まんだら堂やぐら群と名越切通周辺。。 逗子市小坪7丁目 国史跡名越切通内 2016年11月3日 心霊ブームの記憶と共に。。

時代なんて関係無いのですが。。

僕が育った時代ってのはテレビ文化の一面において、1970年代からのオカルトブームに始まり、それが90年代半ば辺りで減少して行ったと言うような時代であったかと想います。。

ここではユリゲラーやら清田益章とかの超能力とか、 五島勉のノストラダムスの大予言みたいな予言だとか、矢追淳一やらミステリーサークルなんかのUFO関連みたいなのはおいといて。。

心霊関係に絞っていきますと。。

小さい頃は、(3時のあなた)や(2時のワイドショー)なんかの心霊写真なんかを観て怖がっていたし、(あなたの知らない世界)も観てた。。

各種ワイドショーのコーナーやら夏の特番やらで多々放送されていたところですが、芸能文化とかを嫌悪しはじめてた僕も、この手だけは観ずにはいられなかったですね。。

そんな中で個人的には深夜ダラダラ起きてるタイプだったので(プレステージ)辺りが想い出深いですが。。

やはりこのようなジャンルで言えば、テレビやらで観るよりも、実際に車の免許を取得したりして間も無い頃に行った、心霊スポットの想い出が最も心に残っているところとなります。。

そんなんで番組だとか雑誌だとか、色々な噂を聞き付けては出向いて遊んだものですが。。

その時代の初期からにおいて最も有名な心霊スポットの1つとして鎌倉市と逗子市に跨がる(小坪トンネル)があったかと想います。。

小坪トンネルとは神奈川県道311号鎌倉葉山線にあるトンネルであり本来の名称は小坪隧道だとか。。

それでこちらは住まいからも程好い距離で、何度か訪れたものですが、最初は幾つもトンネルがあってどれが小坪トンネルなんだか分からなくって右往左往したものです。。

けっきょく鎌倉市から逗子市方向が、名越隧道、逗子隧道、小坪隧道、 逆となる逗子市から鎌倉市方向へ、新小坪隧道、新逗子隧道、新名越隧道と、6トンネルの総称が(小坪トンネル)と言う事になっていたらしいと。。

しかしこのトンネル自体は車で通れるし、地元の人は普通に歩いてる感じがして、大して怖くもなんとも無かったですね。。

1953年の川端康成の小説(無言(怪談集))で、小坪トンネルに幽霊が出ると書かれているとか、タレントのキャシー中島がTVで紹介して有名になったとか言いますがね。。

その後の80年代辺りのワイドショーで散々取り上げられて祭り上げられた感じなんですかね。。

しかしこの小坪トンネル一帯は沢山の心霊スポットと言われる場所の宝庫であったと。。

例えば近くに在る(久木踏切)なんかは、何かにぶつかったような衝撃音がしたので運転士が電車を止めたとかで。。

その時に「白い服を着た女性が横切った」とか言う話をし、その後何度か同時刻同場所で同じ現象が報告されて新聞沙汰にもなったと。。

なんでも電車が走る創成期に踏切事故が絶えず慰霊碑が立っているらしいですが。。

冠水箇所を示した保守点検のカエルの看板なんかが有名で、この踏切も通ったけど怖くもなんとも無かったですね。。

他にも想い出すと。。

近くの国道134号線沿いの材木座海岸の公衆トイレに出るって話も有りますが。。

人気の無くなった夜の海水浴場のトイレなんて何処でも普通に不気味だって程度のもんかと想ったもんです。。

それで本当にヤバいって言われてるから訪れた場所として。。

1333年だかに新田義貞率いる兵達に攻めいれられた北条高時ら870人余りが火を放ち自決した (腹切りやぐら)にしても。。

住宅地の少し先ぐらいにあって、地元の人に迷惑だろうってくらいだったし。。

なにか歴史的な場所って歴史を冒涜するような気がするし、城跡やら合戦跡やらの前時代的な場所って、どうも怖さを感じないと想っていました。。

そんな中で、 この(小坪トンネル)では名越隧道辺りが出るとか言われていましたが。。

このエリアでなにより重要だったのが、(新逗子隧道)の横の階段から向かう一連のスポットになると言う事だと。。

当時は前述通りに、どうもいまいち心霊スポットにも醒め気味な僕でしたが。。

この(まんだら堂跡)に続く一帯は、けっこうな魅力を掻き立てられた、鎌倉エリアの少ない心霊スポットの1つであったからですと。。

それでなんだか2000年頃に(小坪トンネル)は大規模な改修工事が行われて以前より怖くなくなったとか聞いたのですが。。

まあトンネル自体はどうでもよい感じなんでね。。

その頃は先の(まんだら堂跡)の入口には立入禁止のバリケードとかが施されていたりして、侵入して行く人もいたらしいですが。。

僕は妙な倫理観が有ったのか、入るのを躊躇って引き返したりしていたんですよね。。

そんなんで、この当時はインターネットなども普及して無かったので情報もかなり曖昧で。。

なんだか僕はこの(まんだら堂)ってよく分からない名称と共に、観れなかった事も有ってか。。

気になって仕方無い心霊スポットとして、やたらと魅力を感じ続けていたところが当時は有ったのですよね。。

そうしたら2016年くらいに何となく。。

何かないかといつもの様に空いた時間にダラダラとウェブを見ていたら。。

なんとその(まんだら堂)が(まんだら堂やぐら群)とか言って公開されているのを見付けるに至ったんですよね。。

それでこれは行かなくっちゃと想った訳です。。

そうして調べると、どうも保存管理やら調査の都合上で限定公開となっているらしく、2016年の時点では。。

4月23日(土)~5月30日(月)

