ。。

かなりの人だかりでしたね。。

花園神社の「酉の市」では毎年約60万人以上の人が訪れて、出店の数は200店以上、熊手を商う店は約60店とかなりのものなんでしょうね。。

なんだかゴチャゴチャして広いのか狭いのかよく分からない感じでしたが、調べると敷地面積は約6600m2くらいみたいで、新宿の一等地みたいな場所なら広いもんなんでしょうね。。

進んでいきますと、右手には熊手を商う出店のエリアが有りましたね。。

店の人達が熊手を買ったお客さんへ拍子木を使って威勢良く三三七拍子の願掛けをしていましたね。。

出店の中にはビッチリと熊手が並べられて煌びやかでしたわ。。

祭りって感じがしましたね。。

左手には靖国通り側の参道からの入口が延びていましたね。。

長さは正面からより長いらしいですし、通行量が多いのはこちら靖国通り側らしいと。。

何だか昔ながらの出店が建ち並んで、いい雰囲気には観えましたね。。

祭りの歴史や由縁などは全く知りませんが、何となく調べますと。。

酉の市とは日本各地の鷲神社(大鳥神社、大鷲神社、鷲神社=おおとりじんじゃ)で開運招福、商売繁盛を願って関東を中心に毎年11月の酉の日に各地で行われる行事らしいと。。

なんでも鷲神社の祭神である日本武尊、が東夷征伐からの帰途,戦勝祈願がかなったことを喜び,社前の松に熊手をかけて礼参りをした事に因んで、日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日に行われるようになったらしいと。。

江戸時代の初期から続く祭りらしくて、元々の始まりは東京の下町の花又にある鷲神社で農民達が始めた収穫祭なる祭りだったらしいと。。

最初は農器具を売っていましたが、そのうち売っている農機具におまけとして縁起物の小判や七福神などを付けるようになって、今では色々な装飾を施した熊手を買う場所となっているらしいと。。

なんでも大阪の堺にある大鳥大社が大鳥信仰の総本山とされるらしいですが、関西では盛んではないらしく、酉の市と言えば浅草の鷲神社と言われ都内では30ヶ所以上で行われているとか。。

花園神社の酉の市は明治時代に入ってから始まったらしいですが、関東三大酉の市に数えられていると。。

何だか神道と仏教で説が異なるとか色々有るのかは分かりませんが、こんな感じがしましたね。。

本殿の方に向かうと、回りには地元の企業とかがが奉納した提灯が並んで圧巻でしたかね。。

1000燈以上の奉納提灯が飾られているとか言われますが、これは1つ1万円から奉納出来るとか。。

これは一発店の名前でも書いて飾って貰いたいところですが、この年に初めて祭りを知った浅はかさだし、その1万円がなかなか出せない僕には厳しいところですな。。

沢山の人が参拝に並んでいましたが、面倒なのでしませんでしたね。。

どうも花園神社の歴史を調べますと。。

社伝によると創建年代は不詳だそうで。。

1590に徳川家康が江戸入府した頃には既に鎮座していたとありますと。。

その後1624年~1644年には掛川城主であった朝倉筑後守(朝倉宣正)が当社周辺に下屋敷を拝領し、下屋敷に囲まれる形となり氏子の参拝ができなくなってしまったために、氏子がその事を幕府に訴えたところ、尾張藩下屋敷の庭の一部であった現在地に移ったと。。

美しい花園の跡地に遷座したために「花園稲荷神社」と呼ばれていたらしく、これが現在の花園の由来とされていると。 。。

明治時代になると神仏分離となり、別当寺であった「三光院」は、その後の廃仏毀釈によって廃寺となったらしいと。。

その時に「花園稲荷神社」は村社に列して、社号は単に「稲荷神社」となったらしいですが、これは届け出の際に凡ミスで「花園」を書き忘れたからと云われているらしいと。。

その後1916年1月25日に、当時の社掌であります鳥居成功と氏子総代であります坂田寅三郎ら13人が、東京府知事に対し社号の改名願を提出し、同年2月26日に許可されて名称が「花園稲荷神社」となったらしいと。

そして1965年6月には現在のコンクリート製の社殿と社務所が建て替えられて、その際には末社の大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を「花園神社」に改めて今に至ると。。

なんでも創建以来、太平洋戦争の戦災で全焼をしたり、幾度も大きな火災に見舞われ、その度に社殿を再建してきたらしいですね。。

こんな新宿駅からすぐの場所だと色々と大変そうですな。。

社殿の裏に回っても出店で溢れている感じでしたかね。。

祭りの出店で食べる焼きそばやお好み焼きやらは、やたらと旨い感じがしますわね。。

人混みは厳しいところですが、何だかノスタルジックな気分にはなりましたかね。。

社殿の裏にも入口が有って、階段を降りたら新宿ゴールデン街方面となる感じで、道の方にも出店が並んでいましたね。。

派出所やコンビニも有りましたが、こんな時に勤務してたらかったるそうだなと想いましたね。。

「花園神社」には狛犬が3対在るらしいですが、明治通り側の大鳥居の前に在る狛犬は1936年に創られて、新宿ゴールデン街側の裏門の方面の狛犬は1745年に創られて、靖国通り側の入口のは1821年に名工村田整珉により鋳造された銅の唐獅子で新宿区の有形文化財指定に指定されていると。。

