太陽公園 兵庫県姫路市打越1342−6 2016年7月15日 いつも心に太陽を。。

2016年7月13日~15日の鳥取県方面への旅行の最後に、断崖絶壁に建つ(三徳山三佛寺投入堂)を訪れて旅行を締めくくろうとしたところ。。

雨が降っているので気になって電話してみたら、この日は(投入堂)へ向かう参拝登山道は入山禁止となってしまっているらしくて。。

凄く訪れてみたかったのに、えらく残念な気持ちになってしまったところでした。。

それでこんな鳥取県くんだりまで来て、まだ昼間だと言う時間なのに、このままただ帰る訳にはいかないし、どうしようかと車の中で考えたのでした。。

それで訪れたかった(投入堂)の変わりに向かうんだから、他にこっち方面でどうしても訪れたいと想っていたような場所は何処か無かったかと考えを巡らせたところ。。

この(太陽公園)が頭に浮かびまして、こちらに代打役として白羽の矢を立てて訪れる事にしましたね。。

まあまだ鳥取県三朝町辺りとなるここら辺からは、約150kmばかり離れてはいるんですが。。

帰り方向となる兵庫県姫路市ですし、なんだか世界の有名な石造物なんかが、けっこうなスケールで無茶にたくさん造られていて、訪れてみたかったんですよね。。

そんなんで、初めての姫路市の訪問なのに、平成の大修理が終わった世界遺産にも登録されている(姫路城)には目もくれずに、この時は(太陽公園)に向かって車を走らせる事になりましたね。。

それでこの時は初めてとなる中国自動車道にも乗ったりして向かったんですが、(太陽公園)を越した位置で高速を降りるのは嫌だったから、手前の山崎ICで降りて向かったりしたと。。

(太陽公園)の最寄りICは山陽自動車道の姫路西ICで、降りたら約3.2kmくらいかと想いますが、そんなんでこの時は南北で言えば逆方向から来た感じになりましたかね。。

しかし帰り方面だから選んだけれど、やっぱり距離はそれなりに有ったので、何だかんだでけっこう時間がかかってしまいまして。。

けっきょく近くまで来る頃には16時過ぎになってしまい、入園は16時30分までと言う事なので、焦ったりしましたね。。

どうも現在こちらは、元々1992年10月に開業した当初から有る、世界の石で作られた建造物や遺跡や石像などのレプリカを設置した、散策エリアとなる(石のエリア)と。。

2009年4月19日に、隣接地の (岩崎山 標高114m)の頂上に増築オープンさせた、(白鳥城)をメインとする(城のエリア)の2つに分かれているテーマパークになってる感じでしたね。。

それで向かって行きますと、何かこの辺りは低い山が立つ丘陵地帯の間の平野部に、田畑や住宅が拓けているような地域に観えまして。。

たまにその低山の頂きに建つ白鳥城が観えたり観えなくなったりして、早く着かない進んで行きました。。

そしてどうも(石のエリア)の入口にもチケット売場が有りそうなので、隣接した昔からの駐車場だかに車を駐車してチケットを買おうとしましたら閉まっていまして、この時で16時15分くらいになっていましたので更に焦りましたね。。

それで開いてるチケット売場は(城のエリア)の方なんだと、道の反対の少し離れた(城のエリア)の入口の方に急ぐ事にしましたが。。

山陽自動車道の白鳥PA辺りからもよく観えるらしいですし、流石にここからだと、もう白鳥城は小山の頂上にバッチリと観える感じでしたね。。

それで現在の中心となっているような、(城のエリア)の方面の300台分の駐車場に車を駐車して、メインエントランスを通り、先のチケット売場に急ぎましたね。。

それでこの時は相変わらずに、そんなに予備知識を蓄えて訪れた訳じゃ無かったので気に止めなかったですが。。

エントランスには(太陽王国 白鳥城)と書かれていて。。

先の階段の中間の踊り場には、何だか立派な黒い石碑が3つ建てられていましたと。。

そしてその3つの石碑に彫られた文字は、真ん中が。。

(国際福祉都市 太陽 社会福祉法人 愛光社会福祉事業協会 )

と彫られていて、向かって左には。。

(完全参加と平等 )

と彫られ、下には。。

1980年1月30日 国連は「完全参加と平等」をテーマとして、
1981年を国際障害者年とする事を決議した。
障害に対する考え方を「助けるもの」から「自立を支援するもの」への大転換を目指すものである。

と小さく彫られていたと。。

そして向かって右には。。

(愛の貫徹 )

と彫られ、下には。。

1947年4月1日 私は「愛の貫徹」をテーマにして
生活に苦しむ人よ、障害に苦しむ人よ、
ここに来たれ、太陽に向かって、明るく元気で、
共に生きようと宣言をし、これからも永遠に愛の歴史を貫徹したい。

と小さく彫られていて。。

何だかこちらの運営組織の名と、スローガンみたいなのが刻まれていましたと。。

しかしこの時はギリギリの時間でしたし、とりあえずチケット売場に急いだりして、大して気にしませんでしたね。。

それで急いで16時半前にチケット売場に駆け込んだら、受付に若めの女性の店員さんがいまして、1300円の入場券を買おうとしましたら。。

店員さんは。。

(この時間だと次にモノレールが動くのは最終の便になるので、その便は上がったらすぐに下りてくるので、白鳥城を観る事は出来ないです。。だから(石のエリア)だけの500円のチケットにしませんか?)

と言われてきました。。

それで今になって調べますと、その500円のチケットってもう無さそうなので、どう言う事なのか疑問に想いましたが。。

それは善意の為の特別な事だったのかと想いつつ、分かりませんので置いといて。。

この時の僕は、せっかく来たから(白鳥城)も観たかったので、店員さんに色々と話しまして。。

出した答えが、行きは歩いて(白鳥城)に行って、帰りだけ17時だったかの最終便のモノレールに乗って帰って来ると言う事でしたね。。

とりあえず(白鳥城)へ延びる登リの車道みたいなのを進めば、10分も掛からずに着けると言う事でしたからね。。

それで店員さんは、それなら急いでなら(白鳥城)も観れますし、どうぞと言う事で、さっさと先に急ぐ事になりましたね。。

店員さんはとても親切な人でしたね。。

それでチケット売場の裏手から延びる九十九折れって言うかS字みたいな登り坂を進んで行きましたね。。

ここはとりあえず観れれば一安心と言う感じで登って行きましたよ。。

それでこちらはドイツのノイシュバンシュタイン城をモデルに2/3のスケールで建てた城らしいですが。。

この(白鳥城)の大きさは7階建てで、高さ45m、幅26.8m、奥行88.8mとなり、延べ床面積は約4200m2らしいと。。

それで何だか同じ市内に在る姫路城より大きいとか言うらしいですが、比べてみますと。。

どうも(姫山 標高45.6m)に建つ姫路城の大天守は、5重6階の地下1階で、高さは31.5mとなりますが、 石垣が14.85mあるので、合わせると46.35mとなるから高さは微妙なところですかね。。

しかし姫路城の大天守の延べ床面積は2400m2となり、小天守の3城を合わせても3000m2強と言ったところですから、それを比べるとやはり(白鳥城)の方が大きいと言えるんでしょうかね。。

まあ何とも言えませんが、とりあえずなかなか大きいなと想いながら登って行きましたね。。

それでじゃあ本家ディズニーランドの(眠れる森の美女の城)のモデルだとか何だとか言われている、ドイツのノイシュバンシュタイン城とはどんな城なのかと言いますと。。

こちらの城はバイエルン第4代国王ルートヴィヒ2世によって1869年9月5日に着工しましたが、1886年に王の死によって工事は中断されて未完のまま現在に至る城でありますと。。

王は政務には関心を持たずに引きこもり、採算やら実用性を度返しして国の資金を注ぎ込み、自らの中世騎士道の伝説やらワーグナーの音楽の世界と言った個人のメルヘン趣味の城を築く事に没頭したみたいだと。。