10月22日(土)~12月12日(月)

2月25日(土)~3月20日(月)

土・日・月・祝日のみの計60日間

の公開となっているらしいと。。

そんなんで平日の木曜日が定休日で土日祝祭日は休み難い僕で、どうしようかと想っていたのですが。。

ちょうど11月14日の木曜日が文化の日と重なって定休日だと言う事で、定休日が祝祭日などで休みの場合は店を開けるんですが、朝イチで見学し店に戻ろうって計画で訪れる事にしたんですよね。。

それで公開時間は10時~16時と言う事で、朝の10時に(まんだら堂やぐら群)の閉ざされていた入口に辿り着くくらいの時間に予定を立てましたと。。

で、観光地は大半は車で向かう僕なんですが。。

この辺りを調べると駐車場が近くに無さそうだし、祝日で鎌倉エリアとか混んでそうなので電車とバスで珍しく向かう事にしましたね。。

それでどうせなら殆んど乗った事が無かったので、江ノ島電鉄で向かいたいって事になりまして、小田急江の島線に先ずは乗ると。。

で、小田急相模原駅から小田急江の島線に向かうと、相模大野駅で乗り換えてが面倒なので東林間駅まで20分くらい歩きで向かうと。。

そんなんで小田急江の島線の東林間駅~藤沢駅が29分で310円でくらい、江ノ島電鉄の始発の藤沢駅~から終点の鎌倉駅までが33分で300円くらいだと。。

後は鎌倉駅から軽くバスに乗ってと言う事で。。

まあ小田急相模原駅の近隣に住んでいたので、何となく朝の8時に出発すれば良いかなと家を出ましたね。。

しかしそんな計画だったんですけれど。。

いつものように少し遅れぎみになりまして、9時10分くらいに江ノ島電鉄の始発駅となる藤沢駅に着きまして、江ノ島電鉄に乗ると言う事になりましたね。。

いやはやしかし、灯台もと暗しと言うもので、地元の大観光地って全く行かなかったりしますよね。。

鎌倉にしても箱根にしても殆んど行った記憶が無い。。

それで乗ってみた江ノ島電鉄は、確かに路面電車のような箇所や民家スレスレやら海沿いやらで、楽しい要素が詰まってる感じで。。

遠くに行きたくなる人間の真理に深く嵌まっていた自分が伺えて仕方無かったですね。。

そんで10時前くらいに江ノ島電鉄の鎌倉駅に着くと。。

それから案内に書いてある通りにロータリーにある3番のバス停から(緑が丘入口)行きのバスに乗ると。。

天気は晴天でバッチリでしたね。。

そして10分くらいで(緑が丘入口)のバス停に着いて歩いて8分とかで案内に書いてある例の小坪階段口に着向かうと。。

なんだかこの辺りは車でしか通った事が無かったので、バスから降り立つのは少し不思議な感覚になりましたね。。

それでテクテク歩いて行きましたが。。

小学校の社会科の授業なんてろくに聞いてなかった僕でも忘れた事の無い。。

鎌倉は三方を山に囲まれ、南が海に面した天然の要害に守られた攻め難く守りやすい地形だと言う事で。。

まあ逗子市なんですが、そんな言葉通りにキツい感じの生活路の階段なんかが目に付きましたかね。。

しかしよくよく考えれば、こちらの(まんだら堂やぐら群)は(名越切通しハイキングコース)のスポットの1つでありますと。。

(名越切通し)は、かつての中世鎌倉における鎌倉大町~逗子と三浦半島を結んでいて、低いが急峻な山を切り拓いた、その時代の主要路となる古道だと。。

どうもこのハイキングコースで見た場合は、入口として大町口、小坪階段口、亀が岡団地口、法性寺口、ハイランド口と6ヶ所の入口が有り、鎌倉駅からだと大町口、逗子駅からだと小坪階段口が一般的らしいと。。