結局入口は3ヶ所有るらしいですが、どうも大鳥居側が正門かと想ってたら、靖国通り側の入口が正門らしいですね。。

狛犬は鉄格子で囲われたり、耳が削がれていたりで、やはり治安に関しては心配なのかと想いましたかね。。

どうにか人を掻き分けながらウロチョロしてたら、リンゴ飴を舐めたくなって大きい500円のを買っちゃいましたね。。

チョコバナナもトッピングして食べちゃいました。。

何だか見てると食べたくなっちゃうんですよね。。

僕としましては、祭りと言えばあとはハッカパイプとか光るチューブ状のケミカルライトですかね。。

あの光るやつは買った事は無いのですが、あれを付けながら歩く人を見ると、祭りって感じがしたものですね。。

しかし買ったリンゴ飴は舐めるペースが遅かったせいなのか、なかなか小さくならなくて、結局は帰宅しても残っていて、冷蔵庫に入れましたね。。

コスパには優れていると、この時に想いましたね。。

そんなんで何となく境内辺りを周り歩いた後に、じゃあ見世物小屋へ行こうかと言う事で探しましたら、最初に入って来た大鳥居の横に在りましたね。。

どうも境内には本社に付属する小さい神社であります末社の 「威徳稲荷神社」と 「芸能浅間神社」 と言うのも在ったらしいと。。

とくに「威徳稲荷神社」は京都の伏見稲荷大社みたいな鳥居のトンネルみたいになってて目立ちそうですが、出店と人混みで僕は全く記憶に残ってませんね。。

他にも災禍消除を祈って1792年に建立された石灯篭や芭蕉の句碑など色々と在ったらしいですが、全く記憶にない。。

まあ祭りに訪れたのですから、その様なものは別の空いてる日に観光で来ればと想ったりしましたね。。

とりあえず出店と人混みの記憶が大半となりましたね。。

とりあえず見世物小屋の前に立つと赤い幕をベースにしてそれっぽい雰囲気を醸し出してはいましたね。。

僕は見世物小屋を昔々に観た記憶が有りますよ。。

記憶は曖昧ですけれどね。。

ここで見世物小屋の事を調べますと。。

どうも見世物小屋とは珍品、奇獣、曲芸などの出しものを行う小屋と言ったものらしいですね。。

このようなものは室町時代辺りに始まったらしく、 京都の四条河原がその発祥地とかで、曲芸や手品を行う大道芸的なものであったと。。

1600年辺りにはもう見世物小屋の萌芽みたいなのは在ったらしいですが、神社の境内などに架設小屋を建てて興行する見世物小屋の形態は江戸時代辺りに始まり、庶民の娯楽として発展して来たらしいと。。

この頃から奇形や障害者の方も出演していたみたいですが。。

アクロバティックな曲芸や、独楽回しや、屁をする芸や、馬に乗っての舞踏や、巨大な細工物カラクリ人形や、精巧な生き人形や、まだ日本では珍しかった像やキリンやらの動物や、精巧な作り物の人魚やカッパのミイラ奇形の動物や、長身の女性やら色々と総合的な庶民の娯楽であったらしいと。。

そんなんで見世物小屋は、江戸時代後期には日本全国で見られ、全盛期には300軒余りあったらしいと。。

そして明治時代以降に今の人々が想われているような、奇術や、げてもの食いや、障害者やらの奇形の方を出演させたスタイルが中心となるものが確立されていったらしいですが。。

その後1950年代終わりには40軒代、1970年代頃には10軒代、1980年代頃には一桁代、平成に変わった辺りでは4軒、少し前までは大寅興行社とそこから独立した入方興行社の2軒、そして現在は入方興業社の親方は亡くなられて大寅興行社の1座だけになってるらしいと。。

要は1970年代中盤辺りから人権を過敏に考える世相となり身体障害者の方などの出演が取り締まられるようになったと。。

他にも映画やテレビの普及により世間のニーズが多様化し他に向かったりしたからだと。。

なんでも衰退の兆候がみられる迄は、お客さんを呼ぶためなら何でも有りだったらしく、 誘拐された子供が人身売買されて足の筋を切られりして道化役にされたり、覗き穴の娼婦にするために売り飛ばされてきた例もあったらしいと。。