その揚げ句に、未完成の城にはわずか102日余りしか住まずに、政府から精神病とされて軟禁され、湖畔を散歩中に謎の死を遂げてと言う事らしいですと。。

城は全体の2/3程の完成をみているらしいですが、コンクリートやモルタルで創られた歴史も無いこの城は、現在バイエルン州の大観光資源になっていると言う事で。。

そう考えますと、何だかこの城自体が珍スポットとも言えるものかと想ったりしましたね。。

しかし過去には財政を圧迫させても、現在は地域に大献上しているみたいだし、平和主義者とも想えるこの王には、何だか魅力を感じずにはいられないところでした。。

と言う事は、こちら(白鳥城)もレプリカ的な城だけれど、モデルもまがい物的な城であるのかと想いましたが。。

まあ 世の中なんて総てが虚構の世界なのかとも考えたりしましたね。

それで急いで登って城のすぐ側まで来ましたが、近くからだとけっこうな高さも感じましたかね。。

建設工事期間は約3年で、建設費用は40億だとか何十億だとか言われていますが、各地に外国村とか創られてるし、何とも言えませんがね。。

僕は最初に観た時は、どこかの資金の有るホテル企業が創った結婚式場なのかと想わせるような雰囲気が有りましたかね。。

それで城の正門の前に早々と着いて、まだ25分くらいは時間が有るから、さっさと観るだけなら大丈夫だなと想いましたね。。

そう言えばこの時は知りもしませんでしたが、ノイシュバンシュタイン城も正門には赤レンガやらが使われて、前の道は絶壁のヘアピンカーブみたいになってるから、似せてあるんだなと想いましたよ。。

また黒い石碑とかが有って。。

ドイツ連邦共和国総領事とか言うののサインが刻まれていたりしていて、その公認の城なんだと言う事ですが。。

こちらは大阪の梅田ビル事務所を構える(在大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館総領事)の方のサインだったと言う事なんでしょうね。。

その下にはまた何だか刻まれていまして。。

(社会福祉新時代開幕への事業計画)

(国際福祉都市(太陽)が古代文明の再発見により新たなる文明を構築し、尚且つ、新しい変改の社会福祉を創造するプロジェクトを成し遂げ、世界すべての人類が平和であり健康で心豊かに生活できる国際社会を誕生させる事に貢献する)

と言う事でしたね。。

何だか石碑やらはいっぱい有って、どれがどれでとかもう覚えてませんが、大そうな言葉が並べられている感じでしたね。。

そんなんで(国際福祉都市 太陽)とか言うのは、この時は考えてもいなかったのですが。。

その福祉都市は、こちら(太陽公園)を創り運営している(社会福祉法人 愛光社会福祉事業協会(太陽福祉グループ))の理事長である門口堅蔵さんが、自らの社会福祉精神の基に創り上げようとしている都市だったんだと。。

そしてこの(太陽公園)はその一環であり、この(白鳥城)は城下町を築くような福祉都市のシンボルみたいなものであったらしいと。。

僕が訪れたこの時は、何だかふざけたテーマパークくらいに想っていて申し訳ないところでしたが。。

こちらはその門口理事長さんなんかがドイツを訪れた際に、ノイシュバンシュタイン城をえらく気に入って、ドイツ政府や領事館なんかに働きかけたりした末に創り上げたものらしいと。。

まあでもそれを知ると、ここから南へ約15kmの姫路城にしても、逆にドイツの方から持ちかけられて、ノイシュバンシュタイン城と観光交流促進の友好交流協定を締結したりしてまして、交流やらは大事ですが。。

どうせなら姫路城は白鷺城と言う事で、こちら(白鳥城)と友好交流関係を築けば良かったのかとも想いましたかね。。

いやでも姫路城はライバル関係と見ていたの知れないとか妄想しましたが。。

とりあえずこの時は、カメラポイントとかがアスファルトに表示されていたりして、そこから写真なんかを撮ったりしましたね。。

それで門を潜ると中庭みたいなのが在りまして、時間が迫ってるんで、休んでもいられずに城の内部に向かうと。。

まあでもこの新しくできた(城のエリア)に関しては、こうしてどうしてもと向かってる割りには、外観みれればいいくらいで、そんなに固執してた訳ではなかったんですけれどね。。

事前の調べで城の内部はそんなに際立つものは無さそうでしたから。。

でもモノレールってのは、なんだか楽しそうで乗りたかったと言う事で、ぱっぱと進んで行きましたね。。

それで城の中に入ると、そんなに手が込んで無さそなホテルって感じの廊下を矢印に従って進んで行ったような気がしましたね。。

なんだかこの時の僕は、進んで行ったらどこがどこだか分からなくなってしまった感じでした。。

しかしどうも城内は、障害者の方が働く作業所やらも有ったりで、観光以外の目的でも創られているみたいですね。。

それで僕も気になったので調べましたら、どうも白鳥城と言うのは障害をもつ人々の就労の場でありシンボルとなりえるものらしいと言う話で。。

元々この太陽公園と言うのは、 障害者や生活要保護者の方の就労の場として創られたものだったんだと、後になって気付きましたね。。

どうも太陽公園と言うのは福祉施設であり、代表者である門口堅蔵さんが世界中で訪れ感動した遺跡などを再現する為に国内外の業者に発注して(石のエリア)を開園したのを始まりに、現在も進行させているものであるらしかったと。。

なんでも旅に出るのが難しい障害者の方に、世界旅行をしている気分を味わってもらえるようにと言う想いも有って造り上げた施設でもあり、 障害者の方が経済活動に参加する事と共に働くと言う生きがいを持つ為に観光地ごと創り提供しているような場所であるらしいと。。

そう考えますと、なんだか素晴らしい施設だったみたいですが。。

それでこちらは障害者の雇用の場にもなっており、入場料等の収入は障害者への給与等に充てられていて、太陽公園の園内や近辺には、滞在生活型の、愛光園、三恵園、三愛園やら、通所型の、三光園、陽光園、ひかり館、と言った老人ホームや福祉施設がたくさん建ち並んでいて、 約1000人の障害者の方達なんかが暮らしているらしかったと。。

それでこちらは観光地の中に福祉施設があるという日本で唯一の場所になっており、 園内では障害者の人達が従業員として受付やパン屋などあちこちで働いている施設であるらしかったと。。

そんなんで園内には障害者の方達が働いたり散歩されていたりする様な話を知りましたが。。

でもこの時は、時間もギリギリだったかは分かりませんが、受付の方も健常者の方みたいだったし、その様な障害者の方には一人も合わなかった気がしまして、施設の主旨に気付かないでウロウロしてしまいましたね。。

でもなんだか調べますと構想は壮大なものらしいですよね。。

この白鳥城と言うのは、 日本の福祉施設のシンボルとして中心的な役割を果たし、社会福祉の基本的利点の最先端を歩むだろうと言う考えの元に創られた、障害をもつ人々の就労の場であり、日本中の障害をもつ人々が集まり、生きる力の源となり、希望であり、夢であり、現実でもあると言う事らしいと。。

日本人の誰しもが期待する世界のすべての人類が差別する事もされる事も無く仲良く手を繋ぎ、健康で長寿で尚且つ平和な生活が出来る世界に美しく輝く唯一の福祉の街として活動する新しい歴史的な国際福祉都市(太陽)を誕生させ、人類の平和に貢献したいと念願して創っているものだと。。

それでその国際福祉都市(太陽)の構想の元に、この白鳥城を中心とした、障害者の方達から何から何まで総ての人々が平等に不自由なく夢や希望を持って暮らせるヨーロピアンバケーションタウンなる城下町を創るんだと言う計画が有ると言う事だったんですね。。

そんな事だから、白鳥城と言うのはシンボルとしての外観的な観てくれが大事なのと、障害者の方なんかの作業所やらの就労の場所と言う面もあって、内部はそんなに総てが観光を目的とした創りではなかったのかも知れませんね。。

それで廊下を進んで上の方の階に行くと、3Dアートの第一人者である服部正志さんだとかが制作した作品が多数展示された西日本最大級のトリックアートなんかが楽しめると言う事でしたが。。

しかしこの手は住まいからけっこう近い、高尾山トリックアート美術館なんかで散々楽しんだしで、軽く観てさっさと進んで行きましたね。。

まあこの城の内部に関しては、国際福祉都市(太陽)の主旨として考えたら、シンボルや就労と言うのが大事だから、観光としてはこんな感じでいいんだろうとか想ったりもしましたかね。

でもまあ最上階辺りの6階の玉座の間やら7階にある神殿の間なんてのは、それなりに創られたものだったのかも知れませんね。。

この辺りはノイシュヴァンシュタイン城にも王座の間って在るし、それを意識して創ったのかと想いましたが。。

高さ8m幅16mの半ドームに描かれた面積100m2以上の壁画である(太陽の恵み)は地元辺りのたつの市のエアブラシアートのアーティストである小林龍雲さんが2ヵ月くらいかけて独りで描いた大作らしかったんですね。。

