笠置観光ホテル 魔界紀行シリーズ2 京都府相楽郡笠置町笠置峠50 2011年3月24日 関西の有名物件を訪ねて。。

この笠置観光ホテルに関しましては、2011年3月の京都への1泊2日の旅行のラストを飾る感じで訪れさせて貰いましたね。。

まあそれでとりあえず真っ当に京都を普通に観光したりして、その序でにこの様なスポットをと言うところですが。。

実は真っ当な観光よりこっちの方が楽しみでメインだったりするのが実際のところかも知れませんけれどね。。

まあこの時も逆に真っ当な観光地と言うのは京都で金閣寺や龍安寺やら観ただけで、後は珍スポットやらばかりだったような感じでしたしね。。

それでなんだかこの(笠置観光ホテル)は霊の目撃情報が多くTVや雑誌やら各種メディアでも取り上げられて有名でと言う話で。。

中でも2004年1月7日にテレビ朝日系列の心霊バラエティ番組であった
(魔界潜入!怪奇心霊マル秘ファイル)でこちらが放送されたのが有名で、2003年8月15日に松竹芸能だかの若手芸人たち主催の恒例行事の肝試しイベントでこちらを訪れたら女の顔が映っていたと言うのが有名らしく。。

それはお笑いコンビの木下隆行さんだかが撮影した動画で、その肝試しイベントの罰ゲームとしてお笑いコンビのフロントページの益田博隆さんだかがホテル内を散策していたら背後に瞬きをしたりするような女性の霊が写り込んだらしいと。。

まあ僕はTVは殆んど観なくなってるし、観るとしたらニュースかスポーツくらいなんで、芸人さんだとかは全く知らないんですけれどね。。

それでなんだかその動画やらはこちらのホテルの事とかが載ってる(怪談&心霊ルポDVD
北野誠のおまえら行くな 飛翔編)に付属されたDVDとかで観れるって話ですね。。

まあそんなんで僕はTVは観ないですが、こうした怪奇ものとかのムック本とかはコンビニとかで見掛けますと何となく買っちゃったりはしまして、家の書棚の奥底を探しましたら。。

この飛翔編は無かったですが、2012年7月31日に発売された(おまえら行くな
突撃!恐怖スペシャル)だとかはまだ有りましたね。。

何処でどうしてこの雑誌だかムック本を買ったのかは今更覚えてはいませんが、こちら(笠置観光ホテル)を訪れたのは2011年なので、この雑誌は訪れた後に買ったものなんでしょうね。。

でもこうした雑誌とかにDVDとかが付録で付いていても、なんか僕は開けるのも面倒なのか軽視しているのか自分でもよく分かりませんが、観た記憶が殆んど無いんですよね。。

捲ってみるとやっぱりDVDの付録は開封もしていませんでしたね。。

これは僕の中でけっきょくウェブなんかで探せば動画なんかは観れたりしますので、観たければそっちで軽く観ればよいとか想ったりしますし。。

たぶんそれ以前に動画やら心霊写真は昔からの流れで散々観たし、そんなに信用してないし、もういいって感じなんですよね。。

それでふと振り返ったりしますと、子供だったからとか有るのかも知れませんが。。

そうした写真やら動画と言うならば、小学生時代に近所の本屋で立ち読みした中原俊哉氏著の(恐怖の心霊写真集)とかが一番怖かったとか想ったりしましたね。。

でも実際に心霊写真や動画なんてのは殆んどが事実では無いと想っていますし、心霊スポットとか言われる場所で霊に遭遇したとかの話も殆んど総てが事実では無いと想っています。。

霊の存在と言うものは、有り得るとは想っていますが、写真や動画であろうと、生きてる人間が見たり接触したり出来るものでは無いと想っていると。。

ですから霊を観たとか遭遇したなんてのは嘘やヤラセじゃ無いとしても殆んど総てが心理的な問題に起因する錯覚や勘違いだとは想っています。。

じゃあなんでそんな関連の場所に訪れようとするのかと言いますと大小様々な要因が有るとは想いますが。。

まず想うのは、そうした非公式な事で人々の注目や関心を集める場所とは、いったいどんな処なのか訪れて確かめたいと言う好奇心が有るからだと想いましたね。。

まあとりあえずそんな事なんですが、それで沢山の訪れたいと想う候補地が有る中で、こちら(笠置観光ホテル)を選んだ理由としましては。。

旅行なんかに行く時は、場所が大体決まりましたらその方面で何処か面白そうな処はないかとウェブでけっこう調べてから向かうのですが。。

いちおう廃墟や心霊スポットと言った検索ワードも入れて調べたりもしますので、先ずはそうした分野なんかではこちらのエリアでは有名そうな(笠置観光ホテル)に目が止まったんでしょうね。。

まあ余り訪れない地域なら先ずはメジャーどころにとなりますし、あとは調べで現存が確認出来て確実に訪れられそうな場所を選びたかったですしね。。

他にはその時の旅行においての交通の便となりますが、それは(笠置観光ホテル)沿いを通るような国道163号線を帰宅ルートの一環と考えれば悪くないと言うところでしたからね。。

そんなんでこの時は、京都駅の方面から主に国道24号線を使って木津川沿いとかを走りながら、先ずは木津川市内で国道163号線を曲がってと言う感じで進んで行きましたね。。

でもそう言えば想い出しましたが。。

この時は国道163号線と繋がる上狛四丁目のT字路を左折しないで1度真っ直ぐに進んで少しばかり木津市街を走ったりして、バベルの塔だとか言われている木津南配水池の景観を観たりもしましたね。。

なんでも学研都市旧木津町のシンボルとして特産品のタケノコをモチーフにして1993年だかに鹿島建設が完成させたらしいですが。。

高さは47mとなり内部は高区用と低区用の上下2層の造りとなっていて合計容量は8164tも有る貯水池らしいですね。。

愛読書だったワンダージャパンに掲載されていまして、何となく知っていたのですが。。

まあでも周りの道から観ただけなので、こんなものかと言った呆気ない感じは有りましたけれどね。。

調べますと日時なんかは限られるみたいですが、中に入れる見学会も有るみたいですかね。。

最近はネーミングライツを導入したりして名称がタツタタワー木津川市とかになっているらしいですが、とりあえず気になっていた物件を序でに観れて良かったですね。。

そしてその後は、先程通り過ぎて曲がらなかった上狛四丁町のT字路に戻って今度は曲がり、国道163号線を走って(笠置観光ホテル)に向かったと言う事ですが。。

上狛四丁町のT字路から約1.8km先の大谷交差点までの間は、国道24号線と国道163号線の重複区間になっていて、重複区間から単独の163号線に道が変わったと言う事だったみたいで、現在この辺りは木津東バイパスとして工事が進められているみたいですね。。

それでこのT字路を曲がって約12kmくらい走れば笠置トンネルが有り、そのトンネル入口の横にトンネルが開通して使われなくなった旧道が延びていて、(笠置観光ホテル)はその旧道沿い辺りに在るらしいと言う事で向かって行きましたが。。

しかし今になって調べますと、この国道は伊賀街道やら笠置街道やら呼ばれる歴史有る道で、名阪国道と繋げれば大阪~名古屋間の最短ルートとなる道だったらしく、けっこうな交通量で物流トラックなんかの利用も多いらしかったみたいですね。。

そして木津川市なんかも京都や大阪や奈良なんかの周辺都市のベッドタウンとして人口増加が著しいらしいですが、時間帯も午後の中途半端な時間だった為か、ずっと快適に進んでこれましたね。。

でも何だか途中走っていて印象に残っているのは重機興業会社の敷地に置かれたクレーンが壮観だった事とか後は採石現場とかで、想わず写真とか撮っちゃいましたね。。

進んで行けば笠置トンネルは1980年3月に開通した749.5m有効巾6Mの外壁が寂れた赤レンガみたいな造りのトンネルで、それなりに目立つしで迷う事無く着けた感じでしたね。。

この時はまた帰路の事なんかを考えたりしていましたが。。

前述した国道163号線は、大阪方面から木津川市を経由して木津川中上流沿いの山間部を走り、三重県伊賀市へぬけてその先は津市まで延びる国道となりまして。。

帰りはこれを走っていけば伊賀市で高速道路に近い国道25号線に繋がり、その後に東名阪自動車道に乗り継いで行けば楽だし少しは高速代も安く済むかなとか算段が働いたりしまして、帰宅ルートかつ途中で観光にも訪れられると言う狙いは当たっていたなと今更ながらに想ったりしていましたね。。

しかし何だかこのトンネル自体も以前トンネル内で車にひかれて亡くなった幼い少女の霊が出るとか言われているらしかったみたいですが。。

これは今になって知ったのでこの時はそれは頭に無かったですね。。

(笠置観光ホテル)はこのトンネルの横に残る旧道沿いに現在も残る廃ホテルと言う事で、これから向かったのは正確には(笠置観光ホテル跡)と言う事なんでしょうが。。

どうもこのトンネルが完成して旧道が利用されなくなったのがホテルが廃業になった一因みたいに言われているように、このトンネルは(笠置観光ホテル)と因果関係の強いトンネルで、訪れるなら必ず目にするトンネルでしょうから。。

少女の霊がどうこうなんて、心霊スポット扱いになった(笠置観光ホテル)の話に尾ひれが付いたようなもんなんじゃないですかね?

