鈴ヶ滝 公称落差55m幅10m 分岐瀑 新潟県村上市高根 2019年5月29日 日本の滝100選掲載順カウントアップ50/100

ここまでかなりのスローペースながらも日本の滝100選掲載順カウントアップと銘打ちながら、それを中心に滝について書かせて頂いてきまして、何とか数字の上で100選滝に関しましては、折り返しと成ります50滝目を掲載するに至りました。。

それで振り返ってみますと、この書き物をを始めた時の直近に訪れた100選滝が偶然として岡山県真庭市に落ちる(神庭の滝)だったので、2016年7月に訪れたこの住居からかなり離れた(神庭の滝)から書く事になったのですが。。

それ以降はコラムを書くにあたり、それ以前に訪れてきた滝で写真が十分に有ると想えた滝を書いたり、或いは訪れた事は有るけれど写真が足りないと想った滝を再訪したりしていたと言う事で。。

考えてみればその(神庭の滝)を訪れて以降の3年近くの間に、僕は1度も未訪の新しい100選滝に訪れていなかったと言う愕然たる事実に直面したのでした。。

そうした中でせっかく記念の50掲載目を書くにあたりまして、ここは自分自身の為にも訪れていない滝に訪れて掲載するのが良いのではないかと言った想いが強く成りまして、今回はまだ未訪でありました新潟県村上市の(鈴ヶ滝)を選ばせて頂きましたね。。

それで未訪の100選滝はこの(鈴ヶ滝)を訪れる事になった2019年5月の時点でもまだ沢山有るわけですが、何故に僕が100選滝の折り返しの記念にこの(鈴ヶ滝)を選んだかと言いますと。。

この(鈴ヶ滝)は過去に幾度か訪れようとしたのですが、何かと予定外の事やら予想外の事が起こり、辿り着けなかった僕自身にとって喉につかえた魚の骨の様な滝であったからでした。。

それでこの時は何よりも(鈴ヶ滝)に辿り着く事を目標にいつもの1泊2日の弾丸旅行に出掛けまして、天気は大丈夫そうなのでホッとしながらも、とりあえず1日目は福島県方面から他ジャンルとなる珍スポットなんかを巡り、2日目の総てを費やしても(鈴ヶ滝)へ辿り着くんだと言う計画の元に、村上駅から徒歩1分で素泊まり3500円だかの米弥旅館に泊まらせて頂きましたが。。

これもよく有るパターンですが、夜中から車を走らせて方々寄り道しながら宿に着いたのは夜の8時くらいと成りまして。。

着いたら直ぐに部屋に入ってコンビニで買った弁当を食べてアルコール1缶を飲んで爆睡と言う事でこの村上市の夜の記憶は殆んど無いと言った感じでした

それで僕は朝の6時くらいに起きてしまって、けっこう遅くまでウダウダ起きていた連れの友人はまだぐっすりと眠っていると言う事で、すぐ近くの駅の周辺に散歩に出掛けましたね。。

宿はJR東日本の羽越本線の村上駅から徒歩1分と言う事で、宿を出たら直ぐに駅と言った感じでしたが、ロータリー中央に(瀬波温泉 村上駅)と記されたやぐらのモニュメントが目立ちましたね。。

時期的に天皇陛下の御即位を祝う言葉も掲げられたりしていました。。

それ以外にもロータリーには、俗説だと言う話も有りますが、こちらは作曲をした大和田愛羅のゆかりの地だと言う事で、文部省唱歌でもある汽車の歌碑が設置されたりしていましたね。。

村上駅は出入口を伴う駅舎がこちら東側にしか無いので、正にここが駅前周辺と言った感じかと想いましたが、やたらとスッキリして簡素な印象がしまして、他に目立つのは町屋造りの小さめの観光案内所くらいで、まなす観光タクシー、瀬波タクシーと言った観光タクシー会社が僕には目に付きましたね。。

タクシーは何台か駅のロータリーに並んでいましたが、まだ朝の8時過ぎくらいですし、いつもの様に平日の何でもない日ですから閑散としていましたね。。

駅舎の中にも入ってみましたが、2005年にレトロ調にリニューアルする改修工事が行われた駅舎はまだまだ綺麗な感じがしましたね
。。

まあ鉄道の事とかも全く詳しくは無いのですが、天井からは塩引き鮭を模した飾りが垂れ、記念スタンプやら周辺の案内図やらが目に付き、観光色の強い駅には観えました。。

それで羽越本線は、基本的に新潟県新潟市秋葉区の新津駅から秋田県秋田市の秋田駅までの271.1kmを結ぶ路線となるみたいですが。。

やはり人口が少なく気象条件の厳しい日本海側を走ると言う事で、路線の収支は大赤字だと言う話ですが、酒田から港に向かう貨物専用線も羽越本線の支線となり、札幌から大阪やら東京やらに貨物輸送を行ったりもしているみたいで、路線は物流を主体とした東北地方の日本海側の大動脈的なところが有るみたいだと。。

まあでも人々の交通インフラとしては、村上市は日本海側の最大の都市であり唯一の政令指定都市である令和元年において約80万人弱の人口となる新潟市を中心に広がる越後平野とそれに伴う約140万人の新潟都市圏の北端に位置する様な場所となり、それより北の先の方面には殆んど人は乗って行かないようだと。。

しかし観光路線として考えましたら、羽越本線の村上駅から間島駅の間では直流電化から交流電化へと電気方式が変わる為に、村上駅より北側には異なる電気方式の接続地点に設けられる架線に給電されていない区間となるデッドセクションが設けられていて、車内の電気が消えたりする楽しい体験も出来るらしく。。

そして透明度の高い海水に日本海の荒波の浸食によりできた奇岩、岩礁、洞窟などの変化に富んだ風景が広がり国の名勝天然記念物に指定され日本百景にも選定されている(笹川流れ)を中心とした海岸線の景色なんかが車窓からは観える感じですから。。

そう言った意味では良い路線にも成りそうで、この時は(鈴ヶ滝)に訪れる事しか頭になかったですが、今にして想えば乗ってみたかったと言ったところでしたね。。

それで駅のロータリー付近と駅前の大通りっぽいところだけをフラフラして宿に戻りましたが。。

予定では独りで何処か店でも入ってゆっくりモーニングなんかを食べようかと想っていたのですが、歩いていてもいまいち開いてる店は見付けられなかったですし、宿の隣のカレー屋さんも閉まっていましたし、パッと見では通常のコンビニらしきものも見当たらなかったので、販売機で缶コーヒーを買って飲みながら駅の風景を眺めて宿に戻った感じには成りましたかね。。

しかし北側に三面川が流れ、かつては村上藩の城下町として栄えた村上市の中心は1620年となる元和6年に堀直寄によって整備された武家町、商人町の街路形状の面影が残ると言う話で。。

2004年より住民による古い町並みを残し再生していく(むらかみ町屋再生プロジェクト)と言った取り組みがなされたりして、2008年には都市景観大賞である(美しいまちなみ大賞)を受賞[2016年には(プロジェクト未来遺産2016)に選定されたりと、町の景観とかはけっこう評価されているところだったみたいで。。

色々ともう少し町を歩けば職住一体型の建築様式である町屋造りの店やら村上の旧町人町の象徴でもあった黒塀を再現した(黒塀プロジェクト)を推進した安善小路とその周辺なんかも有ったみたいですから、もう少し調べてから歩けば良かったのかとは想いましたね。。

それでそうした町並みやらはこの時は露とも知らずと言ったところでしたが、それとは関係無くごちゃごちゃとビルとかが乱立したりしていない青空が広がる駅周辺の景観は僕には何だか良くて、地方の爽やかな町を感じられたところでしたね。。

宿に戻ると友人はまだまだぐっすりと眠っている感じでして、けっきょく宿のチェックアウトは朝の10時ギリギリと言ういつものパターンに嵌まってしまいましたね。。

それで友人が起きるまで朝風呂に入ったりニュースを観たりしていましたが、チェックアウトの時間ギリギリになっても、宿には他に泊まっている人もいなそうでしたし、こちらの宿を切り盛りしている良い感じのご主人さんとブラジル人の女将さんも全く姿を見ないしで、宿内に自分とやっと起こした友人以外に起きている人の気配がしないので少し心配には成りましたね。。

そんな状況の中で、宿泊料金は前夜に払っていたので良いとして、どうなっているのかなと少し不安に想いながら身支度をして宿を去ろうとしたのですが。。

玄関を出ようとしたその時にブラジル人の女将さんが有り難う御座いましたと現れたので、何だかホッとして宿を後にする事が出来ましたね。。

しかし僕は散歩なんかを含めたそうした朝の一時を過ごして、この町は朝はゆっくりしているんだと勝手に推測して、なんとも良い町だなと想ったりしましたね。。

それで宿に隣接した駐車場から車に乗って(鈴ヶ滝)に向けて出発する感じでしたが。。

とりあえず村上駅辺りから(鈴ヶ滝)までは、コンパクトな市街地を少し走った先の県道205号高根村上線を主に進んで行けば約27kmくらいで徒歩約15分となる滝への遊歩道の入口辺りに着くのかなと言った感じでしたかね。。

まあでもスタートが遅いので滝に着くのは順調でも11時は過ぎるかなと言ったところで、他に多くの観光はできないと言った感じでしたが。。

元々僕の計画としましてもどうせ朝はゆっくりだろうと言う事で、(鈴ヶ滝)に訪れられさえすれば、後はなんでも構わないと言った気持ちでしたから問題無しでしたね。。

もしこの時に他に訪れたいと想っていた場所が有るとしたら、帰路を兼ねながら新潟市内を進みつつ、弥彦山を訪れてパノラマタワーやクライミングカーに乗れたら良いなと想ったりもしましたが。。

(鈴ヶ滝)辺りからは広い越後平野を下道で向かっても、日本海東北道なんかを使いながら向かっても約120kmくらいかと想われたので非常に微妙な距離となり、またそのうちに訪れたら良いかなと言った感じでしたね。。

そんなんで少し進むとセブンイレブンなんかも有ったんだと想いまして、村上市は初めて訪れて泊まっただけで何も分からないところだったと言った感じでしたが。。

それで少し調べたりしてみますと、村上市の中心市街地は駅東側の少し離れた場所に存在するだとか言った話も有りましたし。。

スッキリとして良いなと想った駅周辺にしても、広い駐車場になっている場所なんかは2006年に閉館したジャスコの跡地が土壌汚染の問題なんかでそうなっているんだとか言った話も有りましたし。。

他にも商店街なんかは駅から少し東側の方面に外れた場所に在るんだとか、大型の商業施設なんかは国道7号線を中心とした郊外化が進んでいるだとか言った話も有りまして。。

そう言った様々な事情とかも重なって今の状態が在るのかも知れませんが。。

とりあえず僕にはレトロ調の駅とスッキリ小ぢんまりとした周辺環境は、いかにも地方の町に訪れた感じがして良かったですけれどね。。

まあ歩いたりしたのは駅前だけで、賞や選定を受けた古い町並みなんてのは観た記憶が無いのですけれどね。。

少し進んで行きますと、直ぐに道の周りには田園が広がり、その先には山並みが観えると言った風景に成りましたね。。

駅から市街地を抜けて滝に向かうと言う事で、道程はもう少しごちゃごちゃしているのかと想いましたが、直ぐにシンプルで雄壮な景観の道と成り、ストレス無く進んで行けましたね。。

それでそう言えば新潟県は米生産量が日本一の米大国だったなと想いながら新潟県について考えてみますと。。

新潟県は日本最大の離島となるみたいな周囲約262.7kmの佐渡島や、周囲約23kmとなる粟島なんかと、本州では日本海の337kmの海岸線となる沿岸部と朝日山地、飯豊山地、越後山脈、飛騨山脈の山々に囲まれ僕の住む太平洋側と隔てられた日本海側の地域と言った感じがしていましたが。。

新潟県は南北に長く、山形、福島、群馬、長野、富山と5つもの都道府県に隣接していて、中部、北陸、東北、北信越、関東甲信越と、時と場合により地方の所属が変わり、更に佐渡島とかを別に県内を分ける上越、中越、下越と言った県内の域区分けも遥か昔に日本の中心だった京都から見た順に南西側が上となり、現在の北東側から上に見る位置付けとは逆になったりと言った事やら有りまして、その位置付けが曖昧だったり分かり難かったりするみたいですかね。。

それで個人的に回想したりしてみますと、けっこう近年はこの(鈴ヶ滝)やら珍スポットなんかで新潟市を中心とした下越やら中越なんかに訪れる事ができ

途中で日本海東北道を横切り、国道7号線なんかを横切り、小中学校なんかを横切りながら、合併前は前回掲載した十津川村に次ぐ日本で2番目に大きな村面積を誇り(鈴ヶ滝)が落ちる事に成っていた旧朝日村に入り進んで行きましたが、道沿いの民家とかも程々で、やはりスッキリとした道程を進んで行けましたね。。

それでここで初めてこちらに全線開通を目指して建設されている高速道路の名前が日本海東北道だったと知り、単純だけれど良いネーミングだなとか想いましたが、この先の朝日まほろばICからあつみ温泉icの間は以前から開通している国道7号線なんかは走りやすそうですが、朝日山地の山々なんかを通す開通時期が未定の未開通区間であるらしいですかね。。

でも開通している朝日三面icや朝日まほろばICから(鈴ヶ滝)まで約20kmと成りまして、(鈴ヶ滝)へ向かうには関越自動車道やら磐越自動車道やら北陸自動車道と言った関東を含めた南西方面から向かう場合は高速道路に乗って行けばアクセスは良いのかもとは想いましたね。。

しかし神奈川県厚木市の自宅から圏央道~関越自動車道~北陸自動車道~日本海東北自動車道と乗り継いで、荒川胎内IC~朝日まほろばICは無料区間だとしても距離的には約460km超となり普通車の通常の通行料金は9410円ですからけっこうなものに成るなとは想いましたが、、まあこれくらいならギリギリですが僕としましてはETCの深夜割引や下道を使いながら交通費を抑えつつ普通に1泊2日で訪れられる範囲ではあると想うところでした。。

そうして更に進んで行きますと、もうこの辺りの平野部は田んぼばかりなんだなと言った感じでしたが。。

新潟県は1997年の249万人をピークに人口は20年以上連続で減少し、2019年度辺りは226万人弱となるみたいでその中でも村上市なんかは減少率が高いみたいですが、どうも新潟県は20代前半辺りの若年層の就職なんかによる首都圏への転出が顕著みたいなんですかね。。

それで何となく新潟から都心への交通インフラの事が頭を過ったので考えますと。。

鉄道としましては、政府直轄の事業として越後山脈の一貫を成す谷川連峰を掘り進め当時日本一の鉄道トンネルとなる全長9702mの清水トンネルを約9年の歳月をかけて1931年に開通させ、同年9月にそれまで信越本線を経由して11時間6分掛かっていた上野駅~新潟駅を約4時間あまり短縮させた上越線が誕生したのを皮切りに。。

1947年の全線電化以降1952年には急行(越路)の運転により6時間、1956年には急行(佐渡)の運転により5時間45分、1962年には特急(とき)の誕生により4時間40分と上野駅~新潟駅間の所要時間は短縮されて行きまして。。

1967年には全長13500mの新清水トンネルの開通による複線化、そして1982年には全長22221m大清水トンネルの開通によって上越新幹線の開業に至り、現在最速の新幹線とき号は新潟~東京間を1時間37分だかで結んでいるらしいと。。

そしてモータリゼーションの方としても、1966年に関越自動車道が国土開発幹線自動車道の予定路線とされ翌年に練馬IC~川越IC間の工事が着工されて以来やはり越後山脈を1985年に当時日本最長の道路トンネルとなる全長10926mの現在において下り線となる関越トンネルを貫通させたのを最後に練馬IC~長岡ICの全線開通がなされまして、その後の1991年には現在の上り斜線となる11055mが開通し全区間4車線化が成されたと。。

そして関越自動車道は首都高速道路と接続していないのがネックでしたが、1994年には大泉JCT開通により東京外環自動車道と接続、1996年には鶴ヶ島JCT開通により圏央道と接続、1999年には後の北陸新幹線と並行する事となる藤岡JCTで分かれる上信越自動車道が全線開通し、2001年には高崎JCT開通により北関東自動車道と接続、そして現在は東京外環自動車道が東名高速道路と接続する為の工事を行っているみたいだと言う事で。。

このかつての越後国(現新潟県)と上野国(現群馬県)の国境を貫く日本初の列島横断道は日々交通網を発展させているみたいに想ったところでしたが。。

そんな事を考えていると、日本海側から太平洋側と言った位置付けや、交通網に伴う距離や時間と言ったところで、如何にも都心一極集中の煽りで人口流出が多そうな気はしましたね。。

そして言われてみれば上越地域を全く通らないのに上越新幹線だとか言うのも県内の地域分けにおいて混乱しそうだとか、県民の意向なども含めて復活した新幹線の(とき号)と言うのは新潟と言う地域性と何だかロマンを感じる良い名前だなとか色々と想ったところでした。。

しかし都心一極集中なんかによる地方の過疎化は全国どこでも起きているような問題で、そうした中で素晴らしいと言われる滝が落ちるような自然環境が残る地域は大概がそう言った場所だと想うところでして、滝のコラムとなるといつもこの話が出るのでもう程々でいいかなと言ったところかと想いましたが。。

この問題はどこの地方でも限られた財政の中で多かれ少なかれ活性化やら創生やら復興なんかに力を注いでいて、地方自治体などとしてはやるしかないところでしょうが、よっぽどの国家レベルでの確変やらその地域におけるイレギュラー的な特別な事がない限り満足たり得るのは難しいかと想うところでしたね。。

そう言えば米弥旅館にチラシやポスターが有って気付いたのですが、この村上市は2014年ソチオリンピックと2018年平昌オリンピックとなる冬季五輪において2大会連続銀メダリストと成った平野歩夢選手の出身地であり、今回こちらを訪れる直前の2019年4月27日には瀬波温泉街に屋内型では国内最大級の規模となるスケートパークがスポーツ振興くじ助成金なんかを使って約15億5千万円で建設されまして、19日の完工式には平野選手も登場したらしいと。。

それで平野選手は2020年の東京五輪で初採用されるスケートボードの代表選手も目指しているらしく、5月12日にこちらで行われたスケートボード日本選手権で優勝したりもしていて、スケートボードの聖地を目指しているこちらのパークは賑わったらしいと言う事で。。

知りませんでしたがこちら村上市では平野選手と言うのは地元の英雄みたいなもんなんだと想うところではありましたね。。

そんなんで県道205号高根村上線を進んで行きますと道は林間と成ったりしまして、(鈴ヶ滝)は三面川の支流となる高根川上流の鈴谷本流の標高約300m辺りの磐梯朝日国立公園の指定区域にはぎりぎり含まれていない場所に落ちる滝だと言う事で、そろそろ山間部の道に成っていくのかなと想うところでした。。

進んで行きますと、意外と道は相変わらず開けていて傾斜も少なくまだまだ優雅に進んで行けましたね。。

しかし新潟県と言うのは明治政府によって戸籍法が制定された後の明治5年となる1872年に人口の統計が始まり、かなり曖昧でしょうが当初の日本の人口が3480万人だったとなって以降の明治7年となる1874年~明治29年となる1896年までは約150万人~180万人で推移する日本一人口の多い府県であったと言う事にここにきて気付きまして愕然としたものでしたね。。

それでどうも都道府県と言った事に関しましては、明治4年となる1871年に廃藩置県が行われ、曖昧ですが全国に261あった藩が廃止された当初に3府302県あったものが再編やら統合が成されて3府72県となり、その後に統合、復活、分県が繰り返されて明治21年となる1888年に現在の沖縄県と北海道を除く45都府県の骨格が形成され、明治23年となる1890年に法としての府県制が順次施行されていき、明治33年となる1900年に全国で府県制が施行されたと言う事みたいで。。

この頃の人口統計なんて細かく言えば不正確なところが多分に有ったかと想いますが、まあそう言った事だったんでしょうね。。

それでこの時期に新潟県やら北陸に人口が多かった理由としましては、この頃迄の日本の経済の中心は第一次産業であり、主食である米を育てる稲作なんかに適した環境がこの地には有ったと言った事や、後に陸路が発達するまでの主な運送手段なんかは海運であり、その中でも日本海側は北海道と大阪を西廻りで運送する北前船が航行し、その寄港地が栄えたと言った事が上げられるみたいですが。。

この頃の日本の人口は全国にバラけていて、廃藩置県が行われた当初の人口日本一は瀬戸内海航路沿いの拠点として知られ近畿地方での消耗品の消費され一大生産基地となっていた広島県であったり、その後も徳川家康が創り上げた大城下町が在ったりした愛知県であったり、新潟県と同じような理由の元に北陸の大部分を占めていた石川県であったり、江戸時代に商業の町として栄えその後の没落から商工業により復活を遂げた大阪府であったりと、各府県に人口トップは移り変わったりもしていたらしいと。。

しかし三多摩地区なんかを神奈川県から移管してほぼ現在の区域となった東京府が1897年に176万2100人として1位にに成り、その後に新潟やら北陸地方の人口減の一因となる大量の移民による北海道の人口増加によりその地に一時的に首位を明け渡しますが、基本的に東京の天下はここから続いて行く事に成ると言った事みたいですが。。

とりあえず日本に300近く存在した地方分権で成り立つ藩が無くなり明治政府が誕生して日本が1つの中央集権による統一国家と成っていく過程において、現在の都道府県が出来上がる最初期に最も人口が多かったのは大まかにこちら新潟県辺りであったと理解したところでしたね。。

そんなんで新潟県は江戸時代には高田やら長岡やら新発田やら大きな城下町が幾つか築かれて村山城下もかつては最盛期で約18000人と言うけっこうなものでもあったらしいですが、やはりこの時の周りに観える風景は建物なんて少なくてスッキリしたもんで、それはそれで良かったですね。。

それでここに来て何故にこの(鈴ヶ滝)には、過去に何度も向かったつもりが辿り着けなかったかの理由を回想しますと。。

この(鈴ヶ滝)に向かう経路としましては、基本的にここまで走ってきた県道205号高根村上線で高根地区に着き、その集落に流れる高根川に架かる雲上橋を渡った先を左折して市道鈴滝線を進み、途中で右に分岐して(鈴ヶ滝)が落ちる鈴谷川本流の左岸を遡上する林道鈴川線を進めば(鈴ヶ滝)まで徒歩15分で450mだかの遊歩道の入口の駐車スペースに着くと言う事ですが。。

朝日山地の主峰の大朝日岳を中心とした主稜線となる朝日連峰の西側に落ちる(鈴ヶ滝)の近くには、その朝日連峰の同じく西側となる村上市朝日地区から山形県鶴岡市までを主に三面川の支流となる猿田川に沿って南北に貫く県境付近の最高点750m全長52.1kmの朝日スーパーライン(山形県道・新潟県道349号鶴岡村上線)が通っているらしいと。。

それでこの界隈にはその朝日スーパーラインからの枝道となるような林道やら他にも林道がけっこう存在していまして、この(鈴ヶ滝)へ向かう林道鈴川線にも朝日スーパーラインから林道平床線やら元屋敷林道で繋がっている感じだったので、夏期だし開通してると安直に考えてろくに調べもしないで不用意にこの林道を経由して(鈴ヶ滝)に向かおうとしたら、けっこう進んだ先で通行止めになっていて、他の観光地との兼ね合いとかで訪れるのを断念せざるを得なかったと言うのがあったんですよね。。

それで後に色々と調べてみますと、この朝日スーパーラインやらこの界隈の林道って、日本海から直ぐの南北約60km、東西約30kmに広がり湿った日本海からの北西季節風をまともに受ける日本有数の豪雪地帯となっている朝日山地のその日本海側に造られているような道で、毎年大まかに11月中旬から翌年の5月中旬までは通行止めであり、朝日スーパーラインは夜間も通行止めだったり、周りの林道を含めて常に通行止めが頻発するような危うい道であったらしいと。。

そんな事で、それを考えずにこんな林道を経由して(鈴ヶ滝)を訪れようとした過去の自分が無知過ぎたと言った事で、今回はその危うい林道と呼べるような道は高根集落から直で向かう市道鈴滝線と林道鈴川線だけとなる王道ルートを確実に利用させて貰う事にしましたね。。