しかしなんだかこの辺りも時間が無いしでさっさと進んで行ってしまいましたね。。

それにたぶん僕は開園当時から在った(石のエリア)を観る事を楽しみにしていたところが有りましたから、そんな感じになったんでしょうね。。

城内には障害者の方が描いた絵画やらも展示してあったと言う事で、それは観たとは想いましたよ。。

それで他にも世界の民族衣装展やら、くるみ割り人形の展示やら、城の模型やらも有ったらしいし、ビデオルームなんかでは白鳥城メーキングビデオなんかも流れていたのかも知れませんが。。

余りその辺の事は覚えていなくて、全体的に城の内部は淡々と進んで行った感じでしたね。。

僕としましては、けっきょく城の内部は、何となく絵画とかが展示されたギャラリー的な場所で、そこまで際立つような場所では無かったかと想いましたかね。。

この城はやはり国際福祉都市(太陽)のシンボルとして、小高い山の上に聳え立つ外観が最大に大事なものなのかと、僕の中では受け止めたところでしたね。。

しかしやはり城の外の階段なんかを歩いたりしてると眺望なんかは良かったと想いましたよ。。

白鳥台の住宅地なんかも観えましたが、この辺は(はくちょう)と言う地名らしいですね。。

だからこちらは(しらとりじょう)ではなく(はくちょうじょう)と言う地名に名指した城名なんだとは想いましたね。。

しかし隣に(白鳥山 標高137.4m)って在るように想いますが、この城が建っているのは岩崎山って事で、そっちは用地買収なんかは出来なくて、建てられなかったと言う事なんでしょうかね。。

そんなんでさっさと白鳥城は20分強くらいで観てしまいましたたので、何だか城内には本物の3億円とか4億円が展示されていただとか、西洋の甲冑が置かれていたりとかしたみたいですが、僕はもうよく覚えてませんね。。

まあ城内はこれからも色々と展示する物は変わって来るんじゃないかとは想いますがね。。

白鳥城には門口堅蔵さんのレリーフやら銅像なんかも有ったみたいですが、僕はそれらも全くこの時は知らなかったので、観た記憶は残ってませんね。。

それで最終だかの17時くらいの下りのモノレールに乗る為に、乗り場に向かいましたね。。

この時は他にも3組くらい観光客の方が乗り合わせた感じで、他にもお客さんがいたんだなと想ったところでしたね。。

こうして観ると、城の回りの道にしてもアスファルトだから城の雰囲気には合ってないような気もしますが、障害者の方の為にとかで城内はバリアフリーだって話だし、それでいいんでしょうね。。

門口堅蔵さんはこちら姫路市打越出身らしくて、やはりこちらを姫路城と競いあえる観光施設にしたかったらしいですが、白鳥城の敷地面積は17515m2だと言う事で、姫路城の内曲輪の面積は約230000m2だから、敷地面積に関しては姫路城の方が上回っている感じなんですかね。。

(城のエリア)と(石のエリア)を合わせた太陽公園は、敷地面積約3万坪だとか4万坪だとか言われる広い公園らしいですが。。

とりあえず3万坪と言う事は99173.6m2と言う事で、姫路城の中曲輪の面積は1070000m2で、外曲輪の面積は2330000m2ですから、ヨーロピアンバケーションタウンを広げて発展させていって欲しいもんだとは想いましたね。。

まあでも姫路城の外曲輪とかは、もう殆んど普通の姫路市の街になってしまってるような感じがするので、内曲輪とかを基準に考えればとか想いましたけれどね。。

それでモノレールに乗りましたが、普段あまり乗る機会が無いので、モノレールに乗るのって楽しいなとは想いましたよ。。

なんでもこのモノレールは(株)嘉穂製作所のもので、全長177m、勾配19度、速度70m/分、定員40名×2両で、車両内中央部の車椅子スペースを囲むように座席と吊り輪が設けられていると言う事ですね。。

しかし白鳥城の方を建設した栗本建設って建設会社は、完成した2009年に倒産したって話ですから、何だかなあと想いましたけれどね。。

とりあえず先頭に座ってゆっくりと動いていくモノレールからの景色を楽しみましたよ。。

そうすると下の方に野球のグラウンドが有って、高校の野球部が熱心に練習しているなと想いましたら、甲子園で有名な東洋大姫路高校の練習場だと知って、なるほどなあと想いましたよ。。

ヨーロピアンバケーションタウンってのは(城のエリア)と(石のエリア)の間くらいに創ってくって話らしいですから、広げてくなら球場は金を出して移転して貰った方が良いのかとも想いましたが、別にこれで良いのかも知れませんね。。

それでモノレールを降りて来て、どうにか白鳥城は観れたと言う事で、ゆっくり駐車場に戻ろうとすると、小屋が建ち並んだり、作り物の像なんかが点在しているエリアが在ったと言う事でしたが。。

こちらが(匠の街レインボー)とか言う場所だったらしいんですかね。。

僕が訪れたこの時に観た感じだと、各小屋には何だかそれぞれの国の民族衣装が展示されているような大した事ないようなものに観えましたが。。

どうも調べると、こちらは2010年3月14日辺りにオープンした、城下街の始まりとなるような場所だったように想えましたね。。

なんでも吹きガラス、サンドグラス、香り、スプレーアート、木、なんかの工房となっていて、観光客に体験やら販売もしているみたいですが。。

こちらは世界各国から伝統工芸職人を招き、障害者の方に技術を修得して貰って社会復帰を現実のものとする為の施設らしかったと。。

どうも計画では、城下街に創られる工房や店の数は約500棟で、年間30棟ペースで増やしていき、2025年に完成を予定しているみたいですが、なんだかこの2016年に訪れた時点では、そんなに進んで無さそうには観えましたけれどね。。

これはだからヨーロピアンバケーションタウンの一部だと言う事なのかと僕は想いましたが。。

どうもヨーロピアンバケーションタウンの構想の中には、世界200の国々からその国特有の業を収集し匠の街の建設を行うと言う事が有るらしくて、その指導者を招聘して滞在してもらい、障害者並びに生活要保護者にその匠の技術を伝授する形で街を創り、技術を修得した障害者の方達なんかが直ちに社会復帰を目指せる夢と希望の社会福祉を実現できるような街にするような話も有るらしいんだと。。

それにより世界各国より結集した匠の都としてヨーロピアンバケーションタウンは誕生し、世界の音楽と踊り、そして世界の祭り等あらゆる美しく豊かな伝統の文化が自然物に併せて実現するような街になるらしいんだと。。

なんだかもうこう聞くと、僕としても余りにも突飛な話に聞こえて来たところが有りましたけれどね。。

そしてモノレール始発駅の隣にはレストランやら土産物店やら名産品店などを備えた(ウェルカムハウス スワン)なるオレンジっぽい建物が在ったと。。

2階は最大600人まで収容可能な大型レストランだとかで、総てバリアフリーになっていて障害者への配慮も万全だって話しですが。。

こちらでは障害者施設なんかの各事業所で制作された自主生産品なんかも含めて販売していて、障害者の方なんかが運営、管理、清掃などの仕事に従事されるそうで、観光だけではなく社会福祉面でも非常に意義のある施設と言う事で、この白鳥城エリアの建設で120名だかの障害をもつ人々の就労の場が創出できたらしいと言う話ですね。。

しかし120名の障害者の方の雇用の為にえらく金をかけるなと想いましたが、こちらでは子供と女性限定で、民俗衣装の無料貸し出しなんかも行っているらしいと。。

まあそれで、こちらでは色々とイベントなんかも催されているみたいでして。。

毎年8月10日には(石のエリア)に存在する鶏足寺(けいそくじ)が焼き討ちされた事に因んだ火祭りなんかが開催されたりするみたいだし、フリーマーケットやら、謎解きゲームやら、バグパイプ演奏会やら、コスプレイベントやら色々やってるみたいですと。。

まあでも僕が訪れたこの時は、時間も時間だし平日だったのか、閑散としてるもいいところでしたけれどね。。

そんなんで(城のエリア)の方はぱっぱと観て200mくらいだか離れた(石のエリア)の入口に、近くの駐車場に車を置き変えて移動しましたね。。

なんでも(城のエリア)のチケット売場にいた女性店員の方が言うには、(石のエリア)に関しては、何時までも観ていても構わないと言う話なんで、この時点で17時過ぎにはなっていましたが、夏至に近いこの時期なら19時くらいまで暗くはならないだろうし、夜になろうが観てやろうと想って、気持ち的には時間に追われる事から解放されて余裕でしたね。。