事故が有った確認とか取れないし分かりませんがね。。

それならば笠置トンネルの上は土葬供養の墓地が在るので、その霊がと言った話も有りますが。。

僕としては、古来から昭和初期まで日本でも広く一般的に行われて来た土葬ですし、昔から街道とか交通インフラとして整備されるような人々が行き交う場所で、村や町も在ってと言う事ですから。。

そうした人々の生活圏内と言える場所の範囲なんでしょうし、未開の山奥や秘境以外なら、墓やら埋葬地やら死んだ人がいない場所の方が少ないんじゃないかと想えますから。。

長いトンネルの上に埋葬した場所が在るくらいそんなに問題視するものでも無いんじゃないかと考えてしまいましたね。。

まあこうした考えは僕の浅はかな素人意見となり、的外れ前提で話して行こうと想うところですけれどね。。

それで前もって調べていた皆停めてるトンネル横に延びる旧道の車止めのスペースに車を停めさせて貰いまして、後はこの道を進んで行けば良いのかと一息つきましたね。。

反対側のトンネル出入口からの方が近いみたいですが、どちらにしろ旧道は1km弱みたいだし、折角だからゆっくりと景色なんかを観ながら向かった方が良いかなと言った感じでしたね。。

調べますと何だか笠置町は、京都府の最南端となり相楽郡の東部に位置する木津川上流の山峡にあり、国の史跡名勝に指定されている笠置山は町のシンボルみたいで、地形全体が渓谷の様相になっていて。いたるところに巨岩奇石が見られる町であるらしいですね。。

そして2015年の国勢調査では人口1368人となり日本で2番目に人口の少ない町だとかで、近年は出生数0の年も有ったりの過疎地域みたいですが、それに関しましては都市部以外はどこもそんな感じなんじゃないかと想いましたね。。

しかしすぐ先程通った木津川市は人口が顕著な地域であり、笠置山地やらの山間部に少し入っただけで違うもんなんだなとは想いました。。

まあでもとりあえず訪れた時は、少し小雨が降ったり止んだりの微妙な天気でしたが、ゆったりした木津川の流れ沿いの普通に風光明媚な場所に感じましたね。。

車止めの辺りを観ると、崖崩れや落石の注意を促す看板とかがやたらと有りましたが、普段渓谷の探索を好んで行う僕としては、そこは余裕な感じでしたね。。

そう言えばこの時の旅行では滝や渓谷は珍しくそんなに訪れなかったので、木津川の流れを観るとなんだか安心しましたね。。

それで想ったんですが、こうした心霊スポット的な場所は夜に行くのが基本なのかも知れませんが、夜だと灯りなんか無い場所が殆んどでよく観えなくて何が何だか分からないケースが大半だし、写真も撮り難いので、けっきょくこうした場所は明るいうちに訪れる事にしたんですよね。。

それに元々僕が求めているのは噂の場所に訪れてどうなのか考えたいって事で、肝試しとかでは無いと言う感じですからね。。

そうした事でこちらを訪れた時も、夜に来たら暗やみばかり拡がってこうした町並みや風景とかも観えなかっただろうし、明るい内に訪れて正解だと想いましたね。。

それでこの旧道を歩いて行けば間違いないなと進んで行きましたが。。

道には落石してきたと想われる大岩が有ったり、端には落葉の堆積や雑草の繁殖が其れなりに有りましたが、歩く分には問題なかったですね。。

あと使っているか分かりませんがベンチとか置いてありましたし、旧来のガードレールとかには鉄パイプとかで更に柵が施されている感じでしたかね。。

この道は1980年3月に笠置峠を貫く笠置トンネルが開通するまで旧国道として使われていた道と言う事ですが。。

それまでこの車道は七曲がりと呼ばれる崖っぷちに離合不能な 一車線道路が通る難所となる道であったらしいと。。

それで信号による交互通行が行われていたと言う事で、通過待ちに10分以上かかることも有ったらしいですね。。

大和と伊賀を結ぶ伊賀街道は奈良時代辺りの古くから使われてきた道らしいですが、それまで峠越えルートだったこの地の新道として明治31年となる1988年に絶壁を砕いて開通したのがこの旧道だったらしく、その後に笠置トンネルが完成した為に実質的な役目は終わったと言う事だったんでしょうね。。

それでこの旧道はベンチや柵も有ったしですが、現在は散歩道だとか廃道だとか色々と言われていて、実際にはどう言った扱いになっているのかと想い調べたり考察したりしますと。。

この旧道区間沿いに建物なんて(笠置観光ホテル)しかなさそうですが、とりあえず(笠置観光ホテル)が廃業したのは1990年辺りらしいので、どれだけいたか分かりませんが、それまではホテル利用者が使ったりはする道ではあったんでしょうね。。

しかし僕にはホテルの駐車場が何処にあったのかいまいち判明しないので、車道としての利用状況とかは分かりませんがね。。

それで笠置町関連のHPなんかを調べますと、ホテル存続以前からかその後からかは分かりませんが。。

こちらは笠置町に有る7つのハイキングコースの1つで、下流の笠置大橋から上流の木津川支流の横川沿い辺りの荒木又右衛門がその前で休憩したとか伝えられる大杉(2012年伐採)辺りまでを歩く、鹿ヶ淵コース(距離3km 所要時間約40分)の大部分として使われている感じには見受けられましたね。。

ですからこちらの道は、公式にはハイキングコースとしても扱われる道であり、道の下の木津川の流れの辺りは鹿ヶ淵と呼ばれる岩場だと言う事だと認識しました。。

考えれば入口の看板とかも注意書きであり、通行禁止とは書いて無かったですから、廃道ではなくて歩道として道は存続してるって事なんでしょうとね。。

しかし何となく例をあげますと、僕の住まいに近い神奈川県厚木市の心霊スポットの山の神トンネルも、向かう道の手前にゲートが設置されたりして廃道っぽいですが鐘ヶ嶽とかのハイキングルートの一部になっているし、東京都あきる野市の旧小峰トンネルとかも車での通行は不可でも歩きとかは大丈夫で廃道じゃないみたいだし、青梅市の吹上トンネルも然りで。。

それを考えますと、歩くの可なら廃道でなくても、車で通れた道が通れなくなったら車の視点で言えば廃道と言えば廃道と想えるしで、廃道と言う定義に関しては微妙だなとも想いましたね。。

それでこちらの旧道の事ですが、こちらはあれだけ落石の注意看板とかが設置されてるのにハイキングコースとして町で紹介されているのは例としてあげた道よりも危険な感じがしました。。

しかしまあ登山道とかは落石注意の場所なんていくらでも有るし、歩くぶんにはそんなものかとも想いましたね。。

途中で旧道から対岸とかを観ると、鹿ヶ淵には巨石がゴロゴロと堆積していましたが、
笠置山全域とその周辺の地質は、白亜紀後期(9700万年~6500万年前)の珪長質深成岩類の花崗岩となるみたいですね。。

そうしたらどうも奇岩巨岩が多い笠置町はスポーツクライミングの一種であるボルダリングのメッカだとかで、この落石注意の旧道の下の鹿ヶ淵辺りは、笠置ボルダーと言うボルダリングのエリアでもあるらしく、バカボン岩やらジーザスクライストロックやら沢山の岩に名称も付いているみたいですね。。

そして江戸時代初期には大阪夏の陣で焼け落ちた大阪城の再建の為に石が集められ、その際に運ばれなかった石が残念石として各地に残っているらしいですが、この辺りにも少なからず刻印が刻まれて放置されているみたいで。。

何もなさそうな自然景観のように観えても、現在も昔も色々と利用されているものだなと想いましたね。。

反対岸には緑に覆われるようにJR関西本線が通っているみたいでしたが。。

笠置駅は明治30年となる1897年に関西鉄道の路線として開業し、関西本線は1899年となる明治32年に民間鉄道として名古屋駅~湊町駅(現なんば駅)間が全通したらしいと。。

しかし関西本線は名古屋駅と大阪のJRなんば駅を174.9kmで結ぶ路線と言う事らしいですが、本線とは名ばかりで亀山駅と加茂駅間は電化されておらず、この区間だけは昼間は1時間に1本の1~2両のディーゼルカーが山間部を約1時間半かけて走るローカル線となるらしいと。。

この区間の実際の輸送人員は2015年の時点で1日1267人となり第1次地方交通線の廃止基準となる4000人を大きく下回っているみたいですね。。

関西本線は国鉄時代の1973年に湊町駅(現なんば駅)~奈良駅間が電化してその際に名古屋駅までを結ぶ電車が奈良駅止まりに変更され、1979年に名古屋駅~矢田駅間が電化し、1982年には矢田駅~亀山駅間が電化し、そして国鉄が1987年にJR化された後に電化されたのが1駅大阪よりの加茂駅(大和路快速)までで、それ以降は電化の進展はなく、2006年には名古屋駅~奈良駅を結ぶかすがとかも廃止になり、
笠置駅は都市部からの直通列車がなくなった状態らしいと。。