それで今回は訪れるにあたり其れなりにこの高根地区辺りを含めたルートを調べさせて貰い、その過程で高根地区には(食堂IRORI)と言う廃校になった小学校の施設を再利用した地元で採れた食材を使った農家レストランが営業されているみたいだと言う事を認識していたところ、進んで行くとその印象に残っていたレストランを発見したので、とりあえず高根地区まで来たんだなと確認出来た感じでしたね。。

しかしこのレストランには訪れたかったのですが、基本的に土日しか営業していないと言う事で残念ながら諦めたところでしてたね。。

まあ帰る頃には(鈴ヶ滝)も観れたので、すっかり忘れて帰ったところだったんですけれどね。。

そんなんで村上駅から問題なくスムーズに来たなと言ったもんで進んで行きましたら、林道鈴川線を曲がり損ねて高根集落の中に入って行ってしまいましたね。。

しかし迷い込んだ集落は何だか伝統的な日本家屋が建ち並ぶ、これぞ都会から隔たれた山間部に佇む村と言った想像の景観にぴったりとマッチするような集落でビックリしましたね。。

それでどうも調べさせて貰いますと、正確に考えればこちら高根と言うのは現在において村上市朝日地区の中央に位置する高根地域となるみたいで、大鳥屋岳を水源とする高根川流域沿いに岩沢、中原、黒田、関口、北大平、高根の6集落と、日倉山を水源とする薦川流域沿いに朝日中野、薦川の2集落の合計8集落が点在する、2019年において約720世帯2300人ばかりの方達が暮らす地域だったみたいだと。。

そして迷い込んだのはその中で最大の約180世帯ばかりが暮らす高根集落だったのかと想いましたが、とりあえず観光化されていない伝統的な日本の生活空間の面影が残るような景観を眺められたような気がして良かったと想いながら車を走らせたものでしたね。。

それでこれから(鈴ヶ滝)に向かうにあたりこの時は飲み物とかも底を尽きていたところ、自動販売機なんかが有りましたので、とりあえず飲み物を買ったりしたものでした。。

そうしたら近くに井戸なんかもありまして、つくづく良い景観が垣間観えるものだと想いましたが。。

どうもこの地域辺りは高根川やら薦川の沖積や洪積によって生成された流域の緩斜面に砂礫台地が広り、黒ボク土壌が全体を覆い豊かな水が農業用灌漑用水として機能して農耕地帯を形成し、森林褐色土で覆われた山地は天然林と活発な造林事業により豊かな森林地帯を形成していてと言う事らしくて。。

この様な人口過密地帯とは遥かに離れた場所で、限界集落もならず素晴らしい日本家屋が並ぶこの集落は、豊かな資源を上手く活用した理想的な地方での生活の在り方を体現しているようなところなのかなとも想いましたね。。

まあ詳しくは分かりませんがね。。

それでまた(鈴ヶ滝)へ向けて車を走らせ始め集落を後にしようとしましたら、最後に階段の先に天蓋山龍山寺なるこれまた格調高そうな御寺が在りまして、やはりこの集落は凄いもんだと想ったものでしたが。。

この集落は、集落のほぼ全戸が組合員となる高根生産森林組合を1955年に創立し、大半が森林となるその地域の森林の約半分である約4000haを集落が保有し、今日まで水源林造成事業に取り組んだりしてこられたみたいでして、やっぱりまあ上手くいってるんだろうなと感心するところでしたね。。

まあそれでそうした事とは別に、観光地化するほどの処では無いと言う前提で、白川郷やら大内宿やらのそうした観光化されている半造り物的な処よりも、こうした処を歩いた方が意義が有るのかとこの集落には想ったり。。

前述しましたが、実際の行政における現在の村の単位って十津川村なんかにしても何処の村にしても広大な森林区域とかを別にしてその居住区だけに絞ってみましても点在する広範囲に渡る区分けとなっていて村をイメージ出来ないところで、こちらも村でもなく8集落に分かれている区域の1集落となりますが。。

この高根集落と言うのは知らない村に偶然辿り着いたと言う僕の勝手なシチュエーションに最も近い印象を与えてくれた処と成った感じがしましたね。。

まあそんなんでこの集落を引き返して(鈴ヶ滝)へと向かうところでした。。

そんなんでとりあえずこの時はで道を曲がり損何処ねたのかと先ほど通り過ぎた(食堂IRORi)辺りまで戻ろうとしたところ、その手前辺りの道端に地図が有ったので車を降りて確認しましたね。。

しかし今考えてみると集落の手前の高根川に架かる雲上橋を渡って左折して進んで行けば良いんですから簡単なもので、何を迷っていたのかと想いましたが。。

想い返しますと、確かこの時は頼りにして進んできた携帯のナビが電波の届きの悪さかなにかで頼れなくなり、それ頼みだったせいでこうなってしまったのかなと言ったところでしたね。。

まあそれで今にしてみれば笑えますが、この時は地図を見た後に慎重に左折箇所を見落とさないように進みまして。。

先ずはすぐ先で高根川に合流する宇護蔵川だかなんだかを渡る橋を間違えて曲がらないで進みましたね。。

そしてその先に在る高根川に架かる雲上橋を渡って左折すれば市道鈴滝線と言う事で、もうこれでついに(鈴ヶ滝)へ訪れられるなと言ったところだったんですが。。

実は今になって話しますが、この時はけっこう前から村上市のHPでこちらの林道の状況をチェックをしていたのですが、5月中旬辺りに月末迄には開通するような事が記載されていたのに、29日のこの日になってもいっこうに開通の知らせが得られないと言った危うい状況ではあったんですよね。。

そんなんで考えれば、こちらの(鈴ヶ滝)へ向かう林道は過去の開通状況を調べると5月までに開通すればまだ良い方だと言った感じでしたから、僕としても万全を期すと言うならばもう少し後の時期にと言うか開通が確定してから訪れれば良かったんでしょうが。。

僕としましては、次に訪れるのはこの滝だと想っていたところ村上市のHPで前述通りけっこう前から5月中に開通すると記載されていたので29日なら大丈夫かなと想っていたんですよね。。

そうしましたら月末ギリギリと成るようなこの日になっても開通の知らせが得られずで、ならば予定を延期すればと言ったところですが、もう前から予定を組んで行く気まんまんでしたし、それでも絶対に(鈴ヶ滝)に辿り着けないと言う事ならば訪れませんでしたが。。

村上市のHPの感じだと開通間近の林道の状態はそんなに悪くない筈ですし、過去の林道の事を調べますと開通前でも通れたりもした記述が有ったような気がしましたし、いざとなれば高根集落から(鈴ヶ滝)の遊歩道入口までの林道の距離は約8kmくらいだと言う事ですし、天気の方は予報通りに快晴だと言う事で。。

まあ何となくその気になれば林道がどうであろうと(鈴ヶ滝)には辿り着けるだろうと言った考えでこの時は向かって行ったんですよね。。

そんな事で雲上橋を渡り左折して高根川の左岸を進むような道に入ったのですが。。

この時はこの県道から左折した場所が林道の起点だとしたら、とりあえず林道を進んで行けるのかもしれないと言う想いも少しばかりしまして、揚々とした気分で車を進めて行ったところでしたね。。

調べますと正確には高根集落からの林道の距離は林道鈴滝線が4.4kmで林道鈴川線が3.1kmの合計7.5kmなのかとも想いましたが、この時の僕はもし林道がゲートなんかで塞がれていても徒歩で向かう腹づもりでしたので、暫くは車で進めそうな林道を観て、少なくとも約8kmを歩かなくてもいいんだと言った想いでしたからね。。

しかしまあ今になって振り返りますと、曲がって直ぐの道沿いには民家みたいなのも建っていましたし、先には農地が拓けていましたので。。

林道の通行が可であれ不可であれ、そこまでは常時通行できる道だったんだろうなとは想われましたけれどね。。

そんなんで気分良く林道を更に進んで行きましたが、林道と言う事で少しは道やら周りの景観も狭窄したものになってくるのかと想っていたところ、それとは裏腹にこの林道鈴滝線とやらも最初はその農地を通過して行くと言った感じでしたので、やたらと開けた空間を走り過ぎて行く事になりまして、晴天の青空と相俟って何とも爽やかな気持ちにはさせられましたね。。

それで村上駅からここまで車を走らせて想いましたのは、坂やらカーヴも程々で視界はスッキリ開けていてで、市街地と言った場所から其れなりに車を走らせて訪れるような滝で、今回ほどストレス無く訪れられるような滝はなかったなとは想いましたね。。

果てしなくゴチャゴチャしている様な首都圏よりよっぽどいいものだと想ったりもしまして、先ほどの人口とかの話の続きをしますと。。

新潟県やら日本海側にも分散していた人口が東京都やら太平洋側に集中していった原因としましては。。

嘉永6年となる1853年のペリーの黒船来港によりその後ほぼ強制的に鎖国を解かれた日本は海外の列強国による侵略なんかを危惧したりで、その諸外国に負けない国創りの志のもとに倒幕が成され統一された中央集権国家を司る明治政府が誕生する事に成ったらしいと。。

そんなんで日本の内部の事なんかより外敵から日本を守らねばと言った感じで地方分権色の強い幕藩体制から一国家が形成されて行く明治維新と言った感じで、1868年には江戸幕府が終焉を向かえ明治元年と成りまして。。

そうした中で、大阪遷都論を唱える大久保利通に日本郵政の父と呼ばれる前島密が蝦夷地も含めると日本の中心は江戸になるだとかこの時点で世界有数の都市と言えるように成っていた江戸が幕府を失うと廃れるだとかの建言をして賛同させただとか。。

金の無い明治政府が運営に都合の良い建造物などが建ち首都機能のベースが有る江戸を選んだだとか、とりあえず保守派にも配慮し京都と並立して首都となり現行法においても首都の記載は明確ではなく、現在も天皇が使う高御座が在るのは京都だから曖昧だとか言われてりも有るみたいですが。。

とりあえずここ辺りから東京が首都と言える中央集権国家が急速に進められ、現在の皇居となる場所に建っていた江戸城は東京は東京城に変わり、天皇は朝廷の置かれた京都から行幸だとかゴタゴタしながら東京城に御所を移してと、現在の首都となる東京都に総てが集まって行く事になったらしいと。。

そう考えますと、現在の日本において絶対的な首都と成っているような東京都もたかだか100何十年前に様々な事が交差してそうなったと言うもので、現代社会と言うのは恐ろしく急速に発展したものだと驚愕する気持ちにもなりましたね。。

しかし東京都やら太平洋側への人口の偏りと言う事に関しましては、明治政府が誕生してからの事が最大の要因となる感じだと言う事で、何となくその歴史を考えてみますと。。

そうして始まった明治政府は、欧米にならい富国強兵をスローガンに日本の軍事力を高め経済の発展を目指して行くと言う事で軍需色の強い重化学工業化をはかりつつ、経済面においては殖産興業をスローガンに欧米諸国の経済制度、技術、設備、機械などを導入しての産業の近代化を急速に発展させようとしたと言う事で、政府主導の官営模範工場や直営事業が国内に造りまくられる事に成ると。。

そうした事でこの時代辺りで郵便制度やら電信やら鉄道やらのインフラ整備や造船やら海運と言った交通や通信の整備、貨幣・銀行などの金融制度の整備と言ったところから、貨幣やら銀行などの金融制度の整備、警察行政やら学校やらと言った現代社会の基盤となるようなものが創られていったみたいですが。。

産業としては、その初期において紡績業や製糸業などの繊維工業を筆頭に食品やらその他色々と言った軽工業なんかの発展が顕著だったみたいですが、日清戦争に勝利した事による賠償金が日本に入りその後の日露戦争となる辺りからは、軍需産業に付随するように製鉄やら製鋼やら造船やら鉱山やら石炭産業やらその他諸々の重工業の発展が著しく成っていったりしたらしいと。。

そうこうしてましたら第1次世界大戦があり、日本は戦場となったヨーロッパに代わる生産拠点として好景気となったりして軽工業も重工業も更に発展していきまして、第2次世界大戦に突入し太平洋戦争が起こる頃には軍需産業の隆盛に伴い重化学工業の発展が著しくなり、その中で化学、機械、金属と言った産業が新しく発展していったらしいと。。

そしてそんな発展の勢いは有りましたが日本は敗戦を向かえまして、その大ダメージを受けた後にはGHQにより作られたアメリカに都合の良い武力行使の放棄による民主化と言った国力弱体による属国化の占領政策がとられたりする事に成り、現行の日本国憲法やらが施行され、財閥解体やら農地改革なんかが行われ、傾斜生産方式の政策やら色々とやっていこうかと言ったところでしたが。。

時を同じくして表面化する東西冷戦の構図の中で、1950年には朝鮮戦争が勃発し、日本はアメリカ軍の朝鮮出動の基地となり、日本には戦争でも力になって貰わねばならないと、アメリカの日本弱体化政策は方向転換をみせて武力も復活の兆しをみせ軍需産業も復活し、自衛隊の前身みたいな警察予備隊も作らたりもして、1951年のサンフランシスコ講和条約とそれに付随した日米安全保障条約によりとりあえず日本は占領を解かれて独立国家となり、戦時特需によって格段に日本経済は上昇していく事に成ったりしたみたいだと。。

そしてこれが何よりの復興の切っ掛けとなり、1950年代前半辺りまでには日本経済は戦前の水準を突破し、1953年には加盟した世界銀行からの借入などにより高速道路、新幹線、ダムやらのインフラ整備なんかも進めていったりしたらしいと。。

そうして機械工業や電気機械工業にも重点が置かれる中で、1960年には下村治の所得倍増計画やらその後も政府の合理化計画のもとに工業なんかの設備投資が積極的に行われたりして、日本は世界に例を見ない経済成長によって、60年代末には西側諸国において世界第2の経済大国になったりして行ったらしいと。。

そんなんでそれから先も石油化学工業が成長し太平洋側の沿岸には大型の石油コンビナートが建設されたり、エレクトロニクスなんかの精密機械工業が台頭したりしていく中で日本の産業は発展していき。。

いつの間にやら世界最高水準に成長したような日本の製造業はバブルを頂点に隆盛を極めていき世界トップレベルの工業大国と成りまして、大雑把に言えばその後の停滞期だかなんだかが有り、そこからは決定的には抜け出せない現在が有るのかと言った感じなのかと想ったりしましたね。。

そうした流れの中で考えますと、最大の相手国であったアメリカはガリオア・エロアと言った復興資金の援助もけっきょくは返済する事に成りますし、日本を都合の良い属国にしようとした目論みも冷戦構造とかによって変化したと言ったところで日本の復興に力になってくれたのかは分からないところですが。。

物資の供給やら要らない軍事品の押し付けやら考えれば切りがないところも有りますが、日米安保条約による核の傘の下で国の予算として膨大となる軍事費に金を注ぎ込まなくてよかったのであれば、物売りの金儲けに邁進できるところも有り、経済大国に成長できた要因として大きいところだと想うところでした。。

そんなんで日本は太平洋戦争により太平洋側に多数の軍需施設が建設された事も太平洋側に都市や人口が集まった一因だとかも言われますが、とりあえずここで日本の人口やら都市が太平洋側へと偏った原因と言う本題に移りますと。。

国が開国し中央集権国家となり、主産業が農業などの1次産業から製造業などの2次産業へ移行していき、加工貿易を中心に経済成長を遂げて現在も世界有数の貿易大国となる日本では、稲作で栄えた地域から工業地帯の方へと人は集まる事に成ると。。

そして貿易と言えば現在も輸送の軸でもある海上輸送と言う事で貿易港となり、その貿易港の近くには工業地帯が在り、その工業地帯の近くには都市が在り、その逆も然りで都市が在るなら工業地帯と貿易港が在ると言った感じとなりまして、その圏内に人口は集まっていく事になると。。

そしてアメリカ合衆国を筆頭に南北アメリカやらヨーロッパやら中東やら東南アジアやら広く海外との貿易を考えますと太平洋側の方が明らかに都合が良く、実質の首都と成った東京は貿易の面でも問題は無かったと。。

そして同じ太平洋側でありやはり3大工業地帯となる阪神工業地帯の一画となり日本最大の商人の町であった大阪やら、御所が有り以前の実質の首都であった京都と言ったところを結ぶ、江戸時代にも五街道の最重要道であった東海道は、国内においてその2大都市を結ぶ交通整備が最重要の交通インフラとなると言う事で優先して整備され。。

そうして東京都を中心とした関東の京浜工業地帯から、現在最大の工業地帯となる名古屋都市圏の中京工業地帯を真ん中において、大阪都市圏となるような阪神工業地帯が結ばれていくと。。

更に瀬戸内海を経てかつての4大工業地帯であり石炭の産出地が近く鉄鉱石の中国からの輸入に都合が良いと言った原料の関係なんかで以前は日本一の工業地帯でしたが、1960年代に起こったエネルギー革命によりエネルギー源が石炭から石油となった事が主因で現在は衰退気味の北九州工業地帯を結ぶ日本の太平洋沿岸部が結ばれていきまして。。

それら南関東から九州北部の大工業地帯の間には、更に工業地帯が造られて太平洋ベルト地帯を形成し、仕事が有るから衣食住があると言う人間社会の基本原理に基づくような感じで人口を集めていったと。。

と言う事で、江戸時代までの比較的バラけた日本の人口分布がとりあえず東京都はおいといて太平洋側に偏った理由としましては。。

開国によるアメリカを筆頭とした外国との戦争やら貿易やらと言った侵略と貧富を争う関係の中、資源の少ない日本が軍需産業を含めた製造業なんかの物造りを中心とした加工貿易に励み、世界有数の工業大国に成っていったと言う事で。。

そうした過程の中で、明治初期までの日本の産業構造において8割以上いた農林漁業などの第1次産業従事者の割合が極端に減少し、その後の開国時代以降において製造業、建設業、鉱業なんかの2次産業がグローバルに求められる中で、その工場などが貿易なんかの立地条件として都合の良い太平洋側の都市圏に造られていったからだと。。

そして産業構造の高度化だとか言った事で、現在において7割以上を占めるサービス業、情報産業、小売りや金融業なんかの3次産業もそうした都市部に集まると言う事で。。

結論として立地条件と産業構造の変換が日本の人口を太平洋側に偏らせたと言う事なんだとは理解するに至りましたね。。

そんな事なんですが、この時はそんなごちゃごちゃした面倒そうな事とは無縁の清々とした風景の中を相変わらずに進んで行きましたね。。

そんなんでまた進んで行きますと、道は開けた場所を過ぎてこれから正に林道になると言ったところだったんですが、ここで僕の期待とは裏腹に林道は塞がれていましたね。。

まあでもこれは僕の予想の範疇内でしたので動揺する事はなかったのですが、やはり見通しが甘かったかと言った感じで、僕はこの滝を簡単には訪れられないんだなと想うところでした。。

しかし最悪の場合は高根集落からの林道約8kmを歩く気でいた僕は、少なくとも高根集落から林道を2kmくらいは車で進んでこれたので、これで残りの林道歩きの距離はせいぜい後6kmぐらいだからと言った余裕もあるところの中で。。

気になるのは通行止めとなっているようなこの林道への立ち入りの規制は実際どうなっているのかと言う事でして、辺りを見回してみますと。。

(高根部落民以外の入山を禁止する。尚、許可なく入山し山物を採取した場合は没収する。)

と言う看板だけは目に付きました。。

しかしこの古めかしい看板の入山を禁止すると言うのは通年掲げられているもので、林道の事とは別のものだと解釈できて、暗黙の了解みたいなのが出来上がっているんだなと言う事で進んで行く事にしましたね。。

もちろん山物なんて一切持ち帰る気などさらさら無い訳で、他に侵入禁止を警告するような看板なんかは他に一切有りませんでしたしね。。

問題は大して滝に関心の無い連れの友人ですが、友人は携帯していたノートパソコンなんかで色々とやる事をしながら昼寝でもして待っていると言ってくれたので、あまり待たせないように迅速に向かおうと言う気持ちで進んで行く事にしました。。

しかし帰って気になって(むらかみの観光情報)のHPからの朝日スーパーラインのページをよく調べますと、歩行での通行も不可のような事が書いてあったような感じでして。。

まあでもこの時は現地に表記されて無かったので、やはりここは暗黙の了解と言う事で許して貰う気持ちで進んで行きましたね。。

それで急いで(鈴ヶ滝)まで往復して来るかと言ったところでしたが、とりあえず少し進んだら後6kmと書かれた標識が設置されていたので、やはり遊歩道の入口まで6kmくらいだったかと確認にはなりましたね。。

しかし今にして想えば450mの遊歩道と6km強の林道の往復ですから合わせれば約13kmとなり結構な距離だったのかも知れない中で、この時は飲食物なんかはペットボトル1本だけをポケットに忍ばせて、後はカメラと三脚を持つぐらいで、殆んど手ぶらでさっさと往復してきてやると意気揚々とした趣で進んで行ってしまった事を考えますと、普通に考えたらもう少し確りと準備して向かえば良かったところだったんでしょうね。。

しかし以前に(早戸大滝)へ向かう林道が閉鎖されていた時に、やはり林道を約5kmくらい歩いた先の其れなりに労力のいる滝へのルートを向かった行程なんかに比べたら、林道さえ歩けば後は短い遊歩道だけと言ったこちらの行程は、やはり迷いようがない楽な行程と想えて余裕ではありましたね。

そんなんで事前に調べた時に地元の小学生だか中学生だかは遠足がてら林道を歩いたような事を目にしたこの道を、この時は散歩気分の楽な気持ちで悠々と進んで行けたところは有りましたね。。

進んで行くと、林道はそこまで傾斜がキツい道ではなくて、其れなりに快適に歩いて行く事が出来ましたね。。

とりあえず友人を待たせていると言う事も有りまして、場所によっては走れメロスのような気持ちで走ったりもしながら(鈴ヶ滝)へと急ぎましたね。。

そうして進んで行きますと、何だか味の有る手堀のトンネルみたいなのを通り抜けて行く事に成りまして、この地ではこの時から日本の人口分布から始まって戦争が絡む話が漠然と頭に有りましたので、朝鮮人の強制労働者の怨念がとか過剰に想像しちゃったりしましたね。。

しかし後になってこうして調べますと、この時は知りませんでしたが、この先で林道鈴滝線は(鈴ヶ滝)へ向かう林道鈴川線の他に、林道平床線やら林道元屋敷線で朝日スーパーラインとも繋がっていて、そちらに向かえば最盛期には全国の採金量の1/3を産出されたと言われている鳴海金山の跡地が在ったらしいと。。

それでどうも1993年から村上市の方で鳴海ゴールドパークとして厳しい環境の中で観光化され、大切坑と黄金坑の2つが一般公開されていて、現在は夏季の日曜日やら祝祭日だけの公開となり、入場料金は大人600円、砂金採取体験が200円とからしいと言う事ですが。。

こちらの金山は大同2年となる807年に出羽国の相之俣弥三郎によって発見され、戦国時代に上杉氏の領地であったこちら界隈は秀吉への全国からの運上額の3割を占め、鉄砲の伝来なんかも有り全国で金の採掘が盛んに成った頃に最盛期を迎え、その後に徳川幕府の意向により廃山とされたらしいと。。

しかしその後の明治~大正~昭和にかけても断続的に採掘が続けられたとか言った話で、タヌキ堀りと呼ばれるノミやらタガネで蟻の巣状に掘り広げられた縦横無尽に伸びるは全容が解明されてはいない暗黒の坑道跡となっていて、後に徳川幕府のドル箱と成る佐渡金山よりも歴史が古く産出量も多かったらしいと言う事だと。。

そう考えますと、こちらの海の先に観える同じ上杉領でもあった佐渡島の金山跡が島流しの罪人やら無宿人なんかの強制労働による産物とするならば、鳴海金山もそうした現実が色濃く遺された地なのかと空想するに至り、現代において正式な公道としての開通をみる以前から地形的に河川沿いに遥か昔から金山やらへの道が造られていたと想える中で、手堀といえばそうした罪人やら朝鮮人やらの悲痛な慟哭を想像してしまう自分がいましたね。。

しかしこんな短いトンネルで何を過剰に妄想しているのかと言った感じで先へと進んで行くところでもありました。。

トンネルの先へと進んでも林道は歩くには楽そうな緩やかな登り道が続いていていそうで、少なくとも約6kmとなる林道を1時間以内で通り抜けようと想っていた僕を勇気づけてくれましたね。。

この時は独り黙々と林道を歩くなかで色んな事を考えましたが。。

そう言えば僕が物心ついたかと言った時代までは天気予報なんかを筆頭に太平洋側を表日本、日本海側を裏日本と呼称したりしていまして、それが差別用語を連想するところでいつの間にか失くなっていったもんだなと想い出したりしましたね。。

しかしこの時はこっちに来てからずっと晴れ晴れとした天気の下で広々と爽やかな風景ばかりが目につきましたので、そうした景観を中心とした感想としましては。。

戦争を足掛かりに造られた工場やコンビナートが建ち並び、コンクリートなんかで埋め尽くされた太平洋側こそが裏日本であり、この田園風景やら広々とした緑が溢れる景色が残る日本海側こそが表日本だと想えてなりませんでしたね。。

そんなんで太平洋側に偏重した日本社会みたいですが、更に考えますと明治政府が誕生して以降に首都となる機能が集中した東京都は、災害やら空襲やら景気やら多様な要因により其れなりの波は有ったかと想いますが、それから現在まで確固たる日本の首都であり続ける中で人口を増やし続けたみたいな感じみたいだと。。

近年で見ましてもバブル崩壊後辺りとなる1996年以降からはずっと連続で人口を増やし続け、現在も日本の人口が減少する傾向の中で東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)だけに人口が集まる状況が顕著みたいなっていると言う事で、2019年の東京都の人口推計は1385万人超になっているみたいだと。。

そしてこちら新潟県なんかは、その1996年以降ずっと連続で人口の転出超過が続いているみたいで、これは新潟県だけに限らずに全国的な問題で、大阪やら名古屋なんかの都市圏の人口なんかも増える傾向では無い中で、東京都市圏の一極集中の傾向が増しているらしいと。。

そんなんで現在も政治、経済、文化、人口などの社会におけるあらゆるものが首都圏(特に東京都)に集中している状況で、近年は大阪府や愛知県と言った大都市が存在する府県からも就職なんかで都市圏に人口が流出する傾向みたいで、この先の予想でも日本の人口が減っていく中で都心だけが人口増にあるらしく、一説には2040年までに日本の市町村の半数が消滅すると言う話もあるらしいと。。

それで考えましたが、僕自身は高校生時代から首都圏となるような神奈川県厚木市の界隈に住んでいて、満員電車や人混みを見ると気が滅入るなくらいで、過疎だ過密だとかには無頓着に生きて来た感じでしたが、これってどうなんですかね?