こちらは(峰相山 標高244m)の山麓に展開しているみたいですが、入口から兵馬俑やらの像が乱立して置かれていて、200年前に中国の吉林省の豪族によって創られた狛犬が建っていて、各国の旗がなびいているような感じでして。。

安っぽさと、とりとめの無さを感じるところは有りましたかね。。

入口を入ってアスファルトの道を進んで行くとパリのエトワール凱旋門を模した門が現れますね。。

道の端は垣根なんかがあって、樹木が立っている並木道みたいな感じにはなっていました。。

実際のエトワール凱旋門は高さ50mだかあるらしいですが、こちらは10mかそこらだって話で、色々手抜きされてるって話が聞かれますが、僕はまあよく出来てる方なんじゃないかとは想いましたけれどね。。

それよりも有料なのに、店員さんは何時まで観ててもいいと言うし、なんだか公道とかと区別も有るのか無いのか分からない感じで、有料区間との区分けはどうなってるのかとても疑問に想いましたね。。

中に点在する障害者施設の関係者の方なのか勝手に何人か出入りしてたし、(石のエリア)には店員さんはもう誰もいなかったしで、無断で勝手に入っても分からないんじゃないかと想えて、その辺の事は非常に疑問でしたね。。

でもまあ僕なんかはちゃんと入場料を払ってるので、堂々と観ようって感じでしたが、凱旋門の手前の道沿いには韓国の済州島にあるトルハルパンやらなんかが置かれていましたね。。

この手の人を模したような形に近いものは、実物も大きくないのでレプリカを創るのにも有効なのかも知れないと想いましたね。。

こちらの施設にしても障害者が働く場所の為だからなのかメンテナンスが必要ない石を選んだとか、石は永遠だから選んだとか言われているみたいですが。。

門口堅蔵さんが母の死をきっかけにして創ったとかとも言われてて、5年くらいかけて国内外の業者に頼んで約160億円だかかけて創って、約70種類だかの石像だとかが在るらしいですね。。

それで入口から350mくらい先に(福祉ショップ アポロン)やら(手作りぱん ざ ぱんや)やら、その隣のこちらの観処の1つの(秦始皇帝兵馬俑坑)が在る感じなんですが、。。

その辺りまでは、メキシコやら南米辺りの石像やら、小さめで済むサイズのが雑多に点在したりしていましたね。。

何となく目に付いたのを羅列していきますと。。

メキシコのオルメカ文化の遺跡の巨大人頭石やら。。

同じくメキシコの左が太陽神の頭像で、右がエヘカトル像だとか。。

同じくメキシコのトラロック頭像だとか。。

こうした倒れてるやつなんかは、現実に合わせてるところなんでしょうね。。

またまたメキシコのミクトランテクートリー座像だとか。。

この辺の向かって右側は障害者の方の施設やら線香工場やらが在る感じでしたね。。

まあでも17時過ぎだからかは分かりませんが、人の気配は殆んどしませんでしたね。。

まあこれはたまたまなのか知れませんが、メキシコのは他にも単体の石像みたいなのだけでも。。

オセロットの像、戦士の支柱、イシュクイナの像、ジャガー人間、 2つの頭をもつジャガー 、、戦士の柱像、女性立像 オメルカ人 、巨石人類アチャ、太陽の神ショチピリ像 、 花の王子ショチビリ像、アトランテ、西部メキシコのチャクモール、コアトリクエ、シワテオトル、風の神エヘカトル、オセロクワウシカリ、チャルチウトリクエ、ワステカの若者、ラ ベンダの石彫、火の神の石像。。

なんかが在って、多かったですね。。

ただ種類は多いけれど、後に観る大量生産されたような量ではないし、門口堅蔵さんが特別にメキシコやらに寄った思想が有った訳ではなく、たまたまそう言った石像が中南米に多かっただけなんじゃないかと僕は推測しましたけれどね。。

メキシコのインカ太陽ピラミッドとかそう言った遺跡みたいなのはかなり縮小して創ってましたね。。

石煉瓦仕立てな感じで、石で創ってるって感じはしますけれどね。。

しかし道が歪な石畳みみたいなのになったりして、こちらはそんなにバリアフリーになってないのかなと言う感じでしたね。。

まあ他にもアメリカ合衆国の自由の女神なんかも在って、この辺りはミニチュアサイズと言ったところで、徹底していましたね。。

デンマークの人魚像やら、シンガポールのマーライオンなんてのも在ったみたいですが、これらは本物も比較的に小振りだし、レプリカにも都合いいんでしょうね。。

しかしブリュッセルの小便小僧に関しては、なんだか16体だか在ったらしくて。。

こちらの施設の数に対する拘りなのか何なのか、よく分からない大量生産志向が垣間観える始まりだとは想いましたね。。

それで道の向かって左の奥の方には、 チリのイースター島のモアイ像が全部で10体だったか建っていましたが、まあこちらも小振りさっさと観る感じでしたかね。。

こんなのなんかは、北海道の滝野霊園辺りの方の専売特許なのかとは想いましたが、モアイ像なんかはこちらの施設では、脇役でしょうからいいんでしょうね。。

モアイ像の隣辺りには、ボリビアの太陽の門とかが在って、門を潜って行くと、けっこう先まで道が有って、メキシコのケツァルコアトルの神殿なんかが在ったらしいですが。。

この辺りは創りが小さいので軽く観てしまい、知らなくて行かなかったですね。。

その太陽の門の隣には、またまたメキシコにあるアステカ帝国のチャックモールの石像なんてのも在って、先にはペルーに在るインカ帝国の遺跡のマチュピチュが在ったらしいですか。。

マチュピチュなんかは、かなり小さい一部だけの創りなので、この時は気付かなかったですね。。

この辺の遺跡類は、ミニチュアサイズってところで創られた感じなんでしょうね。。

こう言った遺跡やらは他にも。。

メキシコのカバーのアーチ、ボリビアの月の門 、 カリブ海のチャクモール、ペルーの アンデスの遺跡、なんて色々在ったのかも知れませんが。。

ゴチャゴチャ小さめのがいっぱい雑多に在って、1度訪れただけの僕には観落としも多かった感じですね。。

そんなんで、こちらの目玉スポットの1つである兵馬俑博物館の入口に着きましたが、もう17時を過ぎていたせいか、閉まってましたね。。

ここまでで他にも石像とかは。。

コロンビアの牙のある神像、 中国の北京獅子、 メソポタミア文明のラガシュ国王グデアとその妃、シリアのカナン最高神エルやアッラートのライオン 、イスラエルのカバラ神殿の女神、
イラクのシャルマセル3世像、古代バロンの神像、オーストリアの女性裸像、グァム島のグァムの守り神、 タヒチ島のポリネシアの神像ティキ、なんて在ったらしいですが。。

どれがどれだかよく覚えていませんね。。

まあ遅かったから仕方なかったですが、もし早い時間に来てたら、隣の福祉ショップアポロンで軽食でも食べたかったですね。。

それで仕方ないから、兵馬俑博物館は扉越しに中を覗いたりしましたね。。

そうしたら何となくですが中が観えましたね。。

兵馬俑博物館の中には秦始皇帝兵馬俑坑と奥には秦の始皇帝陵も再現されていて、兵馬俑は本場中国の兵馬俑博物館で当時と同じ工法で作成された素焼きのレプリカを1000体展示してあり、 実際の兵馬俑坑は3坑に分かれているので、それをできるだけ忠実に再現していて、正確に再現する為にわざと壊しているものもある拘りの創りらしいと。。

そう考えるとちゃんと観たかったですが、僕が最も観たかったのは、ワンダージャパンに載っていた五百羅漢の方だったので、とりあえず観れたしそこまで残念ではなかったですね。。

まあでも建物はバラックの巨大倉庫みたいな感じで本場の博物館よりは規模にしても何にしても観劣りするんでしょうが、なかなか出来てるものだったんでしょうね。。

それで兵馬俑博物館を過ぎた先には万里長城登場門とかが在って、この辺りから兵馬俑の武士俑みたいなのが怒号の如く羅列されているみたいな感じでびっくりしましたね。。

こちらは素焼きではなくて加工を施したりしているのかと想いましたが、形は微妙にみんな違いそうだし、どこでどうしたらこんなに沢山創る事になるのかと不思議に想えましたね。。