そうして取り残された形の区間の笠置町の観光客は激減して、当時の観光施設の多くが閉業へと追い込まれ、笠置観光ホテルもその1つだったと言う事らしいですね。。

現在も大阪、名古屋、奈良、と言った区間は、新幹線、東海道本線、近畿日本鉄道、なんかを利用する感じで、この区間の開発は無さそうですかね。。

なんだか笠置駅は2017年には駅舎とかをリニューアルしてカフェとかも誘致したみたいで、観光や生活の為に駅前通りを中心に整備をしているみたいですけれどね。。

(笠置観光ホテル)は笠置駅から観ると木津川の対岸となり、歩くなら笠置大橋を渡りこの旧道とか利用すれば約2kmで30分くらいの距離となりそうですが。。

ゆっくり歩いてもいいのですが微妙な距離で、(笠置観光ホテル)が営業している頃は送迎バスとか運行させてた感じなんですかね。。

歩くのが嫌で送迎バスがなければ、路線バスかタクシーを利用する事が考えられ、不便と言えば不便ですが、山間部の渓谷美を望むような宿ならそんなものかとも想いましたね。。

そう言えば先程車を止めて笠置大橋を観た先には約3万m2の河川敷は笠置キャンプ場としてけっこうな利用客がいるみたいですね。。

この辺はカヌーのメッカでもあるらしくスクールなんかもあって盛んみたいですし、夏には笠置灯ろう流しや花火大会を伴う夏祭りなんかもあるみたいですね。。

他にも笠置町は桜の名所でもあるみたいで春には桜祭り、秋はライトアップされるもみじ祭りなんかも有ったり色々と有るんでしょうが。。

観光客数とかは1995年の60万人辺りをピークに現在は20万人台に減少し、かつては10軒以上在った旅館やホテルの宿泊施設も現在は笠置山の山腹辺りの旅館よしやと松本亭の2軒だけとなり、宿泊観光客数は(笠置観光ホテル)が存在した頃の1割にも満たないらしいと。。

それで最近は(全国ご当地鍋フェスタ 鍋-1グランプリ)なんかを開催したり。。

国の地方創生加速化交付金6000万円を得て進められる(笠置まちづくり株式会社)とかを設立して、前述の駅舎のリニューアルや、38店舗くらい有る商店街の再生や、サテライトオフィスの誘致や、電気自動車のレンタルやら、色々と地域の活性化を図ったり。。

2017年にはボルダリングを題材にした(笠置ROCK! )なる映画も創られたり、
広域では近隣となる相楽郡東部の和束町と南山城村との3町村での業務連携の強化にも向かってと、町は多くの事業に取り組んでいるみたいですかね。。

しかし全国どこの地方でも人口減少やら観光客減少で、創生やら再生やらには躍起になってて、これを成功させるのは大変なものなんでしょうね。。

こちらの中心施設となる(わかさぎ温泉 笠置いこいの館)にしても、
地域再生の為に町が出資して1997年に建てたられたと言う事ですが、
近隣の町村に同類の施設が多数建設されたりとかで近年は赤字続きとなりその存続が議論されているみたいでしたからね。。

そしたら施設のLED工事費で町長が訳の分からないクレジット契約を結び、未払金を300万円以上発生させたりして、けっきょく何だか光熱費などが滞って2018年に一時休館し、町は運営から手を引き、大阪の飲食店経営会社を指定管理者にして温泉施設は運営しているみたいで、何だかやっぱり大変な気がしますね。。

以前にも町では町民全員の定額給付金のデータが入ったパソコンが紛失したり、最近も住民税の還付金が紛失したりで、これらの摩訶不思議な現象は、今も聳え立つ(笠置観光ホテル)の怨念が成すところなのかも知れませんね。。

しかしこの辺りの木津川は、水面は穏やかでも川床は岩が入り組んでいて、笠置山からの冷たい地下水が流れ込んだりして、キャンプ場とかの観光客とかがけっこう亡くなったり、カヌーを漕ぎに来てる人とかが転覆しやすいポイントで亡くなったりしている、と言う話も目にしました。。

それで考えましたが、僕の住まいの近くの相模川なんかも穏やかに観えるのにけっこう溺死する人はいますし、こちらには沢山の人々が遊泳やらカヌーをしに訪れているので、これは本当の話だと想えましたね。。

そんなんでいるのかは分かりませんが、この木津川に(笠置観光ホテル)に霊が徘徊する要素の1つが有るんだろうなとか、僕は想いましたね。。

しかしこちら笠置町は観光地として観た場合に、キャンプ場やら温泉やらその他のスポットも、何処の地方にも同程度のものが在りそうで、そんなに特筆に値する程のものではないような気がしたのですが。。

この笠置山と言うのは、何だかとても魅力的には想いましたね。。

笠置山は標高288mの低い独立峰で徒歩30分くらいで登れるそうですが、花崗岩から成る奇岩や怪石が多く点在していて、笠置寺の本坊で拝観料300円を払って進む修行場巡りは訪れたいと想いました。。

大岩に掘られた戦火により光背のみを遺しのっぺらぼうみたいな高さ15Mの本尊となる弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)や、その他にも虚空蔵磨崖仏(こくぞうまがいぶつ)、胎内くぐり、やら色々と岩を観ながらのコースは魅力が有ると想いましたね。。。

それで何となく調べますと。。

笠置山からは弥生時代の有樋式石剣だかが出土したので、古来より山が人々の自然崇拝の対象になっていたことが分かっているらしいですが。。

奈良時代に入るとこの辺りは東大寺建立の際に、木津川上流から木材をいかだ状にして流し運ぶ為の重要な津(港)として栄え、
奈良の東大寺領の笠置庄として繁栄し、
東大寺の実忠和尚の師である良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えたらしいと。。

その後、平安の末法思想にともなう弥勒信仰の隆盛で、
笠置寺の大磨崖仏は天人彫刻の仏として非常な信仰を受け、鎌倉時代まで笠置詣でが盛んになり、また多くの修行者や行者の修行の場としても繁栄したらしいと。。

しかし鎌倉末期に後醍醐天皇が笠置山を要塞として行在所を置いたことによって鎌倉幕府との攻防戦の舞台となり、山は全山消亡したらしいと。。

その後僅かな復興と焼失を繰り返して明治初めに笠置寺無住の寺となりますが、明治9年となる
大倉丈英和尚錫がこの山に止まって復興に20年力を尽くし、ようやく現在の姿に山容を整えたらしいと。。

そんな事らしいですが、この時は(笠置観光ホテル)だけを考えていましたので、笠置寺を含む笠置山の事は全く頭に無かったので、いつか機会が有れば是非訪れたいとは想いましたね。。

それで話を戻しますと。。

そんなんで(笠置観光ホテル)に向かって旧道を5分だか10分くらいゆっくり歩いていったんですけれど。。

なかなか着かないなあと想っていたところ。。

振り返ったらホテルがドーンと建っているみたいな事が何処かに書かれていたのを想い出したので、振り返ってみたら緑の斜面の上に確かにドーンとホテルが建っていて、この時は何だか感動出来ましたね。。

どうも調べますと、旧道とホテルの間には石垣やら白い城壁みたいなのが有ったらしいですが、この時は緑が繁殖してて観えなかったんでしょうね。。

とりあえず振り返ったら観えたインパクトが強かったので、旧道は木津川市方面側から向かって良かったなと想いましたね。。

そしてこの時はとりあえず(笠置観光ホテル)に1度対面した後に、旧道の反対の伊賀市側の入口辺りはどうなのかと、そちらの方まで歩いて行きましたね。。

それでやはりこちらの方はホテルまでかなり近そうで、駐車スペースも有りそうな感じでしたが。。

改めて観ますと、こちら側には車止めが無さそうなので、車で旧道に入って行けたんですかね?