どうもこう成った原因の推測なんかを調べますと、先ずは東京都に日本の政治はもちろん経済を左右する許認可権限を持つ中央省庁が日本銀行本店なんかと共に集まり、大多数の会社企業なんかはその関係を出来るだけ都合よく利用しようとする為に本社機能とかを都心方面に置く事に成る傾向が続いてきたからみたいらしいですが。。

先ずはそうして政経が都心だけに集まり、全てのテレビのキー局も東京都に集まり、その通勤圏に人々は居を構え、商業施設やイベントやらは人々が集まるエリアに率先して造られ、それが極端な東京一極集中を創り出す要因に成ってしまっているらしいと。。

最高裁判所や警視庁やら司法機関ももちろんですが、港区に集中する各国大使館と言ったように、世界有数のメガシティとなった東京都に外様が観光やらコアな事柄以外で集中するのは当然かと想いましたが。。

それで比較的に近年台頭したIT産業のようなイノベーション産業なんかもサテライトオフィスがどうこうだとか言いながら、そう言ったものは絶えず一流の知や人と接する必要があり、やはり直に接する事による効果が大きいとかみたいだとかの話しで益々都心に集中したりしているみたいだと。。

これは対面型コミュニケーションを重視する日本社会の弊害だとも考えられているのかは分かりませんが。。

近年行われている地方創成の政策となる地方移住や民間企業の地方移転を促す狙いの中央省庁の地方移転にしても、文化庁の全面移転が国内の文化財の多くが関西にあることが理由なんかで京都府に決まったみたいですが、演劇関連の部署や国会対応などの部署は東京へ残るって話の中で移転の進みも悪そうですし。。

徳島県に移転する話があった消費者庁なんかは一部機能移転にとどまるみたいだと言う事ですし、他には総務省統計局のデータ利活用拠点が和歌山県に設置されたくらいで何だかその政策が活発ではなさそうだと。。

それで他に近年の地方創成事業なんて言っても、ふるさと納税なんかも元々そんなに地方活性化に効果が有るとは想えない中で返礼品の問題とかが浮上したりで、何だかなと言ったところでしたが。。

とりあえず林道鈴滝線は高根川の左岸を其れなりの高度差をもって進んで行く感じでしたね。。

そう言う事で黙々と林道を進んで行きましたが。。

しかしこの人口の東京一極集中の問題に関しましては予測も難しく、肯定派もいる中でどうすれば良いのかの解決策は明瞭ではない感じがしましたかね。。

それでどうも肯定派の考えとしましては、人口集積は人やモノの移動・輸送効率を高め、生産性向上につながり、様々な化学反応も生まれ良い事であり、これからの世の中はよりいっそうの国際都市間の競争となるので東京をより発展させ、そこから地方への分配をと言ったところみたいで。。

反対派の意見としましては、大規模な地震などの天災や戦争、テロ、未知のウィルスなんかが発生した場合、その構造は危うすぎるから分散して回避しようと言うのを一番に、地方との経済格差やら住宅環境の悪化、通勤の長時間化を伴う通勤ラッシュやら渋滞、それに伴う出生率の低下やら諸々の問題を抱えると言ったところみたいですと。。

そんな事で、この問題の答えと言うのは難しいのでしょうが、調べてみますと世論的にみても大半が日本の極端な一極集中社会は分散させた方が好ましいと言ったところで、僕としてもそうなのかとは想えましたかね。。

なにかこうシンガポールくらいの小規模な国なら一極集中は当然でしょうが、メルカトル図法からの誤解やら幾つくかの大規模な面積の国の印象で、昔から小さな島国と言った印象を持ちやすい日本ですが。。

実際には国連やら日本政府やらが承認している国が現在200国弱ほど在る中で、約378000km2の日本は61位の国となり、例えばヨーロッパ諸国と比べても殆んどの国に勝る日本は、其れなりに大きい国とも言えますからね。。

しかし日本は急峻な山岳地形であり可住地面積が精々3割弱みたいな話で、都市や街なんかは河川堆積物が創った沿岸部に広がる沖積平野を中心に、山間部では盆地や僅かな平野部なんかに創られていて、近年メキシコに抜かれたみたいですが、国の人口が世界で11位となる約1億2600万人余の現代の日本国民の大半はそこで生活していると言う事であれば。。

通常の人口密度としても人口1000万以上の国としては第10位辺りの335人/km2の人口密度が、可住地面積で考えると1100越人/km2となり、日本の人口密度は其れなりの規模の国としてはトップクラスに高いと言える事になってしまうみたいだと。。

そうなると広いようで狭いような日本で、その国土の約5%となる約1.7万km2の面積を誇る広い関東平野ですが。。

その中の江戸時代に始まる大湿地帯の河川改修やら埋立などによって切り開かれた土地と言った東京都のある南側を中心に広がる東京都市圏に世界1となる4千万にもなろうかと言う30%以上の人口集積を興すのではなく。。

居住地面積が狭いと言っても、こちら新潟県の約2000km2となる越後平野やらその他各地の平野部に点在する都市に人口を分散させる国土全体を有効に活用した発展が行えていたらと想う分ありましたかね。。

一極集中と言えばロンドンのイギリスやパリのフランスと言ったところですが、過去から其れなりに行ってきた政策なんかもあってか、どちらも人口の集中は約15%くらいになっていますし。。

アメリカ、ロシア、中国と言った巨大面積の国でも制度の違いは有れど人口は分散されて成り立っているし、通信を顕著として交通とかもより発展していくんだろうから距離なんて問題ではなく、逆に様々な癒着なんかが蔓延りやすいマイナス面の方が大きいような気もしますしね。。

現代社会は都市を形成する社会だと言うのは良いとして、道州制なんかも議論されるように、地方分権を伴う幾つかの都市に分散した人口に伴う国づくりを行って来ていればとは想いましたね。。

そして日本は可住地面積が狭いと言っても、森林率が約67%(約25万km2)だかで、それ以外の非可住地面積の大半を緑が占める森林大国な訳で、その森林率は意外にもこの半世紀を見ても殆んど変わっていないと言うならば、緑の隙間に窮屈過ぎない都市が点在する自然と共存した国の発展があったらばと妄想するところでした。。

そうした中で、先進国で一極集中が進む筆頭の国となる感じの日本は、地方創成とは言っても90年代以降にも建築基準法の日照権や容積率の緩和や工場等制限法が廃止されたりと東京一極集中を煽るような政策を行ったように。。

現在も当初の予算を大幅に上回る3兆円超の予算をかけた2020年の東京オリンピックやら品川駅を始発駅に進めらて行くリニア中央新幹線やらを考えると、日本はこれから先も当分は東京一極集中の社会であり続けるんだろうなと言った感じがするところでしたね。。

そんなんで、友人を待たせている僕は足早に林道鈴滝線を進んで行きましたが、歩くぶんにはそんなに急勾配でもなく曲りも程々でサクサクと進んで行けましたね。。

それでこちらではいつも話が横道にそれて行くのが常で、今回もまたこの(鈴ヶ滝)が新潟市を中心にした越後平野の北東に聳える朝日山脈の一角に落ちているが為に、かつてこの地が日本トップの人た口を誇る地域であったと知り、東京一極集中の是非の話に至ってしまい、ここでこの話は終わりにしようと想いますが。。

とりあえず現代社会において国が発展して行くと人口の増加と都市への集積が起こり、 ある程度その社会が高度化すると生活環境の向上やら各種制度の充実やらするけれど、国の食料危機なんかを危惧する政策も有るかもですが、子育てやらは金やら手間もかかる事になるので出生率なんかは低下して少子高齢高齢化気味になり、人口なんかは減少傾向になるのかと言った感じでして。。

そうした事で、このような人口増加はアフリカを中心とした途上国に顕著で、21世紀後半には地球の人口は100億人を越えるとか言った話らしいと。。

それでとりあえず現在においてプライメイトシティとなる人口の一極集中化は、やはり成長の著しい発展途上国に顕著で、その解消も大きな理由の1つとして政府機関を伴う首都移転が行われたりするもので。。

最近でもジャカルタに集中するインドネシアが交通渋滞、経済格差、地盤沈下、と言った理由を主にカリマンタン島への首都移転を発表し、エジプトでも首都カイロから港湾都市スエズとの間にハイテクな新首都を建設中となり、フィリピンにしてもマニラの近郊に新都市となるニュークラークシティを建設中だとか他にも色々で。。

戦後でみても首都リオデジャネイロやサンパウロに大都市が存在するブラジルが、過去の植民地と言ったような歴史の払拭やら多民族国家となる国の統一の象徴、国土となる広大な内陸部の開発やら国防なんかを理由に首都移転を行ったの例に、ナイジェリアやらカザフスタンやら発展著しい途上国を中心に幾つもの国が首都やら首都機能移転を行いましたが。。

ミャンマーの軍事政権によるよく分からない移転や、ボリヴィアの与野党によるいざこざで2つの首都が存在するような状態を例に、平民を置き去りにした既得権者の勝手な判断や、平民との格差拡大、新たな自然破壊、財政圧迫、汚職や陰謀の渦巻き、なんかが問題になったり、長大な時間を経た先でないと成否の判断は出来ないところで、その成否の判断は難しいところかと。。

そうした中で一極集中と言えばお隣の韓国は日本以上にソウル市への人口集中の問題があり、近年だと新都市となる世宗市への行政機関を含めた人口分散の政策がとられたりもしましたが、その成果は上がらないと言ったようですし。。

社会主義国家や連邦国家ならまだ楽な気がしますが、日本はある意味早期から先進国の民主主義国家としてあり続け成熟を見たような国でもあり、土地所有権やら個人の財産にはやたらと厳格な法律が定められている中で、東京と言うブランドに築き上げられた利権が都心三区を中心に渦巻き、高騰した地価による土地やら財産を失ったり落としたりをさせまいとする個人やら団体の既得権者もいて、ましてや都落ちなどする訳にはいかないと言ったところで。。

とりあえず現在の日本では土地の買収やらその他何から何まで金も時間もとんでもなくかかりそうだし、少子高齢化の時代なんかも加速して財政が危ぶまれる中でそんな事やってられないとしか想えず。。

首都移転なんてまず厳しいし、地方分権による道州制への移行も議論はすれどまず厳しいとしか僕には想えませんでしたね。。

でももし機能や人口を移転させるなら、候補地にもなっていた移動させやすい北関東方面だとか、カナダやオーストラリアのように2大都市となる大阪との中間として名古屋やら東海地域へと移行を促せば良かったのかとか漠然と考えましたが。。

とりあえず現実的には移転分散が厳しいと想うので、USJなんかが開園当初の予想より遥かに頑張っている印象の大阪を中心とした京阪神大都市圏の人口流出を流入に向かわせる政策に本気で舵をとり、2大都市体制を堅持する事を大切にと想ったりしたところでした。。

なんだか商人の町であった大阪は、戦前くらいまでは天下の台所として日本の経済の中心でもあったのに、現在の日本社会にも残る1940年体制(戦時期に総力戦遂行の為に国家総動員法で整備された経システム済)の弊害を始まりに東京に煽りを食ったみたいな話ですがね。。

しかし都構想もなかなか決着をみずに地域改革の難しさを物語る大阪ですが、リニア新幹線によって東京~名古屋~大阪の3大都市圏が1時間強で繋がり、それがフランスやイタリアと言った欧州先進国の1国に比肩する約7000万人にもなろうかと言う超巨大経済圏(スーパー・メガリージョン)を形成し、これで日本が世界の都市間競争に打ち勝とうと言うならば、これが更なる東京へのストロー現象を起こすとか成功するのかとかは分かりませんが、それならば大都市東京は交通インフラの進化などにより圏域を広げてあり続ける方向性も考えられるのかと愕然としたのでした。。

しかしそうなるとその経済圏内は活性化する可能性も有るでしょうが、こうした国際間の壮大な話が有るならば、やはりその他の国内の地方分権なんて話は置き去りにされそうな感じがしましたね。。

まあ例えその他の地域やら全国はその後に超先端の交通インフラで繋がっていけばと言っても、仮にそれが出来たとしても完成は世紀を跨いだ先の話でしょうし、そんな事考えてられませんからね。。

だから日本の均衡ある発展に伴う地方分権やら人口分散とかを真っ先の念頭において、それを本気で国の政策がらみでやろうとするならば。。

やる必要がないとは想っていたオリンピックですが、選手村として使用後の分譲マンションやら新施設の建造を伴うんだから、地方都市の活性化にはうってつけだから東京以外で実施すれば良かったし、リニア新幹線にしてもそうした大イベントにかこつけて拵えた新都市やら大々的な再開発を施し人口誘致した地方都市やらと言ったところを土地やら地形やらの問題を加味して選んで起点にして進めていけば良かったんじゃないかとか考えましたが。。

しかしもちろんそんな事して上手くいく訳が無さそうだし、色々と世間で議論されている地方分権の話も現状から移行して全国が上手く活性化していくとも想えないし、政府も本気で地方分権を伴う人口分散なんて考えているとは想えないところで、これはもう何が最善だったのかは分かりませんが、取り敢えずどうであろうが、ここまで日本国の中心として出来上がってしまった大都市東京は、一極集中の大都市としてあり続けるんでしょうとは想ったところでしたね。。

それでそのうち東京圏はインドのデリー辺りに人口が抜かれると言った予想があるように、その人口数なんかは後発の途上国の人口増加にのまれていく事にもなるかも知れませんが、とりあえず2030年くらいではまだ東京は人口世界一の都市みたいですし、これからリニア新幹線なんかで東京都市圏~大阪都市圏が巨大経済圏となり、それを国内に創る現実をもし得たとしたら、世界的な大都市と先進技術を持つ大国として、日本はこの先もあり続けられる事もあるんでしょうと言ったところでした。。

そんなんでこうして色々と考えさせて貰いましたが、国際社会との競争が主題となった明治以降、日本社会は急速に発展して言った感じで、それが大枠の原因として国内社会の人口を含めたバランスに支障を来したのかと想ったりしましたが。。

交通や通信はより進化していき、過去にならえば市場拡大、海外移転、海外M&A、投資、自由貿易、国際分業、観光、留学、雇用やらその他色々と人、金、物、情報がより行き交い、世の国々もよりグローバル化と反グローバル化と言った世界枠でのあり方に進んでいくんだろうなと言ったところで。。

そうした中で、顕著な人口減少、産業の空洞化、後手にまわったIT産業と言った日本は、IoT、ビッグデータ、人工知能、ロボットなどの第4次産業革命によって産業の転換をはかり、東京は世界の大都市であり続け。。

現在もですが観光業やら労働やらも外国人への依存度が増し、これからIRなんかが出来上がれば更に国際色豊かになり、そのうちいつかは移民も受け入れる事になるのかと色々と想像したりで、政治や経済には余り関心の無い僕には考える良い機会にはなりました。。

しかし何だか平和的な意味合いで世界は1つだと言われ、現実としてグローバル化が行われてきて効率化やコスト削減、協力による発展や問題解決など様々なメリットがあるんでしょうが、それが進むと国や地域の伝統や文化は衰退傾向となり、移民流入なんかによる失業率や賃金低下、経済格差の広がりや国や地域との異文化対立や貿易含めた経済摩擦やらまたまた様々な問題が表れて、最近だとイギリスの欧州連合離脱やトランプ政権の自国第一主義に顕著な反グローバリズムの流れも表れてと言った感じでして。。

人間は集まり社会を創る中で争う事により進化していく戦いを必要とする生き物であり、その争いは競争として、暴力は金として置き換えられる面もあり、1つになる前に人類は終わるんだろうなとか想いましたが。。

取り敢えず東京一極集中の問題における現時点での結論としては、良し悪しは分かりませんが日常の日本社会がある限り基本的な東京一極集中の社会構造は変わる事はまずなく、もし変わるとしたらその構造に伴う社会の偏りによるリスクとしてあげられる理由以外の、大天災、戦争やテロによる標的、未知のウィルスと言ったとんでもない事が起こった時であり、そうした事に実感のわかない漠然とした日々を過ごしがちな中ですが、それは普通に有り得るんじゃないかと言ったところで今のところ考えは終わるところでしたね。。

そんなんでこの時は、友人を待たせて独り林道を足早に進み進んできたかと想っていた僕でしたが、鈴ヶ滝まで後5kmの看板を見付けて、まだ1kmくらいしか進めてないのかと愕然とした気持ちになったのを覚えているところでしたね。。

それでまた距離はあるけど(鈴ヶ滝)まで絶対に辿り着くんだと黙々と林道を進んで行く感じでしたが。。

もう関係ない政経の話やらはいいとして最後に先程までの話の余談として日本の自然について気になったところを考えさせて貰いますと。。

近年までの著しい人口増加を過ぎて現在の人口が世界11位となる日本は、宅地造成、工場設立、リゾート開発などにより自然はかなり人口物に変わってしまったのかと想いきや、日本の森林率は現在も約67%となり、沖縄返還となる1972年からみても殆んど変わっていないらしいと言うのは意外な感じがしたところでした。。

これは僕にしても果てしなく住宅地が広がっているような東京圏の片隅に住んできたからなんでしょうが、工業用地とかを含めた宅地やらの国土においての土地利用区分の増加はここ何十年で大幅に増えてはいましたが、現在約190万haとなる宅地面積は国土面積に対して約3%から約5%に増えたと言う低い割合の中での事で、そう考えればやはり日本も広いもんだなとも想ったりしました。。

そしてその増えた宅地なんかは約600万ha弱(約15%弱)あった農用地が約450万ha(12%強)に割合を減らしたように、主に農用地からの地目転換が計られたものでありますが、それだけの農地があれば、それで十分だったんでしょうね。。

しかし国土の67%に森林が残り自然が守られているのかと言うとどうなんでしょうかね?

その約67%の森林の内の約4割は戦後のあての外 た植林政策(辺りを参照)による放置が問題となっ ているものだし、道路を1本通せば生態系は破壊されるみたいですからね。。

それで現在、日本国内における道路法上において一般交通の用に供する道となるのは高速自動車国道、一般国道、都道府県道、市町村道の4種類の道路があり、各種の中で細かく種別されもしますが、取り敢えずその総延長距離は、地球を30周した距離をも越える約127万8千kmくらいにもなり、他にもこちらで歩いている林道やら農道やら私道やら色々と含めれば距離は限りないところだと。。

しかしこの道路の総延長距離における大枠となる4種類別を割合でみると、市町村道が8割以上を占めている中で、高速自動車道の割合なんかは1%にも満たず、高規格になるに従って総延長に占める割合は少なくなると言ったところみたいで。。

その他の道となる林道の類いの総延長は約19万km、そして農道の類いの総延長距離は約17万2千kmと言ったところで、後は私道、河川管理用通路、地下通路、更には自然歩道、登山道やら上げれば体内の毛細血管の如く道は有るのかと想いましたが。。

こうした種類の道の距離はそこまでではないでしょうから、日本の道路の種類において延長距離で考えるなら最も多いのは全国各地に張り巡らされた生活道路を構成しているような市町村道だと言う事ですかね。。

それでこの市町村道やらを中心とした可住地中で駅、ビルや商業施設、そして住宅やらが並ぶ市街地、或いは農耕地やら工場やら物流施設と言った開発された可住地域の中で、その構成の一部として必須ままの機能を果たすような道、そして都市、市町村、集落などを結ぶのに必須な幹線道路と言った類いの道は無駄な道も多々あるんでしょうが、必要なものとなるであろうこうした道路なんかの土地利用区分における面積は国土の約2.4%から約3.6%に増えて、農道と林道を含めて最近では総面積が約142万haとなっているみたいですね。。

しかしこうして調べますと、国内の宅地面積と関東平野の面積が国土面積に対して似たような約5%と言う数値になっているので、何だか人工のもので敷き詰められているような日常の風景を見ていると、武蔵野の雑木林のようなものも宅地開発やら諸々で激減したと言った話を例に、もう緑も少なくギュウギュウだろうとか漠然と想ったりする中で、まだ関東平野にもその他の全国の宅地分が収まる非宅地分のスペースが残っているのかと一瞬意外にも想えました。。

(とりあえず(鈴ヶ滝)への行程は緩やかな上りの林道を順調に進んで行きましたね。前時代の主力燃料である薪みたいなのが積み上げられていたりもしていました。これはこれで大問題になった訳ですがね。。)

まあでも1都6県に跨がる広い関東平野ですし、想い返せばその関東平野の西部辺りに住む僕も宇都宮方面やら房総半島やら水戸方面、高崎や前橋方面と全方向に色々と足を運んだものでしたが、都心を抜ければ田畑やら広々とした空間も観られたとも想いましたが。。

土地利用区分としては他に水面、河川、がダム等の整備に伴い微増して約3.5%となる約134万haになっていまして。。

他に約8.6%の約324万haと結構な割合となるその他と言った区分がありますが、その中身は緑地、公園、ゴルフ場、空き家やら云々と言ったところみたいで。。

現在国内の空き家ふ約850万戸(空き家率13.6%)にもなり、10数年後には倍にもなる予測もされて、これも大変な問題ですかね。。

そう言えば現在の日本の都市部は1968年に改定された都市計画法の中で、その後に新設改定をしながら様々な区域分けが成されて整備されているみたいですが、その中の大都市圏における市街化区域に残る農地なんかは、急速な都市化による緑地の激減が地盤保持や保水などの機能を失い都市災害を頻発させる事や住環境の悪化を招く事を懸念した政府が、そうした環境対策の為に緑地などを残そうとバブル末期の1991年に法改正を行い1992年に指定された生産緑地として残る農地が大半を占めているみたいで。。

その制度とは生産緑地と宅地化農地に分けられた土地 なにどしたのわさわさ 面積500m2以上の農地において、生産緑地の指定を受けた農地は1/100単位となるような固定資産税や都市計画税の減額、相続税や贈与税の猶予などを受けられる代わりに今後30年間は生産緑地として農業を続けなければならないと言う事で、面積ベースで約8割となる当時の農家などの大半はその指定を受けたと言う事で、それらの農地が現在において3大都市圏をその殆んどとして全国に約13000ha以上残っているみたいだと。。

そしてその3大都市圏の中でも関東で約7700ha強、東京都で約3200ha強となり、こうした場合は東京都が最も多くなりますが、こうした法改正の後に一斉に指定を受けた生産緑地が指定解除となる2022年は、どこも財政難の自治体やら他者が生産緑地として買い取る期待も薄く、解除された生産緑地が市場に出回り地価が大暴落するだとかを懸念した2022年問題なんて言うのも有るみたいですが。。