鎌倉駅からなら徒歩2km程で大町口の入口となり、小坪階段口も同じくらいの距離っぽいから歩こうと想えば歩けるなと。。

まあ何処の入口も歩こうと想えば歩ける感じなんだと想いましたが。。

標高121mの衣張山やらへのコースや長勝寺へのコースやらも在り、観処も色々とコンパクトにゴチャゴチャ在りそうで、楽しそうだなと想いましたね。。

近いんだから1回くらいまともに訪れれば良かったなと想いましたよ。。

そんなんで、例の(新逗子隧道)の横の階段が近付いて来ましたね。。

やはり昔車で深夜に訪れて楽しんだ、この小坪階段口から(まんだら堂)に向かわないとつまらないと言う事でしたが。。

初めて昼間に観るその階段は。。

なんて事無い、やたらと崖側に雑草が繁ったような、ただの寂れただか鄙びただかの階段に観えましたね。。

階段の山側のコンクリートパネルには、ワードかなんかで軽くかいてガムテープで張り付けた道標が有りましたね。。

無理に金を掛けないところは好感が持てましたね。。

(武家の古都鎌倉)として世界文化遺産に落選し再挑戦しようと言う際に、こちらも構成資産の1つとして突っ込もうって事を聞きましたが。。

心霊スポットだった物件が世界遺産候補なんて胸が熱いですかね。。

もう世界遺産の件はこちらで色々書いてて、どうでもいい存在だと言う考えに至ってしまいましたけれどね。。

そんで想い出せば、僕は一般的なテレビ文化と言うものは、高校生くらいまでしか観てなかったのですが。。

心霊スポット系は特に楽しいので、(みなさんのおかげです)の(宜保タカコの心霊バスツアー)とかは観てしまっていましたね。。

このコーナーで有名なのは(第2回 おじゃが池編)か。。

天然記念物やらが在る場所での爆破や不法投棄が問題になった、(第5回 富士の樹海編) 辺りかと想われますが。。

僕としましては、栄えある第1回目として1991年10月3日に放送された(小坪トンネル編)が、数ある(小坪トンネル)を扱った番組の中でも一番覚えていますかね。。

なんかトンネルの中とかでくだらない事をしながらゴチャゴチャやってたのを覚えていますが。。

車で通ったりした後に放送したので覚えているんでしょうね。。

そんな事を想い出しながら階段を登って逝きましたが。。

登った先は原っぱと言うか広場みたいな場所ですよね。。

以前の夜に訪れた時より雑草が刈られたのかすっきり気味になってましたね。。

それで(まんだら堂やぐら群)へのルートは広場の反対の奥の森の中の登りに続くのは知っているので。。

真ん中の踏み跡みたいなのを歩きながら奥に進んで逝きますね。。

しかしその広場の奥には、この(小坪トンネル)から(まんだら堂)と言う心霊スポットルートにおいての中間クッションとなるような有名スポットとなる(金網で囲まれた古井戸)が在りますね。。

まだ在ったのか。。

そう言う想いが過りましたね。。

こちらは巷では、なんだか観光地として解放していた頃に、興味本位で井戸を覗いた少年が転落して死亡したので事故防止の為にフェンスで囲まれているって話しでしたよね。。

以前の方が囲いの内部は雑草も少なくてスッキリしていますね。。

中を除き混んだら古い石版で四角く仕切られた井戸らしき物は在りましたが、ゴミや土やらかは分からないけど埋まってる感じがしましたが、どうなんですかね。。

ここでまた昔に訪れた時の画像が有ったので載せておきますね。。

しかし現在はもう草木がボウボウで、囲いの中だけがジャングルみたいになってて。。

ここまでなってくると、やはり異様な感じがしてきましたね。。

まあでも昼間に来ると怖さは感じないし、よく観れて良かったですよ。。

中世都市の界隈となると井戸も多かったかと想いますが、(名越切通)には石切場の跡が在るので、その石で造られた井戸だとかなんですかね?

世界遺産登録候補地として逗子市が整備しようとしているような場所において、この道も(名越切通)への正規ルートの1つだとしたら。。

お祓いして埋めるなり、整備するなり出来ないのかと想いましたが。。

ちょっと調べようにも分からないのでスルーですね。。

そう想いながら先の疑似丸太みたいなのを登って行きましたが。。

振り返ると古井戸の囲いが、ゴミ箱みたいに観えましたね。。

そして登って行くと。。

けっこう回りは鬱蒼としていて、傾斜も有る九十九折り気味の道となり、登山道みたいだなあと想ってくる気がしますが。。

大した距離をかけずに(名越切通)の途中に出る感じでしたね。。

(名越切通)には鎌倉幕府が敵の侵入を防ぐために造ったといわれてきた大小3箇所の狭い掘り割りとなる第1~第3の切通があると言う事ですが。。

右に向かえば(第1切通)、左に向かえば(まんだら堂やぐら群)と書かれた道標が有りましたね。。

それでとりあえず右に向かえば、いきなり初っぱなから一番大きいとされる第1切通の狭まった崖が観えると。。

先に進んでも亀が丘団地口となる出口しか無さそうなので、先に(第1切通)を見学させて貰いましたね。。

ここでまた以前の深夜に訪れた時の写真を載せますが。。

よくよく考えたら(名越切通)自体が心霊スポットとして扱われていましたし。。

この辺は総てが心霊スポットと言える場所だったと言うところですね。。

そりゃ夜の暗い中でこんなところに来れば、誰だって不気味に決まってると想うってもんでしたね。。

それで(第1切通)の狭く掘削された道の先を進んで振り返ると、(名越切通)において最もダイナミックな景観を見ることができる場所だかを観る感じになりましたかね。。

でも一瞬、沢登りルートでのゴルジュとか登山でのキレットとか観てきたから、そんな大きく無いなとか想いましたが。。

こちらは歴史に歴史を重ねた交通路の跡となり、主旨が違うと。。

人口と言える道としては自然のスパンに近いような悠久の時が刻まれていて、限りなく自然に馴染んだ幹線道路なんだと僕には想えましたね。。

こちらの(第1切通)の岩壁に囲まれた広場は大空洞と呼ばれているらしいですが。。

ここに敵を誘い込み岩壁上の平場から攻撃することができる構造となっているらしいと。。

(第1切通)の最大崖高は約10mで、もっとも狭まった部分の幅は現在約90cmらしく、乗馬での通行は不可だったと言う事らしいですが。。

服が擦れたりする時に成る程と想ったものでしたね。。

しかし近年の調査では、かつては約270cm以上あった事が分かったらしいと。。

それ以外の部分についても、現在の道幅の倍以上広かったと推定されていると言う事ですね。。

当初は鎌倉防衛という軍用道路の性格上もあり、 道に沿って崖のかなり上にやぐらが確認されている事などから、切通しは現在よりも急勾配であったと考えられ、 現在の道のもっと上のところに通路が在ったと言われていると。。