しかしもしそうだとしても、車で無理に入って行く必要は無いだろうし、進入はしたくはないところだと想いましたね。。

まあそんな感じだったのですが、(笠置観光ホテル)とは現役時代はどう言ったホテルだったのかと何となく調べますと。。

1962年に開業した鉄筋コンクリート造りの地上5階地下1階で延床面積2640m2のホテルであったらしいですね。。

しかしこちらが大型リゾートホテルだったと言うような話も目にしましたが、リゾートホテルって言う感じには観えず、区別は難しく感覚的なものですが、やはり観光ホテルと言った感じがしましたね。。

まあ建てられた当時の昭和30年代ならリゾートホテルって感じだったんですかね。。

何か一瞬僕には、鬼怒川温泉のホテルの廃墟群の1館がポツンと在るような感じにも観えましたね。。

何だか旧道から(笠置観光ホテル)の建物の入口に向かうにはバリケードがどうだとか石垣を登だとか色々と大変そうな場合も有るみたいですが。。

この時は伊賀市側のトンネル横の旧道を少し戻った処だったかで踏み跡を見付けたんだか何だか忘れましたが、
真ん中がコンクリート舗装されているみたいな道が自然に見付かりまして進んで行きましたね。。

途中にある物置小屋的な建物ってこれだったんですかね。。

何だか僕が訪れた時は小屋の前にダイヤル式の公衆電話が転がっていて、それが印象に残りましたね。。

内部を観た感じですと、荒れてるのは当たり前ですが。。

ポリタンクやらホースやらが有りましたし、中から水の流れる音がするとか言う話ですから。。

こちらのホテルは経営の後期において、温泉とかも掘ったらしいですから、源泉小屋みたいな感じだったんじゃないかとか空想しましたね。。

しかしただの物置だったかも知れないし、全く分かりませんけれどね。。

そして進んで行くと金網なんかも張ってありまして、その外にホテルの看板の残骸みたいなのが落ちていましたね。。

それでまた調べますと、こちらのホテルは客数の減少の対策として1983年にボーリング工事かなにかを行って、地下1200mから源泉を導いて、大光天温泉と言う名で日帰り温泉客を狙ったりしたらしいですね。。

それでこちらに放置されていた当時の看板なんかを拝見しますと、地下1200mから54度のナトリウム・炭酸・水素(アルカリ性)の源泉が噴出して、当初は日帰り料金1000円、弁当付きだと2000円、1泊2食だと6500円、だとか書いてありますね。。

しかし源泉の温度は30何度とか書かれているのが多かったので考えますと。。

現在において経営難の(わかさぎ温泉 笠置いこいの館)も1200mだか掘って32.5度のナトリウム一炭酸水素塩・塩化物温泉(低張性弱アルカリ性低オン泉)と言う事らしいですから、それと同じような数値だったんでしょうね。。

宿泊料金も当時は1泊2日の食事付きが2500円~4000円という安さだったと言う話が見受けられて、当時のホテルのパンフレットなんかにもそう表記してありますから、最終的にはここまで料金を落としたんでしょうね。。

しかし80年代辺りからなら物価やらもそんなに変わらないところなので、温泉付きの1泊2食で2500円~とは恐ろしく安く、破滅へ向かう時期の料金設定なのかと妄想したりしてしまいましたね。。

そんなんで進んで行きましたら、いつの間にか城壁の内側で、この辺だけ地面はタイルに覆われてと言った感じでしたかね。。

それでやっぱり景色も観えるし状況もよく分かるので、昼間に訪れて良かったと想いましたよ。。

夜に訪れても外灯1つ有る訳なくて、鬱蒼とした暗闇が拡がっているだけでしょうしね。。

だから肝試しとかで利用して楽しみたいなら夜にでもと言う事だと想いますよ。。

あと有るとしましたら、天体観測かホームレスの寝床と言ったところかなんて想いましたが、ホームレスは市街地近辺じゃないと何かと厳しいからまず居ないでしょうね。。

そんなんで明るい時間なら怖さなどは皆無で、心霊スポットと言うよりは廃墟探訪と言ったところでしたが、廃墟って大体が心霊スポット扱いされるもので、訪れる方々の趣旨によって違いを魅せるところかなと想いましたね。。

敷地内にはBB弾なんかも落ちていて、サバイバルゲームにも利用されていたらしいと言う事ですし。。

どうしようもない方々の溜まり場になったりするのは僕も善からぬ想いになりますが。。

こうした物件と言う物は、様々な利用価値を生み出すものだなと想いましたね。。

そして城壁沿いを奥まで進んで行きますと。。

事前にウェブやらで観た事の有るトタンのバリケードの一画が開いている場所が有りまして、ああこれこれ観た事有ると想いながら、内部に入って逝きましたね。。

それで要はこちらは斜面地物件となり、2階部分のこちらが1階のエントランスとなる扱いだったらしいですが。。

何だかホテルの壁やらは殆んど無くなっていて、エントランス部分の屋根とかも剥がれ落ちているように観えて、入って行っても半野外と言った感じでしたが、事前に調べていて何となく分かっていたので、こんな感じだったなと想いましたね。

それでこちらでの噂話を考えたのですが。。

こちらでは経営不振に苦しんだオーナーがホテルのフロント辺りで焼身自殺したとか首を吊ったとかいう話が有って、顔が焼きただれたオーナーの霊が出るだとか、屋上の機械室を中心に女性の霊が出るだとか言われるのがよく聞く話しみたいですね。。

あとは老婆や幼女やコックの霊を見ただとか、謎の発光体が浮遊しているだとか、前述の土葬供養の話やらも含めて沢山の霊がこの場所に集まって来ているんだとか色々と有りますが。。

どれも有りがちな話が噂されているような感じがしましたね。。

しかし鉄筋なんかを曲げたりしながらの大規模な焼け跡が残っていると言う事で、ここで火災が起こった事はたしかなんでしょうね。。

そして1階部分の内部を歩いたりしたんですが、けっこう昼でも暗くて床も抜け落ちてボロボロの感じなので、面倒で観るのは大雑把になりましたね。。

よくよく考えますと、僕としてはこう言ったスポットって訪れられた事で満足して、探索とかは大雑把になってしまうところが有るかと想いましたね。。

そんな事なんですが調べますと、火災なんかはこちらで何度か有ったらしいですが、それは廃墟になってからの事で、当然火災はホテルの廃業に関係はしていないと言う事ですよね。。

噂とかを総括すると、とりあえずこちらの経営はどこかのグループ企業の子会社とかそうした大資本のものじゃなくて、個人で運営しているホテルだったと言う事なんでしょうが。。

そして色々と説は有りそうですが、けっきょく1990年に廃業し解体途中で放棄された物件で、オーナーがこのホテルで焼身自殺しただとか何だとかはデマだと言う事なんでしょうね。。

ただオーナーが自殺したって言うのは分かりませんが、
とりあえず物件の所有者のオーナーは亡くなっていて、相続人やら保証人なんかの類いとかも訳が分からなくなっていて所有者不明と言う状況になっているんでしょうね
。。

何れにしても開業した1962年からオーナーが同一人物なら、ホテルのオーナーならその当時もそれなりの年齢だと想像するところなので、廃業時にはそれなりの年齢になっていて現在はもう普通に亡くなっている可能性も高いかと想いましたが。。

もし生きていても住民票なんかも移さずにどっかに消えている感じで、
相続人やら保証人なんてのも訳が分からなくなっていて所有者不明と言う感じなんでしょうね。。

それで新旧破産法の手続きなんかは勿論していなくて、所有権移転登記やら住所変更登記なんかもしてなくて、登記記録なんかを見ても訳が分からないんでしょうね。。

これだけ時間が経っていてこんな状態だと、土地と建物の所有者が異なるとか、共同名義による意見の食い違いとかで揉めてるレベルではないんでしょうね。。

とりあえず所有者不明の建物の解体は法的に複雑な問題が絡むと言う事で、借地権やら抵当権やら色々と調べましたが素人の僕には分からないところでしたね。。

1階の奧の方やらを適当に歩くと、なんだかサブカル系の雰囲気の落書きとかが描かれていましたが、1階はフロント関連の他には宴会場やら厨房なんかの跡がメインで観られるみたいですかね。。

残留物なんかは少な目で、やはり鉄筋コンクリートの骨組みだけが残るような雰囲気ですが、色々と狭っ苦しくゴチャゴチャ残るより開放的でスッキリとしているのが無機質な感じで、逆にそれは良かったと想いましたけれどね。。

その後は入口となる一画から向かってすぐの左手に非常階段が有り、上階に行くならこれでと言う話なので向かって行く感じでしたね。。

確かにこの階段だけはしっかりしている感じがしましたね。。

地下1階はトイレが有ってあとはボイラー室みたいなのが有るのか分かりませんが、観処は少なそうだしなんか埃り臭そうで暗いしで行きませんでしたね。。

話題を目にはしませんでしたが、アスベストは使われていないのですかね。。

1962年に建てられたなら可能性は有るかと想いましたがね。。

それで上階へと登って行きましたが。。

やっぱりグラフィティと言うかストリートアートと言うか落書きは多かったですね。。

しかしこうした落書きはアメリカのスラムやヒップホップカルチャー的な雰囲気や、どうでもよい方々の悪戯書きに見えて、栄枯盛衰の後の残骸としての退廃感や寂寥感や郷愁なんかを廃墟に求めたくなる僕の嗜好とはミスマッチになるので、スルーする感じでしたね。。

分かりませんけれどね。。

もしかしたら明日のバスキアとかを目標に真面目に書いてるのかも知れないし、バンクシー辺りの絵が1つくらい混じっているのかも知れませんがね。。

まあでも僕の主観としては好みの絵では無いので、どちらにしてもスルーするところでしたね。。

それで何も考えずに登って行きましたが、2階と3階は非常階段からの扉が溶接してあって普通には侵入出来ないと言う事で、この時はそんな事は考えずに登って行きまして覚えていないのですが、自然とスルーした感じだったんでしょうね。。

何だか最近の情報を見させて貰いますと、扉の溶接を誰かが砕いたのか何なのか開いてるような感じがしましたが、この時はビッチリと扉は塞がれていましたからね。。

どうも2階や3階は外の壁を伝って侵入するみたいな事をする人もいるみたいですが、とりあえずこの時は訪れた事で僕は満足しているような感じでしたし、そんな事をする考えも無かったですけれどね。。