登場門には一刀彫の仁王像が左右に鎮座しているとか言う話ですが、その武士俑の数に圧倒されて記憶に残って無いですね。。

6mだか有る韓国灯籠なんてのも会社の寄付で50本とか建ってるみたいでしたが、ニョキニョキと数に目眩がしそうな感じでしたね。。

一体の大きさで圧倒するような創りのスポットは多いですが、こちらは大きさよりも数で圧倒するスタイルをとっているのかと僕は想いましたね。。

こちらは大きさの有るやつも在りますが、それよりも僕はやはり数なんだと想いましたね。。

それが偶然なのか、何かの陰謀が有るのかは分かりませんがね。。

分けの分からない中国とかの石貨みたいなのもたくさん道端に立て掛けられたりしてたし、いったいどれだけ色々と大量生産してるのか分かりませんでしたね。。

三重県のルーブル彫刻美術館やら富山県のふれあい石像の里とおおさわの石仏の森あたりに類似性を感じましたが、こちらの方が種類や規模で圧倒しているように想えましたね。。

そしたら向かって左手におっきな池なんかが在って、先にはミクロネシアにあるヤップ島の石貨神殿なんてのが並んでいると言う事でしたね。。

この辺は一見普通の風景に感じましたね。。

なんかバンガローみたいに観えますが、石貨をお祀りした神殿だって話ですね。。

端じっこにはマーライオンも建ってると言う事で、とりあえずそっちに進んで行きましたね。。

それで池の向かって右端の道を進んで行くと、相変わらず武士俑みたいなのが意味不明にポツポツと建っていましたね。。

道はガタガタの石畳みって感じで歩き易い道には観えませんでしたね。。

この先にも三恵園だとか三愛園だとか障害者の方の施設とか有りますが、この道なんて障害者の為にはなってない道だとしか想えませんでしたがね。。

まあ障害者の方は車道も有るから、そっちから車とかで向かうのかと想いますが、そうなるとやはり有料区域との境が無さそうで凄く疑問でしたね。。

そしてヤップ島の石貨神殿の処に来たら、石の貨幣とかがまたたくさん置かれてましたが、でっかい日本の5円玉とかが目立っていましたね。。

この辺りからは、今度は日本の灯籠みたいなのがまたやたらと大量に設置されている印象が残りましたね。。

それでこちらの施設は順路みたいなのも有ったかと想いますが、もうその辺はあやふやでしたね。。

そして砂利道とかを進んで行くと、やっぱり石灯籠がビッチリと道に沿って建っていて、微妙な形の祠みたいなのも乱立している感じでした。。

この様な石灯籠の列は、神社なんかには在ったりする処は多数在るし、僕としては神奈川県の湯河原方面のしとどの窟辺りを想い浮かべましたが。。

やはり数や密度が尋常じゃないとは想いましたね。。

地形的にはなんだかこの辺からは傾斜地と言う感じになって来ましたね。。

そしたら今度はエジプトのピラミッドが小振りな感じで在ったりしましたね。。

回りには椰子の木なんかも立ってましたね。。

小さいピラミッドみたいなのも回りに幾つか在って、やはり数には拘りが有るのかとは想いましたね。。

スフィンクスも狛犬風に2体在りましたね。。

こちらの施設の門やら入口には何処も狛犬が建っていて全体がこの隣に在る鶏足寺の境内なんだみたいな話も有りますが、どうなんですかね。。

僕は訪れたこの時は、何にも考えないで楽しんだだけでしたけれどね。。

一緒に訪れた連れ達も、いい加減こちらの施設のしっちゃかめっちゃかさに笑ってましたけれどね。。

なんだかとても障害者の支援の為の施設のようには観えないし、とんでもないってだけで一般的に人気が出るようなスポットには観えないし、壮大に無駄なものを創っているように観えるって事でしたね。。

なぜこんな事になってるのかとても不思議だし、もう僕達以外は園内にいなそうだしで、非常にシュールなものを僕も感じましたね。。

とりあえずこちらのピラミッドの中に入る扉は17時過ぎても開いていて、入るとツタンカーメンの黄金のマスクのレプリカが在ったりしましたね。。

そんなんでこの手の他のミニサイズの遺跡とかに比べたら良く創られている方でしょうが。。

しかしやっぱり本物と比べたらミニサイズで、僕としてはそこまで印象には残らなかったところでしたね。。

まあでもこの辺りからは回りを観ると景色も良かったですが、なんだかけっこう先の方に観える2つの棟が気になりましたね。。

これは中国の双塔寺のレプリカだって事ですが、けっきょく後でそっちまで行く事になりましたし、けっこう起伏が有るので、其れなりにこちらの施設を観ようとすると疲れるところだったと想いましたね。。

やはりこの(石のエリア)の奧の方は、けっこう創りが凄い感じがするところでしたね。。

この辺りには白い観音像みたいなのも在りましたが、やはり下部には過剰に地蔵みたいなのが建ってて印象に残りましたね。。

なんだかもうって感じでしたよ。。

それからまた歩き始めましたが。。

僕が観たかった五百羅漢の横辺りを通る登りの砂利道なんかを進んで行きましたね。。

けっこう疲れるもんですが、相変わらずに石灯籠なんかはビッチリと建ち並んでいましたね。。

そうしたらまた今度は石碑が乱立している場所に出会しましたね。。

相変わらずの素晴らしい門口堅蔵さんの考えや、活動なんかに対する表彰なんかが刻まれていましたが。。

こちら太陽公園は愛光社会福祉事業協会が運営しているという事ですが、他にも姫路社会福祉事業協会、南光社会福祉事業協会、太陽社会福祉事業協会、と言った福祉法人と、姫路社会事業協会と言った財団法人からなる、兵庫県や大阪府辺りでの運営を中心とした組織の母体として太陽社会福祉グループが形成されていて、門口堅蔵さんは創業者であり、理事長でありと言う事なんですね。。

なんだかこの人のワンマンな好き放題のグループに感じましたけれどね。。

しかし門口堅蔵さんは、ここを訪れる前の2015年10月15日に亡くなられたらしいじゃないですか。。

葬儀には井戸兵庫県知事や石見姫路市長をはじめとした、国、県、市、の各議員も多数参加されで、各界や地元からも1000名を超える方々がお別れ会に来られたと言う事で、国やらからも認められている人物だったと言う事なんでしょうね。。

石碑の方も法務大臣、厚生大臣、兵庫県知事、兵庫県議会議長 、姫路市長などと言った方達から送られたものが含まれていると言う事ですからね。。

しかしいったいこの門口堅蔵さんと言う方はどれだけの人物だったんでしょうか?

なにか著名な人物で例えれば笹川良一さんみたいな存在に想えましたが、あまり表だって自分を売るような事はしない人物だったのか、住んでるエリアが違う為か、僕は全く聞いた事が無い方でしたけれどね。。

しかし本も上梓してるし、自分の銅像やらレリーフやら石碑も建てたりしてるんだから徹底して隠れた活動してきた訳でも無さそうですし、よく分からないところですね。。

それでなんだか門口堅蔵さんは1927年となる昭和2年2月27日生まれたらしいですが。。

20歳の時に戦争に死んでくると言って出兵したのに、生きて帰ったので、あたえられた命だと想う事にして、人の為になる事をしようとしたのが福祉の道を志す始まりみたいな事だったみたいだとか。。

(堅蔵よ、煩悩をなくして人類平和のために戦え)と言われた母であるこりんさんの言葉とかにも福祉活動は影響されているような話ですが。。

それで1947年となる昭和22年4月に、生活保護法に基づき生活に困窮する人々を救済したいと言う願いから、社会福祉施設を開設したのが活動の始まりらしいんですかね。。

事業に失敗して納屋で暮らしたりする時期も有ったらしいですが。。

それから福祉に人生を捧げてここまで来たと言ったところだと言う事なんですね。。

しかし福祉を真面目にやるだけでこんなものが創られて行くようになるとは僕も想えないところも有りましたね。。

そんなんで、いたいちどう進んで行ったか忘れましたが、僕が最大に観たかった五百羅漢に着いた感じだったんですが、下部では無くて上部に在る峰相山鶏足寺に着いた感じでしたね。。

こちらには峰相健康長寿観世音菩薩なんて少し大きめの大仏みたいなのも建ってましたね。。

まあ景色はやっぱり良かったですよ。。

それで五百羅漢の上部に建つ峰相山鶏足寺で御参りなんかを軽くしましたが。。

こちらのお坊さんがよく話す方だと言う事ですが、確かに色々と話をしてきて。。

あんまり覚えてないですが、目の前の山で撮影した映画ラストサムライの話とかを話してくれましたね。。

こちらはおみくじ発祥の寺であるだとか、1577年に豊臣秀吉の命によって黒田官兵衛が攻め落とし滅亡したお寺を再建したもので、この施設の中ではレプリカ扱いではない本物だと言う話ですが。。