そして現在のこの道が使われるようになったのは時代が進むにつれて通行しやすいように改修したりして低くなったりした江戸時代以降らしいですが。。

更に時代が進むと今度は逆に地震やら崖崩れなどでの修復が繰り返され、道はかさ上げされて狭まっていき、現在の姿となったらしいと。。

横須賀線や県道の(小坪トンネル)が開通したりする明治時代の初め頃までは幹線道路としての重要な機能を果たしていたらしいですが。。

それを知ると重みを感じられる道ですかね。。

(第1切通)の崖上には、2004年頃に行われた補強工事の時に造られた迂回路が有り、迂回路から少し登った処に展望台が有りまして、切通しの岩肌や道底と、小坪や逗子マリーナやらが望めるらしいですが。。

他にも眺望ポイントが多数有った気がするので、混同して覚えて無いですね。。

そして引き返して最初に登って来た(小坪階段口)から観て左の方面へ進みましたね。。

鎌倉は政治経済の拠点として発展しますが、 三方山で一方は海の鎌倉は、要害であると共に外部からの鎌倉への出入は大変に不便であったと。。

それで既存の尾根越えや波打ち際のルートでは厳しいと言う事で切り開いた道が切通しとなりますが。。

その中でも重要なルートが(亀ヶ谷坂切通し)(化粧坂切通し)(巨福呂坂切通し)(大仏切通し)(極楽寺坂切通し)(朝夷奈切通)(名越切通し)となりまして、鎌倉七口と呼ばれていたらしいと。。

そして三浦半島方面に向かう道の(名越切通し)は、三浦一族を警戒する為に、鎌倉を防衛する上で重要であったらしいと。。

その為に道の途中には防御のための巨大な置石や、侵入者を討つための平場やら、 通り難いように鋭角に道筋が曲げられていたり。。

その他に土塁、曲輪、空堀、大切岸など、軍事的防衛施設が設けられていたと。。

しかし北条氏は宝治元年となる1247年の宝治合戦にて三浦氏を滅亡させたので、その後は切通しの道も軍事的意味は薄れていったらしいですね。。

そんな事で(第1切通し)からそんなに歩かずに小さな尾根を切り開いた(第2切通し)を通過して行きましたが。。

普通に山とかで有りそうなただの山道みたいな趣でしたかね。。

まあでも快晴だし、中世日本に想いを馳せながら爽やかな感じでしたよ。。

それでちょっと進めば呆気なく(まんだら堂やぐら群)の閉ざされていた入口に着きましたね。。

なんだかこうして開かれた昼間に来れば爽やかな散歩道みたいなもので。。

あの頃は何をやってたんだかと、笑えてくるもんでしたかね。。

(まんだら堂やぐら群)への入口の分岐の先の(名越切通し)には(第3切通し)が在りましたね。。

道中央の大きな置石が戦略的な切通しだと言う事ですが、これもなんだか登山道の岩場とかによく観掛けるような程度に観えましたかね。。

まあでも繰り返しますが、そう言った事では無くて中世日本に想いを馳せるのでした。。

とりあえず先の切通しは後回しにして、(まんだら堂やぐら群)へと向かう登りの石段を登って行きましたね。。

そうすると高くておっきい煙突から煙が出ていて、嫌でもそれしか目に入らない感じでしたね。。

この辺は火葬場がどうこうって言う話は有名だったから、あれが火葬場の煙突なのかと一瞬想いましたね。。

しかしこの煙突は、名越クリーンセーターって言うごみ焼却所の煙突だったらしいですね。。

現在の火葬場なんて、そんな大々的な煙突は無い感じですからね。。

この辺りは住宅地の外れの方とかになるからこう言った施設が多い感じなんですかね?