しかしこうした溶接やら入口付近のバリケードの設置なんかはボランティアで誰かがやる訳は無いでしょうし、やはり村の方で防犯やら安全対策の為に行っているんですかね。。

廃墟を放置しておくと、倒壊や建材の飛散はもとより、溜まり場になったり、不法投棄とかが有ったり、シロアリやネズミやらの害虫や動物の繁殖とかが有ったり、景観の破壊とかも有ったり、その他様々な問題が起こり得るところでしょうし。。

実際に複数回の放火だかの火災が発生していると言う事でその爪跡を残しているのならば、自治体としてもこんな建物に金は使いたくは無いでしょうが、最低限これくらいはやっておかないと不味いと言った感じなのかと勝手に推測しましたけれどね。。

そんな事で1階から4階まで一気に登って着いた感じでしたが、下の階より陽も差して明るくて観やすかったですね。。

でも何だかホテルの中でも4階より上は空気が違うとか言った話ですし、前述のTV放送された芸人の肝試しイベントの動画で女性の霊だかが映り込んでいたのもこの4階だって話らしいですね。。

しかしやはりこうしたものは、僕個人の主観としてどうしてもまず100%ヤラセか間違いや勘違いで霊が映るとかは有り得ないと想っていますけれどね。。

何だか時代に沿って、昔は心霊写真で今は動画が増えて来てと言う感じですが。。

ヤラセはやはりネットでもTVでも必ずやそれなりの需要が有るキラーコンテンツと言えるもので、視聴率や再生数や部数の為に、嘘だからと言って犯罪にもならず、安価で製作しやすく他のヤラセと違って問題にも成り難い心霊ビジネスは有り続けるものだと。。

あとは点が3つ有れば顔に観えると言ったシュミラクラ現象に顕著な、現実的にそう観えてしまう何らかの要因が有る為の勘違いや想い込みであると。。

これはUFOやら宇宙人なんかの写真やら映像にも言える事で。。

分かりやすいのは1970年代辺りまではタコ型の宇宙人が主流だったのに、映画の未知との遭遇やET以降とかはグレイ型に変わって行ったと言うような、その時代の映画やTVのヒット作品から創られたイメージ象で目撃した宇宙人の姿が変わっていくと言う、正に人が創り出した虚像と言える胡散臭い変換を辿る訳で。。

そんな事を想いながら有名廃墟の訪来を楽しむ感じで歩いていましたね。。

考えれば4階にでるだとか屋上に出るだとか言われるのは、2階と3階が溶接の件やらで入り難いから生まれたんじゃないかとか邪推したりもしましたね。。

それでとりあえず4階は探索し易いのでけっこう色々と歩き周りましたが。。

確かにこちらからの眺望はいい感じでして、連れの友人なんかは心霊なんて忘れて笠置観光ホテルの客室やらから観えたであろう木津川と関西本線を俯瞰する景色をやたらと眺めたり写真に納めたりしていましたね。。

しかし先程から夜は怖いとかじゃなくて視界とかが悪いから訪れないんだとか、霊なんて現れないとかみたいな事を言いましたが。。

やはりここに暗くなった時間に訪れたら不気味だし、夜に1人で訪れるのは厳しいし、何人かで訪れても表には出しませんが不安感は残るとは想いましたね。。

しかしやはりこれは、元来人間は夜行性ではなくて昼行性の生き物であり、五感においては視覚が情報伝達の割合の80%以上を占めているので、その視覚が極端に利き難くなってしまうと本能的な防衛反応により不安や恐怖心が芽生えてしまうと。。

人間は太古の時代から夜は夜行性の生き物には敵わずに安全な場所を確保して過ごし眠ると言う遺伝子レベルでの生き方が有り、不夜城となった街中だろうと田舎の何処かだろうと未知の暗がりが有れば人間は警戒すると言ったようなものの延長だとも想ったりしましたね。。

それで4階は例のTVやらでの女性らしき霊やら発光体やらと怪しい物体の出没例が多いと言う事で、明るい内に訪れた傍観者としてフラフラしましたが。。

けっきょくどの階も残置物は少なく壁はボロボロスカスカの半スケルトン状態で、この様なそれなりの中高層の物件でのこうした場所に訪れる事は余り記憶に無いのでシュールにも感じましたね。。

そう言えばこの手の廃墟物件と言えば、僕の厚木市の実家から5km以内の国道129号線沿いに2011年まで存在した恵心病院在りまして、市街地に近い場所的な問題も有り、こちらの笠置観光ホテルを上回る有名物件だったかなと想いましたね。。

こちらは廃業と復業を繰り返し1997年以降は廃墟として存在し続けていましたが、こちらも火災は頻発しましたし、噂としては院長が自殺しただとか、女の霊が出るだとか、手術の失敗が多発しただとか、地下の霊安室に出るだとか、如何にもな話がも有りましたし、落書きは酷いし、自殺者や少年グループ同士による強盗事件が起きたり自殺者も出たりとしたらしいですが。。

大体こうした物件の場合は無法化した趣に成り、事件の温床やら支離滅裂な事が起こり得る場所と成るかと想いましたね。。

そして責任者と言える人物の不幸な死やら女の幽霊やその他も何処もある程度類似共通するところが多いものだと想いました。。

まあトップの不幸と言うのは容易に連想出来ますし、幽霊なんかは女性の方がイメージし易いので登場頻度が高いのかとは想いましたがね。。

しかし例えば恵心病院の場合は、実際には近郊の北里大学病院への患者さんが流れて行った事や診療報酬の水増し請求が発覚した事などにより、元々立地やらも有って経営難な病院が破綻したと言うだけで有ったらしいですがね。。

それでこちらは複雑に抵当権が設定されている土地建物となっていまして、所有権は何回かに渡り移り変わりまして、最終的に登記上の所有権は大阪府の宗教法人である世界仏教会に移っていたらしいと。。

そしてその後にこの地は宗教団体の市税滞納からの差し押さえ→公売→厚木市が1263万円で落札取得、となり解体に至ったらしいですね。。

しかし問題は解体工事費と言う事で、厚木市は2010年の補正予算で8500万円とけっこうな額を計上してと言う事ですが、実際にはそれを遥かに上回るのが常であり、後に緑地公園にするだとかの話でしたが、こんな印象の悪い場所では予定通りに行くものでも無くて、場所的にも其れなりの管理維持費が積み重なって行くと言う事と成りまして、廃墟を消し去ると言うのは大変なものだと想いましたよ。。

それなんでこれを参考にしたり、鉄筋コンクリートの平均的解体費用は坪5万辺りだとか大雑把に考えますと。。

バルコニーやら地下やら含まれない部分とか微妙ですが、恵心病院の約半分の規模となる笠置観光ホテルもまっさらにするなら、少なくとも何千万かとなるかなりの額が必要となってくると察っせますかね。。

そうしますと、現在は日本で2番目に人口の少ない町としてコツコツと町の存亡を賭けて取り組んでいる笠置町としましては、中々解体費用を捻出できるものでもないのでしょうね。。

そんな事を考えて歩いたものでしたね。。

しかしホテルですから2階~4階辺りは基本的に客室だったんでしょうが、もう間取りとかは不鮮明な感じですよね。。

何だか調べますと各階にトイレは散見されて、客室風呂みたいなのが有る部屋なんかも有ったらしいですが、訪れた時は何も考えずにフラフラと歩いただけで記憶に無いのが残念ですかね。。

そう言えば住まいの近郊の相模湖なんかもホテルなどの廃墟は多く、またこちらと比較できる有名物件としてサンヒルズ相模湖なんかを連想しましたが。。

こちらはラブホテルを改装後ビジネス/リゾートホテルとして営業していた地上5階地下2階の物件となり、1994年辺りから廃墟となってしまったらしいですね。。

それでこちらはやはりオーナーが放火して首吊り自殺をしただとか、セツコなる女性の霊が出るとかの噂話が有ったり、相次ぐ不審火が有ったり落書きが見られたと言う事で、やはり似たような噂や状態になるものだと想いましたね。。

しかしこちらは2007年に元オーナーだかが地上5階部分を解体し地下だけが残った状態となり、その後2011年に公売に出された地下物件を藤野里山交流協議会会長であり
(ふじのアートヴィレッジ)を運営したりしている元役場職員の方が中心となり落札し、現在は絵画、陶芸、ガラス工芸などを創作する芸術家の工房として再利用し発展させて行こうと言う、何だか理想的な方向に向かっている感じですかね。。

それでこんな事を考えていると想い出したのですが、そう言えばこの辺りは車で昔は無くなった(五感の里 薬師の湯)や、現在も有る(藤野やまなみ温泉)などに訪れた時の途中で(藤野芸術の家)やらを観かけたなと。。

想えばこちらは戦時中に印象派画家の藤田嗣治やら多数の芸術家が疎開し創作の拠点とした事も有り(藤野ふるさと芸術村メッセージ事業)なとが誕生し、芸術を通した町創りの基盤が有り、それが廃墟を生かす方向に向いたのかと想いましたね。。