だるま女、蛇女、たこ女などと称して身体障害者の方を出演させたりしていたらしいと。。

蛇女とかは奇形と言うよりゲテモノ食いの代表でしたし、鶏の首をちぎって食べたりとか奇食系も散々あったと。。

こちらの大寅行為社の小峰太夫さんやらも蛇を食べたり火を吹いたり蝋燭口に入れたり垂らしたりとか有名だったらしいですな。。

他にも人間ポンプの安田里美さんやらはやはり火を吹きますが飲み込んだ物を自在に吐き出したりして名を馳せたと。。

けっきょくこの見世物小屋と言うもに僕が持つイメージとしましては、奇形と奇食と身体を張った芸と言う事になった感じでしたけれどね。。

取り合えず先ずは見世物小屋の外観ですが、やはり過去の印象としましては、絵看板が残りますわね。。

絵看板は主に見世物の絵看板を生涯の仕事としていた
日本で唯一の人であります志村静峯(1905~1971年)という人が描いていたみたいですが。。

確かに蛇女、ろくろ首、人間ポンプ、かに男、くも女とかの和的な怪しい看板を観て子供心に怖さと興味をそそり、今でも鮮明に覚えていますね。。

個人的にはろくろ首の絵をよく覚えているのですが、これは同じ境内に在ったお化け屋敷の方かも知れないし、この辺は曖昧ですけれどね。。

そう言えば靖国神社で毎年7月に開催されるみたま祭りでは、2014年までは大寅興行社が見世物小屋をやっていたし、お化け屋敷もやってたみたいですね。。

お化け屋敷もセットで観れて良さそうですが、なんだか2015年からは祭りに集まった一部の若年層が発する治安や騒音の問題で、出店やらは全部中止になったらしいじゃないですか。。

残念なところですが、全く祭りに疎くなっている僕には、靖国神社と言えば参拝問題でピリピリした印象しか無く、知っていれば行きたかったと想いましたよ。。

まあとりあえず外観は、なんだかあの頃と共通するような感じもしますが、違うような感じもしましたね。。

見世物小屋の入口では見世物小屋の基本となる口上と呼ばれる客引きを一人の男性が延々としていましたね。。

入口には本日の演目が表示されていますと。。

前までは中で写真やらを撮ったり出来たらしいですが、今は中での撮影は出来ないので、写真は外部までとなりますね。。

客引きのスタイルとかも僕が覚えている昭和時代の見世物小屋と大まかには同じスタイルなんでしょうが、もっと年配のおじちゃんおばちゃんが濃くやってた印象が有りましたかね。。

入場システムは総入替制とかでは無くて、随時入場可能なシステムでありますと。。

幾つかの演目に分かれていて、1つの演目が終わる毎に出口方向にお客さんを移動させて、全演目を観たら出口で入場料を800円払って退場するようなシステムですね。。

このシステムも昔からのものと想いますが、合理的で良いシステムだとは想いますね。。

どうも今回は、興業主は大寅興業社さんですが、演目はデリシャスウィートスと言う女性パフォーマンス集団みたいなのが受け持ってるらしいと。。

大寅興業社の人気の有る芸人の方達は。。

お峰太夫さんは高齢による引退、次世代を担った蛇食いやらの若い感じの小雪太夫さんは失踪だか辞めたかで、もう1人有名な火吹きや鶏食いのアマゾネスピョン子ちゃんとやらも辞めたらしいと。。

お峰太夫さんと言うのは大ベテランの方ですからもちろんですが、小雪太夫さんと言う方は観た感じも雰囲気有りそうですわね。。

しかしこの方達を観る事は僕には無かったと言う事ですね。。

とりあえず入口に表示された看板には4演目ある感じがしましたが、よく分からないところでしたかね。。

入ると怪力女を演じる女性がフェイクの岩を持ち上げたりして道化に徹して頑張ってる感じがしました。。

あとは場末のキャバレー的な踊りやら、昔の見世物小屋で有ったような「双頭牛のミイラ」を観せたりとか。。

たぶん今回の演目の中で最もそれっぽかったのは河童のボインちゃんとか言う方がやってた蝋燭を使ったやつだったですかね。。

これが昔ながらの見世物小屋の芸を継承する一端のものだったんでしょうね。。

あとなんか有ったような気もしますが、忘れましたね。。

この時は何だか祭りの片隅で楽しいショーをやってるなんて感じのもんでした。。

けっこう外観は何となく禍々しい感じですが、入ったら以外と軽いのりで楽しめると言うようなものですかね。。

でも昔も入るとそんな感じが多かれ少なかれしたもんだと想いますよ。。

まあ僕が以前に観たのは昭和50年代前半くらいだと想いますから、見世物小屋が衰退していく末期近くだったと想いますがね。。

しかし祭りで食べたり飲んだりするだけじゃなくて、楽しみの1つとして良いとは想いましたよ。。

800円ですし基本的に待たないで入れますしね。。

見世物小屋を観る時間はだいたい20分くらいと言う事で。。

その後はせっかくだから熊手を買って行くと言う事になりましたね。。

どうも本来の熊手は落ち葉などを掃いたり集めたりするものですが、その使用している様子から、お客様や金運、幸運などを集めてくれる縁起物として、酉の市では、飾り用の熊手を売るようになったらしいと。。