そんな事で考え直しますと。。

どうも火葬場と言うのは、(まんだら堂やぐら群)の入口からこちらに少し進んだ辺りから観下ろす処に在ります、この物件の事だったんですね。。

どうもこちらは誠行社斎場に併設されている小坪火葬場だと言う事ですが。。

(小坪トンネル)には真上に火葬場が有るなんて言われてましたが、真上では無くて、すぐ近くと言うのが本当のところだと言う事ですね。。

そして次に先程に戻って三叉路みたいな処から今度は右の道を進み、こちらのメインスポットの1つの(大切岸)の方向に向かいましたね。。

どうもこちらの道は(巡礼古道)と言う名称になっている感じなんですかね。。

(名越切通)は真っ直ぐ進む(大町口)の方かも知れませんが、今回観たいのはこちらの方でしたからね。。

登って行くと平場になってフェンスの向こう側に無縁諸霊之碑が立っていましたね。。

この山周辺で発見された遺骨を集め祀っているとからしいですが、他に動物霊堂なんてのもあったみたいですが、よく覚えていませんね。。

以前はこのフェンスは無くて、フェンスの向こう側の方に(巡礼古道)が通っていたらしいですが、(まんだら堂やぐら群)の発掘整備とかのエリアになっているからしく、立入禁止となり迂回ルート的な道に変わっているらしいとか。。

でもまあ僕はこの道は初めて通るので、違いも何も無かったですけれどね。。

それでフェンス伝いって感じに進んで行きますと。。

開けた感じの場所に出て、小さい渇れ沢みたいなのを越えるような、ボロボロの橋なのか階段なのか分からないようなのを越えていきましたかね。。

進んで振り返ると、この辺りが東平場って処だったのかと言う感じで、段々になっていて歩いた中で最も広い平場だと感じましたかね。。

改めて平場と言うのは切通し道や切岸の上や山頂などを削って造った平らな広場の事で、兵が詰めて敵に備えるのに使っていたと言う事ですが。。

広い広場では土を盛り上げ土塁を巡らせたりしたらしいと。。

そして土塁で囲まれた区画を曲輪とも言って、大きな曲輪では空堀を堀り、相手をここに誘い込めば敵は逃げ場を失わせる事が出来たとか言いますが。。

平場なんて(名越切通)とかにも幾つか在ったんでしょうが。。

僕の観方が浅いせいか、なんだかこちらで観た総てが露骨にそう観えるものでは無くて、自然地形に近いものに観えましたね。。

その後は広場を奥の方まで進みまして、設置された階段を登って進んで行きましたね。。

相変わらずフェンスが有って、金網に石を敷き詰めた蛇篭擁壁みたいなのも有ったりして進んで行きましたね。。

この辺りのフェンス越しは先ほど観たやぐら群の奥地って感じで調査中のビニールシートみたいなのも観られました。。

しかしなんだか晴天で11月なのにやたら暑く感じがしたし。。

短いけどゴチャゴチャ細かくアップダウンを繰り返し歩いたりしている感じで、疲れが蓄積されて来たところでしたかね。。

この辺りは名越山とも言われていて、標高92mのピークとかが近い辺りだったんですかね。。

途中で(法華宗日蓮大上人焼き討ち避難路)と書かれた石を観ますね。。

なんでも(立正安国論)を提出した事によって松葉ヶ谷草庵において焼き討ちに遭った日蓮は、白猿に導かれ、名越切通しを越えて法性寺の地まで逃げのびたと言われているそうで。。

その事を刻んだ石だと言う事ですね。。

こう言うのを観ると、何が本当か分かりませんが、歴史ある道を歩いている気分になりますかね。。

しかし五輪塔やら石廟やら石碑やら石仏やら観落としは相変わらず多かったでしょうね。。

そしてそんな事をしていたら何か大きな民家の塀の外。。

塀の上にも金網にバラ線と更にセコムも設置されていてと。。

とか言いますが。。

実はこれが久し振りに観たかった一番の物件だったりしましたね。。

(サリーちゃんの館)って有名ですよね。。

この(サリーちゃんの館)って物件に関しましては。。

遠望でしか観た事がなかったので、こうして巡礼古道を通る事によりいきなり館の裏壁に接近してしまったので、呆気ないと言ったところでしたかね。。

JR逗子駅からも観られるとか言いますが。。

小坪トンネル界隈を車で走っている時にポツンと山の中腹の森に隠れたように建つ洋館だと。。

元号が平成に変わって暫くした頃に(サリーちゃんの館)って恐ろしい心霊スポットが有るって噂話を耳にしていて。。

その後に小坪界隈を車で走った時に遠望で観られたその洋館の姿に、僕は何か興味をそそられて仕方無かったものです。。

(サリーちゃんの館)の噂話としては。。

小高い山の上には、まるでサリーちゃんが住んでいるかの様な謎の洋館があるんだけれど、 洋館は遠くからは観る事ができるが、洋館に通じる道が無くて近づくことはできないだとか。。

洋館の窓際にはサリーちゃんのパパが髭を蓄えた出で立ちで佇んでいたとか。。

2匹の猟犬を従えた鎌を持った男だかナタを持ったおばちゃんだかが追っ掛けてくるだとか。。

だいたい有りがちな話に終始して逝くものですが。。

こうして巡礼古道を通って近付けない筈の洋館に、簡単に近付けるもんだと想うと面白いもんですね。。

そんなんで、また後で帰りに観ればと先に進みましたかね。。

道標が有って左方向に進めば(大切岸)って標示されていたので、そっちに進んで行きましたね。。

そのまま下の方に進めば、石切跡だかやぐら跡だかを抜けて、法性寺墓地の方へと向かう感じでしたかね。。

そうすると先に石廟が観えてきました。。

観落としが多い僕ですが、ここの石廟はなんだか覚えていますね。。

考えれば昔ながらの石廟やら五輪塔って不均等に丸みを帯びていて可愛らしく観えますね。。

新しいいピシッとしたタイプじゃなくて、年代物のやつですね。。

なんだか森の精霊達の世界のものって感じで、怖いとかじゃなくて和やかさを感じるところですかね。。

石廟は向きを横にして少し離れて2基在りましたね。。

いずれも中に骨蔵器が納められていたらしくて、鎌倉末期から南北朝期にかけて造立されたものだと考えられていますが、どちらも盗掘とかされたりしていて詳細は不明だとかなんだとか。。