こうした事に関しましてはもともと都市計画法における市街化区域はその区域の農地に宅地なみの重税を課して非農地化を進めるような政策が、前述の環境問題の露見により今度は逆に農地を残そうと言う事で1974年に制定された生産緑地法だと言うように、 現在は来るべき時に向けて法改正による緩和措置がとられているように大問題には成らなそうな感じみたいですかね。。

それはやはりこうした以前からの環境問題に直面した上での変わりゆく政策の中で、現在はヒートアイランド現象の問題やら、何より世界規模で年々加熱している地球温暖化の問題による取り組みが避けられず、緑化には過敏な世相になっているからだと。。

それでこの問題は説が確定した訳ではないみたいですが、18世紀半ばの産業革命の開始以降、人間活動による石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料の使用の急増や森林の減少などにより大気中の温室効果ガスの濃度が急速に増加した為に、大気中の主に二酸化炭素(CO2)の濃度が上がり地球の平均気温を上昇させている疑いがあり、世界の年平均気温は、期間や時期を変えれば微妙に違うんでしょうが取り敢えずよく使われる数値で言えば1906年~2005年の100年で0.74℃の上昇をしているみたいな話で。。

何でもたった1度の上昇が地球環境においては甚大で、地球の気温はかつてない急激な上昇を記録し、現在においても既に地球規模での海面上昇や酸性化、降水パターンの変化による洪水や森林火災、干ばつの増加、など様々な影響が現れ、他にも生態系の激変、農穀物の生産サイクルの激変、感染症リスクの増大、やら様々な現象か起こり、学者なんかが2度以上になると非常に危険だと唱える地球環境において、過去のままでいくと地球の平均気温は2030年辺りには産業革命以前に比べ1.5度以上の上昇、2100年頃には最大で6.4度の上昇が懸念されるような話で。。

そうなると世界で手を合わせて対策を講じると言う事で、現在では1992年に国際連合会議のもとに採択された国連気候変動枠組条約(UNFCCC)に基づき1995年から毎年開催される気候変動枠組条約締約国会議(COP)が毎年開催されるに至る事になると。。

そんなCOPにおいて、1997年のCOP3では京都議定書が採択され先進国のみの2020年までの削減目標が、 そして2015年のCOP21ではパリ協定が採択され途上国を含めた世界196ヵ国(日本の承認国数に因む、アメリカは脱退表明)の殆んど総ての国や地域が締約国となり削減目標が定められる状況に至る事になると。。

そして温室効果ガスの中でもその比率が約76%となる二酸化炭素(CO2)は削減が求められる最たる対象となり、世界的にその排出の原因の約9割以上が石炭、石油、天然ガスと言った化石燃料を燃やしてエネルギーとして使用する事に起因していると言う推論が確定的だと言った中で。。

日本は世界の先端の省エネ大国ではありましたが、2020年となる現在辺りの調査でもエネルギー源をLNG火力(約40%強)石炭火力(約35%弱)石油等火力(約1.2%)と言った約8割近くを化石燃料を使用した発電に頼り、特にCO2の排出量が多い石炭火力発電を国策として途上国に建設支援する世界第5位(2019年度 11億23万t)の国となり、日本はこの問題では苦しい状況にはなっていると。。

要因としましては、天然資源の乏しい日本ですが、戦後の復興から経済成長に向かう過程で、1960年辺りまでは国内の水力発電や国産石炭火力を使いエネルギー自給率も60%弱ほどありましたが、成長と共に発電の需要は増加の一途をたどり、発電の7割以上をエネルギー源を中東原油だけに依存する石油火力発電へとシフトして行く事になると。。

そうした状況の中で1973年からのオイルショックが起こり、エネルギー源の一極集中は危険と省エネと共に安定性や経済性やらを考えエネルギーミックス化を計って行く事で、2010年には原子力30.8%、LNG(天然ガス)27.2%、石炭23.8%、石油8.3%、一般水力7.8%、揚水0.9%、新エネ等1.2%と言う発電構成の状態まできたところで、2011年3月に東日本大震災により福島原発事故が発生し原発の稼働が厳しくなり化石燃料への発電比率が増してしまったと言った事みたいだと。。

そんな事ですが、日本はパリ協定において中期目標として2013年度比(14億800万t)で2030年度に26%の温室効果ガスの排出削減を、長期的には2050年までに80%の排出削減という目標を掲げ削減努力をしていかねばならず、環境問題に熱心な欧州を中心に21世紀後半には実質0%(ネットゼロ)を目指そうとするこの環境問題は、近年ではスウェーデンの環境少女グレタ・トゥーンベリなるキャラクターまで現れて益々大きくなっていくところで、世界はこの問題に邁進していかざるを得ないでしょうね。。

(林道を進むと鳴海金山のタヌキ掘りの一端かと想えるような素掘りの穴が有り奥に資材なんかが置かれていました。歩くと色々と細かい処まで観れて良いものだとも想いましたね。。)

そうした事で、紆余曲折を経ながら化石燃料から太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスなどの再生可能エネルギー(以下再エネ)による発電を利用した脱炭素社会への移行が進められる事は確かみたいな中で。。

エネルギー自給率は10%以下の天然資源の乏しい日本と言う事で、それ以外でも島国であるためにガスパイプラインや国際送電線などによる他国との強力連携ができず自国で総て解決しなければならない事や、省エネ政策により既存のエネルギー開発からの下げ幅が少ない事などの不利な点も有りますが。。

日本の排出する温室効果ガスの9割以上は二酸化炭素であり、特に排出量の多い石炭はまずいと言った感じで、これはもう最優先で減らし最終的には無くす方向に向かうところでしょうね。。

それで最近では石炭の約半分の排出量である天然ガス(LNG)火力発電が最も多い発電割合となっているみたいですが、天然ガスの場合は強力な温室効果のあるメタンが主成分で、その漏出が懸念されたりともあり、とりあえずこれにしても石油にしても化石燃料はよろしくないと言う事で、いつかはこれも衰退して無くなっていく流れなのかとは想うところでしたね。。

しかし日本はオイルショック以降のサンシャイン計画辺りから再エネにも政策をふり研究開発を行い、93年には住宅用太陽光発電の販売を開始し後の補助金制度も伴い一定数の購入も得られ、2000年過ぎ辺りまでは生産と導入において世界一であり、世界的なシェアも日本が大半だったらしいですがどうも伸び悩み、現在こうした環境対策については遅れてしまっているみたいだと。。

そうしている間に電力自由化構想が1987年に提唱され1996年から2009年の間に欧州委員会から3回のEU電力指令(電力市場統合のための共通ルール)が発令された欧州連合では、1990年のイギリスの国営電力会社の民営化、1991年のドイツにおける再エネの普及政策として、最も一般的な手法となったFIT制度(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス発電などの再生可能エネルギーによって発電された電気を電力会社が国が定める価格で一定期間買い取ることを義務付けた制度)の導入に始まり 電力システムの自由化や発送電分離が行われていき2020年において連合全体の再エネの発電比率が約40%になろうかと言うところで、取り敢えず地球温暖化対策を先導するような立ち位置に行ったみたいだと。。

それで2019年度の世界のCO2排出量は約333億tだと言う話ですが、2006年に米国を抜いて世界第1位となり、その内の約3割弱となる約98億tを排出する中国は、急速な経済成長と共に自国の天然資源である石炭による火力発電がエネルギー源の7割以上を占め、深刻な大気汚染を引き起こしていましたが、2006年の再エネ法の施行などによる政府の急速な推進政策により石炭からVRE(風力と太陽光による可変的再生エネルギー)によるエネルギー転換を進行させ、2013年をピークに石炭火力発電の排出量を減少させ、2019年の全電力発電設備に占める再エネの割合は38%にもなり世界の発電に伴う消費全量の1/4以上を占め、世界をマーケットにした産業として目標にもする再生エネルギー推進国にもなったらしいと。。

同様に石炭火力発電による大気汚染が深刻であり2019年度において約24.8億tとなる世界のCO2排出量の約7.5%を排出している国土/人口における大国のインドも低コストで安定した電力を国民に供給する為のオークション制度等を導入した政策によりやはり電力発電設備の30%以上が再エネが占めるに至り、現在の総発電電力量における再生可能エネルギーの割合は水力含めて20%程度までになると言うような例を見ても。。

近年まで大概において世界の主要国が意欲的な目標を掲げて再エネの導入を推進している中で、技術の進歩や需要拡大などによりコストダウンもなされ、再エネの資源が豊富で経済成長の著しい途上国での建設ラッシュなども起こる中で、2011年度に起こった東日本大震災以前まで水力発電を含めての再エネの比率が国内総発電量の約10%辺りを推移し、その後において比率30.8%となる原子力発電の稼働が厳しくなり化石燃料の比率が90%超にもなってしまった日本は、先進国でありながら大きく遅れてしまったらしいと。。

しかし2009年に太陽光発電の余剰電力買取制度が施行された先の2011年に前述の東日本大震災が起こり、再エネの有効性/必要性が認識される中で、2012年にはついに日本でも他の再エネも含めた固定価格買取制度FIT制度が開始され、更に2016年度には電力の小売全面自由化も施行されと言った事で、震災前には精々2%以下だった太陽光発電の比率が2019年度には約7.4%と今までにない上昇をみせた事により再エネの比率が約18.5%にもなったみたいだと。。

それで日本は世界第3位の地熱資源を保有している国で、それらが眠る国立公園やら近隣の温泉関連やらをだとか、洋上風力発電の主力電源化を目指すだとか、それら含めた様々なエネルギー資源からの水素の社会を創るだとか、これだけ多様化した現代で展望は色々と考えられ、こうした世界的な取り組みと震災を足掛かりに、今までよりは本腰を入れた国のエネルギー転換政策が行われて行くなら遅れているとか言っても、のかとは想いましたね。。

そして石炭、石油、最近ではシェール革命などが起こった資源大国でもあり、日本と同じような再エネ発電比率の低い先進国のアメリカは、自国による生産、雇用を優先に考えるトランプ政権によりパリ協定を離脱を表明しましたが、2019年度のCO2削減量は世界1となる3%の1.4億tであったらしいと。。

この要因は、各州政府によるエネルギー政策、自由経済、過半数の国民はパリ協定を支持、と言ったところかと想いましたが。。

持続可能な開発目標の略称であるSDGs、温室効果ガスの削減目標の企業版となるようなSBT、の指す環境問題への取り組みが重要な判断基準の1つとなるESG投資、温室効果ガスの排出ゼロを目指すグローバル企業が加盟するRE100、主要企業に対して環境戦略や温室効果ガスの排出量の開示を求めるCDPと言った言葉が浮かぶ社会で、会社企業にはイメージ戦略において必須となり、会社企業は再エネ仕様の方面へ向かいますし、現代の主役産業となったIT産業では、その代表となる米国シリコンバレーの4大企業のGAFAを中心に大量の電力を消費するデータセンターの建設ラッシュによる再エネ投資を推進させてと言ったところがこうなっているのかと想いました。。

しかし遅れていると言っても欧州連合のエネルギー転換政策が顕著になってきたのも2000年辺りからであり、日本の遅れは他の主要国に比べて実質的に10年ほどのもので、後手に回った方がコストダウンの上での設備投資やら、Fit制度やら政策面での問題点などを参考にうまく進められそうなものですが、どうもうまく進んでこなかったらしいと。。

パリ協定に基づいて政府が2015年度に国連に提出した温室効果ガス削減目標の約束草案は2013年度比で2030年度までに26%削減、2050年度までに80%の削減と低いもので、その後の2018年度における第5次エネルギー基本計画、5年ごとの再提出義務による2020年度の約束草案においてもその数値は据え置かれと言ったらしく。。

そのエネルギーミックスによる電源構成は、再エネ22~24%、原子力20~22%、天然ガス(LNG)27%、石炭26%が主な構成となっていてと言ったところで、8.8%~9,2%を水力発電が占める再エネの比率は低いもので、政府のやる気は感じられなかったらしいと。。

それで調べますとその原因は、日本発送電を元に戦後の1951年から発電、送電、小売、と言った電力利権の総てを独占する地域独占体制が後の沖縄を含めると10地域に分けられ行われてきた東京電力を柱とした電力会社と、それに癒着したその監督官庁である経済産業省をはじめとする行政を柱に、それに繋がる研究機関、メーカー、メディア、その他様々と言ったものから構成される原発村がその既得権益にしがみついていた結果であったみたいだと。。

1955年度に成立した原子力基本法を始めとした自民党政権下による原子力政策が始まりこうした超巨大利権が造られてきたのかと想いましたが。。

エネルギー基本計画では再エネを主力電源としながら似たような構成比率でミックス化され重要なベースロード電源とするような原発はそう言った事のかと言ったところで、さっさと再エネに舵を振ればとは想いましたが、安倍政権下では原発に固執してきたみたいだと言う事で。。

それで2016年に政府関連が発表した福島第1原子力発電所の事故処理費用が、当初の予想より増えて約22兆円だとか言った話ですが、汚染水処理や除染、核燃料などが溶け落ちた燃料デブリの取り出しなど、その他諸々の事を識者なんかが考えると80兆になるだとかの話しもあり。。

福島第1原発の事故の時点で日本には54基の原発が存在していた感じでしたが、再稼働させるための既存原発の安全対策費やら将来必要となる原子力施設の廃止の費用を考えると兆単位の話が次々に出てきますし、1966年から進められてきた核燃料サイクル計画も12兆円以上を投じて頓挫し、英国などへの原発輸出の話しも建設費高騰で頓挫し、イギリスに21t、フランスに15tと、海外を過半数に原爆の約6000発分となるような約47tのプルトニウムを抱えている状態で、利権に群がる構造が存在していたならば、地球温暖化対策やら自然保護どころではなくと言ったところで。。

何が本当か定かでないですが、元々エネルギー自給率の極端に低い日本は、震災後も化石燃料の輸入額が約25兆円にもなり、それが仇で貿易収支がマイナスにもなるからこそ、原発に執着しないでさっさと技術大国であった日本がいち早く再エネへのエネルギー転換政策に振っていればだとか、そんな金が有れば前述の新都市構想や地方活性化の政策も、災害にあった方達への厚い賠償や支援にも、その他少子化対策やら諸々と言った有意義な事に使えたような気がして愕然とするところではありましたね。。

(そんなんで鈴ヶ滝へ待たしている友人の為に急いで進んでいる僕ですが、そんな話とは裏腹に爽やかな晴天のもと緑が生い茂る林道鈴滝線を楽々にハイペースで進んでいきましたね。。)

しかしそんなんで地球温暖化対策に躍起になってる世界みたいで、さぞかしCO2やらは減ってきているのかと想いきや、けっきょく最近まで増加していて、約330億tとなる2019年度はやっとこ横ばいだとか言ってる状況で、どうなる事かと言った感じはしましたけれどね。。

それで先進国では約4%削減し途上国では約4%増えてと言った話みたいですが、それはCO2排出が実際に起こった国を基準とする生産ベースCO2排出量により測定しているからで、先進国の各企業などがコスト安を求めて物価の安い途上国などに自国で消費する製品やら含めた製造工場なんかを移転させ国際分業などが進んだ近年において、CO2の排出により造られた製品などを使っている国に排出量を負わせる消費ベース排出量で測定すれば先進国の排出量が上がると言う事で。。

現代社会として発展した先進国は産業構造の高度化により3次産業の割合が増すと言う事で、これは前述の国内の都市集中の産業構造に共通するところですが、戦後で見ればアメリカの自由主義政策に基づく規制緩和により自由貿易やら市場主義経済が世界に広がり、世界銀行、IMFなどをはじめとした国際金融機関、力をつけて直接投資も行う多国籍企業による世の支配が近年まで現れていたみたいですが。。

そうした事で、農業などでは品種改良、灌漑開発、農業機械の導入などのなよる緑の革命などでアジアの幾つかの途上国を顕著に効果は有り賛否両論有るみたいですが、問題としては適切な分配をすれば人類の食糧は間に合っていると言われる中で、それを起点に途上国の多くが嗜好品、香辛料、特産品、さらに工業原料用農産物などを作らせられ輸出させられ、主食の穀類は他国の輸入に頼らせる食糧支配が顕在しているらしいと。。

そして開発支援の名のもとによる資源搾取の鉱工業の工場や原料用熱帯性農産物生産、農林一次加工原料製品の工場が造られ、炭素集約産業の工場などが化石燃料をモクモクと排出し、労働集約型産業では過酷な低賃金労働を強いられと言った現状が罷り通って来たとしたら。。

これは最早先進国側の撒いた種であり、やはり途上国の訴えも最もな、現在出来上がった世界共通の問題なのかとも想いましたが。。

消費ベース排出量なんかを計るのは最低5年はかかるほど難しく無理そうだと言った話で、なんだかなと言ったところでしたね。。

そんなんでこれからも東南アジアやアフリカの新興国などを顕著に経済成長やら人口増加で、世界で使われるエネルギーの量は2030年には2000年比で約7割も増え、安く使い易い化石燃料の使用は大幅に増えると言った予測がされたりもしていると言う事で。。

再生エネルギー推進国であるかつての世界の組み立て工場であった中国では大気汚染の対策を施しながらも世界の過半数を占める新設の石炭火力発電所を現在も造り続け、アメリカの近年のCO2の削減の最大の理由は同じ化石燃料でも排出率の低い石炭から天然ガスへのエネルギー資源の転換となったシェール革命が原因でありと、なかなか化石燃料からの急速な脱却は難しいとは想いました。。

しかしそれならば、日本も行い主張してきたコンバインドサイクル発電や石炭ガス化複合発電(IGCC)の普及、更にCO2を回収し地中に貯留するCCS、更にはそれを再利用するCCUS、更にはほぼ100%CO2の排出を無くす技術高性能な火力発電となる超臨界CO2サイクル発電などの開発普及を進めるのも一理あるのかと想いましたが。。

CCSなどに類似するバイオCCS、成層圏エアロゾル注入、海洋肥沃化、海洋上の雲の白色化と言った気候工学による地球温暖化対策はまだよく分かっていない分野らしく、何かあった場合に地球環境に壊滅的な変化を与える危険性も有るとか言った話で肯定も出来そうになく。。

そんなんで何だか地球温暖化の話がもしも本当ならば、それを回避するのはなかなか大変な事だとは想いましたね。。

(鈴ヶ滝への道の方は、順調に進んで行くと林道鈴滝線から林道鈴川線へ右折する地点が観えましたね。。)

そんな中で欧州連合は、石炭火力発電に対する依存度の大きいポーランド、チェコ、ブルガリアなどの中東欧諸国への対応や原発の是非などで揺れながら、2050年にネットゼロを達成すべく2030年の温室効果ガス排出量を1990年比で55%まで引き上げて邁進し世の中の地球温暖化政策をリードする欧州連合みたいですが。。

先ほどの先進国は上がると言うCO2の消費ベース排出量で考えたら、加工貿易で成長してきた日本や自国資源が豊富なアメリカがせいぜい1~2割程度なのに対して製造業などが比較的に盛んなドイツを別に生産工場の海外移転が顕著な欧州連合の先進国はもっと上がるだとか。。

京都議定書の基準年であり欧州連合が基準年として使い続ける1990年は、ヨーロッパでは東西合併が始まり、ドイツでは旧東ドイツの古い工場や発電所を更新したりとか、イギリスでは石炭から天然ガスへの燃料の切り替えが進んだりとかでCO2の削減率において有利だとか言われたりもしているらしいと。。

しかしとりあえず後者に関しては、日本では東日本大震災後に原発がほぼ停止し石炭火力が増設されて近年で最もCO2排出量が多かった2013年を基準年としたり、アメリカはリーマンショックや再エネ普及前となりCO2排出量がピークだった2005年を基準年としたり、中国なんかはあたりCO2排出量を2005年比でGDPあたりの排出量とかにしていたしで、60~65%削減するという目標を設定しているで、どの国も自国に都合の良い基準年やらなんやらでを使ったりしているので、どの国も同じ様なものなのかと想い、前者に関してもその国々の資源や自然環境と言った地政学的な要因の強い致し方ないところかとも想いましたが。。

そんな中で何故に欧州はここまで率先するように地球温暖化対策を進め、この先も邁進しようとするのか考えますと、現在の地球温暖化の原因と言われる産業革命の始まりの地であるからとか、比較的に中緯度の日本と違い、高緯度の欧州は北極の氷が融けると暖流である北大西洋海流の水温低下が極端な寒冷化を招く懸念がとかそう言った事と言うよりか。。

このまま化石燃料をエネルギー源とした世界が続けば、それが足枷となり国際競争において明らかに厳しいのでさっさと変えて逆転させようと言ったのが本意だろうと、やはり想えはしましたね。。

(鈴ヶ滝に関しては、遊歩道の入口まで、この林道鈴川線の起点から3.2kmだと言う事で、ここまで何となく林道歩きの半分近くは歩いたかと言った感じでしたね。11時10分に出発してこの時点で11時40分過ぎでしたから、急いでる割には写真撮ったりもしてたせいか、時間はかかっている感じでしたかね。)

それで欧州連合のエネルギー政策の事を少し考えてみましたが。。

米ソと言った大国が存在する中で、その地域内での紛争が絶えない石炭を主とした資源獲得争いを無くし共生していこうと言った利害調整の考えを基に1951年に6ヵ国で設立された欧州石炭鉄鋼共同体が始まりとされる欧州連合は、金融危機などに直面しながらも2021年において加盟国27ヵ国、人口約4.5億人余の国家連合体となり 、19ヵ国約3.4億人の単一通貨、脱退したイギリスはどうなるかと言ったところですが、欧州経済領域、欧州自由貿易連合で約5億余となるとなる世界最大規模の経済圏を築いているみたいですが。。

基本的にエネルギー政策は国家主権に属する欧州連合には様々なエネルギー構成の国々がいる中で、全体的にみれば化石燃料資源が多くはない欧州地域は、急速な経済成長が進み1960年代において北米に次ぐ温室効果ガス排出量の多い地域で、その後に急速に上がる途上国やらに比べれば増加率は低いですが、2006年をピークに下がったり上がったりで、60年代比べたら現在は倍にもなる電力需要に悩まされてきたみたいだと。。

そして鉱物はじめ原材料にも恵まれず輸入に依存する欧州は、オイルショック以降には最先端でエネルギー転換にも取り組み、エネルギーミックスをはかり、供給源や輸送網の多様化を計り、陸運、海運、送電網、ガスパイプライン網、などの供給網を世界各地に張り巡らしてきたみたいだと。。

こうした状況の中で、早くから環境問題に熱心で温室効果ガスなども抑制し、前述したように日本を逆転して再エネ転換を現実的に計り、CO2排出量も減らしてきているような欧州連合も、そのコスト過による難しさなども有り、2005年辺りまでの再エネの普及は全体需要の6%台でしかなく、その需要量に対するCO2の排出量の低下の要因は、70石炭から天然ガスへのエネルギー資源の転換と原発の導入によるところが大半であったらしいと(北欧の国々など水力、風力に転換を進める国もあったが需要の大半は西欧の主要国)。。

そんな事でしたが、しかしその後の2006年、2009年の2度にわたって顕在化したウクライナとロシアのガス紛争により欧州連合は天然ガス供給の危機に直面し、エネルギー資源の輸入になになほ依存の危うさを目の当たりにし、この期間に現在の急進的なエネルギー転換政策の始まりとなるようなトリプル20(2020年までに90年比で全体において再エネ率20%、GHG排出量削減20%、省エネ20%)などの新エネルギー政策を邁進するようになってきたみたいだと。。

欧州連合は地球温暖化の問題が過熱し始めるまで、1次エネルギー資源として約8割を化石燃料が占める状態でしたが(フランスみたいに原発に振り切らない先進国はどこも類似)、オイルショック辺りを契機に開発が進んだ域内の北海油田の原油・天然ガスもあり90年代辺りまでは、その輸入依存率は5割以下には抑えられていたみたいでしたが。。

しかしその油田が95年をピークに枯渇が著しくなり、これが欧州連合のエネルギー輸入依存率を上げていく最大の要因と言えるところだったのかと想いましたが、他に枠内で豊富だった石炭・褐炭は環境負荷の少ない天然ガス・LPG(液化天然ガス)へとエネルギーシフトに向かう傾向を見せて、枠内の化石燃料資源などは使い物にならない状態に見てとれたと。。