この件は事前に調べたのですが。。

なんでも商売が繁盛して行く過程に倣って最初は安くて小さい熊手から買っていき、年々高い熊手を買うようにしていくらしいですな。。

買い方も特別な感じで、欲しい熊手を選んだらお店の人に値段を聞いて先ずは値切るらしいと。。

何回か値切ったら、値切った分をご祝儀として店に渡し、結局元の値段を払うと言うシステムらしいと。。

そんな事でとりあえず安いのを買おうとしましたが、沢山の出店の中一面に熊手が飾られていて迷いましたね。。

高いのは何十万もするとか言うので凄いもんだなと想いましたが、最初は安いのからですから心配いらない感じでしたね。。

しかしどうも、その買い方が僕には苦しいので、適当にウロチョロして、人が良さそうな店員さんを見付けて。。

「すいません。。僕は全く初めてで、買い方がよく分からないんですよ。最初は安いのから買っていくんですよね?普通に買いますから幾らのが良いですかね?」

と言って出店に近付きましたら、仕来たりを土返しして普通に買わせて貰えましたね。。

そして選んだんですが。。

なんでも一番安いのは1000円くらいらしいですが、どうも1ランク高い感じの3000円の熊手を見ますと、僕には3000円の熊手の方が遥かに豪華に見えたんですよ。。

そんでせっかく店を経営しているんだからと言う事で、僕としては奮発して3000円の熊手を買わせて頂く事にしましたよ。。

あと1つの問題は、買ったら店員さん達が三三七拍子で願掛けをしてくれる訳ですが、これがどうも恥ずかしいので僕は避けたかったのです。。

しかしどうも願掛けは1万円以上とかの熊手を購入しないとしてくれないらしいので、この心配は杞憂に終わりましたね。。

店の住所と名前を記入したのですが、後にDMが送られて来ましたね。。

名前札を差してくれたかは忘れたし、次年度に用意されていたかは分かりませんがね。。

なんだか出店に提灯が掛かっていて、番号が低い順に老舗店だったらしいですが、とりあえず僕にとっては十分豪華に見える熊手を手に入れられたの

そしていい加減疲れたので、席が空いてる屋台を見付けて一息つきましたね。。

こうして花園神社の酉の市に訪れてみますと、祭り自体は懐かしい出店の風景が良い感じだし、提灯は壮大だし、熊手を売ったり見世物小屋も有るわで、楽しめる祭りだと想いましたよ。。

ただ人混みが半端じゃないのがキツいですが、祭りはガラガラしゃ話にならないですからね。。

屋台はかなり広いのも有りますね。。

何処かの屋台の一角を手に入れて皆でワイワイ飲んで過ごすのがベストかとは想いましたね。。

とりあえずこの時は車で軽く訪れる感じでしたので、ラムネ飲んで軽くおでんかなにかをつまんで帰りましたね。。

帰りに少し辺りを歩いて帰ろうと社殿の裏の入口から外に出ましたら。。

新宿ゴールデン街がなんだかゴチャゴチャしていて気になったので少し中を歩いてみましたね。。

新宿が開発されていく中で残り続けている第二次世界大戦後に建てられた木造長屋建ての店舗面積が4坪前後という狭さの飲み屋群となりますと。。

なんだか200軒以上のバーとかが犇めいているらしいですが、四角く網の目のように区切られている感じで、細い横道とかを歩いて楽しかったですね。。

新宿には思い出横丁とか味の有る飲み屋街が色々と残っていますな。。

でも飲んで其れなりの時間電車乗って帰るのは面倒で嫌なところも有るので、町田の仲見世通りで良いかなとも想ったり。。

そう言えば大阪の軍艦アパートって無くなっちゃったけど見学したかったなとか色々想ったりしましたよ。。

でもたまには来たいなとは想ってこの2015年の時は、軽く散歩して帰ったのでした。。

そんなんで1年が過ぎまして、見世物小屋も含めて何となく気になったので、2016年ももう1度行ってみようと言う事になったんですよね。。

2015年の時は行って直ぐに帰ってきてと言う感じでしたからね。。

そして今度は酒も飲もうと言う事で、小田急線で仕事が終って直ぐに向かいましたね。。

まあ新宿までは電車1本で30分強で着く感じですから、そんな遠くもないし、最初から電車で行けば良かったとも想いましたがね。。

この時はお友達4人で新宿で待ち合わせして訪れたのですが、靖国通り沿いから向かいますと、通りにも出店が並んでいて相変わらずの人混みでしたね。。

まあ祭りが無かろうと、新宿で人混みなんて当たり前なんですけれどね。。

またゴチャゴチャの中を歩いて行くと、紐くじ屋とか有り懐かしい感じがしましたね。。

最近は祭りのくじで当たりが有るとか無いとか問題にしていたりしましたが、祭りのくじなんて最初から僕は全く期待はしていないし買った記憶は有りませんね。。

こっち系は個人的にそんなに興味が無かったからで、好きなら買いますが、精々当たりなんて子供のオモチャ程度だと何の期待もしないで余興で楽しむ程度でしょうね。。

しかし昔は女性に紐が括りつけられていて、1等はその女性であったなんて話を聞きますが、僕はそれを観た事は無かったですけれどね。。

金魚すくいとかも有ったような気がしたけれど、スーパーボールすくいだったかな。。

最近はハムスターすくいとかやってる出店が批判されていたけれど、生き物を扱うのは確かに微妙なところかと想いますが、そう言えばカラーヒヨコなんて全く見掛けなくなりましたかね。。