考えますと。。

(名越切通)にしても最初に名称が史料に見られるのが天福元年となる1233年に書かれた(吾妻鏡)に(名越坂)の記述があるからだと言う事で、それ以前のいつに出来たかは分かっていないらしいですし。。

なんにしても歴史が有り人々が沢山行き交い続けた場所は、判別が難いもんだと想えましたかね。。

それで進んで降って行きますと、法性寺の墓場なんかが観下ろせましたかね。。

猿畠山 法性寺(えんばくさん ほっしょうじ)は前述の猿に導かれて建設したと伝えられる日蓮宗の寺院ですが、この時は寺院とかは全く頭に無くて一切観なかったですね。。

しかし(まんだら堂やぐら群)を観に来たのを切っ掛けに沢山観れてる感じでしたね。。

そうしているうちに(大広場)と言われる場所に着きまして、こちらの眺望はなんだか良かったような気がしましたね。。

逗子の海やら街なんかが観えて法性寺の本堂横の小高い山の上に建つ山王大権現五重石塔なんかも観えるらしいと。。

しかしそれは全く気付きもしなかったですね。。

まあでもこの辺はせいぜい標高100m前後かそれ以下ってもんなのに眺望は良かったと想えましたね。。

しかしここからの眺望で観られるものでも、やっぱり僕は(サリーちゃんの館)が気になってしょうがなかったですね。。

ただの普通に人が住んでる家だって分かっててもこう観ると何かロマンを感じますかね。。

この洋館はやはり、住んでる方の迷惑にもなるし遠望からイマジネーションを掻き立てるのが良いので、こうして観る風景が良いのでしょうね。。

何でも調べますと。。

元々はロッキード事件で有名になった(記憶に御座いません)の 政商である小佐野賢治が所有していたとか。。

その後には日興証券だかの社長さんだかお偉いさんだかが所有していたとか。。

そんなんで空いてる時が多かったんでしょうが。。

最近は地元の警察関係の方だかなんだかが普通に住んでるとか見ましたが、色々変わるのかも知れないし、よく分かりませんがね。。

入口は(名越切通)の(亀が丘団地口)付近となる住宅の最奥辺りだと言う事ですが。。

逗子市の門から入って館まで数100m私道を通るとか、専用のエレベーターを使うとか面倒な家ですね。。

回りは墓やらやぐらやら火葬場やらだし、まあ気にしない人には良い処なんでしょうね。。

そんな事で、この(大広場)からも風景では無くて(サリーちゃんの館)ばかり観てしまいましたね。。

そんな事で、僕がパチパチと一眼レフで熱心に(サリーちゃんの館)の遠望チラ見写真を撮っていると、とある話好きそうなご婦人のグループが、その洋館の風景に興味を示しまして。。

(あの建物って何なのかしらね?)

(なんか変よねぇ。。あんな処にポツンと。。)

(さっき通った時になんだか讃美歌を謳う声が聴こえたわよ。。)

とか怪しんで言ってるので何だか笑えましたね。。

こうした事から訳の分からない都市伝説って生まれてくってもんなのかと、そのメカニズムの一端を観たような気がしましたね。。

そんなんで懐かしい(サリーちゃんの館)の姿を観た余韻に浸りながら、展望広場の横にずっと続いているように観える(大切岸)を歩いて行く事にしましたね。。

とりあえずこちら(大広場)からは、(大切岸)の下部を歩いて行き、Uターンして上部を歩いて帰って来ると言う感じで。。

今迄の道程と違う解放感が有る道を通るので、迷う事無く進んで行く感じでしたかね。。

なんでも大切岸とは、高さ3~10mの断崖が尾根に沿って800m以上に渡り連なる遺構で、三浦氏の攻撃に備えて造った鎌倉幕府の防衛遺構だとか言われてたらしいですが。。

その後の発掘調査の結果により石切り場跡であることが確認されたらしいと。。

しかし鎌倉を防衛する目的が一切なかったと即断は出来ないらしいとかで、やっぱりよく分かって無さそうですね。。

もう今日観るポイントは、これが最後だと言う事で、けっこう疲れて来ましたが、平坦だしまったりと歩いて行きましたかね。。

こちらは正式には(お猿畠の大切岸)とか言うみたいですが。。

お猿畠ってのは前述の日蓮の話から来ているらしいと言う事ですね。。

お猿畠とは、大切岸の下にあるほんの狭い畑を指すらしいだとか、山の斜面を2段、3段と垂直の崖に削り、各段の上には平場が設けられているとか見ましたが。。

こちらもやはり河岸段丘だとか海岸段丘だとか色々と観てきたせいか、そんなに大きくは感じませんし。。

人工的なのか何とも言えない感じに観えちゃったりしましたね。。

下方にはビニールハウスやら畑も観えて渾然一体の景観だったかも知れませんね。。

(お猿畠の大切岸)は、鷹取山火砕岩部層からなる断崖であり、断崖は風化で凝灰質砂岩の硬い層が残り、軽石や岩片を含む軟らかい部分が浸食され、露頭面に明瞭な凹凸が観られると言う事らしいですが。。