僕はお坊さんもこんな処で毎日よく過ごしているなと想いましたね。。

そこから今度は五百羅漢の間を九十九折れて降りて行くような 羅漢の道ってのを進んで行きましたね。。

なんでも500体以上はいるらしいですが、一つ一つ全部顔とかポーズやらを含めれば違うらしくて、じゃあ完全なコピーをポンポン生産したんじゃなくて、一つ一つ創ったって事なんですかね。。

観たかった五百羅漢ですが、大量生産の風景が青空の下に極まった感じで、目眩がしそうでしたね。。

この五百羅漢の中には自分と同じ顔のが必ず在るとか言う話なので、連れ達も探したりしていましたが、自分の顔って意外と分からないからか探せなかったですね。。

僕としては友人に非常に似ているのが1体在りましたが、面白いポーズのとかも在って楽しかったですね。。

釈迦入滅後の第1回と第4回の経典結集の時に時に集まったと言う500人の弟子だか聖者を現したものらしいと言う事で、中国が発祥だと言う事なんですかね。。

僕としては五百羅漢と言えば、千葉県市原市の光徳寺や、大分県宇佐市の東光寺なんかを想い浮かべまして、各地にそのような名を謳って多数の羅漢像が置かれた処は在るのかと想いますが。。

其れなりにサイズも大きいのか、他の大量に置かれたものとの兼ね合いのせいか分かりませんが、ここの五百羅漢のインパクトが最も凄そうな気がしましたね。。

そんなんで、とりあえず五百羅漢に並んでみたりしちゃいましたね。。

もう羅漢の道を降りながら目的の五百羅漢を満喫しましたね。。

とりあえず18時を過ぎて日も傾いていましたが、まだまだ明るくてちゃんと観れて良かったですよ。。

最後に五百羅漢の真下で記念写真を撮りましたね。。

しかしこちらの夥しい形がそれぞれ違う羅漢や兵馬俑やら他にも石灯籠なんかは国内外の業者が創ったと言う話ですが。。

まだこれらを障害者の方達に仕事を提供して創って貰ったと言うシステムなら納得できるところも有りましたがね。。

なんだかこちらには、政治がらみの寄付金や助成金なんかの税金による巨額建設資金が使われているような話を聞くところも有りますので。。

なんだかこの違和感は、そっち方面による闇が観えるようなところが非常に大きく、僕もそちらの考えに傾くところが有りましたけれどね。。

まあでもとりあえず楽しかったですよ。。

五百羅漢の下に向かうと、涅槃像なんかも在りましたね。。

なんかレリーフみたいなのもまたまたいっぱい在ったし、五百羅漢の端にも祠やら色々在ったし凄いもんでしたね。。

それで確か五百羅漢を下の方へ降っていく煤けたアスファルトの道を進んで行きましたが。。

相変わらずに石灯籠はビッチリでしたね。。

そして障害者施設なんかを抜けて中国の天安門広場の横とかに着きましたが、先に万里の長城の方を目指し進んで行きましたね。。

それで万里の長城の入口のアーチかなんかに辿り着きましたが、相変わらずに武士俑が列を成してまたウワッて感じでしたね。。

こちらは2km創られているらしいですが、そう考えますと本物は総延長6000km超とかだから短いもんですが、実際に歩こうとすると往復て2kmだかになる計算なんで、けっこう面倒ですよね。。

最終計画では14km創るらしかったみたいですが、2kmで留まっているらしいですがね。。

そう考えますと、門口堅蔵さんが亡くなられた後のこれからは、万里の長城にしてもそうですが、この太陽公園が拡大してヨーロピアンバケーションタウンを伴う福祉都市を築き上げる時は来るんですかね?

創業者でありある種のカリスマ性を持ったトップを失った後の維持や発展と言うのは難しい問題なんじゃないですかね。。

後継者がどうなっているのか気になるところでしたね。。

そして万里の長城の部分なのかを進んで行ったら磨崖仏に向かう道と別れていたので、磨崖仏の方に向かって行きましたね。。

進んで行けば磨崖仏までは大した距離じゃ無かったと想いますが、石灯籠なんかは在る処には在って、また相変わらずにビッチリと建ち並んだりしていましたね。。

だんだん観馴れてきましたけれどね。。

ここの磨崖仏はインドの磨崖仏を真似ているらしいですが、 高さは約25mで、半彫の仏様では日本一の大きさらしいですね。。

磨崖仏と言えば、僕としては日本では栃木県宇都宮市の大谷磨崖仏や、千葉県の内房に位置する鋸山の百尺観音か、果ては福島県相馬市に在る個人創りの百尺観音を想い浮かべますが。。

これらはほぼ垂直に創られていて、こちらのは少し斜度が平坦ぎみで迫力には欠けて観えましたね。。

まあ大きいんでしょうけれどね。。

そう言えば中国に行った時に、楽山大仏を観たけれど大きかったなと想い出しましたね。。

とりあえず下部は石垣みたいになっていてよく観えないので登って行きましたね。。

そうしたら平坦ぎみだとは言いましたが、けっこうな角度で危ない石段でしたね。。

石垣の上に登れば全体が観えた感じでしたが、けっこうのっぺりしていて、雑草なんかも生えていて、味気なく放置されている感じにも観えましたね。。

まあでも磨崖仏ってけっこう何処もそんな感じかも知れないし、こんなもんかなとは想いましたね。。

最後に登らずに下で待っていた連れ達に記念写真を撮って貰いましたね。。

こちらは実際にここの岩壁に彫ったと言う事ですが。。

この磨崖仏は、門口堅蔵さんが母こりんへの感謝の為に彫刻し、石は永遠であると言うこちらの石物だらけの公園を創るヒントになったものだと言う話なんで、こちらの原点と言える場所なのかも知れませんね。。

そんな貴重な場所だったと言う事でしたが、この時はさっさと写真を撮ってこの場を立ち去りましたね。。

それでここからさっきの分かれ道に戻って、今度はさっきから屹立する姿が観えていた双塔寺の方に向かって行きましたね。。

なんだか万里の長城に関しては、ぐるっと周回するような道があって、そっちを進めば2kmの道になるのかと想いますが、双塔寺の方に直で向かえる道を進めば、そこそこ近いところだったと言う事ですね。。

だから万里の長城は周回する道になっていると言う事で、往復する必要はなくて、歩いたとしても2kmで済むって事なんでしょうね。。

しかし起伏は激しい感じだし、ボコボコした石畳だし、更にカンカン照りで暑かったしで、歩くのがかなり疲れる感じはしましたね。。

それで何とかさっきまで彼方に観えてた双塔寺の下に辿り着きましたが、これは遠望からもそうでしたが、なかなかのもんだとは想いましたね。。

なんでも双塔寺は、中国太原市のシンボルと言われていて、太原市と姫路市は海外姉妹都市の協定を結んでいる為に、こちら太陽公園にも双塔寺が建立されて、こちらは正確には双塔寺の塔だったと言う事ですが、13層の塔が2塔並んでるって事ですね。。

それで本家の双塔寺の塔は、高さが約55m有るらしいですが、こちらのは半分くらいの高さらしいと。。

しかしなんだか高くは観えましたね。。

中はがらんどうみたいでしたが梯子が有って、以前は登れたような話ですかね。。

しかし垂直の梯子を登って行くのは怖そうだし危なそうだしで、登れなくなるのも仕方ないだろうとは想いましたね。。

この後は先に展望台が有るって事なので、この展望台を最奧のゴールと決めて、万里の長城を進んで行きましたね。。

しかしえらく疲れて来ましたね。。

石碑とかには(心身障害者の人達の社会参加と自立の為、太陽公園を設置し、ここに万里の長城を建造した) と刻まれていたりしますが。。

僕はけっこう体力には自信が有るんですが、これだと障害者の方にはキツいんじゃないかと想えますし、本当にこの万里の長城が障害者の方の為になっているのか、やはり些か疑問には想えましたね。。

逆に脚を悪くし身体に良くなさそうな印象を持ちましたね。。

まあ僕は本物の万里の長城も訪れた事は有るのですが。。

僕が訪れたのは北京近郊の八達嶺長城ですから、雄大な感じがしましたが、万里の長城は場所によっては良くない景観の場所も在るしで、これだけ創ってればいい方だとは想いましたけれどね。。