そうした状況の中で、LNG受入基地や地下貯蔵設備の建設も含めエネルギー輸入の分散化を計ってきた欧州連合でしたが。。

更なる巨大化による諸々の優位性を求め、主に旧東欧諸国が加盟国となる欧州連合の第5次拡大が2004年(10ヵ国)、2008年(2ヵ国)に行われ27ヵ国になったところでしたが、それら12ヵ国の大半はロシアからの安価な石油や天然ガスにエネルギー資源を頼り、ガス輸入依存度は平均で85%を超える状況であったと。。

そうした中で旧ソ連構成国であるウクライナとロシアのガス紛争が起こり、ロシア産天然ガス輸入の約80%をウクライナ経由のガスパイプラインに頼る欧州連合は、段階的に供給を止められたガスパイプラインにより、東欧や最大のロシア産天然ガス消費国であるドイツをはじめ厳冬の暖房必須な欧州17ヵ国に被害が及び、ロシアなどの情勢の悪い国などにエネルギー資源を依存するのは危ういと痛感したみたいだと。。

この時期の欧州連合の天然ガス輸入はロシア、ノルウェー、アルジェリアの順で3ヵ国に約80%を頼る状況だったみたいですが、北海油田の採掘権の大半を英国と共に有する安定した輸入先であるノルウェー(欧州枠内の国であるが欧州連合非加盟)も
前述の油田枯渇に危ういと。。

そしてここで欧州連合の2005年辺りのエネルギー資源構成では、石炭14%、石油37%、天然ガス24%、原子力14%、と言ったところで、ならば原発に政策をふっていけばいいのかと言うと。。

旧ソ連型原子炉を抱える国々も存在する新規加盟国により27ヵ国になった欧州連合は、その時点で15ヵ国に146基の原発が存在していたみたいですが、1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故以来、脱原発の動きが強まり新設などはなかなか厳しい状況になっていったと。。

それで全体として原発の新設が停滞していく中で、老朽化の問題やらと共に原子力ルネサンスの話も有りましたが、その後の2011年の福島第1原子力発電所の事故により巨大事故のリスクと核廃棄物の処分問題を残す原発は更に強い世相と共に廃止へ向かって強まり、より厳しさを増す安全基準によるコスト面の上昇も含め、これからまた原発政策に進んで行くのも厳しいと。。

そんな状況の中で、このまま手をこまねいていると2030年辺りにはロシアを筆頭に、その他カスピ海や中東と言った情勢の危うそうな地域の国々への割合を上げてエネルギー資源の輸入依存率は70%
を越すかと言った現実が予測されてしまったと。。

もはや今の時代に電気がなければ何にも出来ない。。

このままでいたら欧州連合をいくら発展させても、化石燃料をエネルギー資源にしていては、欧州連合に未来は無い。。

それで2010年前辺りまでの最世界の化石燃料資源の情勢を見てみましたら、石油なんかの埋蔵量は上から順にサウジアラビア、ベネズエラ、イラン、イラクと南米のベネズエラ以外は中東諸国が占めるように中東地域だけで世界の5割近く、OPEC加盟国だけで7割強を占め、産出量ではサウジアラビア、中東地域に次いで埋蔵量の多い欧州においてその大半を占めるロシアと言ったところで、天然ガスに関してはやはり4割強を占める中東地域に対しトップは世界の埋蔵量の約24%を占めるロシアとなっていたみたいだと。。

そして先進諸国やアジアを中心に広く埋蔵される石炭は米国、ロシア、中国の順となっていたみたいですが。。

想い返してみれば、石油なんかは遥か昔の自分が小学生だった時に授業とかで後30年だとか40年だとかで枯渇すると言った話だったのだが、それだけの時が経った現在は枯渇どころ増えていて、後50年は大丈夫みたいで何だかなとは想いましたが、これはその時点での技術で経済的に採掘できる量により表されるものであり、技術の発展やら新たな油田の発見やら色々で、後は各国の誇張や隠蔽が有るのか分かりませんが、過去を上回る残り資源となる埋蔵量などが有るみたいだと言う事で。

近年では今までの技術とかで採算のとれた在来型化石燃料に対し、原油価格高騰や何より新技術の開発により、とかで水圧破砕法などの新技術で価格差が縮まった非在来型化石燃料となるシェールオイル・ガス(水圧破砕法)やオイルサンド(SAGD法)が市場に台頭し、原油埋蔵量の多さはベネズエラと言う話も有る中で、中国とアメリカは非在来型を含めて資源豊生産量共にアメリカ、ロシア、サウジアラビアの順となり、アメリカが最大の原油国となると言う話も出てくるに至り。。

その他のシェールオイル資源保有国として、カナダ、中国、アルゼンチン、リビア等々、幾多の国々が資源を保有し、シェールガスにより中央アジのトルクメニスタンが資源大国として台頭するなど、2000年以降の大まかな原油生産量を見てもアジア大洋州、アフリカ、中南米は変わらず、ロシア、中東、北米の生産量は増加傾向と言った中で、欧州では減産となる厳しい状況であったみたいだと。。

そうした事で、現在では世界の覇権を争うように言われる中国とアメリカは非在来型化石燃料を含めて資源豊富、 2000年に発足したプーチン政権にガスプロムなど石油・天然ガス産業の再国有化を行い、それを国益に復権を目指すロシア、その他にも化石燃料資源が豊富な国々がいる中で使用する化石燃料の約5割の輸入で毎年約4000億ユーロを支払ってきた欧州連合は、その比率が増す事で、更なる価格変動や情勢による安全保障に悩まされ、政治や外交においても不利になるであろう状況に追い込まれるのは厳しすぎる欧州連合は。。

環境に悪い事は確かであり、近い将来に地球温暖化による多大な環境変化を巻き起こし、これからの人類が生きていく環境に壊滅的なダメージを与える可能性の高いCO2を主とした温室効果ガスを排出する化石燃料をエネルギー源として成り立つ現在の世の中を、人類の為に今すぐにでも撤廃して環境に害の無い再エネに世界でエネルギー転換を計らなければならないと言う大義名分を盾に。。

本音で言えば、領域拡大、経済、通貨の統合、自由貿易、そして政治統合により小国同士の集まりである欧州を1つにまとめて人口や面積と言った根本的な事を含めて他の大国に負けない巨大国家体制を形成し、世界のイニシアティブを握ろうと言う欧州連合にとってアキレス腱となる輸入に頼らざるを得ず更にこれから増すエネルギー資源であり、そうした他の大国やら国々に溢れる化石燃料にさっさとブレーキをかけてエネルギー政策の悩みを解消しようと言った構図が成り立ち、環境規制の緩い国からの輸入品に関税を課す国境炭素税などの導入にも向かうのを見ると、なんだかなあと想うところでした。。

しかし世の中って常に本気と建前を共にして動いていてそんなものかとも想えるし、それを言ったら日本なんて約9割のエネルギー資源を輸入に頼って来てた状況だったんだから、省エネも良いけどさっさと再エネ転換にでも本気で取り組んでエネルギー資源不足の解消に向かってたら良かったんじゃないかと憤る気持ちにもなりましたかね。。

(鈴ヶ滝への道程は、林道鈴川線に変わり少しばかり道幅が狭くなり、 路面に落葉や小石も増えた感じでしたが、酷道と呼ばれる数々の道を通って来た身としては、車でも十分に問題なく通れる道には見えましたね。)

しかしこの地球温暖化の問題はその真偽も含めて僕にはどうも分からないところでしたね。。

今のところipccは第5次評価報告書において人間活動が20世紀半ば以降に観測された地球温暖化の支配的な要因であった可能性が極めて高く(可能性95%以上)、大気中の二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素は、過去80万年間で前例のない水準まで増加しており、CO2の総累積排出量と世界平均気温を高い確率(66%以上の確率)で2℃以内に抑えるためには、790GtCの累積排出量が上限になると記述され、これが現在の世界の地球温暖化対策の指標になっているみたいですが。。

確かに化石燃料は環境に悪く、地球に何らかの温暖化現象などが有るのかも知れないが、そのような単純な問題ではないと。。

どうも一般の人に地球温暖化という言葉が聞かれ初めたのは1988年のアメリカ議会で地球温暖化問題の父と呼ばれるNASAの科学者であるジェームズ・ハンセンが地球は確実に温暖化していると発表し、同年に世界気候機構と国連環境計画がipccを設立し、それらをマスコミが大々的に報道した事かららしく、その後の1992年の地球サミットに始まり1995年から毎年開催されるCOPとにおいて加盟国を増やしていき、2006年にはCO2による地球温暖化の問題を訴えるドキュメンタリー映画や書籍となる(不都合な真実)がアメリカで公開され、翌2007年にはその主役となる元アメリカ副大統領アル・ゴア氏とipccが人為的に起こる地球温暖化の認知を高めた事を理由にノーベル平和賞を受賞したと言ったところで世の人々への関心は十分になったのかと言った感じがしましたが。。

振り返ればここまで地球温暖化の問題に対して余り関心を持っていなかった僕が、其れなりに時が経過し2020年代になった現在において調べてみた結果、以前から何となく目にしていた地球温暖化によって溶ける南極の氷は以前からの自然現象であり、2910年代になって逆に増えているだとか、それによって絶滅する白熊も増えているだとか、海面上昇によって海に沈むはずのツバル等のミクロネシアやモルディブ諸島はサンゴ堆積や干拓などで面積を広げていたりもすると言った話をはじめとした懐疑派の話に耳を傾けざるを得なかったからだと。。

それで記憶を追い僕が地球温暖化の問題で明確に覚えているのは、2009年にテレビ朝日で放送されていた朝まで生テレビにおいて肯定派の国立環境研究所の温暖化リスク評価研究室長である江守正多と懐疑派の中部大学の武田邦彦教授が論争していたのを夜中にずっと見ていたのは覚えているので、少なくともその頃にはこの問題を認識していたのは確かだし、世界規模の環境問題の規制としては冷蔵庫、エアコン、ヘアースプレーなどのスプレー缶などに使用されていたフロンガスが、太陽光に含まれる有害な紫外線の大部分を吸収し、われわれ生物を守っているオゾン層を破壊して人類にとっても悪影響がと言う事で、国際環境条約として1989年にモントリオール議定書が発行され世界規模で迅速に使用されなくなった事は印象に残っていて、その後の地球温暖化の問題も報道される分には知ってはいたと想いますがね。。

しかしド素人な僕は使用されなくなったと想っていたフロンガスも、調べるとフロンには種類が多く、オゾン層を破壊する特定のフロンであるCFCは先進国では1995年に生産輸入が廃止され2009には世界で廃止、後にオゾン層破壊が少ない代替フロンとして使用されたHCFCも先進国では2019年で生産輸入が廃止され現在はオゾン層を破壊しないHFCが使われてたみたいですが、CFCを含む総てのフロンは生産輸入は廃止されても使用は使用は禁止されておらず、途上国のHCFCの生産輸入の廃止期限は2030年となり、まだフロンガスの排出は現在も行われていたと。。

そして現在はHFCを含めたじめたフロンが強力な温室効果ガスの1つとして京都議定書で対象温室効果ガスに含まれて排出規制されノンフロンへの移行が模索されている状況であると言った現状を知り、世界でもっとも成功している環境条約と言われ迅速に世界から無くなった印象のフロンガスだけでも、条約の発行から30年以上の時が経っても複雑な世界の中ではすっきりと無くならず、新たな問題にも直面するのだから、地球温暖化対策はとんでもなく難儀な問題だと想うところでした。。

そうした事で、今のところ条約で定められている地球温暖化の原因となる温室効果ガスは7種類であり、その内の76%を占める二酸化炭素(CO2)を1としたその同質量おいて吸収される熱の倍数となる地球温暖化係数(G)を用いて表した他の温室効果ガスは約25倍となり約16%のメタン(CH4)、約298となり約6%となる一酸化二窒素(N2O)、そして残りが数百~数万となり約2%のフロン類であるハイドロフルオロカーボン類(HFCs)、パーフルオロカーボン類(PFCs)、六フッ化硫黄(SF6)、三フッ化窒素(NF3)になっているところで、この排出量を減らすと言う事が国連が行う現在の地球温暖化の問題の解決策の総てだと言う事ですが、そんな単純な問題とも想えないと。。

それでどうも調べると、IPCCがCO2による温暖化を強調するために2001年の第3次評価報告書に明示した、地球の北半球の平均気温は過去1000年間緩やかに下がり続け、近年になって突然上昇したように見えるホッケースティックのグラフは実際にあった中世の温暖期やその後の小氷期も抜けた誤ったデータとして2007年の第4次評価報告書から削除されたとかで、論文、データ、シミュレーションなんかは対象や期間でいくらでも違いが有るみたいだし、改竄とかも横行していそうだとか想うところだと。。

そしてIPCC第5次評価報告書は、800名以上の専門家が30,000点を超える科学的文献をレビューして執筆され、最新の科学的知見を集めた報告書であり、日本政府も含めIPCCに参加している世界195ヵ国が承認していると言う事ですが。。

結果的に自分なりに色々と調べると、僕としては誕生してから約46億年の地球においての気候メカニズムは古気候学などを顕著に分からない事が多く、コンピュータなどで2100年やらの気温を予測できる段階ではないと言った懐疑派の話に考えが傾くところでした。。

IPCCを中心とした主に人間活動の影響で地球温暖化が起きているとするCO2温暖化説肯定派の方々は、科学的、技術的、社会経済学的な見地から包括的な評価を行い、CO2温暖化論は大部分の科学や殆ど総ての気候科学者の間で合意され、気候科学者以外でも世界の様々な科学アカデミーの声明などでもそれが支持されていると唱えていますが。。

懐疑派を中心とした話しでは温暖化の原因となっているのは化石燃料を燃やすことで発生するCO2であると言う話が出来上がり、IPCCは科学的ではなく政治的な利権団体となっていて、それに沿った政府と研究者の利権構造による予測は科学的な根拠に乏しく信用出来ないと言った話しみたいだと。。

しかし肯定派からすると逆に懐疑派の人々こそ科学的な根拠に乏しく、利権やら妄想にかられている言ったところで、堂々と地球温暖化対策を邁進し続けていると言ったところで何だかよく分からなくも成りましたが。。

やはり僕としては、地球の気温を含めた気象観測などはまだまだ人間には解明できるものではないのは確かと想える中で、1990年に第1次報告書を完成させてから30年以上が経った現在において当初の予測との違いや科学的知見が上がり新たな解明も有る中で、一貫して地球温暖化説を強調して訴え続けるIPCCは怪しいと想える考えが上回りましたね。。

(鈴ヶ滝への道程の方は、林道鈴川線を足早に歩いて行くと、蜂の巣箱みたいな物が並べられた光景を観ましたが、何だか分からないまま進んで行きましたね。。)

そんな事で、それらの話しで目に付いたものを羅列すると。。

地球が誕生してから約46億年のの中で、地球は約歴史10万年ごとに暖かくなる間氷期と寒くなる氷期を繰り返してきたことが分かっていて、その度に海面の高さは100m以上も変動してきた。。

その間氷期のピークとなる約32万年前、24万年前、13万年前はCO2濃度が現在よりだいぶ低かったにも関わらず気温は現在より1~2℃くらい高かった。。

地球の気候は氷河時代と北極や南極を含めて地球上に氷床が存在しない温室時代を繰り返しており、氷河時代はさらに寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が繰り返され、私たちは約4900万年前に始まった新生代氷河時代の中で1万1600年前に始まった間氷期の下で生活している。。

そうした間氷期の中でも様々な準周期的変動があり、米国ではコロラドまで氷が押し寄せた自然変動の大氷期の直後である約1万年前には数千年間今より暖かく、1000年頃の温暖期も現在と同程度に暖かく、その後の1200年頃から1850年までは小氷期であり、それが終わった1850年からの直線的な温度上昇の上に、更に1975年から2000年までの準周期的変動としての自然変動が乗り少なくとも0.4℃気温が上昇したもので、気温が下がった事はわすれられている。。

1996年から最近まで、大きなCO2排出量の増加にもかかわらず、温度はまったく上昇していない。。

更に永いスパンで考えるとCO2が現在の何倍も濃かった約4億年以上前にも気温が急降下して氷河期になった。。

7000年前の縄文時代は今よりも2?3℃気温が高く、海の高さは今よ やりも3m以上高かった。。

CO2濃度変化は気温変化よりも200年~800年遅
れて起こるものであり、CO2が気温を変えるのではなく気温がCO2濃度を変えている。。

地球の自転軸は公転軸より約23.4度傾いていて周期約2万5800年でコマのように回転する歳差運動をおこしていて太陽光が当たる角度の変化があり、これが地球環境に影響を与えている可能性が有る。。

地球温暖化は、基本的に太陽の黒点の増減などによる活動活発化や現在の地球磁場による宇宙線放射量の低減傾向などに起因する雲量などの変化によるものであり、地球大気の0.04%の割合に過ぎない二酸化炭素の増加は極めて影響軽微である。。

水の惑星と言われる地球は、表面の約70%以上を海洋で覆われ、熱容量が大気に比べて約1000倍以上であることから、熱や水蒸気の供給源と や大西洋南北熱塩循環、太平洋域で海水温や気圧の平均値が10年を単位とした2単位周期で変動する太平洋10年規模振動やその他様々な時間スケールの現象が有るが、こうした海洋のメカニズムは殆ど解明されていない。。

森林はco2の吸収源として期待されているが、1万年前には世界で約62億haあった森林面積が、現在では約40haまで減少しているという推算であり、同様に近い面積で土壌炭素の割合が高い草原や湿原などがあるが、そうした植物生育面積の減少による気候の変化を含め現在観測されているCO2濃度にこれらがどう影響しているのかも未解明で余り把握されていない。。

他にも火山噴火、気候久凍土の融解、森林火災、生態系の変化なども温暖化に対するモデルにまだ十分に盛り込まれておらず、これらはGHGの大気中濃度をさらに増加させるだろう。。

IPCCなどが使用しているデータセットには百葉箱や通風筒などを用いた観測方法からの時代による変更、都市化、観測所の風通し悪化による日だまり効果などの影響が補正しきれていない。。

IPCCが報告書で地球温暖化防止の基準として唱える産業革命前(重工業化の第2次産業革命)の気温に近いと考えられる1850年~1900年は、欧米列強の世界戦略によるデータ収集の一環として世界各地で気温を測りだしたのがその頃だったからであり、かなりの偏りや誤差が有るのは当然で信用できない。。

日本でも明治になり西欧の機材の輸入や指南により気象観測が始まり1883年から天気図が毎日発行されるようになり、戦中には気象は大事な戦略の鍵でもあり発展し、戦後の1959年にコンピュータ導入、1977年に気象衛星ひまわり打ち上げ、1988年にスーパーコンピューター導入と発展してきたが、まだまだコンピュータによる将来の気温上昇などは十分に信頼できる段階に達していない。。

大気中のリモートセンシングによる地球全体の気温上昇の観測値は1979年の観測開始以来あまり上昇していないのに対して、世界各地で長く計測してきた杜撰な地上の観測所での観測による地球全体の気温は大きく上昇しており、この差はIPCCがこの間にあったとする地球温暖化の幅に匹敵する。。

現在の世界の平均気温が約14度に保たれているのはCO2が存在する側面もあり、なければ-19度の極寒の世界となってしまう必要なものであり、緑も豊かにし、実際に農耕技術などの進歩があるとは言え農作物の収量は全世界で増え続けている。。

豪雨は観測データでは殆ど増えていないし、台風の発生数は年間25個程度で一定し、増えても強くもなってもなく、人が射殺せず保護するようになった白熊は個体数を増やし海面が上昇しても追随する生き物のサンゴ礁の島々は沈むどころか拡大している。。

IPCC報告を見ると1850年より前は、過去2000年ほどにわたり大気中のCO2濃度は280ppm程度でほぼ安定していて変動幅はせいぜい数ppmであったのに、その後の人為的なCO2排出により約1.5倍の400ppmCO2以上になり気温は0,8度上昇したと言うが、陸地と海洋だけでも毎年約800GtものCO2(CO2濃度約100ppm相当)をやりとりして様々な時間スケールの変動が有るのに、こんなにぴったりバランスが取れていたと言うのはおかしな話である。。

1988年設立のIPCCは、1990年の第1次評価報告書で、今後も温室効果ガスの規制がなされなければ地球の平均気温は10年間あたり0.2~0.5度上昇し、2025年までに約1度、21世紀末までに3度の上昇が予測されると記していたが、その後約30年以上を経た現在において、CO2削減対策が機能していないにもかかわらず気温上昇は横ばいで、逆に寒冷化に向かっているという学説が科学者の間で勢いを増している状況でもある。。

そんな事で、この他にも真偽のほどは計りかねるのは勿論ですが、上げれば切りがないくらい色々な説が交錯し、何が何だか分からず温暖化してるのかさえ分からなくなる中で。。

懐疑論が正しいと言うより、複雑で壮大な地球の自然環境を把握しきれる訳がないとの結論に至り、とりあえずIPCCを中心としたCO2温暖化説肯定派の説通りのCO2削減に邁進しようとする環境政策が正しいとは想えないところでした。

しかしIPCCは地球の気温の変化は2万1000万年前から1万年かけて4~7℃上がっていたのが、20世紀後半からの気温はその10倍ものスピードで上がっていることが分かり、地球がかつて経験したこともないような急激な温暖化の時代を生きていて危険であり、それは産業革命以降の人間社会が排出してきたCO2を主としたGHG が原因だから、それを直ぐにでも無くして行くのだと言った主張を報告書を発表する度に強固にして世界各国に削減を促そうとしている現状で。。

こちら肯定派側からしたら、懐疑派の主張こそ間違いだと言った訳で、本当に何が何やらと困惑するのですが、とりあえず素人の僕の現段階での判断としては。。

肯定派の主張も懐疑派の主張も総てがまだ今のところ分かり得た自然界における数ある温度変化の要因の中でだけの説であり、他にもまだ未知の分かり得ていない地球の気温を司る要因が多数あるような気がするし、分かり得た要因と言っても100%把握されているような要因は1つも無く、大概の要因が殆ど分かっていないような感じにさえ想えるところでした。。

考えれば広い宇宙の中で生命が生まれた奇跡の星と呼ばれる地球の自然環境を解明しい得る事はまだ不可能と言える段階で、IPCCの環境対策が正確だとは到底想えなかったので。。

現時点での僕自身の考えは、大別するとCO2温暖化説懐疑派なんだと気付くに至りましたね。。

(鈴ヶ滝への道程の方は、林道鈴川線を足早に進んできて滝まで後2kmの看板を見付けましたね。。この時に時刻は丁度12:00でした。。歩き始めたのは11:10分でしたから、写真など撮ったりしていたせいか、急いでる割に時間がかかってましたね。。)

それで最後にこのCO2地球温暖化説に対して自分が懐疑派の方向に傾いた事に少なからず影響を与えたかも知れない重要な要因を上げれば。。

例えIPCCの唱えるCO2地球温暖化説とその環境 対策の方向性が正しかったとしても、とても達成できる見込みはないと想えた事が有ったかとも想えました。。

排出量の算定方法に関してはIPCCが、排出係数の標準的な値を示したガイドラインなどが有りますが、基準年の他に算出方法なんかも各国まちまちのような感じですし、どこまで正確なのか分かったもんじゃない感じがしましたし。。

だいたい今のところ日本を含めた先進国(附属書1国)は国連気候変動枠組条約事務局に自国が1年間に排出/吸収した温室効果ガスの統計となるイベントリを毎年提出しているみたいですが、排出大国となる中国やインドを含めた途上国(気候変動枠組条約の非附属書I国)扱いの150強の国々は正確な報告の義務をおっておらず、そうした国々の中にはデータに必要なシステムが整備されていないような国も多い中と言う事だと。。

それでパリ協定のもとに2024年以降に世界共通の基準による隔年での報告義務が途上国にも隔年での報決まっているみたいですが、それなら今までのデータに正確性なんて求められないし。。

何処の国々も自国の繁栄の為の経済成長を重視し、温室効果ガス(GHG)の減少とのデカップリングを求める中で、目標の数値は高々と掲げられても自国に都合の良い設定での発表/報告で事を進めようとする各国を見ても、この先も先進国含めて統計データの曖昧さや意図的な過小報告、隠蔽 も有り得る事で、その正確性など分かったものではないと。。

更に2015年に発覚したフォルクスワーゲンの排ガス不正操作問題を初めとした世界各国の自動車メーカーの排気ガスや燃費の改竄などからも明らかなように、各国の様々な会社企業が国に申請するCO2を初めとした燃料の排出量などは何処まで正確か分かったものじゃないと想えたものでした。。