お隣の横須賀市の鷹取山の石切場の方が、高さは有ったから迫力だったら有りましたかね。。

でもこちらは悠久の歴史を楽しむ処ですからと。。

振り返れば(サリーちゃんの館)の頭はしっかりと観えましたね。。

こちらで石切り作業が行われた時期は、やはりはっきりとは分からないらしいですが。。

堆積している土砂の調査とかをした感じだと、宝永4となる1717年の富士山噴火による火山灰が含まれているので、それより古い時代であることは確実であるらしいと。。

そんなんでUターンする処まで来ましたね。。

距離は800m以上とかは無かったと想いますから、300mとも言われていますし、800mだとしたらUターンは途中の場所なんでしょうね。。

石段を上がってUターンしましたね。。

登った先にはハイランド口に向かう道標が有りましたね。。

衣張山とか報国寺に向かうコースも有ると。。

更に疲れてきたのか、そんなに複雑な道でも無いのに迷路みたいに想えてきましたね。。

報国寺の竹藪でお茶飲んだ事有るなとか想いながら進みましたね。。

少し森林を進めば大切岸の直上に出るって感じでしたかね。。

反対側はずっと深い森林でしたね。。

進んで行くと直ぐ下はさっき歩いた道だって感じで楽しかったですかね。。

(サリーちゃんの館)の頭は相変わらずチラチラといい感じで楽しかった観えていましたね。。

そうしてさっきの(大広場)に戻って来ましたね。。

祝日だけれど程好い人出で問題無かったですね。。

それで最後に調べてみますと。。

逗子市って人口約5万8000人くらいで面積17.28km2のかなり小さいコンパクトシティだったんですね。。

前述では潤ってるかと想ったら観光客数も年間で海方面が大半となる80万人くらいだとか。。

そうなると年間観光客数が約2000万人とかの隣の鎌倉市にはそう言った面では敵いそうに無いですが、頑張って貰いたいところですね。。

しかし何だか2018年度の予算案なんかを拝見しますと、訳の分からない財政難に陥っているみたいで。。

そうなると2014年度までに史跡公園として公開する筈だった(まんだら堂やぐら群)とかも、どうなっているのかよく分からないし心配になりますけれどね。。

(まんだら堂やぐら群)に関しては通年で公開するにしても、悪戯や盗難とかの問題が頻発しそうで、常時監視員を置かないとまずいのかも知れないと想ったりしましたし。。

大体の観光客は鎌倉駅方面からから訪れるだろうし、駐車場もトイレも飲食店とかも無さそうで金は落ちなそうだしで、色々と難しいところが有るのかも知れませんけれどね。。

そんな事で来たルートを引き返して行きましたね。。

しかし考えればせっかくなら帰りは違う法性寺の墓場からのルートで途中まで戻るとかすれば良かったのに、全く同じルートで引き返してしまいましたね。。

帰りの電車も何もかも同じルートで帰りましたよ。。

たぶん疲れて余裕が無かったんでしょう。。

それで大体が予定オーバーするもので、午後からお店を開けようとした目標は午後の3時半くらいからとなりました。。

お客さんが来てくれたのかはよく覚えて無いですが。。

同じ県内の近くでも楽しめる場所が在って、なかなか良い1日を過ごせたと想いながら半日旅行を終わらせましたね。。

最後に。。

この(まんだら堂やぐら群)に関しましては。。

最初は昔心霊スポットだった場所が、正式に公開されるようになってどうなっているのかと言う事が理由で訪れたのですが。。

晴天でしたし、とても爽やかなトレッキングに出掛けたような半日になりましたかね。。

予想よりやぐら群にしてもなんにしても、比較的小ぶりな感じがしましたが。。

永い歴史の有る道や遺跡を歩いたり観たりするのは、大きさや派手さでは無いですから、静かで慎ましい姿こそ良かったんだとも想えましたね。。

しかしこの地が心霊スポットとして有名になってしまったのは仕方が無いとも想えます。。

横穴式の墓である (まんだら堂やぐら群)はもちろん。。

通常の墓地やら、火葬場やら、怪しく観える洋館やら、トンネルやら。。

だいたいこの(まんだら堂やぐら群)や(名越切通)が在るこの辺一体が何千もの人の骨やらが見付かったりした場所で、沢山の人が非業の死を遂げた場所でしょうからね。。

広げれば鎌倉って場所自体が幾度と無く合戦が有った場所ですから、沢山の怨念が渦巻いていてもおかしく無いのかとも想えましたね。。

由比ヶ浜なんて駐車場の工事の時に何千と言う人骨が発見されたって話ですしね。。

それに地形的にも丘陵地帯だし森林も多いし夜は他の街より暗い感じがするような気がしますしね。。

しかし僕としては歴史の中と言える時代のものは前述のように歴史の冒涜とも想えるし、心霊スポットとしてあまり魅力を感じていない方だったところでして。。

と言うよりも、なにか現代の訳の分からない胡散臭いネーミングとかの心霊スポットの方が好きでして、そう言った意味でやはりこちらでは(サリーちゃんの館)と言うのが何よりも印象深かったですね。。