それでやっとこさ展望台に着きましたが。。

赤レンガみたいな囲いが在ったのかも知れませんが、疲れてたのかあんまり覚えてませんね。。

展望台で何を観たのかは記憶になくて、暗くならない内に、最後に観ておくべき中国の天安門広場やら紫禁城なんかを目指してさっさと歩いて行ったのは確かでしたね。。

この辺も万里の長城は双塔寺の本殿だかに向かう方とに分かれている感じで、そっちに向かって行ったら、それらや紫禁城が俯瞰出来る感じでしたね。。

降りて行くと韓国鐘楼らしいものが在りましたが、この時は素通りしてしまいましたかね。。

なんでも鐘は自由に突いていいらしかったので一発くらい鳴らせば良かったかと想い残念なところでしたね。。

振り返って万里の長城を観たりしましたが、やっぱりやたらと疲れる道だった事は確かでしたね。。

太陽公園の敷地は約3万坪だとか言いましたが、それなら東京ディズニーランドは約15万坪なので、それほど大きくはないのかと想っていましたが、この石のエリアの奧の方は起伏も有る為か、やたらと広く感じましたね。。

それでなんだか調べると太陽公園の敷地は4万坪だとか4.5万坪だとか言われてるのも有るので、色々創られてもう少し広いのかとも想いましたね。。

生前の門口堅蔵さんの計画だと鶴足寺の先にもう1つ寺を創るって話も有ったみたいですが、これを更に広げて行ったら1日で全部観るのはけっこうな体力がいるなとは想いましたね。。

まあ万里の長城を外せばそこまでキツくは無いのかも知れませんがね。。

そして双塔寺の中を歩いて通り過ぎて行きましたが、この寺に関してはよく知らなかったし、屹立する2塔にインパクトが有ったので、こちらの本殿みたいなのはあまり覚えてませんね。。

障害者の方達がお参りに来たりしてるらしいですが、もう本当に誰もいない感じで、寂しい限りの雰囲気でしたね。。

それでやっと最後の目的地の天安門広場に辿り着き、これで何とか一通り観たなと言う感じでホッとしましたね。。

天安門広場の先には紫禁城が建っていますが、毛沢東の肖像画とかは無かったですね。。

紫禁城は世界最大の木造建築群であり面積は72万5千m2有りますし、天安門広場も総面積約44万m2と言う事で、太陽公園の面積よりも大きいので、やはりこちらは本物と比べたら小さいものですが、それなりに大きくは創られていましたね。。

なんだかガランとして殺風景な感じもしましたが、僕は天安門広場とかも訪れた事は有りますが、中国の広場とかって無駄にやたらと広くてガランとしてるから似てるのかも知れませんがね。。

ここで考えますと、種類ではメキシコやらのものが多かったのかも知れませんが、量や規模では中国のが圧倒的に多いのかと想いましたね。。

なんでも1992年10月にこちらの万里の長城第一次建設計画が完成した時には、中華人民共和国駐大阪総領事のご来駕を仰いで竣工式と日中国交正常化20周年記念式典を挙行したって話だし。。

1997年にこちらの天安門広場と兵馬俑坑が完成した時は中日友好協会副会長と中国総領事のご来駕を仰いで国交正常化25周年記念式典と福祉グループの施設開設50周年の式典も行ったようですから。。

分かりませんが、何か僕は門口堅蔵さんと中国の方とで繋がりが有ったのかとも想ったりしましたね。。

紫禁城は内部にも入れて、2階部分のテラスみたいな場所から天安門広場を眺めましたね。。

こちらも中国の職人さんが創ったらしいですが、 内部はやっぱりガランとした殺風景なものでしたね。。

眺めると天安門広場の広い場所に連れの友人が呆然とたっていましたね。。

後で聞くと、やはりシュールに感じて、妙な感覚に囚われたと言っていましたね。。

先の右にはハニワの丘ってのが在って、巨大なハニワが剣をかざしていて、左の方には相変わらず武士俑がたくさん羅列してる感じでしたね。。

なんだか本当に何にも考えないで色々置きまくっているって感じでしたね。。

それで後は車まで戻るかって感じで、天安門広場の先にレンガの門みたいなのが在るので潜って行きましたね。。

そしたら門に隠れるように、また武士俑が編隊を成して何体も立っていたので、僕はびっくりしてしまいましたね。。

だからけっきょく述懐すると、この兵馬俑の余り物だか何だかの各地に立ってる武士俑が、僕にとってこの太陽公園で最もインパクトが有った物になったのかも知れないと想いましたね。。

他にも武士俑だけじゃなくて陶馬の余りみたいなのも少ないけど在りましたね。。

いったいこの門口堅蔵さんは何を考えてこんな事になる施設を創ったのかとは想いましたよ。。

門口堅蔵さんは自分の時計も財布も買ったことがないような人だったらしいですね。。

困った人を助けたいという一心で私財を投げてここまで創り上げてきた人だったらしいと。。

偉大な人物ですが温厚で礼儀正しく、 とてもユーモアがある方で、決して自分の考えを押し付けることは無かったらしいと。。

これは門口堅蔵さんが、施設に暮らす人達が施設内に閉じ込められるのではなく、世界中を旅できるようにと広大な敷地に世界の建造物を建てた大真面目な福祉施設だったと言う事で。。

夢は涯しなく、これからはホームレスや犯罪者更生への支援事業に力を一層注ぎたいと言う話で、95歳まで生きれば、今の夢は叶うと語られていたそうですね。。

門口堅蔵さんは、障害者が匠の技を身につけて一日も早く社会復帰し、夢を持ち、安心して暮らせる街づくりを目指すと意欲をみせていたそうですが。。

その志の半場で亡くなられてしまったのは非常に残念だと言う事ですね。。

しかしその創られているものが、障害者も健常者も関係なく余りにも突飛なものが出来上がっていると言う感じでして。。

僕としては福祉だとかは全く感じずに、楽しんで疲れたから帰ろうと言うところでしたね。。

それで帰りの歩きからは門口堅蔵さんの事を考えましたが。。

(蚊よ蚊よ 欲しくば私の血を思いっ切り吸っていけ!
痛くとも 痒くとも じーっと耐えているから)

と、蚊にまで慈愛を注ぎ。。

(生活に苦しむ人よ 障害に悩む人々よ
望むならば 私も貧しいが骨の髄まですべてを与えるであろう)

と言う事で、 これは御佛が私に命じられた私の運命であり、私の社会福祉の基本姿勢であると言う考えの基に、 その使命感と誇りをもってこの尊い社会福祉事業の遂行に命果てるまで己を捨て敢行することを誓ったと言う事でして。。

人生の総てを福祉に捧げたような人生らしかったと。。

障害なんかを持つ人を社会に出そうとしても差別で居場所がないということに想い当り、そうした障害を持つ人が集う、明るい場所を創る事を決心したらしいと。。

そして障害者、健常者、人種、あらゆる人類が平等に差別されずに争う事無く自立出来て、総ての人が人間性豊かに暮らせる真のノーマライゼーションが形成される街づくりを目指したと。。

僕は想いましたが、一過性のものでは無く、循環し永続する体制を整えると言うのはいい考えなんでしょうね。。

そしてそこは音楽や躍りや祭りの美しい文化が咲き乱れるような美しく輝く桃源郷みたいな町で、それを創って人類の平和為に献上するんだって事だったんだと、表向きの話は理解しましたがね。。

要は20代で社会福祉業界で障害者の方の介護や支援をしてきたけれど、それだけじゃ駄目で、障害者の方達なんかが就労し自立して、自らが人類平等な機会の上での同じ幸せを手に入れる生活が出来るのが目標だったんだと僕はとりあえず受け止めましたが。。

そうした考えの基に、現在の太陽福祉グループは何十社もの子会社を運営させるところまで来て、これだけの壮大なものを創り上げるところまでもって来たと言う事なんでしょうね。。

とりあえずこれだけのものを個人の考えの基に創れたのは凄い事だと想いますがね。。

そして門口堅蔵さんは80歳を過ぎてなおも戦うと言う、満足する事の無い闘志を持っていて、この太陽公園には平成の偉人として相応しい氏の世界が顕在していると言う話だったと言う事ですが。。

しかし途中段階でまだ城下町とかは完成して無さそうで何とも言えませんが、今回見学させて貰って、この施設がこれから世界の先端を行く国際福祉都市(太陽)になると言う姿は想像できませんでしたね。。

少なくとも門口堅蔵さんには福祉に対する志が有った事は確かなのかも知れませんが、何だか理想主義の妄想と、勢いだけの計画性の無さも観えるような気がしました。。

そんなんなんで、ガタガタ道を戻るの嫌だから、途中で隣に延びるアスファルトの車道を歩いて行こうとしたら、蛇がウヨウヨしていましたね。。

しかし福祉業界でこれだけ成功した人が、なんでこんな突拍子もない施設を創る事になったんだろうと想いましたが、意外とこういった人って創っちゃうのかも知れないとも想いましたね。。