カラーヒヨコは目立つから祭りで見た記憶は何度も有りますが、買った記憶は無かったですね。。

その頃は別に動物愛護を考えてとか大層な事では無くて、ただ単に持ち帰るのが面倒だとか、どうせそんな記憶だったからと想いますけれどね。。

これは日本が発祥らしいですが、今は日本では見掛けなくなった感じですかね。。

しかし海外では今も売られているところがあって、昔は染料で染めていたらしいですが、今は卵の段階で注射して色を半永久に着けるらしいですな。。

これに関しましては、畜産業とかでは雄は採卵出来ないから直ぐに殺されてしまうらしいですが、それを売っていたと言っても微妙なところですかね。。

店頭に並んだカラーヒヨコ達は着色やら環境のストレスで基本的に短命らしいですし、祭りの後に亡骸が散見されてもですね。。

昔はウサギを売ったりもあったらしいですが、今は金魚すくいも問題視されていますし、とりあえずスーパーボールとか生命と関係ない物を釣る方で良いかとは想ったりしましたね。。

しかしよくよく考えますと僕にとって祭りと言えば、先ずはカタヌキと言う事になりますね。

実は親の転勤で札幌市に小学校4年から中学まで住んでいたんですが、毎年6月中旬に札幌祭りの北海道神宮例祭が開催されて、その祭りと言えばカタヌキだったんですよね。。

何でも北海道神宮の神様をのせた神輿や山車が市内を練り歩きと言う事ですが、これは全く記憶に無いと言うか、この祭りの記憶としては、カタヌキしか浮かばないんですよね。。

しかしどうも見世物小屋もこの祭りでも開催してて、今もまだやってるらしいじゃないですか。。

しかもお化け屋敷もセットで。。

こちらも大寅興業社が興業主で同じようにやっているようでしたが、府中のくらやみ祭りとか、探せば現在も幾つか開催してるんですね。。

でもこの時の札幌祭りの時は見世物小屋の記憶も無いですね。。

たぶんよっぽどカタヌキにはまってたんでしょうね。。

この祭りの時は学校も早く終わったりして、クラスの友達3人くらいで、早々とカタヌキ屋に向かってましたからね。。

あの頃の皆はどうしたかなって想いますよ。。

しかしカタヌキってのも見掛けなくなった感が有りますよね。。

要はギャンブルで有るから青少年とかにも良くないと。。

調べますと、どうもカタヌキとは。。

カタヌキ(型抜き) →澱粉、砂糖、ゼラチン、香料などで作って色づけされた板状の菓子に描かれた動物や星、桜などの型を針や爪楊枝などを使い、くり抜く縁日の遊戯であると。。

型を割らず上手にくり抜くことができれば、景品が貰える。。

と言う事ですが、この頃は100円くらいでカタヌキの板が1枚か2枚入った袋を買う感じで、中はどんな型か分からない状態でしたよね。。

開けると型が分かって、配当表が有ってどの型が幾らとか賞金額が書いてありましたね。。

僕がやってた記憶では、額は形の難易度によって100~10000円くらいの感じでしたかね。。

剣、星、壺、鉄アレイみたいなのとか様々な型が有って、今さら良くは想い出せませんが、簡単な500円以下くらいの板の入っている確率の方が高かったような記憶が有りますね。

そして高額な8000円とか10000円とかのは、細い茎のチューリップとか串刺し三連団子みたいなやつだったのは覚えています。。

何だか上手い方は大まかに手で回りをパキパキやって型を抜いてしまうとか、少し気付かれないように湿らせてとかあったみたいですが、僕はどちらかと言うとテンションを殆んどかけないようにして型をなぞり続けるスクラッチな抜き方を選択していましたね。。

それで結構得意かなと想えるところまで技術を磨いて。。

「うちはちゃんとお金払うよーっ」

とか言ってるテキ屋のおじさんの店でやったりしてたら、300円以下くらいまではすぐ払ってくれたんですよね。。

そしたら1000円くらいの型を抜いたら文句つけて払わない感じだったんですよ。。

それで僕は悔しくて一緒に来ていた友達と連れ添って近くの交番にクリアしたつもりのカタヌキを持って言って苦情言ったんですよね。。

そしたら交番でお巡りさんに話してる間にカタヌキが割れちまって、お巡りさんにも

「割れちゃったし仕方無いから諦めるしかないね。。」

と言われて小学生の僕は悔し涙に暮れたんですよね。。

しかしどうしてもそのオヤジを許せないと言う気持ちで、友達も同意してくれて、そのカタヌキ屋に復讐の悪戯をしたのでした。。

もう時効でしょうし、未成年も良いところで罪には問われないと想いますが、これ以上は言えませんね。。

まあそんな想い出が有りまして、今でもはっきりと覚えていますよ。。

そんなんでカタヌキ屋はないかなとか想っていたら、新横浜のラーメン博物館に行ったら在りましたね。。

流石に金じゃなくて商品でしたが、久しぶりにトライさせて貰いましたよ。。

そして幼い頃を想い出してスクラッチ法で抜こうとしたら、ギリギリのところでパキッと割れてしまいましたね。。

でも久し振りにやって楽しかったですわ。。

しかしカタヌキ屋が祭りで有れば、その全盛期にカタヌキをやった人達で大賑わいになりそうですけれどね。。

あのビールケースとかを脚にベニアを置いた粗末なテーブルでカリカリやりたいもんだと想いましたね。。

そんなんで2016年の花園神社の見世物小屋はどうなってるかと訪れてみましたら、去年もやってた客引きの人が髪を伸ばしてまた口上を述べている感じでしたかね。。

どうも今年はゴキブリコンビナートとか言うキタナイ、キケン、キツイを旗印にしている3K劇団と言う事らしいですが。。

近年は大寅興業社が興業主になってゴキブリコンビナートとデリシャスウィートスの2団体に演目を任せていると言う事なんですね。。

なんだかいなくなられた小雪太夫さんと言うのも、元はゴキブリコンビナートにいたセロトニン瘍子さんと言う方だったらしいですね。。

僕自身はアングラや前衛な音楽や映画は沢山観たり聴いたりしてきましたが、演劇やらパフォーマンスを観に行く事は殆んど無かったので詳しくは無いのですが、色々有るもんですな。。