そんな中でIPCCは5~7年の間に世界の科学者が発表する論文や観測、予測データから各国政府の推薦などで選ばれた専門家がまとめた報告書を公表し、これが一連の国連気候変動枠組条約(UNFCCC)を伴う地球温暖化対策の指針となり、2021年となる現在はこれから第6次評価報告書が各部門に分かれて公表されていくみたいで。。

今のところ条約で定められている地球温暖化の原因となる温室効果ガスは7種類であり、その内の76%を占める二酸化炭素(CO2)を1としたその同質量おいて吸収される熱の倍数となる地球温暖化係数(G)を用いて表した他の温室効果ガスは×25倍で約16%のメタン(CH4)、×298倍で約6%となる一酸化二窒素(N2O)、そして残りの約2%がフロン類となるハイドロフルオロカーボン類(HFCs)
パーフルオロカーボン類(PFCs)、六フッ化硫黄(SF6)、三フッ化窒素(NF3)になっているところですが。。

単位質量あたりで比べると温室効果ガスとしてCO2よりもはるかに強力なこれらのGHGは、対流圏や成層圏の大気化学反応に関与し、大気中濃度変動には、地表の発生源と吸収源のバランス以外に、大気中の光化学反応などの化学的な生成や消失プロセスも影響するようになり、地表の発生源と吸収源のバランス以外に、大気中の光化学反応などの化学的な生成や消失プロセスも影響するようになり、それらを総合した正味のバランスが重要になるみたいで、その排出量などの計算はまるで出来ていないように感じると。。

それで近年において急激な濃度の増加が危ぶまれるCH4は二酸化炭素に次いで地球温暖化に及ぼす影響が大きなGHGで、湿地や池や水田での枯れた植物などによる分解、家畜のげっぷ、石炭、石油、天然ガスの採掘などにより発生するみたいですが。。

その急激な増加は、前述の緑の革命による作物生産の増加と工業化の急速な進展に伴い、反芻動物、稲作、埋立地、石油・ガス産業、石炭採掘からのメタン排出量が急激に増加したためと考えられているみたいだと。。

N2Oに関しても農耕牧畜を主に海洋や土壌、工業活動に伴って放出され、大気中寿命はCO2は可変的で何だかまちまちでよく分からず、CH4は約9.1年、N2Oは120年だとか何だとか言った中で。。

前述の湿地帯やら草原、永久凍土の融解、森林火災などの炭素フラックスの測定は加味されていないと言った話だと。。

そして近年ではそうした中の火山噴火や化石燃料資源による工場やディーゼル車の排気ガスに煤を伴い排出され、酸性雨や健康被害をもたらしながらGHGと同様に増加されてきた硫酸エアロゾルは、太陽光を遮断し大気を冷却する効果がある事などが解ったらしいですが、短寿命気候汚染物質であるエアロゾルは数日から精々10年程で、これらの増減による大気温度の変化はどうなのかだとか、人為起源以外のエアロゾルも含めて、その実態の解明が急ピッチで進んでいると言われていますが。。

この様に新たな研究により解明して行く気温に影響する要素の発見などもこれからも有るかと想われる中で、そうした様々な情報の収支を考えると現在のIPCCの地球温暖化係数などは過少した見積もりもいいところだと想えて成りませんでした。。

そうした中で、近年でもブラジル領では大規模な森林破壊やら火災が発生し、オーストラリアでも大規模な森林火災が発生。。

中国は2060年までのカーボンニュートラルを宣言し石炭からクリーンエネルギーへの移行を進めているような話をしつつ、100基に迫る新設の石炭火力発電所の建設や渤海や東シナ海を初めとした油田開発に勤しみ。。

ロシアなどは水素エネルギー発展構想やら森林によるCO2を吸収するプロジェクトなどを謳いつつ
シェールガスの生産なども拡大する化石燃料の資源大国であるが故に、欧州以外にも市場拡大をし重要増加が著しい日本や中国などを含めたアジアへの進出にも邁進し。。

地球温暖化対策のリーダーである筈の欧州連合は、国際社会に波紋を広げながらバルト海底を経由してロシアとドイツ間を繋ぐ天然ガスのパイプラインであるノルドストリームを完成させ、その依存度は増すばかりの様相を見せたりもしていると。。

そしてシェール革命による天然ガスへの資源転換によりGHG排出量が著しく見えるアメリカは、コンデンセート油なども併産させ、世界最速のペースで原油生産の拡大を進める生産国となり、価格を睨みながら不要になる石炭も含め化石燃料の純輸入国から純輸出国へ変貌に向かい、欧州や日本を含めたアジア諸国などにLPGの売り込みを仕掛けて行くと。。

それで結局は、パリ協定までのCO2排出を減らす事を厳命された先進国は、欧州連合の先進国と米国、日本、カナダ、オーストラリア、ノルウェー、スイスに限られていた中で。。

これらの国々がよく解っていないCO2の森林吸収などによる削減、 炭素税などを市場に導入したりなどのカーボンプライシングによる市場メカニズムの排出抑制を行いながらの途上国への技術や資金提供などにより得られる2国間クレジット制度による削減、結局は1番CO2の排出割合の少ない天然ガスへの移行や原発への依存回帰、更には前述の熱効率の高い高性能な火力発電やら危うい気候工学を含めたCCS、CCUSやら水素、アンモニアなどをエネルギーにした新技術やら他色々と、あの手この手で数値的には大幅に減らした事になって時は進んで行くと。。

そうして2020年度では世界のCO2排出量の14.5%アメリカ、3.4%の日本、その他はそれ以下の先進諸国が発展した情報産業の中で数字合わせ的にやたらとCO2の排出が減ってる事を実際にどれだけ減ってるんだか分からない中で掲げる中で。。

1970年代から比べて優に2倍以上となるペースで上昇し、2018年には過去最高の約331億tを排出した世界のCO2排出量は、これから途上国を主とした人口増加、経済成長、国際社会の発展などにより、2040年辺りには現在の約1.3倍のエネルギー消費量なるとの予測などを目にすると、とても2050年とか迄にネットゼロなどが達成出来るとは想えなかったですね。。

(鈴ヶ滝への道程は、相変わらず順調に進んで行きましたが、何だか林道を横切る枝沢を幾つか目にするように成りましたね。。)

そしてCO2排出量を大雑把な部門別で主要部門を見ますと、直接の原因が最も分かり易い発電に伴う排出量をエネルギー転換部門からの排出として分類した直接排出量で、日本はエネルギー転換部門で約40%、産業部門で約25%、運輸部門で約18%民生業務部門で約6%弱、民生家庭部門で約5%弱となり、エネルギー転換部門の排出量を最終需要部門に配分した割合ですと、エネルギー転換部門で約8%弱、産業部門で約35%弱、運輸部門約19%弱、民生家庭部門で約15%弱、民生業務部門で約18%となるみたいで。。

先進国では車社会の傾向が強い欧州やアメリカなどは運輸部門の比率は上がるし、更には寒い欧州では暖房などで民生部門の比率は上がるし、日本は福島第1原子力発電所事故以来に火力発電所の稼働率が上がりエネルギー転換部門の比率は上がるなど国々によって違いは有りますが、ある程度類似する傾向も有るので、分かりやすい自分が住んでいる日本で考えますと。。

身近で分かりやすい部門で2割近いCO2の排出原因となる運輸部門において約86%を占める自動車において、2020年度辺りの電気自動車(EV車)の普及率は乗用車の登録総数の内の0.6%であり、プラグインハイブリッド(PHV車)や燃料電池自動車(FCV車)を合わせても約1.5%となり、ガソリンエンジンを伴うハイブリッド(HV車)を含めれば15.2%と成るところ、イギリスを含めた欧州連合のEV車普及率木材そは約5.6%、中国約4.4%、アメリカ約1.8%と日本は遅れをとる中で。。

欧州連合では2035年にはHV車を含めた総てのガソリン車をはじめとする内燃機関車の新車販売を禁止する政策を打ち出し、日本もHV車やFCV車を含めてだが新車販売の総てを電気自動車にし、他国も類似する政策を発表している感じですが。。

自分自身が日本に暮らしていて想えるのは、かなり以前からEV車やHV車の話は聞くようになり、90年代の運輸部門のCO2排出割合の約22%~23%に比べたら減ってるのかも知れませんが、EV車の充電スタンドなんて極僅かだし、これからの10何年でそこまで変える事が出来るのか疑問には想う感覚ですね。。

政府は2050年を目標としたグリーン成長戦略で2030年迄に急速充電器を全国に3万基設置するような話ですが、もし運輸部門において内燃機関車を無くすのなら、もっと大胆なガソリンスタンド含めた業界への補助金などを伴う大々的なインフラ整備が必要かと想いましたが、どうなのかと言ったところでした。。

そしてグリーン成長戦略では、エネルギー関連産業、半導体、情報通信産業、家庭、オフィス関連産業など重要な14産業の環境改善による経済成長を目指しているみたいですが。。

それでも1970年代の石油危機以降において、日本のGDPは2.5倍に増加してきた中で、産業部門はエネルギー消費量が約2割減少し、運輸部門でも近年は少しは減り、民生業務部門、民生家庭部門も直近では減少しているようでも、70年代から見れば民生業務部門では約3倍、民生家庭部門では約2倍と増加してきたエネルギー消費量に改善の傾向は希薄だと。。

そうした状況で日本はクリーンエネルギーを利用した水素社会なども目標にしていて、そうなると自家用車を含めた蓄電、充電の国をあげての整備が必要となるかと想いました。。

しかし近年においての充電設備の設置は、新築の戸建でも経済産業省が取りまとめた資料によると、充電設備設置は新築戸建ての約40%、新築マンションでは約1%と言った状況で、政府はこれから2030年を目処に外皮の断熱性能等の大幅な向上や太陽光発電等で創るエネルギーによる断熱、省エネ、創エネをZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)などを軸に新築戸建住宅の約6割に太陽光発電を導入することを検討しているみたいですが。。

家なんて一生に一度の買い物だと言える人が大半だろうし、あくまで新築と言うだけで、フロンガスで見ても今だに無くなってない状況から言って、福島第1原発事故以降の2013年の14.1億tをピークに毎年減っているようですが90年代から比べるとそこまで減ってないような温室効果ガスの排出量が、そんなに迅速に減って行くとは想えませんでしたね。。

そして最後の最後にこの部門別の排出量の観点からの話しをすれば、直接の原因が最も分かり易い直接排出量に対して、日本は福島第1原発事故により増えた石炭火力発電から目を背けさせる為に間接排出量を使いたがると言われたりもする間接排出量ですが、ただこれに関しましては国民に対する省エネなどの意識付けをするなどの面に関しては良いところも有る部門分けとも想えました。。

しかし2012年より始まった国民の電気料金に上乗せする再エネ賦課金などを主に2030年までに総額100兆円も使う予定で、ここまででも何10兆円も使われてきたらしい温暖化対策費は、実生活を送る自分の目には、そんなに実を結んでいるようには見えないみたいですね。。

日本は近年も化石燃料資源の輸入の為に毎年約20兆円を海外に支払い、年間1兆円以上の公的資金を化石燃料事業に注ぎ込んでいるから必要だと言っても。。

そんな事分かりきってるんだから、だったら福島第1原発事故が起こる遥か前の90年代の住宅用太陽光発電の販売辺りを足掛かりにさっさと脱化石燃料資源の政策を進めれば良かったのにとか、どうもちぐはぐな感じやら胡散臭さが頭を霞め、そんな事を考えると、これから綺麗さっぱり地球温暖化対策が進むとは想えませんでしたね。。

そうした間に現在では3000兆円にも及ぶ程に企業へのESG投資は膨れ上がり、その企業をスポンサーとしたメディアなどはそれら企業のエコ商品などを大々的に宣伝し、学校教育の教科書でも京都議定書を称えて教育を促し、とにかくCO2を減らすのは環境に良い事だと言った事になっているみたいですが。。

僕が見ている限り一般の日本国民はどれだけCO2の削減を意識しているかと言うと、僕が普段の社会生活の中で見ている限りでは、殆どの人々が漠然とその意識が有るのか無いのかと言ったくらいで、そこまで真剣に地球の環境を意識して行動して生きている人って殆どいないような感じに見えますけれどね。。

想えば分別やらリサイクルやらクールビズなども現在の人々の環境意識を促す一環だったのかと想いつつ、CO2削減の問題が上がれば、人々はエコカーだとHV車を買ったりエコポイントだとかで対象商品を買ったりして、CO2を減らしている意識が少しは有るのかも知れないですが、僕にはそうしたものに対する人々の意識はそれよりも減税やら燃費やら商品交換やらサービスと言った金勘定の方が上回っているように見えましたからね。。

そう言えば直近の環境問題に関連する政策では、海洋プラスチックの問題を主にCO2排出量削減にもなるレジ袋有料化も有りましたが、これなんて全く効果が無さそうにも感じたりもしましたしね。。

そんな事言ってる自分は普通に今もガソリン車を乗ってエコポイントなんて付けた事も無いしで、今のところ地球温暖化対策には全く寄与していないような人間で、この対策が確かに正しいなら全く寄与していない人間なんで、そのせいでこの様に想ってしまうのかも知れませんがね。。

それで、この時も新潟県を訪れて日本海を車で走ると、風力発電の為の風車などが沢山見られて再エネ政策も確かに進んでいるのかとも想ったところでしたが。。

話を進めると、前述の直接排出量や間接排出量と言った部門別よりも、原料調達、製造、物流、販売、廃棄のサプライチェーンで見た全体の流れでみたCO2排出量の削減、即ち物が生まれてから廃棄されるまで一連の流れのなかで排出されるCO2をすべて含めて考えるライフサイクルCO2排出量と言う指標も有り、他にも類似するところで建築、建設産業において主に使われ各部門でも推計されている、総ての製品において、直接・間接的なエネルギー消費および CO2排出の総称と言う内包CO2(エンボディド・カーボン)なる指標もあり、社会全体の問題として考えたなら、これらが何よりも大切な排出量の捉え方だとも想ったところでした。。

しかしこれによると複雑化したサプライチェーンなどによる製造過程においては、報告書などに計上されない様々なエネルギー消費およびCO2排出があり、実際のCO2排出量は、公表されてきた報告書を遥かに上回るみたいな話も有りまして、正確な数値など出す事は出来ないだろうけれど、そんなものだろうとも想いましたね。。

それでこの観点からの排出量を考察すると。。

EV車にしても現時点で、バッテリーの製造や動かすための電力を発電する際のエネルギーなどにより大量のCO2を排出し、トータルでガソリン車よりは少ないみたいですが、今のままでEV車が大量導入されたら電力重要は大変なもので、どうなのかとよく分からないの差は大してなさそうだし。。

ヒートポンプ式電気給湯器のエコキュートだとか潜熱回収型ガス給湯器のエコジョーズなどの環境に良さそうなオール電化住宅などもエネルギー転換部門からの発電の需要を増やし、かえってCO2排出量を増やし、原発や既得電気利権を推進しかねないと言った話も有り、既存のガスを使った住宅と比べてCO2削減になっているのか怪しい感じがしましたね。。

こうした事をCO2を排出しない発電と言われた原発で考えると、温排水による生態系の破壊も伴いながら、ウランの採掘、精錬、転換、濃縮、再転換、成形加工を経ての発電、使用済み燃料を数万年ほど隔離し貯蔵する過程において、輸送なども含めてかなりのCO2を排出するだけでなく、沸騰水型炉では重油を補助ボイラーの燃料として常時燃やす為に常時CO2を排出し、もんじゅやふげんと言った停止や廃炉となった原発などを顕著に、核燃料サイクルの工程や廃炉措置、研究開発からの排出など関連事業所を含めてかなりの排出量になるみたいな話もあり、やっぱり都合のいい数値の公表や隠蔽なんて幾らでも有るだろうと想いましたね。。

そして水素社会を創ると言っても、水素は2次エネルギーとなる為、今のところ化石燃料に依存する1次エネルギーによって電気分解などをしなければならず、それだけではしょうがないと。。

それで発電を行う1次エネルギーと言うと今の大別すると、化石燃料、原発、再エネの3種類かと言ったところで、この中でも創ればクリーン水素として扱われる再エネの比率をいかに上げて行くのかと言ったところで。。

この再エネの中でも場所や資源量など諸々の条件を考えて、今のところ太陽光発電、風力発電を中心に開発を進めて行ってとなるように見えましたが。。

現時点での再エネは、全般的にエネルギー密度が低いことや、VRE(自然変動型電源)などは自然現象によりフル稼働できる時間が短く、出力変動を調整する為に、火力、水力などの調整電源で電力需給のバランスを取る必要も有り発電効率が悪くコストもかさみ、主力電源とするには大量の設置が必要となり、これをライフサイクルCO2に当てはめると、1kW当たりCO2排出量は巨大なダムを作る水力や原子力発電などより多くなってしまうみたいだと。。

そうなるとこれから蓄電技術などを向上させて発電効率を上げて行くと言う事で、太陽光発電なら超小規模な発電も可能なので、約5割を占める空調、給湯等と供に需要が上がった情報通信機器による消費などを補う為の自家発電用のソーラーパネルを家屋や建物に張り巡らせ更にEV車用の充電設備も設置して全国のガソリンスタンドを充電スタンドに変え、原発1基分に相当する550万kWの発電量に必要な太陽光発電設備の面積は山手線の内側の面積の2倍だと言われるようなメガソーラーで全国を埋め着くし、更に急峻な地形故の浮体式洋上風力発電を再エネの中では最も発電効率が良いと言っても海に大量に設置してと、大変なCO2削減対策が必要となってくると。。

それで逸れに逸れた話はこれで最後にしますが。。

メガソーラーだとかなら前述の生産緑地などの問題となっている土地をこちらにすげ替えるだとか出来そうで他にも色々と手は有るのかも知れませんが、90年代に始まったのに大して進歩がなかったこうした国家規模での地球温暖化対策がこれからの数十年ですんなりと進むとは到底想えず、例えIPCCが示す地球温暖化対策の話が本当だとしても、到底達成は無理な様には想えました。。

そんな事で、現在まで問題となってきた地球温暖化対策の問題は、自然的な要因にしても人為的な要因にしてもかなり不正確だし、例え正しくとも目標達成は無理だと言う事で、この話は他の大問題やら大発明が起こるかは分かりませんが、有耶無耶になって時は進んでいくのではないかと言う事で。。

後は素人の僕はには分かりようがない事として終わりにして、本題の筈の(鈴ヶ滝)の話を進めさせて貰いますね。。

(結局ここまで鈴ヶ滝への道は問題なく進み、想い返せば晴れ晴れとした最高の天気に恵まれましたね。)

それで日本の人口が東京に一極集中する問題に始まり地球温暖化の問題やらにと話が逸れに逸れて、これから始まる主題である(鈴ヶ滝)の話しまで読んでくれる方などいないと想いますが、話を進めすと。。

こうして林道鈴川線を進んで行き平行して流れる鈴谷渓谷の方を眺めると、何か立山や白山スーパー林道で感じた渓谷越しの間近に雄大な山並みが迫ると言った景観に襲われましたね。。

雪崩の浸食によるアバランチシュートと言った趣の地形も観られたような気がしましたが、どうだったんでしょうね。。

そうして足早に林道を進んで行きますと、(鈴ヶ滝)まで後1kmの看板のところまでたどり着きましたね。。

しかし時間を見ると歩き始めてからここまで1時間強かかっていましたから、急いでるわりには時間がかかっていましたね。。

この(鈴ヶ滝)は、その昔に源義経公が奥州に向かう際に、駒を止めて鑑賞したと伝えられているみたいで諸説も色々有るみたいですが。。

源義経は異母弟の源頼朝と対立し、最後は吉野から奥州平泉までの逃避行した後の1189年に、衣川の戦いにおいて藤原泰衝に攻められ31歳で自害したと言う話で。。

その吉野からの逃避行ルートは、当時の物流の大動脈は日本海側だったことを考えれば、伊勢、美濃から日本海に出たというのが有力らしく、新潟県にも判官舟かくしなど色々と義経伝説を残す地が点在しているみたいですが。。

文治3年(西暦1187年)の厳冬の日本海を進めるのかという疑問も残り、温かくなってから奥州を目指したのかも知れないと言った説も有る中で、まだ林道も無かったその時代に、本当にここまで来たのかなと想いながらも、そうした事に想いを馳せるのも良いものなんだろうなと考えたところでしたね。

そして進みますと、林道を横切る沢の上流にかなりの残雪が残っている状態が観られましたね。。

前述しましたが、(鈴ヶ滝)は朝日連峰の西側の標高300m辺りに落ちる滝と言う事で、そこまで標高が高くはないかと想いましたが、5月末の晴天の中を歩いて来てこの様な残雪を観ると、こちらが豪雪地帯だと言う事に、改めて気付かされましたね。。

進んで行くと、ここにきて林道の舗装が荒れた簡易舗装みたいなのに変わりましたね。。

まあでも後に振り返ると、こちらの林道鈴滝線から林道鈴川線を進み(鈴ヶ滝)の遊歩道までの林道はそんなに崖っぷちを走るような道ではなさそうでしたし、車で走るにしてもそんなに危うい道にはみえませんでしたね。。

残雪や土砂崩れなどで歪んだりロープで仮設されているような箇所も有りましたがガードレールも設置されていましたからね。。

林道はもう少しで(鈴ヶ滝)の遊歩道の入口に着くのかと言うところでダート道になりましたね。

しかし林道は問題なく車で走れそうな感じで、事前に村上市の観光情報のHPからの林道の状況を繰り返し閲覧し、何日か前から近日開通みたいになっていたのを想い起こして、もう開通しても良かったんじゃないのかと、少しもどかしい気持ちにもなりましたね。。

そうこうしている内に(鈴ヶ滝)の遊歩道入口の駐車場と言うか駐車スペースに着きましたね。。

この滝を観ようと想いたってから何年経ってここに辿り着いたのかと想うと感慨深かったですね。。

少なくとも2012年7月に山形県の(三階の滝)に訪れた時には朝日スーパーラインだったか朝日地区の林道をを新潟県村上市方面から進み、途中で通行止めとなり引き返して諦めたのを覚えていますし。。

それ以前の2010年辺りの春先には朝日スーパーラインを山形県東田川郡朝日村方面から進み、UMAのタキタロウが生息すると言われる大鳥池ってこの辺りに在ったんだなと想いながら進んだら、やはり途中で通行止めになっていて諦めて引き返したのを覚えていますからね。。

そんな事で初めて訪れようとしてから10年余の時を経て(鈴ヶ滝)の遊歩道入口まで来れたのですが、駐車スペースはけっこう広さが有り、整然と駐車させれば10台以上は余裕で駐車できそうな感じでしたかね。。

けっきょくここで時刻は午後0:30分となりまして、歩き始めてから1時間20分かかってしまい、そんなに早いペースでもありませんでしたが、景色も良かったし、これでやっと(鈴ヶ滝)を観れると言う事で、林道歩きも悪い気はしませんでしたね。。

駐車スペースに辿り着く辺りからは遊歩道を歩いて直ぐに落ちている(小滝 落差38m、幅5m)がチラリと観える感じがしましたね。。

そうしましたらこちらの林道鈴川線はここで通行止めになり、この先は廃道化しているみたいですが、以前は進めば作業道~藤倉線~朝日スーパーラインと繋がり周回できたみたいで。。

廃道化したこの林道を歩いていくと、(鈴ヶ滝)を真横から眺められる絶景ポイントが有り、他にも上流には(鼻声の滝)(つつみの滝)(夫婦滝)などが在ったみたいですが、全く観おとしていましたね。。

このエリアは本当に林道が入り組んでいて、先ほどの広場となる様な林道鈴滝線から林道鈴川線へ右折する地点の先には全線が舗装され朝日スーパーラインに抜けられる林道平床線とダート道で路面状況も悪く朝日スーパーライン側の入口は通年封鎖されている森林基幹道元屋敷線の起点みたいなのが有ったらしく。。

以前から訪れようとしていた割には観おとしているものが多く、奥が深いものだと想いましたね。。

駐車スペースの一角には新潟県森林浴の森百選と書かれた丸太みたいなものと、(鈴ヶ滝)は県内最大級の滝としてしられ、周辺はブナ、ミズナラを主とする天然林と共にすぐれた自然景観を形成していて、この地域の地質は新第三紀の溶結疑岩を主とし、滝は傾斜度50度、落差55m、幅10mの勇壮なもので、この種の地形は県内でも少ない為に、周辺の自然環境も含めて学術的にも貴重であり、これらを維持する為にこの辺りは自然環境保全地域特別地区に指定され保全が図られていると言った事が書かれた看板みたいなのも有りましたね。。