福井県勝山市の清大寺や兵庫県美方郡の但馬大仏を創った多田清さんなんかもそうだし、珍スポットでは基本パターンの1つとなるかと想いますからね。。

しかしここは特別に壮大でしたけれどね。。

門口堅蔵さんは、子どもの頃から迷いなどなく、金を集めるのは技術だと言う話もしていたらしいですが、その金を集める技術と言うのは何だったんでしょうね。。

その60数年に及ぶ福祉活動は戦いの連続で、血は流れ、肉は飛び、骨は砕ける程の苦闘であったらしく、乱れる心、騒ぎ立つ思い、黒い心の影、醜い想いの影、これらの悪魔の襲来を打ち破ってきたものらしいですけれどね。。

しかしそれでも門口堅蔵さんは、血も涸れよ、肉も爛れよ、骨も腐れよと叫びながら、茨の道を走り続け苦しい戦いに挑み、
自らの理想とする社会福祉事業に邁進すると言う不退転の姿勢であったらしいと。。

それで僕はそんなに社会活動って大変な敵がいるのかと想いましたが、福祉業界ってのも色々大変そうだし、何の業界にしても確かにそれぐらい大変なのかも知れないと想いましたよ。。

そしたらなんとこちらの老人ホーム太陽園が2012年辺りには、経営難に陥った太陽公園の減価償却費や人件費を肩代わりしていて、昨年度までの2年間に約4億円の所得を申告していなかった事が所得隠しと認定されて、重加算税を含めた追徴税約1億5千万円の支払いを命じられたらしかったと。。

これはまさに現実世界との苦闘の1つだったのかもしれませんが、門口堅蔵さんは太陽公園に1日1000人の来客を期待したらしいですね。。

そうしたら開園次年度の2010年度の入場者数は約7万人となり、そうなると1日の来客数は年平均で約200人弱となり、例え全客が大人料金の1300円だったとしても、年間の売り上げは9100万円となり、何百億円かけた施設としては利益になったもんじゃないと言ったところだったんじゃないですかね。。

そりゃ飲食費なんかの売り上げも有りますが、これらも粗利はマイナスなんじゃないかと想えますし、現実は厳しいですね。。

でも年間7万もよく入ってるなとも想えましたし、利益を肩代わりするなら、真っ当な福祉施設だけにすれば運営して行けるんじゃないかと想ったりもしましたけれどね。。

でもこんなのは裏でやってる事の氷山の一角に過ぎないんじゃないかと、これだけの施設を観ると想ってしまいますし。。

門口堅蔵さんくらいの方ならなんて事は無さそうな気がしますが、もう亡くなられてしまったので、これからはどうなるのかと想いましたよ。。

それで想いましたが、これだけ楽しめたんだから、 白鳥城が出来て遊園料金が大人1300円に上がったんだとしても、これは安いとは想いましたけれどね。。

しかしこれって中国とか日本とかどっかの石材業者やら関西辺りのゼネコンとの癒着とか有ったんじゃないかと考えられませんかね?

そして白鳥城の竣工式にも兵庫県知事井戸敏三氏、姫路市長石見利勝氏、兵庫県議会議員水田宏氏、参議院議員山東昭子氏、衆議院議員戸井田徹氏から贈られた胡蝶蘭も飾られていたって言うし。。

石碑やら葬儀にも公然と行政の方々が訪れているって言うのは、やはり補助金やらで色々と癒着してたとかの可能性が捨てきれませんがね。。

やはり僕には門口堅蔵さんと言うのは、前述の一日一膳の笹川良一さんやら、もしくはロッキード事件で表に出た児玉誉士夫さん辺りの印象に近いのですが、何か裏で大きな闇の力を持っていたと言う事なんでしょうか?

そうじゃなければ福祉に尽力するだけで、こんなものやらを創って、福祉都市を標榜するなんて事にはならないと想えて仕方なかったですね。。

こちらの施設に個人で1億5千万円の寄付をされた方の石碑だとか、前述の50本の韓国灯籠の寄付をした会社とかなんかも、どうしてそうなってくるのかよく分かりませんしね。。

とりあえず僕は福祉業界の事は全く素人で分かりませんが。。

福祉制度は戦後に作られたまだ未成熟なもので、難しい面も多々有るかとも想えましたし、介護施設なんかは9割り近く国から補助金が出るとか運営費も大半が出るとか言う場合も有るらしいと言う話しですかね。。

なんだか内部留保の問題やら税制優遇やら有るみたいだし、理事長の私物化やらも問題になったりしたみたいで。。

昨今は社会福祉法人制度改革なんかも進められているみたいな感じですが。。

そうした中で、戦後の福祉制度の創世記から黎明期の時代と言う隙だらけの時代に財を成した門口堅蔵さんには、僕は何か有るとしか想えなかった処でしたね。。

それにやっぱりなんだか、通いも含めたりこれから城下町を築けばもっと増えるんでしょうが、障害者の就労の場を提供と言っても、約1000人の障害者の方達だかが暮らす施設の状況に何100億円もかけたド派手な施設を提供するってのも何だか無理が有るような気もしたと。。

でももしかしたらそれは僕の無用な勘繰りであり、本当に真っ当にユートピアみたいなものを創り上げる過程だったのかもしれませんけれどね。。

まあ終わり間際に訪れたせいで閑散としていたのが怪しい印象に傾いたところも有ったのかも知れませんからね。。

障害者の方達なんかが生き生きと過ごしているのを1人でも観れれば、また違った印象になったのかも知れません。。

そんなんなんで、とりあえず車道を通るとやっぱり遠くなるので、往時で通った歩きにくい道を引き返しましたが。。

駐車場に戻ったら暮れかけた景色の中に白鳥城が屹立していましたね。。

それで僕には城下町や万里の長城の完成と言うのが、門口堅蔵さんが亡くなられてしまったこれから先に完成するとは想えなかったところでしたが。。

門口堅蔵さんは、たとえ私の身が滅びるとも私の心は永遠に生き残りこの尊い社会福祉事業の実現する事を宣言したいと言っていたので。。

これからも永遠に空からこの太陽公園を観つめながら繁栄に向かって念力でも唱えてるかも知れないと想うところでしたね。。

そんなんでこの太陽公園のとんでもなさに、来てよかったと想って帰路に着きましたよ。。

最後に。。

とりあえずこの太陽公園は、そのとんでもない石像やらの数を筆頭に、ひしめく建造物の壮大さなんかもあって、非常に楽しめる施設でありましたね。。

人によっては怪しく観えたり安っぽく観えて、敬遠する人もいるのかも知れませんが、僕としては難しく考えなければ、こちらは大半の人が楽しめるような施設に感じましたけれどね。。

それで僕はなにより兵馬俑で余った武士俑やら五百羅漢やら石灯籠やらの怒号の数に圧倒されて楽しめたのが最高だったんですが。。

人によっては白鳥城みたいなのが良かったって言う人もいるでしょうし、バリエーションには富んでるんで、言った通り大人1300円は安いとは想いましたよ。。

しかしこちらの主旨である障害者の方の為だとか人類皆平等の城下町だとかの話しは施設と結び付かないところが有るとは想うので。。

そう言った福祉や道徳みたいなのは、普段の生活で普通に考えたりすればいいと想うところで。。

あまりこのシュールな施設では、そう言った事を難しく考えたりしないで、普通にこれは何なんだって楽しめば良いかと想いましたけれどね。。

いずれにしても僕としては大きさよりも数で圧倒された希少な施設であり、1度は訪れられて良かったと想えるインパクトが有ったので、そう言ったものが好きな方にはお勧めですし。。

これから先の10年後、20年後に、その素晴らしい目標がどうなっていくのか顛末を観届けたいと想うところで、終わりたいと想います。。

太陽公園 兵庫県姫路市打越1342−6

問い合わせ 079-267-8800

営業時間 9:00~17:00
定休日 無休

入園大人1300円 子供(小中学生) 600円、小学生未満無料、高齢者(75才以上)600円、障がい者・介助(大人)600円、障がい者(子供)300円 ※20名以上の団体の場合は割引あり。 (城エリア・石エリア共通券、モノレール往復)

駐車場 300台 無料

電車 JR姫路駅から神姫バス打越新田下車徒歩5分

ホームページ http://www.taiyo-park.com/