まあ音楽だったらスカム系やらノイズ系やらインダストリアル系やら実験音楽は散々手を出しましたが、とりあえず網羅すると言うだけで、特別好きな訳じゃないですし、映画も散々フリークスを扱うような物も含めてカルト映画は観ましたが。。

でも映画はけっこう好きかも知れないですね。。

まあでも、個人的にこの様な劇団はとりあえず1度は観てみたいと言うポジションに止まるんですけれどね。。

何だか外観は昔の見世物小屋とは微妙に違って剥製やらオブジェやら置物やらで立体的になって来ている感じでしたね。。

あの頃の見世物小屋はもう戻らない。。

しかしこれはこれで、紆余曲折を経て生き残って来た中での新しい形も加味されてと言う事ですかね。。

ここで僕の小学生低学年の頃に住んでいた、立川市の立川諏訪神社例大祭で観た見世物小屋の実体験の話をしますと。。

これが覚えている唯一の見世物小屋を観た記憶なんですが。。

家から歩いて10分くらいのところに諏訪神社が在りまして、母と妹と3人で祭りに訪れたんですよ。。

もう暗い時間だったのは覚えています。。

それで普通に綿アメ食べたり金魚すくいやったりしていたら、僕はどうしても妖怪の怪しい絵看板が描かれる小屋が気になって仕方なかったんですよね。。

そうしたら絵看板に顔が人間で身体が牛の絵が有りまして、微妙に違うかも知れませんし性別は忘れましたが、客引きの人が口上で。。

「この飛騨高山の山奥で見付けた、身体は牛で顔は人間の奇妙な生き物。。」

と、こう言っていたような記憶なんですよね。。

「親の因果が子にたたり。。」

とか言う有名な慣用句は記憶が確りと無いのですが、何だかそんな口上と絵看板に興味が強烈に沸いた僕は母に。。

「お母さん。。僕はあれがどうしても観たいから入っていい?」

と母にせがんだのですよね。。

そうしたら母は。。

「分かったわ行ってらっしゃいよ。。」

と言ってくれて、妹にも。。

「お兄ちゃんと一緒に観てくれば?」

と言ったのですが、妹は。。

「怖いから嫌だ。。」

と言って恐れて拒否しまして、僕は1人で1000円だかを握り締めて見世物小屋に入って言ったんですよ。。

そして牛女ってそんなものが存在するのかと中に入って観てみますと、なんだか舞台の上で小さめの年輩のおばちゃんが座りながら3流のマジックを披露していましたね。。

たまに歩いたりするのを観ると4足歩行をしていて、膝が逆に曲がっているタイプの障害者の方だったと言う事でしたね。。

ウェブで軽く調べますとやはり脚の関節が逆向きになっていると言う事が散見されますので、この頃に皆さんが観た牛女と言うのと同じなんじゃないかと想われますが、反張膝と言う障害の重症患者と言う事だったんですかね。。