しかし朝日連峰の西側に位置するが、磐梯朝日国立公園の指定区域にはぎりぎり含まれていないと言うのがやはりなんとももどかしい気持ちにもなりまして、何故にこの地の大切な自然観光アイテムと言える(鈴ヶ滝)が指定区域に入らないのかを考えてみたところ。。

磐梯朝日国立公園は戦後の1950年に制定された出羽三山と朝日山地を中心とした出羽三山・朝日地域、飯豊山地を中心とした飯豊地域、猪苗代湖と磐梯高原・吾妻山・安達太良山を中心とした磐梯吾妻・猪苗代地域の3地区に分けられた総面積186,
404haの日本では2番目に広い国立公園らしいですが。。

こちらには1953年に完成した多目的ダムの三面ダムが有り、それを境に国立公園の指定区域となっているし、他の場所や地域を見ても同じ様な区域分けがされている様な感じがしましたので。。

その理由はダム事業をするにあたり、その下流地域は指定区域にする事が出来ず、(鈴ヶ滝)はその区域に含まれてしまったんだろうなと言う事で得しましたね。。

(鈴ヶ滝)の遊歩道は450mかと想っていたら、こちらには300mで15分ほどの遊歩道だと表示されていましたね。。

まあどちらにしろここまで来れば楽なものだとは想いましたがね。。

林道はこの先で通行止めの看板が設置されていましたし、事前に調べていたので直ぐに分かりましたが、降りスタートで雑草が生い茂る遊歩道は少しばかり不明瞭で、見落として林道を進んでしまう人も中にはいるのが理解出来ましたね。。

入口に建っている絵的な(鈴ヶ滝)の周辺を描いた看板には、(鈴ヶ滝 大滝 落差55m 幅10m)、(鈴ヶ滝 小滝 落差38m 幅5m)と表示されていて、これから僕が向かう滝は(鈴ヶ滝 大滝)であり、正式には(鈴ヶ滝 小滝)と合わせて(鈴ヶ滝)であり、絵的にも(鈴ヶ滝 小滝)の存在は大きなものなんだなとは想いましたね。。

そしてこの林道は鈴川・鈴谷線との名称が付けられていて、林道は(小滝)の上流を渡る小滝橋などが描かれていて、その他に(鈴ヶ滝 大滝)の下流を橋で渡り滝の直下まで向かう遊歩道が描かれ、遊歩道の橋の手前には牌が有り、渡った先の河原は七日河原と言う名称が付けられている感じでしたね。。

他で調べると、この辺りはこの2滝を中心とした、岩肌をむき出しにし荒々しく変化に富んだ鈴谷渓谷だと言う事でしたが、七日河原と言うのは今書いていて気付いたもので、訪れた時に観た記憶も意識した記憶も全く無いですね。。

そして、さあ遂に永年に渡り訪れられなかった(鈴ヶ滝 大滝)を拝められると、遊歩道を降っていきましたね行きましたね。。

ブナを主とする天然林の中を進んで行くと言う事ですが、季節的にも緑が生い茂り深々とした雰囲気でしたね。。

遊歩道からも何となく観えていた(鈴ヶ滝 小滝)が右手に観え隠れするので、その下流に降りて行く感じで踏み跡の様な遊歩道を進んで行きましたね。。

(鈴ヶ滝 小滝)の下流を渡る橋に着く前に滝がよく観えるポイントが有ったので観賞しましたね。。

この滝も好評を得ていて、その優雅さから滝の貴婦人ともいえる存在だと言われる(鈴ヶ滝 小滝)みたいですが。。

この時は(鈴ヶ滝 大滝)へ向かう気持ちが強かったのか何なのか、僕には余り印象には残らなかったですね。。

そして(鈴ヶ滝 小滝)の下流を渡る橋から滝を眺めたりしました。。

しかしこの(鈴ヶ滝 小滝)の存在は遊歩道の良いアクセントにはなっているんでしょうね。。

その橋から眺める(鈴ヶ滝 小滝)は下流の流れと共に木々に遮られながら観られる感じでしたが。。

こうして観た方が味が有ったのかも知れないと想いながら進んで行きましたね。。

鈴ヶ滝 小滝)の下流を過ぎて、遊歩道は(鈴ヶ滝 大滝)の下流となる鈴谷川へ向かって更に降って行く感じでしたね。。

鈴谷川も歩いて直ぐに観えましたね。。

こちらは虫なども沢山いてと言われますが、全然気にならず、見た記憶も無かったですね。。

鈴谷川沿いの岩間の先に(鈴ヶ滝)の牌が観えてきましたね。。

これも事前の調べで知っていたので、これかこれかと言った感じでしたね。。

こちらの表示物の関連では最も重厚そうなこの牌と一緒に記念写真を撮りましたね。。

こちらは日本の滝100選に平成2年4月28日に選定されたのを記念しての牌だと言う事ですが、岩に埋めこまれた牌は頑丈そうだからずっと変えなくて大丈夫そうな雰囲気でしたね。。

そして牌の先には鈴谷川を渡る吊り橋が観えましたね。。

長さは約20mでけっこう揺れて怖がる人もいるみたいですが、見た感じですと高さはそんなにないし、静岡県辺りの吊り橋に比べたら全く怖さは感じませんでしたね。。

しかしこの吊り橋を渡ろうとした時に、吊り橋の手前に工具箱が置かれているのが嫌でも目に付いたと。。

そしてその横にはどこかで買ってきた飲食物が置いてあり、誰かが吊り橋の点検整備か何かに来ている事は明らかでした。。

しかし飲食物は置いて有るのに人がいる気配が全くなくて、どうしたものかと想いましたが。。

心配なのは正式な開通前に吊り橋を渡らせて貰うのが憚れるような気がした事で、吊り橋の方は大丈夫そうなのでさっさと渡ろうとはしましたね。。

吊り橋の手前には、(鈴ヶ滝)地域は県民の健康で文化的な生活に寄与する為に昭和51年12月28日に新潟県自然環境保全地域に指定され、この吊り橋はその保全事業で架設したものですが、大勢で渡らずに1人づつ渡って下さいと言ったような事が書かれた看板も有りましたね。。

渡るのが憚れると言いつつも橋から上流の景色をゆっくりと眺めたりしましたが、ここからの景色が特別だった訳ではない為か、何を観たのか全く覚えていませんね。。

吊り橋で(鈴ヶ滝 大滝)の下流を左岸から右岸に渡り遊歩道は右岸側を遡上して行く様な感じでしたが。。

先にはボロボロになった単管パイプの階段が設置されていたと言うか、残骸が残っている様な感じしたね。。

しかし豪雪による過剰な変形や劣化も有り頻繁に付け替えるのも難儀で、奥地の遊歩道などは何処も同じ様な状態が見られるとは想いました。。

北海道と東北6県で国土の約4割を占める日本ですから言われてみれば当然とも想いましたが、長く延びる脊梁山脈で本州は日本海側と太平洋側に分けられ、その地形に大陸からの冷たい北西季節風
の影響で日本海側を主に大雪をもたらし、国としては基本的に中緯度の温帯気候であるにもかかわらず、国土の51%を豪雪地帯が占める世界有数の豪雪ともされているみたいだと。。

そうした中で東北以外で日本第5位の県面積ヤクルト1.25万km2を誇る新潟県は全域が豪雪地帯に指定されていて、改めて雪の影響が強い県なんだと想わされましたね。。

寒い地域は地面が持ち上げられる凍上などの現象も有り負担も大きく、国では豪雪地帯対策特別措置法などの政策もとられていますが。。

それを考えれば、前述の人口が東京方面に流出する話しも、単純に温暖で降雪の少ない住みやすい地域に人は流れると言った要因も有るのかと想うところでした。。

吊り橋を渡って鈴谷川の(鈴ヶ滝 大滝)の右岸下流を遡上して行く訳ですが、川岸から結構な高度差をつけて進んで行く感じでしたね。。

すり鉢状に観える(鈴ヶ滝 大滝)の滝下への遊歩道はここを通すしかなかったのかと想うところでした。。

緑の深い右岸を進んで行きますが、どのみち
350m程の遊歩道なのでらくな楽なものだろうと進んで行きましたね。。

しかし前述の話しの関連から、今現在の日本は約38万km2の国土の内の約2/3である約25万km2である森林面積の内の約10万km2が人工林で、残りの約13万km2が天然林だと言う事ですが。。

ここで言う天然林とは人の手の入っていない森林ではなく伐採されても自然の力で更新していく森林であり、天然林と呼ばれるものも実際には伐採などをされていて外来植物が入ってきてしまいその土地本来の森林ではなくなってしまっている事が多く、実際にその土地本来の樹種で構成された原生林は日本の国土の僅か4%も無いと言った話しも聞かれるところで。。

考えますと、日本でも雑木林などは1960年代のエネルギー革命で石油が燃料の主役になる以前は成長が早いクヌギやコナラは薪や炭に最適で、落ち葉は農作物の肥料である堆肥の原料として不可欠なもので、農業を営む人々の生活に欠かせない燃料生産現場であり、何100万人が暮らす江戸では薪や炭は生活必需品であり、雑木林などはそうした時代の燃料として使われる人工的な二次林であったと。。

そうした中で、江戸時代では幕府と諸藩は積極的に森林の保全に取り組み、森林の伐採や管理を厳しく制限し、森林再生促進にも尽力していたとの事で、雑木林やそれに伴う里山の構成などを観ても、これが人間と自然の理想的な共存かとも想えましたが。。

後に明治維新が起こり、近代産業の発展により建築材や燃料の需要が高まり森林の伐採が加速し、明治中期は日本で最も森林が荒廃した時期だと言われるほどで、やはり化石燃料の使用が自然破壊の元凶なのかと言ったところでした。。

そしてその後の戦時による乱伐を経て荒廃した森林は、戦後の宛の外れた政府の拡大造林政策により雑木林を含めた広葉樹は成長が早く建築などに適し経済性の高いスギやヒノキと言った針葉樹に置き換えられ、現在は人々に花粉症などの弊害をもたらしながら危うい状態になっていると言う事ですが。。

こちらのブナやミズナラなどからなる落葉広葉樹はその日本全土で僅か4%未満となる手付かずの原生林が広がっていたのかなと言った想いでしたね。。

ここで手付かずの原生林が日本には4%未満しか残されていないと言うのが気になり考えましたが。。

遥か昔から考えると、日本人による木材の利用は、竪穴式住居の柱、祭祀用の施設建造、小舟の製造など、縄文時代から既に木材を利用しての生活はしていたが、この頃は森林を大きく破壊するような生活はしていなかったらしいと。。

しかし弥生時代からは稲作が本格的に広まった事に端を発し、農具、水路の造成、肥料などに多くの森林の資源を活用するようになっていくと。。

そしてその後に木材の加工技術の向上もみられ、大型建造物が誕生していき、田畑や居住地の開発によって森林は次々と伐採され、676年には天武天皇から禁伐令が施行されるなど森林の荒廃は顕著になっていくと。。

そして更に文明が発展すると、人々は木材を燃料として利用するようになり、特に製塩と製鉄の為に使われたりして、奈良時代には広大な塩山が存在した記録が残るように多くの森林が伐採されたらしいと。。

そして中世に入ると、住居の建設や水田開発だけでなく、寺院の建設や木製の彫像芸術などにも広く木材は使われ、戦国時代に入ると、城や砦の建設、武器製造にも盛んに使用され、戦によって焼かれる森林も出てくると。。

そしてこの頃には戦国大名による領地の開発などにより、地方を含めて社会が発展したことで人口も増加し、それに伴い木材需要は増しに増して森林は荒れていったらしいと。。

そんなんでその後には前述の森林保全を伴う江戸時代に繋がっていきと言ったところみたいですが。。

それを考えますと、1万年以上前の縄文時代やらその遥か以前から人間に利用され、その後の乱伐が繰り返される中なで、荒廃しても外来植物と混ざり侵食して再生を繰り返した森林ですから、本当の人間に影響されてない原生林が日本に僅か4%未満だと言うのも確かな事だとは想えましたね。。

こうした過去は他の先進国地域でも似たようなもので、欧州などはローマ時代には蛮族が住むとするその地域を、彼らの森林と共存する生活を侵略し、現代のアマゾン地域に比肩する森林破壊を行った事を始まりに成り立った文明であると言うえんように。。

人間社会が資源の奪い合いで繁栄してきたのであれば、現在の化石燃料を撲滅させようとする地球温暖化対策の問題は純粋な環境問題ではなく国際政治の駆け引きとしての闇の側面を持って進行
していて、やはりその予測は信用出来ないと想いましたね。。

しかしまだこれからも延びるでしょうが、現在で石油なら約50年、天然ガスなら約60年と可採年数が予測される化石燃料や、付随して明らかな危険性をはらんだ原発などは、これから先に人類が存続して行くならば遅かれ早かれ転換を計らなければならない問題なのも確かで、本当に難しい問題だなとも想いました。。

遊歩道の方はけっこう際どい崖沿いを進んだりもしましたが、そんな危険な感じはしなかったですね。。

そうこうしていたら眼下に確りと(鈴ヶ滝 大滝)が俯瞰できる場所に来ましたね。。

しかしこの滝は以前に何度も訪れるのに失敗して、事前の調べで何度も写真で滝の姿を観ているので、その写真で観る姿そのままの滝は何度も実際に観てきたかのような錯覚にも陥りましたね。。

でも実物を目の当たりにして観れて本当に良かったと想いましたよ。。

ここからは本当にラストまでこの(鈴ヶ滝)での話しだけで一気に進めて行きたいと想います。。

(鈴ヶ滝 大滝)の滝壺もチラリと観えたりもしてきましたね。。

事前から分かっていた事ですが、(鈴ヶ滝 大滝)の流れは、滝壺から左に直角に折れる様に流れていくと言ったところで。。

遊歩道はその(鈴ヶ滝 大滝)と向かい合う様な草付きの斜面を降って滝直下に向かうルートだと言ったところでしたね。。

この斜面には(鈴ヶ滝 大滝)を俯瞰する展望台みたいなのが有ると言う話しでしたが、春先の正式な開通前の遊歩道は草がホウボウで、そうしたものが何処なのかよく分からなかったですね。。

ここが展望台の場所だったのかは分かりませんが、どちらにしろ向かい合う斜面を降りて行く遊歩道のシチュエーションからは滝がよく観えましたね。。

斜面の草は正にホウボウでしたが、九十九折れの踏み跡が有り、問題無く降って行けましたね。。

危険な感じは全くしなかったですね。。

生い茂る草の合間に何だかコンクリートの台の様なものが確認出来ましたね。。

これが展望台だったのか何だったのか僕には分かりませんでしたが、取り敢えず滝と向かい合わせの斜面からは至るところからその景観が観れたので、そんな事はどうても良かったですね。。

やはり以前に写真などで幾度も観た(鈴ヶ滝 大滝)に向かってどんどん斜面を降りて行きましたね。。

春先の時期ですから水量は其れなりに多目だったような気がしましたね。。

しかし(鈴ヶ滝 小滝)の方は水量が多かったようには感じられず、そのせいで(鈴ヶ滝 小滝)の印象が僕には薄らいでしまったのかも知れません。。

しかし(鈴ヶ滝 小滝)は豪快さより優美さを求める滝なので、これは滝に豪快さを求めていた僕の主観の問題なんですけれどね。。

もう少しで滝直下のエリアと言ったところまできましたね。。

結局この遊歩道は先ずは(鈴ヶ滝 小滝)の下流に向かって降り、その下流を渡り(鈴ヶ滝 大滝)の下流を吊り橋で左岸から右岸に渡り、次にその右岸を登って進んで行き、最後に右岸の斜面をすり鉢状の滝直下に降りて行くと言った道程になるかと想いましたが。。

短い中で深い森林浴と渓谷美を官能できる良い道程だったかとは想いましたね。。

滝直下のエリアに近付いて行くと、何だか屏風の様に屹立する巨大な岩が嫌でも目に付きましたね。。

それで滝直下のエリアは流石に草がホウボウではなくて、狭い範囲ですがゴーロと言える感じでしたが。。

そこにも草が繁殖して半分くらいは草が繁っている感じで、改めて草木の繁殖力は凄いものだと想いましたね。。

そして更に滝直下のエリアに近付くと、屏風岩の向かって左手には、何だか夫婦岩と言うか、僕の印象としては兄弟岩と言った趣の草に覆われた巨石が仲良く並んでいる光景が観受けられましたね。。

このよっぽどの事がない限り、ここから動かなそうな、屏風岩と兄弟岩の3岩がこの場所では何とも印象に残りましたね。。

それで先ずは僕が勝手に名付けた兄弟岩の狭間から(鈴ヶ滝 大滝)を眺めてみますと。。

この2つの岩が、滝を観続けて観守っている様な感じがして、何とももどかしい気持ちに成りましたね。。

しかし人がこの(鈴ヶ滝 大滝)の滝壺まで普通に向かう場合は、この兄弟岩の狭間からでは無く、僕が勝手に名付けた屏風岩と兄弟岩の程好く開けた間からでありまして。。

この間から(鈴ヶ滝 大滝)を拝んだ時に、この滝に本当に辿り着いたと言った感じで、積年の想いと共に祈りのポーズで記念写真を撮りましたね。。

そんな事なんですが、後から知るところによると、どうも滝の右側に大きい岩が2個割れているその岩のどこかに義経公が乗っていた馬の蹄の跡があるという伝説も残っていると言う話しを知ったのですが。。

この時は知らなかったので探さなかったし、今でもその岩がどれなのか定かじゃないし、どっちにしろそんなものは見付けられる訳がないと言った想いが今も総てを支配していますね。。

そしてこの2ヶ所の大岩の門の様になっている間を抜けて(鈴ヶ滝 大滝)の滝直下に立ちましたが、やはり紹介で観た数々の写真と比べると少し多目な水量で、飛沫を上げながら流れ落ちていましたね。。

地図で鈴谷川を下流から見ると(鈴ヶ滝 大滝)の上流には鈴谷山851m、福部山837m、日倉山952mがあり、途中で右岸からウグイス沢などが合流して日倉山方面に沢は延びていて、こうした山々の間に源流域が有るのかと想いましたが。。

取り敢えず豪快なたきの滝の姿が観れて満足できましたね。。

そこまで滝壺は広いと言う程には観えませんでしたが、地形を観ると深そうな感じもしましたが。。

しかしこの滝の滝壺の深さに関するデータは僕が調べた限りでは見当たらなかったので分かりませんでしたね。。

水は滝壺から左直角に向きを変えて岩場の間を流れていく感じでしたね。。

この流れ沿いの岩場に遊歩道を通していたら雪や落石や増水による破損や老朽が著しく大変だった事でしょう。。

何より景観破壊にも繋がりますから、都合よく滝直下への草付きの斜面が有って良かったなと想いました。。

そんな事で滝直下の景観をフラフラと楽しませて貰いましたが。。

ここで何より印象深かったのは滝の右岸にオーバーハングする様に屹立する大岸壁でしたね。。

よく観ると滝は歪な一枚岩の凹んだ左側を落ちる凹凸の激しいスラブ滝とも観てとれましたが。。

何だか落差55mと言われる(鈴ヶ滝 大滝)よりも遥かに高く屹立し、今にもこちらに覆い被さってきそうなこの岸壁の迫力は大きく、下流の流芯以外は囲まれた様なすり鉢状の狭い空間と相まって迫力の有る景観を創っていた感じがしましたね。。

改めて滝は回りの景観とが一体となって、その景観を創っているのかと想うところでしたが。。

こちら一帯の流紋岩火砕岩は脆さも有るのか、こちらで印象に残った巨石などもこの大岸壁やら斜面から落ちてきて今の場所に鎮座しているのかなと言ったところで、その景観から近い内に仲間となる巨石が落ちて来るかも知れないと想ったものでした。。

そんなんでこの空間でもう少しゆっくりしたいと想いましたら、ちょうど良いソファーの背もたれの様な岩が有ったので、そこに背をもたれて休憩がてら滝を眺めました。。

この時に時間は13時を過ぎた辺りで、車を駐車したゲートを出発して約2時間が経過しており、待たしている友人の事が頭を掠めましたが。。

よくよく考えたら友人も電波は繋がってるんだし、この様な爽やかな処で残業みたいなのの整理が出来るなら良かったんじゃないかと都合良い考えを持つようにもなってましたね。。

しかし其れなりには急ごうとは想っていました。。

暫し滝前で休んだ後、改めて最後にこの滝を眺めてこの地をあとにする事にしましたが。。

想ってたより大きくは感じなかったのですが、55度の角度で流れ落ちると言われる斜瀑は、二条に分かれて流れ落ち、下部は直瀑となり情趣と迫力を併せ持った良い滝だなと想えましたね。。

そして勝手な主観で考えれば、右岸の大岸壁の左を斜瀑と成って流れ落ち、滝壺から左直角に向きを変えて水が流れていく滝景観は、同じ100選滝で言えば山梨県の(仙娥滝)にやたらと類似性を感じました。。

(仙娥滝)は完全な観光滝と成っていて、こちらの(鈴ヶ滝)の方が環境は良く違いも大きいですが、そんな事が頭を過りました。。

そんな事でしたが、取り敢えずこれてやっと(鈴ヶ滝)を拝められたと満足してこの地を引き返しましたね 。。

そして(鈴ヶ滝)を官能したここからは、友人の為にもさっさと帰ろうと遊歩道を引き返しましたね。。

吊り橋を渡り(鈴ヶ滝 小滝)が観えて、さっさと遊歩道の入口に戻って来た時の時刻は13:34分で、ここから降りの約6kmを30分台で帰れば約3時間しか待たせなかった事になると急いだものでしたね。。

往時で大体の車までの距離感が分かっている僕は、余裕の気持ちで淡々と林道を歩いて行きましたが。。

1kmくらい歩くと車が通り過ぎて行き、その後しばらくして更に2台の車が通り過ぎて行きました。。

車中の人達をみると、どう考えても観光で訪れている感じではなく、ゲートが閉まっている状態でこの林道に入って来るのですから何か林道関係の整備だとかで来てる人達だろうとは瞬時に想いましたね。。

それで僕は一瞬、ゲートの隣に設置されていた(高根部落民以外の入山を禁止する、尚、許可なく入山し山物を採取した場合は没収する)の看板と共に、勝手にゲートが閉まっている林道の中を歩いているのを注意されたり罰せられないかと心配になりましたが。。

車は僕の事など全く気にする事無く進んで行きましたのでホッとしたものでした。。

しかしホッとしたと言いつつも、こんなところで人に会ったんだから少しは気にしてくれても良いのになとか交錯する想いを携えながら、また淡々と林道を歩き続けましたが。。

更に1km くらい歩いたところで、引き返して来た車の1台が僕の近くで停車して、1人で運転している50代くらいの男性が。。

(滝に行かれた方ですか?)

と、声をかけて来ました。。

その時僕はヤバい注意されるかな?
とか想いましたが、車中の方は。。

(歩いてそれは大変だったでしょう。。下まで送りますから乗って行って下さい。。)

と言ってくれて、ホッとすると同時に有り難いと想い、助手席に乗せて貰いました。。

車を運転する男性は。。

(私は村上市の職員なんですけれどね。。)

と言ってこられたので、とにかく入山禁止の看板とかの事が気になっていた僕は。。

(すいません。。僕は神奈川県の方から訪れたものなんですけれどね。。前から何度もこちらに来てたんですが、毎回こちらの林道が閉鎖されていて滝を観る事が出来ずに残念な想いをしましてね。。それで今回もまだ閉まっていたので、もうこれ以上引き返すのも我慢出来ずに申し訳ないと想いながらも滝まで歩かせて頂きました。。山の物などは一切持ち帰るような事はしていませんのでお許し下さい。。)

なんて言ったところ。。

意外にも職員さんはそんな事は全く気にしていないみたいで僕に。。

(そうでしたか。。わざわざ遠いところを何度もお越し頂いてすいませんでしたね。。実は本日の正午にこちらの林道が開通する事に成りましてね。。それで今こちらに来たのですが、役所の方に問い合わせでもくれたら良かったのに。。)

などと言ってきてくれて、ゲッ!!そうだったんだと想いつつも、それより入山禁止の件は大丈夫なんだと安心したものでした。。

それで安心しつつ尚もフォローする気持ちが働いたのか僕は。。

(いやあそんな。。わざわざ問い合わせするのも迷惑かなと想いましてね。。でも素晴らしい滝でした。。新潟には良い場所が沢山有りますね。。これからも時間が有れば新潟には真っ先に訪れたいと想っています。。新潟が好きなんです僕。。)

とか確か言っちゃってましたね。。

そうしたら職員の方は笑いながら僕に。。

(吊り橋は渡られましたか?あの吊り橋の安全点検が残っていまして、それが今終わって開通したんですよ。。)

と言ってこられたので、点検前なら普通に吊り橋は危険な状態だったと言え、それを渡った僕は反省しなければいけませんが、別に渡って問題無かったので恐怖心は去来しませんでしたね。。

それより僕は、だから工具みたいなのが置いてあったのかと想いつつ、あの工具の側に有った飲食物は何だったのか、誰もいなかったし可能性としては前日からの置き忘れか?