そう言えば他にも神戸市灘区の有名な廃墟である摩耶観光ホテルなんかは世界文化遺産に登録された長崎県の軍艦島に倣うが如く登録有形文化財を目指して保存する動きとか有りますし、各地に廃校とかをリノベーションした宿泊施設とか色々と有りますから、こちら笠置観光ホテルも何か再利用出来ないものかと想いましたが。。

なんだかこの惨状を観ると無理なような気がしましたかね。。

そしてこの時はさっさと上まで行って帰ろうと言う感じで、5階へと向かいましたが、5階の扉も開いていて問題なく進めましたね。。

何だか5階はバーカウンターなんかが有ったりして、広いバルコニーが有ってと言う事だったらしいですが、僕はこの時はあまり室内を観周る事もなく記憶は曖昧で、がらんどうの廃墟内を屋上に向けて進んだだけと言う印象ですね。。

それでここまで来ましてこちらの客室数はどれくらいだったのかとか想いましたが、こちらを建設したのは株式会社松田組と言う建設会社だったと言うくらいしか情報は得られず、内部はボロボロの状態ですし間取りとかは分からないところでしたね。。

まあでもこうして5階まで観ますと、2階~4階はだいたい客室だとしても、1階や5階は飲食施設やらなんやらが有るしの温泉旅館ホテルって感じですから、それならば総客室面積の割合は6割台くらいなのかとか想いますし、ビジネスホテルなんかよりは部屋は広いと考えましたら、せいぜい50室もないくらいの規模だったんだろうとは想いましたね。。

それで5階辺りまで来て話によく出る吹き抜け状態に成った階段部分を覗いてみたのですが、流石にこの様な状態に成った光景は観た記憶は無かったので、目眩がして吸い込まれそうな感覚でしたね。。

この時は事前の調べで吹き抜け状態に成った内部の階段跡みたいなのは2ヶ所有るみたいだと想っていましたが、他にも突然床が無くなっている場所とかが有りそうですし、あまり事情も知らない場所なので、安全そうな場所以外はウロチョロしなかった感じでしたからね。。

うっかり落ちたら命に関わる場所が沢山有りそうなので、落ちて大事に至ったりしたら馬鹿もいいところだと想ったところで、こう言うところは柄にもなく慎重だったりしましたね。。

しかしこのスカスカに成った階段とかを観ますと、夜なんかは視界が悪いだろうし、落ちて亡くなった人がいると言う話に対しては疑問に想わないところでしたね。。

それでこちらは解体途中で放棄された物件と言う話ですが。。

どうも壁、トイレ、風呂なんかは解体途中で放棄された痕跡が有るような話も有りますから、そうしたところも有ったのかと想われますが。。

階段なんかは手摺や鉄筋なんかが剥き出しに成って残っていたりする部分も有るので、火災も何度か有ったので、内部の階段は準耐火構造的な造りか若しくはそれ以下で火災の影響なんかも有り、後は経年劣化なんかも伴って朽ちて落ちたと言う事なんですかね。。

確りと残っている登ってきた非常階段と言うか避難階段は、建築基準法における耐火構造を満たしている為に現在も使えると言う事なんですかね。。

最早推測でしか判断できなくて分からないところでしたね。。

それで後はベランダに屋上へ上がる階段が有ると言う話なので、とりあえずそっちへ向かう感じでしたね。。

ベランダは広々としていて陽射しが強く一気に爽やかな感じに成りましたね。。

手摺なんかは錆びついていてポロッといったりしないか不安だったりと、僕は妙に臆病には成っていましたけれどね。。

まあでもベランダ辺りから先はシンプルで観通しも良く、頑丈なコンクリートの床と言った感じで、サクサクと進んで行きましたけれどね。。

それでこの階段を登ればゴールだと言う感じで進んで行きましたね。。

それで簡単に屋上に着きましたが、事前の調べ通りに屋上は雨水なんかがけっこう溜まった状態には成っていましたね。。

そしてこれも調べ通りに、先の方には女の霊が出るとか言われている機械室だかが在りましたね。。

首の無い女の霊が追っ掛けてくるだとか色々と話は有るみたいですが、この時は誰もいなくなった廃墟の頂上から自然景観を眺めると言った感じで、何か爽やかさと虚無感が同居して何とも言えない間隔に成りましたね。。

しかしもう僕としては、屋上スラブは水溜まりだし、柵もないしでここまで来たと言う事でもういいやと言う感じに成りまして、先程のベランダから景色でも眺めて帰ろうと言う事にしましたね。。

そして最後にベランダからゆっくりと景色でも眺めて帰るかと言った感じでしたが。。

木津川と関西本線の観える景色は荒んだホテル内を歩いたせいが何だかいい感じに観えましたし、後醍醐天皇の行宮遺址と共に観える笠置山の景観は気にしなかったのでどう観えたのか記憶に有りませんが何だか良かったようにも観えましたね。。

それでこちらの廃墟も展望台とかにして再利用出来ないものかと想いながら景色を眺めましたが。。

建築基準法や都市公園法などを見ると、安全基準を満たすためのリノベーションやら保全点検の管理業務なんかが永続的に掛かってくるので、笠置村としてはやってられないのかと想いましたし、そんな事をしたら公式に訪れられる心霊スポットとして更に夜とか騒がしくなりそうだとか想いましたね。。

まあそれ以前に、何れにしてもこの建物の状況だと何かに利用するとかは無理で、解体するしかなさそうな感じがしましたね。。

そうなりますと解体費用は所有者持ちが原則ですが、元所有者は行方不明か死去していて法定相続人もいないとなると、日本の土地建物の所有権なんかは厳重に守られていて中々勝手に解体とかが出来なくて難しい話だったらしいですね。。

しかし近年は特定空家等に関しましては空家等対策特別措置法なんかが施行されるようになりまして、どうしようもない廃墟等は自治体による行政代執行や略式代執行とかで強制撤去も出来るようになったみたいらしいと。。

でもこの様な物件になりますと行政が解体費用を支出しなければならなくなる為に地元への負担の転嫁となり、議会や住民の合意を取り付ける事も難しく、何処も財政難でしょうし況してや笠置村の様な村の存続に苦労している市町村が解体費用を捻出するのは中々難しいところなんでしょうね。。

空家等対策特別措置法が施行された理由は、倒壊などによる安全性の問題、衛生上や景観上の問題、火災発生の誘発、不審者や動物侵入の恐れ、周辺住民とのトラブルが発生、
それが増加する事による当該住宅地の価値が低下、老朽化による売買、賃貸の可能性の低下など、多くの懸念が有る為と言う事ですが。。

定義の違いなどによって微妙ですが、総務省の2013年度の住宅・土地統計調査では国内の住宅数約6603万戸数の内の約820万戸が空き家となっていて、観光地なんかの廃ホテル、旅館 、リゾート地もそれに準じて数多く何年も解決できないまま放置されて問題となっているようだと。。

それで略式代執行の経費の一部なんかは国の助成制度の対象にもなっているようですが、この様な状況になりますと空き家問題は最早市町村レベルではなくて、国家レベルの対策が更に必要なのかと想ったりしましたね。。

そんな事でとりあえず僕としては暫し笠置観光ホテルのバルコニーからの眺めを官能した後に。。

こちらは沢山の方々が訪れている場所ですが、正式には立ち入りを許可されている場所ではなさそうなので、静かにさっさと立ち去る感じでしたね。。

調べますと、こちらの廃墟に訪れて検挙された人達もいるみたいですが、
落書きやら持ち帰りなんかも一切せずに大人しく観に来ただけだから許して下さいと言う感じで、そそくさと敷地内から出て行きましたね。。

それで廃墟になった当時は訪れると身体の何処かに火傷の跡ができるとか、訪問後に高熱にうなされるとか、自分に不幸なことが起きるとか言われていたらしいですが。。

不幸な事はこことは関係無く普段もしょっちゅう有るので除外しまして、昼だった為か火傷や高熱なんかは全く無くて良かったと言う事で、来た時に観たホテルの全景を間近で眺めながら旧道を引き返しましたね。。

しかし今にして想いましたが、こちらのホテルが廃業に追い込まれた原因としましては、笠置トンネル開通によるホテル沿いの道の旧道化、国鉄時代に湊町(現在JR難波駅)から笠置駅へ走っていた直通列車が民営化に伴い難波駅から加茂駅に縮小された事などによる公共交通機関の便の悪化、近隣だと南山城村にレイクフォレストリゾートの開業などに顕著なレジャー産業の多様化などが言われていますと。。

しかしけっきょくこれは本州中心部と考えますと全国の平均的な問題となり、1964年の東京オリンピックに向けた日本で最初のホテル建設ブームから1970年の大阪万博へ向けた次の建設ブームと言った時代に造られたホテルであり、その前辺りから興りつつあった旅行ブームが国民のマイカー所持に至るところでの家族旅行やグループ旅行のブームなどに発展して行き、それに合わせるように繁栄した一時代を創ったホテルなんだと想えましたね。。

そうした中で、東海道新幹線や名神高速道路と言った道路や交通網が整備されて行きますが、これらの発展が進んで行く過程で除外されるような場所にホテルが在った事が仇となった向きが有ると言う事なんでしょうかね。。