そんなんで4足歩行するように歩くその年輩のおばちゃんを観て小学校低学年の僕は悟りまして。。

「なんだあ。。これが牛女かよ。。ただのおばちゃんじゃないか。。」

なんて外の絵とのギャップに落胆したのでした。。

それで落胆しながらおばちゃんのマジックを20分くらい観ていた気がしました。。

しかしマジックをしながら牛女のおばちゃんが何度も。。

「後で身体検査の方が有りますからね。。」

と言ってて小学校低学年の僕は。。

「なんか服でも脱ぐと凄い身体でもしているのかな?」

と厭らしい意味では無くて期待したりしてマジックを眺めていたのですよ。。

たぶん20分くらいの時間だったと想うのですが。。

そうしたら出口の方から母親が顔を覗かせて。。

「いったいいつまで観てるのよ!?なかなか出て来ないからいい加減待ち疲れたわよ!!何度も同じの観てるんでしょ!?早く出てきなさいよ!!」

と声を大にして言って来たんですよ。。

そして僕は無理矢理見世物小屋から何百円かを払い引き出されたのでした。。

僕はこの時母に向かって。。

「まだ全部観終わって無かったんだよ!!嘘じゃないよ!!」

と必死に訴えたのですが、母は全く信じてくれず待たされた怒りに震えていましたね。。

僕は小学校低学年でしたがこの記憶は鮮明で、まだ1サイクル分は絶対に観終わって無かったと今でも神に誓って言えるんですけれどね。。

しかしたぶん祭りの雑踏の中で妹をなだめながら待ち続けた母の待つカッタルさと言うのはマックスだったのでしょう。。

そして僕にとって牛女のおばちゃんが言ってた身体検査って何だったのかは、今も鮮明に覚えている謎として永遠に残る事になりましたね。。

そう考えますと、僕が観た昔ながらの見世物小屋って言うのは、 たぶん見世物小屋に障害者の方を出演させると言う事が行われていた時代の最後だったんでしょうね。。

そのせいかは分かりませんが。。

中に入るまではやたらと凄そうな感じで期待してしまいますが、入ってみるとガッカリするくらいの印象になりますかね。。

しかしなんだか牛女のおばちゃんも観てるお客さん達も明るく楽しくと言う感じで、暗さは感じられなかったですね。。

そしてガッカリとか言ってしまいましたが、今でもこれだけ確りと覚えているんだから、何らかの強烈なインパクトが有ったと言う事なんだとは想いましたよ。。

まあ。。まだ僕が小さかった頃の忘れられない想い出の1つですね。。

そんなんで去年に続き2016年の見世物小屋に入りましたけれど。。

なんだか昨年のデリシャスウィートスよりこちらのゴキブリコンビナートの方が、元来の見世物小屋と共通点を見出だせて、新しく継承していける可能性が観られた感じはしましたね。。

相変わらず中で写真は撮れず約20分間で4演目と言った感じでしたがね。。

この時の演目でなにか強烈なインパクトが有ったのは、ヤモリ女を演じてる方でしたね。。

ヤモリを演じきっているのか、なんだか小汚ない格好を施して、四つん這いでも牛女とは違う感じで身体をくねらせながら現れて、無数の虫が蠢いてる透明の箱から虫を手に取り食べだしたと。。

どうも虫はゲジゲジだとかミルワームだとか言う事ですが、それを口の中に入れてよく観えるようにグチャグチャ食べて飲み込むと。。

横を向いて友人を見ると、かなりキツそうに顔を歪めていましたね。。

ここで僕は自分の過去を振り返りましたが、けっきょくは牛女だけで、ゲテモノ食い系やら火炎系やら他の演目は観た記憶が有るようで実は全く無かったと言う事ですね。。

そして僕が想ったのは。。

(よくこんな事出来るな。。男の僕でも絶対に無理だけどな。。)

と言う事でしたね。。

僕としては蛇よりこっちを食べる方がキツい。。

なんだかまだ若そうな女性でしたが、僕は何故彼女がこの様な事をするに至ったのかが気になって仕方がなかったですね。。

埼玉県だか屋根裏だかで発見されて、20年以上人間と触れ合うことが無く、まるでヤモリのようにゴキブリ、ゲジゲジ、ムカデ、ハエを好んで食べていたヤモリ女が、花園神社の公衆便所の裏で捕まえてきたゲジゲジやら虫を食うと。。

もはや道化より遥かに堕ちているように観えるこの役に、何故に徹しられるのかと。。

この役を夕方から深夜まで繰り返すとしたら、僕には想像を絶するところでしたけれどね。。

もしかしたら、何処か地方のゲテモノ食いの村かなんかの出身だから、当たり前に食べられるのか?

長野県辺りの昆虫食を嗜む地域の出身の方が特訓したのか?

そんな勝手な想像をしてしまいましたが、多分ただの吹っ切れたゴキブリコンビナートの演目の一貫だったんでしょうね。。

他の演目に関しましては。。

鼻に釘やドリルを打ち込む芸人やら、頬を串刺しにして縄を掛けブロックを積んだ台車を引っ張る芸人やらもいましたが、それなりに楽しめたと。。

あとは樺太の野人とか言う方達が半裸にボディペイントみたいな施しで3人出て来て、暴れた末にドライアイス食べたり扇風機の羽を舌で止めたりしていましたが、もし自分がやれと言われたら今回の演目の中でこれが一番出来る可能性が高いかなとか想いましたよ。。

まあ出来るかは分かりませんけれどね。。

とりあえず昨年のデリシャスウィートスよりはインパクトがあった感じでしたかね。。

そんな事でまた演目を観ながら移動して移動して出口にむかうのでした。。

こうして観終わって考えますと、少し前まで人気を博した小雪太夫さんとかの蛇食いみたいなのや、それ以前の一連の見世物小屋の演目と言うのは、なにか耽美的でもあり、背徳感を纏ったりするところが有ったようなような感じがしますが。。

こちらは身体を張った前衛パフォーマンスと言いますか、また違うものなんでしょうね。。

それはでも国の規制やら世の中のニーズの変化やらで、時代と共に移り変わり消滅したり誕生したりしていく当たり前の事かとは想いますが。。

そして世代を越えて長い間続いて来たものには、どう頑張ってみても表す事の出来ない何らかの格調が創り出されると。。

でもとりあえず祭りの余興として観るには十分だとは想いましたよ。。

この劇団さん達も、良いプロモーションになりそうで一石二鳥と言えるんじゃないかと想い見世物小屋を後にしましたよ。。

そんな事で見世物小屋も観終わってどうするかと言う事ですが。。

理想としては祭りが終わるまで何処か空いてる屋台の席で酒に興じると言ったところではないかと想いましたが、皆さん立派なビジネスマンで終電迄に帰らねばと。。

それで花園神社内は人混みが凄いし屋台は埋まってるしで、昨年気になった新宿ゴールデン街で軽く飲んでいく事になりましたね。。

こちらも祭りのすぐ近くですから、けっこう込み合っている感じでしたが、各店の席が少ないところもあり、偶然一組が店を出て空いた店を見付けられて、選ぶとかじゃなくてその店に飛び込みましたね。。

中に入ると年配のご夫婦が営んでいる店のようで、休憩がてら1時間くらい皆で話をしながら過ごしましたね。。

なんだかご主人は往年のハードロック好きな方なのか、よくあるディープパープル辺りのライブ映像を流していましたが。。

会話をする中でふと想い出した僕がご主人さんに。。

(そう言えば少し前だかにゴールデン街で火災が有りましたよね?)