例に挙げれば、この界隈なら鎌倉の鶴岡八幡宮の若宮大路沿い辺りに在った(サザエさんの家)が、ただの廃屋だったと想いますが楽しかったところです。。

でも僕自身は心霊スポットでなにか霊が現れたとか怪奇現象が有ったなんて言う話は信じてはいないですけれどね。。

ただ気味が悪いと言う気持ちになるのは確かで恐怖心を煽られる事は有ります。。

ですからそう言った心理的な問題が、何らかの幻覚やら勘違いを起こして、出たとか出ないとかの話になるのではと想うところですね。。

そんな事で心霊スポットなどと言う場所で霊に遭遇するなんて全く信じていない僕ですが、なにか楽しくて以前はこの界隈やら色々と、他でも夜中にフラフラと、そう言った場所を巡ったりしていたのでした。。

そうした行いの中で、この(まんだら堂やぐら群)周辺では最も怖い体験をしたのを覚えています。。

その話とは。。

夜中に(まんだら堂)を観ようと4人で連れたって(名越切通)を歩いていると、やはり立入禁止になっていてバリケードの前で引き返そうとなった時に、皆が面倒くさそうにする中で、僕は気になったので。。

(もう少し先まで観てくるから先にゆっくり戻ってて。。)

と言って切通し周辺を独りで歩いていたのです。。

そうしたら(南無妙法蓮華経の碑)と言うのが在ったので、懐中電灯を照らしながらそれを観ていたら。。

なにか後ろが気になったので振り向くと。。

なんと長髪白髪頭の婆さんがこっちを向いて独りで立ってたんですよ。。

この時は本当に怖かったですね。。

皆が先に車の方に帰っちまった後に独りでこんな処に居て、得体の知れない婆さんに出会す恐怖は半端では無かったですね。。

いや婆さんからしたら、僕こそ得体の知れない人物だったかと想いますが。。

しかしそれまでナタを持ったおばちゃんやら銃を持った男が追っ掛けてくるとかの話を耳にしていた僕の恐怖は半端では無かったですね。。

それでなにか僕の方を無言で見続けていたので、僕は。。

(今晩は。。失礼します。。)

と小声で挨拶して、足早に皆が待つ車の方へ歩いて行ったのでした。。

ここは焦って騒いだり走って逃げ帰るって言うのは逆効果だと言う心理が僕の中で働いたんでしょうね。。

あくまで平常心を装い、普通に歩いて帰ると言う事に徹しないと、良からぬ事が起きる可能性が高いと言う想いで、後ろを振り向かずに歩き続けたと。。

例の切通から分岐の疑似丸太の階段と古井戸の横を通り、小坪階段口へ向かって、スタスタスタスタと皆の元に歩いて帰ったのでしたよ。。

それで車の置いてある階段のスペースまで戻ろうとしたら、パトロールの警察官と連れ達は話をしていたんですね。。

まあその時は、この辺りは僕達みたいな考えの元に深夜徘徊する輩が多いので、警察もパトロールしてるんだなって感じでして。。

いいから仲間に入れてくれとその輪の中に飛び込んで事なきを得たのでした。。

まあそんなんで何事も無く無事に帰れたんですけれど。。

この体験が過去に有ったからこそ、この場所が気になってまた訪れたのかも知れませんね。。

気になって考えましたが、おそらくあの婆さんは、近くの住宅街辺りから猫に餌付けでもしに来た方だったんでしょうね。。

回りに何匹かの猫がいましたし、調べますとこの界隈には野生化した猫が多いらしいですからね。。

しかし猫の餌付けは問題になっているところも有るので、あの婆さんは婆さんで問題となるような事をしていたのかも知れませんがね。。

とりあえずその婆さんに遭遇する3秒前に撮った写真が残っているので掲載させておいて貰います。。

そんな事でこちら(まんだら堂やぐら群)や(名越切通)を伴うハイキングコースは。。

夜は不味いですし、どれも比較的小ぶりな景観となりますが、昼間に歴史に想いを馳せつつ散策をするには良い処かと想います。。

道は程好い距離ですし、色んなものが然り気なくこじんまりと佇んでいたりして、回りには神社仏閣なども多く、色々なルートが楽しめそうですからね。。

だからこちらは駐車場が近くに無いのが玉に傷ですが、何度も気軽に散策がてら訪れて楽しめる処かと想いますので、また空いた日にでも散歩がてら訪れられたらと想いました。。

皆さんも散策がてら訪れてみたらと言う事で終わりたいと想います。。

(まんだら堂やぐら群) 逗子市小坪7丁目 国史跡名越切通内

期間限定公開

問い合わせは逗子市 社会教育科あたりへ。

http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/syakyou/

近くには駐車場は無さそう。

(名越切通)の各入口まで。

JR逗子駅バスのりば6番

亀が岡団地循環 緑ヶ丘入口 下車 徒歩8分
亀が岡団地北 下車 徒歩5分
JR鎌倉駅バスのりば3番

緑ヶ丘入口行き 緑ヶ丘入口 下車 徒歩8分

入場料 無料

2018年度から任意で寄付金を募っているらしい。。