そしてその後に旅行なんかは海外旅行の自由化やらその後のテンミリオン計画などに顕著な国内外を含めた旅行の遠方化が進んだりして80年代辺りには都市部からの日帰り圏内の観光施設なんかはよっぽどのネームバリューがないと苦境に立たされる事になったのかと。。

他にも時を同じくするようにスキー、ゴルフ、テニスと言った娯楽スポーツの大衆化が進み、高原リゾートやらペンションブームなんかも興ったり、東京ディズニーランドなんかの開園なんかを代表にしたテーマパークやアミューズメント施設のブームが興ったり、その他様々な大衆娯楽の多様化が進み、リゾート法制定によるリゾート地の乱立をピークとしたバブル景気によって歴史に幕を閉じた典型的な高度成長期時代に造られたホテルの末路とも想えましたね。。

しかしこちらのホテルが他の大きめの都市近隣のリゾートホテルの廃墟の平均と違うのは、こちらは群れを成さないでポツンと1建だけ隠れるように聳え立っている事かと。。

もちろんそれは笠置トンネルが開通したと言う事も有りますし、廃墟としてはその位置付けが自然とシンクロした寂寥感なんかを伴いプラスにも成るかと想いましたが。。

僕は宿泊施設って群れを成しているとか国道沿いとかよりも隠れ家的な一軒宿の方が好みで、そう言う人ってけっこういると想うから、なかなか経営者の方の狙いにしても道の旧道化にしても別に良かったんじゃないかとか想いましたよ。。

だから問題としては結果論となりますが、もう少し小さい規模のホテルやら旅館にしておけば他の秘湯なんかに伴って不景気を凌ぐ一途の望みも有ったのかと一瞬想えました。。

まあでも経営者の方も景気やヤル気の勢いに乗って大きいのを建てようって言う気持ちを抑えるのは無理だったんだろうと想えましたがね。。

しかしこちらは老舗ではなく新興の宿泊施設ですし、どちらにしても生き残る可能性は低かったのかも知れませんけれどね。。

それで想いましたが、建設に対して笠置村の方はどう想っていたんでしょうね。。

想像するに建設してそれなりに繁栄していた時代には我が村にも良い宿泊施設が出来たとホテルの税収を見込んで村も喜んで後押ししていたりしたんじゃないかとか想ったりしまして。。

もしそうなら営業許可を出すのは保健所を設置しているならばその市町村となるので、先代の負の遺産と言えど村にも責任の一端は有るのかとの考えにも至り、何ともやはり微妙な想いに駆られるところと成りましたね。。

あと話は変わりますが、土地勘も無い僕がいまいち分からなかったのが、こちらのホテルは車で訪れる宿泊客が多かったかと想われ、それなりの規模の駐車場が有ったんでしょうが、現地を訪れた時には何処に有ったのか全く分からなかったし、ウェブにも情報は見られないし、1975年辺りの航空写真を見ても分からないしで、素朴な疑問ですが気になりましたね。。

まあホテルの地下には無かったし、それなら急坂で車用の道のようには観えなかったですが、往来に使った旧道からの道を登った先の焼けただれたホテルのエントランスの前のスペースに有ったのかとか想いましたが、いまいち判然としなかったですね。。

他に考えられるとしたら、木津川市方面側は七曲りの崖っぷちの核心部方面なので駐車場が造られるとは想えず、ホテルから伊賀市方面側の旧道沿い辺りに有ったのかとか想いましたが、こうした事はもう僕には分からないところと言う事で、もう十分に満足してこの地を後にしましたね。。

そしてその後はまだ16時過ぎくらいで明るく、ただ帰路に着くと言う訳でも有りませんで。。

国道163号線を伊賀市方面に進みつつ、途中の関西本線月ヶ瀬口駅辺りで県道753号線を曲がり、これまた平成の大合併で奈良市に編入した旧奈良県添上郡月ヶ瀬村を軽く散策させて貰おうと訪れましたね。。

こちら月ヶ瀬村を訪れた理由としましては、1997年5月4日にこちらで起こった村長の娘を当時25歳の在日朝鮮人家族の息子である丘崎誠人が殺害した女子中学生殺人事件が何故か印象に残っていたからなんですが。。

印象に残った理由を述懐しますと、丘崎さん一家は村で朝鮮人差別を受けながら藪に囲まれたあばら家に住み、トイレ等なく穴を掘って用を足す生活をしていたと言う事で、事件の背景には村八分と言う言葉が強烈に浮かび上がったりした為と。。

何だか美しい感じの村名と共に、村に詰め掛ける報道陣と犯人とのいざこざやらがニュースなんかに映し出された映像にインパクトが有った為かと想いました。。

それで大した前情報は無かったですが、旧月ヶ瀬村の中心地となっていたであろう一画の月ヶ瀬公民館の駐車場に車を駐車させて貰い散策を始めましたね。。

そうしたら何だか月ヶ瀬村の観光案内図なんかが掲げられていまして、何処も観光には少なからず望みを託しているんだなとは想いましたね。。

しかし月ヶ瀬村は観光において笠置山ほどのものは無さそうだしで、笠置村よりも弱そうな感じがしましたけれどもね。。

それで突発的な訪問であった為にフラフラと村の中を宛も無く歩いたりしていると、やはりこちらにも廃屋なんかは幾つか観受けられまして、何処も廃墟や廃屋やら問題だよなと想いつつも。。

訪れた理由が良からぬ事とも想えましたので、村に立ち入れた事に満足して散策は程々にして、こちらも引き返しましたね。。

今想えば、その丘崎さん一家の住んでいたあばら家の跡地でも眺められたら良かったとも想いましたが、そんな事をするのもどうかと言ったところでしたし、これで良かったんだと想いましたね。。

それで駐車場方面に戻って(さつき屋食堂)とか言う店が有るので折角だから飯でも食べていこうかと想いましたが。。

何だか店終いしそうな雰囲気も有ったし、今想えば観光案内図なんかも有るんだから外来者がいたっておかしくない場所と想われるのに、勝手に余所者として怪しまれているような気がしてきて、さっさと帰る事にしてしまいましたね。。

でも何でもいいから口にしたいので、近くの開いてる商店に入りスイカアイスを買いました。。

商店のおばちゃんはいい人だったと想いましたよ。。

それで月ヶ瀬公民館の隣のJAや行政センターの前でスイカアイスをほうばっていると、夕方5時を報せるだかのサイレン音が強く鳴り響いて来まして、何だかびっくりしましたね。。

それで何だかこの時に強烈に村社会と言うものを意識して、その村八分事件の印象がシンクロして、アイスを食べながらそそくさと車を出発させてしまったのでした。。

やはりこうした殺人事件なんかの報道が有ると、マイナスイメージが付き地域には不都合な面も有るのかと想いましたが、自分がそれを体現するような状態になってしまい、申し訳無いところでしたかね。。

そしてその後は国道163号線には戻らずに県道82号線とかを進みましたが、道に迷ったのか何だかその後は名阪国道には乗らずに県道687号線やら国道422号線走って行く事になりましたね。。

旧月ヶ瀬村から伊賀市の平野部に抜けるまではゴルフ場などを掠めて進み景観はいまいちな感じでしたが、この辺に乱立するゴルフ場とかも経営は大変なんじゃないかとは想いましたね。。

それで伊賀市南部を抜けて行く事になりましたが、この辺りは広々とした田園風景が印象に残り、夕刻と相俟って黄昏た気分で車を走らせましたね。。

そしたら今度は伊賀市から津市へと抜ける国道165号線だかを進む事に成りまして。。

途中で近鉄大阪線の西青山駅を横切りましたところ、何だか山間部にポツリとコンクリート仕立ての武骨な雰囲気の駅が在ると言う感じで印象に残り、休憩がてら立ち寄って駅に吸い込まれるような歩道橋から路線を眺めたりしましたが。。

後で調べたら、こちらは近鉄の約300在る駅の中でも乗降客が殆んどいないような一番乗降客の少ない秘境駅とも言われる駅だったらしいじゃないですか。。

偶然にもそんな駅に立ち寄れたのは良かったと想いましたね。。

それでどうもこちらの駅の利用者は、青山高原ハイキングコースに訪れる方が殆んどらしく、こちらは東青山駅と西青山駅を結ぶハイキングコースとなりまして、100基近く有る風力発電の風車群を眺めたり段瀑の布引の滝を通ったりも出来るコースらしいですが。。

なんと調べますと、途中には自動列車停止装置(ATS)及びブレーキの故障を原因とした列車同士の正面衝突により死者25名負傷者227名を出した大事故が起きた通称青山トンネル事故となる近鉄大阪線列車衝突事故の現場となる旧総谷トンネルへ向かう道も有ったらしいと。。

こちら旧総谷トンネルは三重県最強の心霊スポットにもなっていますので、偶然にもそうした心霊スポットに引き寄せられた自分がいるようで、今にして想えば愉快だなとは想いましたね。。

そんなんで時刻は18時に差し掛かり、いよいよ辺りは暗くなって来ましたが。。

今度はルーブル美術館の公式姉妹美術館でありながらハチャメチャなルーブル彫刻美術館と、カエルのオーケストラなんかで有名な大観音寺が併設された有名珍スポットが国道から逸れて直ぐの場所に在ると言う事で。。