と言ったらご主人さんは。。

(あれは関係無いホームレスが紛れ込んでね、最近は生活安全条例とかも出来て治安は良いよ。。)

とか言ってこられましたね。。

確かにそんなに治安は悪く無さそうに観えましたし、昭和の歴史や雰囲気が残る魅力ある飲食店街として、国内外から注目される場所らしいので、このまま文化遺産的な意味合いも含めて残って行ってくれたらと想いながら店を出ましたね。。

そしてお友達皆さん帰る方向が微妙に違うので、新宿駅辺りでさよならして僕は小田急線に乗って帰ったのでした。。

帰りながらあれだけ人が深夜までいるけど、2時に祭りが終わったら電車は無いし、皆どうしているのだろうとは想いましたが、始発まで2~3時間だから適当に時間潰して帰る感じなんですかね?

僕の理想としましては。。

見世物小屋とかフラフラ歩いて出店を楽しんで、熊手を買ったら空いてる屋台を見付けて終わりまで皆で酒を飲んで楽しんで、その後は新宿ゴールデン街に移って始発まで飲み明かして帰ると。。

そんな感じに想いましたが。。

電車に乗って帰宅するこの時に初めて、新しい熊手を買うのすっかり忘れていた事に気付きましたが、もう時は遅し。。

見世物小屋とかゴールデン街に気を取られ過ぎていたと。。

もし今度訪れたら5000円のを買おう。。

なんだか縁起も何も有ったもんじゃないと言う感じで家に帰る事になりましたとさ。。

最後に。。

けっきょくこの2年に渡る見世物小屋の訪問に関しましては、見世物小屋と言うより祭りに訪れると言う感じになりましたね。。

人混みが厳しいですが、なんだか昔ながらの祭りと言う感じがして良かったですし、祭りと言えば出店で食べたり買ったりと言うところですが、ここは見世物小屋も在るし、熊手を買う事も出来るし、でかい屋台で飲み明かす事も出来るしで、色々楽しめる祭りで良いと想いましたよ。。

見世物小屋に関しては、たぶん何らかの法規制の問題さえ無ければ、こちらの祭りでの需要は無くならない事でしょう。。

昔は300店余の興業主がいたものが衰退して今は1興業主だけだと言うならば、業界の超コンパクト化により営業を行える祭りさえ有れば、そして興業主が存続さえすれば続けられるのかと想いましたがね。。

どれだけ営業出来る祭りやらが有るのかは分からないところですが、見世物小屋は人権、カタヌキは賭博、カラーヒヨコは動物虐待、と言う観点から無くなってきてしまいましたね。。

更に見世物小屋では動物愛護の観点から鶏や蛇は喰えなくなり、今度は虫なら大丈夫だと。。

小人プロレスも無くなり、差別用語は規制され、赤線街も消えて逝き、亡くなっては生まれる世の中ですな。。

そんな事で何十年ぶりかで見世物小屋を観る事になりましたが、こうして観た後になっても僕にとっての見世物小屋と言うのは牛女であると言う結論だと。。

やはり幼い時代に、今はタブー視される空間風景の中にいた体験は、大きかったのかもしれません。。

昔のものを回顧すると過剰に良く観えてしまうとかかも知れませんがね。。

やはり見世物小屋はこの絵看板と、期待外れの内容と、それでいて何だか強烈に残っている禍々しい想い出と言ったところですね。。

しかし今の見世物小屋も好きな人なら其れなりに楽しめると想うのでお薦めですし、とりあえず毎年演目は其れなりに違うだろうしで、今度は朝まで飲み明かせる機会を伺って訪れられたらとは想いましたね。。

あと祭りと言えばですが、僕の店の前の道を歩いた先で開催される東林間の阿波踊りですかね。。

毎年8月の第1週末にやってるみたいですが、近いので数年前にどんなものかと期待しないで行ってみたら、次から次へ沢山の阿波踊りのチームが道を躍りながら行進して行く感じで楽しめましたね。。

なんだか祭りと言えば人混みと出店しか観ない感じがしていたんですが、この祭りは躍りが完全に主体となっている感じで、正に祭りだって想えましたね。。

そう言えば実家の厚木市の花火大会も同じ週だし座間キャンプの花火大会も同じでお盆前の第1週目は夏祭りに最も都合が良い日程となり集中する感じなんですかね。。

花火は全く最近観て無いですが、とりあえず今の僕にとって訪れる祭りが有るとすれば、花園神社の酉の市と東林間の阿波踊りだと言う事で、出来れば人混みを上手く避けて訪れたいと言う事で。。終わりたいと想います。。

花園神社

東京都新宿区新宿5-17-3

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