開館は17時までと言う事で入れませんでしたが、とりあえず入口付近の巨大なミロのビーナスとサモトラケのニケや自由の女神が並ぶ場所で記念撮影だけして帰りましたね。。

こうしてみますと、この名古屋と大阪の都市間の周辺辺りも色々と楽しい処が有りそうだと想いましたが。。

まあ比較的近い方だしその内にしっかりと訪れる時が来るだろうと言う事で、そんなに名残惜しくも無く帰って行きましたね。。

そして最後には津市へ抜け出て国道23号線なんかを走りながら、四日市コンビナートの夜景なんかを観たりして適当に途中で高速に乗り神奈川県へと帰って行きましたが、振り返れば中々この時の京都からの帰路となる午後のドライブは楽しかったんじゃないかと想えましたね。。

それでこの時に愛車としていた紫色のPTクルーザーはとっくに廃車となりましたが、次も黒のPTクルーザーを購入しましてそれも2018年末に廃車となりました。。

そして2019年を迎えた現在は新しい車を購入しようとしていますが。。

こうして振り返りますともう少し暖かくなったらまた新しい車を手に入れて、方々出掛けたいなと想えたところと成りましたね。

最後に。。

この時の笠置観光ホテルへの訪問は、この手の心霊スポットなんかは何時もそうなんですが、旅行の合間にサクッと訪れる感じとなったのですが。。

そんなに長くはないですが、何もない荒れた旧道の途中にポツンと緑に囲まれて聳え立つホテルは中々のインパクトが有りましたね。。

考えますと、通常は新しくトンネルなんかが造られた旧道の心霊スポットって、その旧道に存在した旧トンネルなんかがスポットになったりするものですが。。

こちらの場合はトンネルの代わりに不釣り合いに大きめの廃ホテルが建っていると言うのがシチュエーションとして妙味が有るのかとも想えましたね。。

廃墟の内部は壁なんかは殆んど無くなり残置物も少ないがらんどう状態で、人其々好みは有るでしょうが、観賞しやすいし風光明媚な周りの景観と相反する事で廃墟独特の寂寥感などを倍増させ、僕にはプラスに働いたところは有ったかと想います。。

まあこれは何処の廃墟にも多い傾向ですが、落書きなんかはマイナスに想いましたけれどね。。

そうした中で、こちらの崩壊したか撤去したかで吹き抜状に成った内部の階段を覗き込む景観は、廃墟の持つ危険さや禍々しさを如実に表しているようで、危ないので勧められるものでは無いですが、こちらの物件の最大の観処の1つと言えるものだったと想えましたね。。

そして上手いこと上階まで延びる非常階段だけが確りと遺っている為に観られる嘗てのバルコニーやら屋上からの木津川や関西本線を伴う風景は、非公式な場所からの景観と言う事も手伝って、今にして想えば何か特別な風景にも感じられて漠然と印象に残っていますね。。

まあでも探せば幾らでも廃墟なんて溢れていると言う事で考えますと、車なんかも停めやすいし、関西地方、東海地方の都市部からドライブがてら訪れようと想えば訪れられる訪問人口を多く見積もれる場所だと言うのも人気に拍車を掛けたのかも知れませんね。。

しかし何よりもやはりこちらを有名にしたのは地上波TVでの放送によるところであり、その影響力は大きく、前述した通りに近年は空き家が治安も含て問題になっていますので、TV局がその様な問題を煽るような放送は自粛する傾向になり、それが心霊番組が減った一因にもなっているんでしょうね。。

まあそれで雑誌なんかはまだコンビニで売ってるムック本なんかを中心にまだ有るのかも知れませんが、これらも順を追って減少して逝くかも知れません。。

しかし現在の情報産業の主幹を成すITの世界では、これらの情報は活性化の一途を辿っていくのではと想うところで斯く言う僕もその一端に加担する立場に成るかと想いますが。。

人間とは未知への関心は飽く無き生き物であり、そうだからこそ繁栄してきた者だと都合良く解釈する処と想いましたね。。

それでこの魔界紀行の主幹を成す心霊はいるのかと言う事ですが。。

このような誰も居ない山奥の巨大廃墟と言える場所に夜の暗闇の中で訪れたなら、居る居ないに関係無く普通だったら人は不気味に想えて仕方無いところでしょう。。

そうなると前述の人間の目には3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされているという脳の働きが起こるシュミラクラ現象や、元来人間は昼行性の生き物で夜間の暗闇を恐れ警戒すると言った事が要因となり、
心霊が出る出ないに関係無く恐怖心は倍増する事でしょう。。

それ以外にも想い付くところは幾らでも有りまして、そのうちの幾つかを挙げて考察しますと。。

人間は更に集団生活を営む生き物であり、喩え独りで生きていようとも、住居に住み、食料やら物を買い、水道、電気、ガス、交通、通信と言ったライフラインを使い生活しているならその集団生活の中に居る訳で、その為に人間はその機能が停止した様な廃墟なんかの場所やらそれらの外に在ると想われる場所に居たならば、何らかの違和感や警戒心や恐れを少なからず感じるものだと。。

そして人間と言うか生き物は、常に死を意識する上で成り立つものとも言えますが、人間は死を恐れたり尊び重んじたりする生き物であり、ましてや不幸な死が在ったと想われる場所には特別に恐れを抱く傾向にあるのではと。。

そして人間は好奇心旺盛な生き物であり、噂好きな側面も有り、それを気にする性も有り、実際に噂が事実の可能性も有る訳で、こんな場所ならこちらで自殺したオーナーの霊やら女の霊やら定型化したような噂話も万が一本当かもと想えたりもすると。。

まあこうして考えれば切りが無いかとは想いますが、そうした習性がある人間が、その総ての負の感情を満たすこのような深夜のこの様な廃墟に訪れたらもう大変。。

そうなるとこんな場所で風でも吹いて物音がしたり、枯葉や塵やら何かが舞ったり光でも反射して物体にでも観えでもしたら、もう心霊が現れたと想うに等しい体験に成ってしまうでしょう。。

そんなんで完全な生き物なんていないと想いますが、人間と言う不完全な生き物が、この様な場所で独り或いは少人数で彷徨えば、何か他愛もない事で幻覚、幻聴、錯覚なんかを引き起こし、パニックに陥る人が少なからず現れるのは必至であると言う事であり、けっきょくこちらに心霊が出るとかどうたらなんて話は無いとは想いましたけれどね。。

でも僕にしてもやはりこんな処に深夜に独りで訪れるなんて不気味過ぎて無理だし、もし訪れられる人がいるならばよっぽどの達観者なんだと羨望の気持ちを抱きますし、怖い=心霊スポットと言う事ならば、こちらは十分にそう言われる資格は有るんだろうとは想いましたね。。

しかしこうして考えて行きますと、現実的に一番の問題は日本に増え続ける空き家やら放置物件の問題とかなんだと想いましたが。。

これについては、空き家の問題は少子高齢化社会の問題の方面が強いと言えるかとは想えましたが、廃ホテル、廃旅館なんかの問題は、資本主義/民主主義社会のウィークポイントの1つとして、何かが流行ると過剰に造られ過ぎて後々には手に負えず面倒な事になると言うのが有るのかと想えたりしましたね。。

それで現在においてそれに当てはまり、その内に廃墟となる可能性が伺える施設としましては、スーパー銭湯やらアウトレットパークやらショッピングモールと言ったところを僕は何となく想い浮かべましたが。。

相変わらずにマンションなんかは乱立しているように想われますし、前述通りに住居者が高齢化したり老築化している物件も増えていて、どの種類でも廃墟と言うのは増え続けそうな感じがしましたけれどね。。

それでこの笠置観光ホテルなんかは、所有者やら債務者は死んだか行方不明で埒が明かず、管轄の自治体も金が無いし解体出来ないと言う、典型的な廃墟が長期化して佇む状況が創り出した産物となると想いましたが。。

こうした物件はこれからも増え続けるような気がしますし、やはり建物を建てるなら勿論金額は遥かに高く成りますが、新車購入時のリサイクル料金の支払いみたいに、予め事前に保証金のように解体費用の何割かを徴収してプールさせておく制度なんかを国で整えるべきなのかとか想いましたよ。。

そうなると中々新築物件は建ち難くなるのかも知れませんが、乱立なんかも防げるしどうなのかなあと想ったところでした。。

そんなんで主題と相変わらず逸れて行きましたが、こちら笠置観光ホテルを訪れても夜は怖いと想いますが、ここは現実的なただの廃墟であり、心霊が現れないと言う僕の考えは変わりませんでしたね。。

しかし前述通り心霊はいるかもしれないとは想っています。。

ただいたとしても人間世界には現れないし、心霊スポットで心霊を観たなんて言うのは総て事実では無いと言う考えに変わりは無いし、有名なTVでの女の霊も何らかの間違いだと想っているところですね。。

でも笠置観光ホテルに訪れられた事は今でも覚えていますし、楽しい旅行を出来て良かったと想っていますで、終わらせて頂きたいと想います。。

笠置観光ホテルの廃墟

京都府相楽郡笠置町笠置峠50

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