などとそちらの方が気になってしまいました。。

それでそう想いつつ僕は。。

(渡らせて貰いましたよ。。全然大丈夫でしたよ。。)

とか言ったりして、その後もゲートに着くまでの約5分くらいの時間で話しに花を咲かせましたね。。

そうした短い時間での職員さんとの会話の中で、他に印象に残った会話としては。。

(毎年出来るだけ早く林道を開設しようと除雪作業なんかもするんですが、釣り師の人達が入り混んでいて除雪するのが危なくて困っているんです。。)

(林道を有料にして整備しろと言う話しも指摘される事が有るんですが、有料にするとまたガードレールやら色々と確りと整備しないとクレームがきたりして大変なんで中々踏み切れないんです。。)

などと言った事で、こちらは渓魚の宝庫で渓流釣りのメッカでもあるらしく、こうした自然派の滝でも管理するのは色々悩みが尽きず大変なんだなと想うところでした。。

そうしてゲートまで送ってくれた職員さんの車から降りた僕は職員さんに。。

(どうも有り難う御座いました。。また新潟には訪れますので宜しくお願い致します。。)

と言って頭を下げて別れさせて貰い、職員さんも笑顔で去って行きました。。

それで何だか好い人だったなとか想いつつ僕は、その直後に出発する時は閉まっていたゲートが開いている姿を目の当たりにしまして。。

取り敢えず愕然とアスファルトに項垂れる姿をしたのでした。。

この時の時刻は13:58分。。

最後は車で送って貰ったりもしましたが、ここまで10km余りの道程を歩いて観光した割には3時間もかからなかったので早い方かなと想いました。。

しかしやはり待っていてくれた友人が心配でしたので、直ぐ様に自分の車に駆け寄って。。

(待たせてすまなかった。。大丈夫だった?)

と友人に言ったところ、友人は熱心にパソコン操作をしていて全然大丈夫そうだったので安心しましたね。。

そして最後はアスファルトに項垂れるポーズを撮ったぼくでしたが、実際には車で向かえる道を歩いた事に残念な気持ちは湧いてこなかったところで。。

逆に歩いた事で色々と観れたところも有ったし、想い出深いものに成ったしで、良かったと想えました。。

親切な村上市の職員の方や、嫌がる素振りも見せずに待っていてくれた友人やら何だか人の暖かさにも触れられて、本当にガードが閉まっていて逆に良かったと僕の視点からは想える良い滝観遊山と成りました。。

そんな事を想いつつ車を走らせてこの地を後にしようとしたんですが、そうしたら今度は林道開通の情報に合わせて宇都宮市からやって来られた60代くらいの男性の方2人が、車から小型のバイクみたいなのを出してきて林道を走る準備を始めましたね。。

ここでもやはり楽しく会話をし、僕はその方達に。。

(これから林道をバイクで走るんですか?)

なんて聞いちゃって、そうしたら。。

(そんなんだよ。。ここの林道前から走りたくてね。。)

なんてその方達は言ってこられて、そんな他愛もない会話を楽しんだりしまして、やっぱり旅って良いもんだなと漠然と想いながら、笑ってこの地を後にしましたね。。

鈴ヶ滝)を観終わった僕でしたが、けっきょく林道のゲートが閉まっていたり、現地で出会った人と話し込んだりでゆっくり過ごした為か、高根集落を過ぎて国道7号線に戻る頃には15時近くに成っていましたね。。

それでこの時は、前日にはここから新潟市を高速でさっさと横断してパノラマタワーなどが気になっていた弥彦山を訪れようとしていたのですが、時間も厳しいのでこのまま自宅まで帰る事にしました。。

日本海東北自動車道は(鈴ヶ滝)から最寄りICの朝日まほろばIC~荒川胎内ICの間は無料区間であり、料金が掛かるのは中条IC からですが、その区間からの高速代はETCを使っても平日昼間の7950円と成り、朝日まほろばICから関越自動車道の練馬ICまでの距離は約370kmとなると。。

それで普段の高速代をケチる僕なら下道でギリギリまで引っ張るところですが、この時は友人が高速代を出してくれると言う事で、どのICから高速に乗ったのか忘れましたが、早めに高速に乗って余裕で帰宅しましたね。。

やはり持つべきものは友と言ったところでしたが、それても練馬IC からゴチャゴチャと新百合ヶ丘駅の近郊に住む友人を家まで送り、その後に厚木市の自宅に帰宅したのは21時近くになりまして。。

それで東京辺りから新潟市への距離は名古屋市との距離に近いのかとも想いましたが、今回において話題にした東京圏人口集中問題において、最もその人口の移動が顕著となるような新潟県~東京圏の距離を体感して帰宅したところでしたね。。

そんな事でなかなか実現出来なかった(鈴ヶ滝)への訪問を無事に終えてめでたしめでたしと言ったところでしたが。。

しかし、本当にキツかったのはここからでした。。

けっきょくここでは、このコラムをアップロードしない事には(鈴ヶ滝)へ訪れた事は完結しないのですが。。

元々スローペースではありましたが、(鈴ヶ滝)へ訪れた後に、三重県の(布引の滝)や奈良県の(笹の滝)を書いた後に書き始めたこの滝で、東京一極集中問題やら地球温暖化問題やら逸れに逸れた話しにより悩んだり考えたりした揚げ句、休筆期間などを繰り返して、書き終わる迄に3年近くの時間を要する事に成ってしまったのです。。

通行止めにより何度も引き返す事になり、実際に訪れようとしてから辿り着く迄に最も時間のかかった滝でしたが、それ以上に書き終えるのに大変な滝に成ってしまったと言う、もうどうしようもない滝になってしまいましたね。。

何で滝の観光に行くコラムなのにこんな話しになってしまったのかと言うと、かつて新潟県が日本で最も人口が多い県だったと言う事に衝撃を受けたからと想いますが、そこから道路や家屋の問題やら原発やら森林やら産業やら様々な事が交錯し、自分でも訳が分からず苦しくなってましたね。。

全くもってもっとスムーズに進められるようにと反省するところですか、そうこうしていたら時間が経ちに経ち、世の中では新型コロナウイルス感染症が世界で猛威をふるうい終息を見せず、2022年2月からはこちらの地球温暖化問題で扱ったロシアとウクライナの間で戦争が起こり、社会の話題は連日そうした直近の大問題に傾く中で。。

その3年余りの時間の中で、地球温暖化や都心人口集中に付随する問題などは、ろくに進んでいないような感じがしていますね。。

やはりこれは、日本人として日本で何少なくともとなく暮らす1人の人間である僕の感覚からすると、戦争などの人間社会が引き起こす問題やウィルス蔓延などと言ったものは、人間の時間間隔に合わされたものであり、日々目まぐるしく変化する状況を確かに実感できるからとも想いました。。

コロナウィルスに関しては、中国の湖北省武漢で最初に確認された新型コロナウイルスの感染者が発症したとされる2020年12月8日からパンデミックとして瞬く間に世界に広がってから3年以上の時間が経ち、2021年の年末の時点で、世界の累計感染者数約2億7千万人、死者520万人、を超えている。日本では感染者約173万人、死者約18,000人超となっているみたいで。。

この始まりの元が洞窟にいたコウモリなのかウィルス研究所から漏れたものなのか、或いは世界の何処からなのか分かりませんが。。

マスク着用の必須、ワクチン接触の強要、延防止等重点措置、延防止等重点措置などによる行動制限、感染者や濃厚接触者の隔離、経済などの圧迫、など自らへの負担ともなり死活問題として必死に成らざるを得ないでしょうからね。。

そしてロシアとウクライナの戦争に関しては、直接の原因は、親欧米のウクライナのゼレンスキー政権が、東西冷戦期の1949年に米英仏など西側陣営の12カ国によって旧ソ連や社会主義陣営に対抗するために結成した軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に加盟しようとする動きからきているみたいですが。。

この戦争は、冷戦終結後にアフリカや中東関連などで起こった地域での戦争や紛争とは違い、その終結後において米国が主導する自由主義国家側による国際秩序が形成されていき、欧州連合が東方拡大を進めるのと類似するようにNATOが東方拡大を進め、緩衝地帯となるかつての社会主義国家を同胞にしていく中で。。

遂にはロシアにとって兄弟国とされる隣国のウクライナまでその侵食が及ぼうとする事を危惧した旧ソ連の中心国となり正式な核保有国で世界第2位の軍事力を持つロシアが武力行使に踏み切ると言う、場合によっては世界規模での戦争に成りかねない危うい状況であるみたいだと。。

そうなると戦争とは大概がそうですが、ロシアは化石燃料において世界有数の資源大国であり、ウクライナを合わせた両国は穀物大国でもありますから、それらを輸入する国々に甚大な影響を与え世界に広がる経済や金融市場、サプライチェーンなどは混乱し、各国で対応に追われる事にもなり、地球温暖化対策は後回しの状況にもなると。。

更に戦争で使用される戦闘機、戦車、ミサイル、軍事施設などは大量の炭素を排出し、破壊された施設、建物、インフラなどの再建にも無駄に炭素を排出する事になると。。

そんな無駄な炭素の排出に陥る戦争ですが、現在においてウクライナに軍事支援を行っている欧米諸国は、この戦争を機に軍備拡大が予想されたりもしていると。。

そうなると、そうした政策の全てが地球温暖化対策と逆行する炭素の排出量を増加させる政策となり、資源のロシア依存からの脱却を更に早期に求めなければならない事態となった地球温暖化対策の世界のリーダーであった欧州連合は、その政策においてかなり厳しい状況になったと想えて仕方無かったですね。。

そして調べる内に分かったのが、戦争などでどれだけの炭素が排出されたのか正確な数値を算出するのは難しく、パリ協定などでこうした軍事関連排出量などは報告を義務づけられていないと言う事で。。

こうした世界規模での対策は世界秩序の安定が前提にあってこそで、そうした秩序などの明確に社会に打撃を与える問題に比べて不確定で不明瞭な地球温暖化問題は後回しに成らざるを得ないと。。

これを知ると、やはり各国がCOPに提出する温室効果ガスインベントリやIPCCの報告書などの正確性はあったものじゃないような気がしますし、そこで掲げられる2050年迄にネットゼロなどと言った目標も実際には達成できるものではないと想えるのが現時点での僕の結論でしたね。。

それで地球温暖化対策はその予測が正しかったとしても達成されないとして、ならこの先に地球はIPCCが唱えるような壊滅的な環境に陥るのかと言うと、こうして自分なりに調べて考えた現時点での結論としては。。

やはりこうして海洋の事やら太陽系における地球のありかたやら複雑で解明しきれないメカニズムを考えると、それも完全に正確では無いだろうし、果たして本当の事かと懐疑的に想えてきましたね。。

これはやはり海外の国々はどうだか分かりませんが、少なくとも日本に住んでいる僕としては、地球温暖化の話しが起こってから30年余りの時が経って、その当初には明確になると訴えられていた現象が、その時となる今になっても確実性を持って感じられないせいも有るからなのかも知れませんがね。。

確かに最近は四季の移り変わりの明確さが希薄になり、突然暑くなったり寒くなったりするような季節変動に成ったような気がしますが、やはり回りの人々を見てもそんなに緊迫した地球温暖化対策を行っている人も皆無だし、そのせいでボケた事を想ってしまっているのかも知れませんがね。。

しかしやはり、本当にIPCCが唱える通りの地球温暖化現象が起こっているのかも懐疑的で、分からない事だらけの地球や宇宙のメカニズムと言うか存在を調べていくうちに考えさせられて、最終的には殆ど完全な地球温暖化説の懐疑派になっている自分に気付いたところでしたね。。

それで2022年4月の現在において、IPCCはこの夏の報告書の本体の公表に向けて作業部会報告書を次々と公表している中で。。

2010年から2019年までの10年間における世界の温室効果ガス排出量は、過去のどの10年間よりも高い数値だった事や産業革命以前に比べた地球の平均気温上昇を2℃未満、できるなら1.5℃に抑えるパリ協定の目標に対してすでに1.1℃上昇しており、現在において最も排出削減が進むシナリオである2055年頃にCO2排出量がネットゼロに到達したとしても、世界の平均気温は21世紀半ばに+1.6℃ほど上昇するとして、更なる対策の推進を促しているみたいですが。。

これも自分が何にしても疑り深いくせに呑気なところも併せ持つ性格故にそう想ってしまうのかも知れませんが。。

どうも産まれてからここまで生きてきて、常に何処かでは起こる災害などはその範疇に納めた上で、対策が達成出来なかったとしても、そこまで劇的に変わるような事が感じられなかった自分の住む世界が、ここから急速に主要都市などが水没し、熱波や暴風雨が襲い、水不足が広がり100万種余りの動植物が絶滅する世界に変化していく事が起こるのか判然としないところでた。。

これも余りその気候変動を感じ難い日本に住んでいて、徐々に進むその兆候に自分が気付いていないだけで、気付いた時はもう終わりの時だと言う事かも知れませんがね。。

しかし東日本大震災や現在の新型コロナウイルス感染症の蔓延などを見ても、他にも様々な可能性が有りますが。。

更なる強力となるこの様な突発的な災害やらパニックが有った場合には、人類は瞬時での抵抗が難しく、こうした事は実際には目の当たりにしてもいるせいか、いつ起こってもおかしくない人類のあり方を激変させる事態と本気で想うのは確かです。。

コロナウィルスに関しても新たな変異株が検出されたり予断を許しませんが、もしこの先の何年後か或いは何十年後かに遥かに強力なウィルスが蔓延でもして、各地の人々が集中する都心部は完全にロックダウンし、地上をろくに歩けない状態にでもなったら、現在の地球温暖化対策を余裕で上回る急速かつ劇的な人類の生活変化が必要になるだろうし、こうした事って場合によっては地球温暖化現象より可能性が有るのかもしれないと。。

かつて1347年から1353年にかけて流行したペスト菌などは欧州の全人口の約1/3が死滅した訳ですが、その時より遥かに人口が増えて国際社会が発展した現在では非常に恐ろしい可能性だとは想えましたからね。。

そして地震列島と呼ばれる日本に住んでいるとそこまで壊滅的な地震に僕は直面していませんが、1995年に発生した阪神淡路大震災や前述した2011年に発生した東日本大震災を国内で見ている上で、毎年何度か起こる小~中規模の地震を体験する身としては、自然現象において最も近いうちに有り得そうで仕方ない災害になりますね。。

この件は地球規模ではなく地域レベルの話しになりますが、僕は地震に直面するたびに地球温暖化の問題を世間で耳にする以前から近いうちに起こってもおかしくないと言われ続けて一向に起こらなかった南海トラフ地震とも呼ばれる東海地震が遂に来たかと想ってしまったりするんですよね。。

駿河湾西部から遠州灘東部を震源域とするマグニチュード8級の大地震で、この地域では100~150年おきに大地震が発生している事を根拠とする東海地震は、僕が中高生の頃からいつ起こってもおかしくないような話しを聞いていた記憶が有りますが一向に起こらず、そうこう言っている内に阪神淡路大震災や東日本大震災が西に東にと起きて、その恐怖を垣間見ながらいったい何時来るのかと戦々恐々とする気持ちにもなりますけれどね。。

現在想定されている南海トラフ地震は東海地震、東南海地震、南海地震の震源が連動して起きる地震が濃厚だと言った話しも有り、首都圏から九州までの広域な被害が生じる可能性が高く日本全体が麻痺しかねないだとか、更に言えばその時期とリンクして首都直下型地震も起きるリスクを抱えているだとかで。。

これは日本列島は北米プレートとユーラシアプレートの2つの大陸地殻にまたがり更には太平洋プレートあるいはフィリピン海プレートの沈み込みによって2方向から強く圧縮されていると言う地球を覆っている10何枚かのプレートのうち4枚のプレートの衝突部に存在し、島弧に強い歪みを与える世界でも有数の地震多発帯である故にと言う事らしいですが。。

首都圏などは、そのフィリピン海プレートと太平洋プレートの上に関東地方の土台となる北米プレートが重なる三重構造の上に関東ローム層や沖積層が分厚く覆った状態の上に存在だと言う事で。。

東京湾なんかはもし震源が首都圏であっても、入口が狭く大きな津波が入りにくいため、せいぜい1.2m程度の高さと考えられてきましたが、東日本大震災では東京湾にも津波が襲来し、千葉方面では2m強の津波が観測され、現在の東京港は沿岸を高さ3.5~7.9mの防潮堤で囲んでいるらしいですと。。

しかし東日本大震災前の岩手県宮古市田老地区には、過去の津波被害の対策として高さ10m、総延長2.4kmの国内最大級の防潮堤が築かれていたのですが、津波で呆気なく壊滅してしまった前例を見ても、それで本当に大丈夫だとは想える訳がないと。。

それまで太平洋プレートが陸のプレートに潜り込んでいるだけの単純な構造の東北地方は繰り返して同じ様な規模の地震が起こる場所で大丈夫だと認識されていたものが東日本大震災で覆されたように、人間は地震のメカニズムもまだまだ理解出来ていない事が白日の下に晒されたようなものですしね。。

地震には海のプレートが海溝で沈み込むときに陸地のプレートの端が巻き込まれ、その反発で起こる海溝型地震と、それより範囲は狭いが内陸部の地中にあるプレート内部の弱い部分で破壊が起こり局地的に激震を伴う事も有る直下型地震が有りますが、海溝型地震による大津波なんかが都心を襲ったら前述してきたような海抜ゼロメートル地帯に存在する状態に近い関東平野はどうなるのかと心配で仕方無いですね。。

近年の2019年の台風19号の被害で有名になった武蔵小杉のタワーマンションなんかは、雨水や生活排水を配水管を通じて多摩川に流すその水位が氾濫危険水位まで上昇すると言う都市特有の排水システムが要因になる内水氾濫により武蔵小杉地域に水が逆流してしまい、地下にある電気設備が浸水しライフラインが断絶した事による災害となりましたが。。

電気を頼りに複雑で雑多な構造により機能するゼロメートル地帯かつ地震多発地帯の上に成り立つ日本の総てに近いものが集まってる東京都市圏に大津波なんて来たらと考えると恐ろしく感じますね。。

そして自分の住む地域で考えれば、東京湾の最奥部である東京都や千葉市などの沿岸よりも、より手前にある三浦半島東部や横浜市などの方が津波による被害が大きくなることが予測されると言う事ですし、もちろん幾つものプレートが交差する地域なんでしょうから不安にもなりますが、僕の住む神奈川県厚木市は太平洋の沿岸から直線距離は約15km、海抜は約20m位と言う事で、津波の被害は大丈夫そうな気もします。。

しかし厚木市は沢山の河川が流れる街だと言う事で、1907年の洪水では厚木市を中心とする相模川流域の市街地は壊滅的な被害を受け厚木の街も全部浸水したとの記録が残っているみたいで、ダムの決壊などを含めてそうした河川の氾濫が少し気にはなりましたがね。。

まあ自分の住む家の事はこの際どうでもいいんですけれどね。。

そうした事ですが、もし津波は大丈夫だったとしても。。

実際に、1923年に起きた関東大震災は相模湾北部を震源とする海溝型地震が発生した後に続いて東京湾北部、山梨県東部で地震が発生した3連動の地震でありましたが。。

死者推定10万5千人と言われる被害者の死因はその時の強風の影響も有り家屋の火災によるものが多数を占めていたらしいと言うように、何も津波だけでは無く他にも地震による被害原因は建物崩壊や大規模火災、埋め立て地での液状化、山地や丘陵地帯での土砂崩れなど様々な原因が想定されると。。

そしてもし現在においてこのような首都圏を襲う地震が発生した場合、首都直下型だと避難者数は700万人超、南海トラフでは約1000万人弱となり、地震発生から20年余りでの経済的損失は首都直下型で約780兆円、南海トラフ約1400兆円と言われているみたいですが、大体にしてこうした予想値を実際は上回るのでそれ以上と予想され、国家予算が毎年約100兆円と言われる日本にしてみても、国の存続に関わるような額だと想わずにはいられませんで、どうなるのかなと言ったところですね。。

そして地震以外でもそれに関連するように、太平洋プレートの日本列島下への活発な沈み込みは、日本列島を世界でも有数な火山列島にしていると言う事で。。

富士山などは平均約100年で噴火を繰り返してきた歴史が有りながらも江戸時代の1707年の宝永噴火を最後に噴火しておらず、いつ噴火するのかと言う状態で、これが起こった場合も大地震まではいかないまでもかなりの被害が予想されたりもしていると。。

ざっと考えてもそんな感じなんですが、そんな状態が必ずくるような予測の中で、何だか日本政府は中央防災会議でも真剣に取り上げられておらず、抜本的な災害対策も行わないままに着々と東京一極集中の日本を創り続けている感じで、起こったらどうするのかなとは想いましたね。。

でもしかし何処の国にしても、こうした様々な自然災害を想定し、それら総てを真剣に回避できるような国を創るような政策をしている余裕は無いんだろうなとは想像できるところでもありまして、もう神に祈るしかないとも想えましたがね。。

それで他に浮かぶ人類の在り方を激変させる事態を考えれば、幾らでも有るのでしょうがここでは最後に何となく僕の頭に浮かんだ2つを上げると。。

1つは今回のロシアとウクライナの戦争みたいなのが火種となって世界の核戦争に突入した場合の人類の内ゲバ崩壊みたいな事が起こったりと言った事と、もう1つは約6600万年前に恐竜が絶滅した理由として現在に最も有力視されている原因と言われる地球への隕石の衝突と言ったところですが。。

この隕石の衝突に関しては、6600万年前の事態ではメキシコのチクシュルーブ・クレーターを創った直径約10kmの小惑星が地球に衝突し、数100km方々に及ぶ火災と数100mの高さの津波を引き起こした上で数10億トン単位の硫黄を大気中に放出し、このガスが太陽を遮って地球を冷やし恐竜を絶滅させたと言った概要の説で、それが本当でこの先にそんな事が起こったら大変な事ですが。。

現在公開されている、今後1000年以内に地球に衝突するリスクのある小惑星のリストでは約1200個の小惑星が記載されているらしいですが、殆どが直径1km以下のもので、チクシュルーブ・クレーターを創った直径約10kmの小惑星ほどのものは無く、強いて可能性が有るとしたら2182年前後に僅かに衝突する危険性の有る直径約500mの小惑星ベンヌが上げられるくらいで。。

この隕石の衝突に関しては現在は軌道を逸らして地球への衝突を免れる技術などが信憑性をもって開発されてきているし、宇宙の全体像などは解明できると想いませんが、地球に衝突するくらいの範囲の隕石の事なら発見できそうですし、もし発見されていない巨大隕石などが有ったとしても衝突する時期はまだまだ遥か先かと想え、その時まで人類が生存しているならば今よりかなり高度な技術を手にしているのは必然なので、心配は少ないし、遥か先の事は今考える必要は無いかとは想いましたがね。。

それでこの様に人類を脅かす危険の可能性は上げれば幾つも有るように想えましたが、その統べてが完全な予測と対策を出来ないものであると。。

そしてもしそれらの予測がほぼ間違っていないと分かったとしても、人間はその人間社会での争いや問題を解決させようとする事を最優先としながらでないと生きていけずに、そして常に沢山の問題を抱える不安が付きまといながらしぶとく生きていくのが常だとは想いました。。

だからもし地球温暖化の問題が本当でそれを解決したとしても、他のあらゆる沢山の問題に常に悩まされるもので、そうでないと進化、進歩が成せないだろうし、生きると言う事は不安やリスクを伴っての事だと想えまして、取り敢えずこれらの話しはもういいやと言った感じですね。。

そして日本の東京一極集中の問題は厳格な法律で固められた土地の所有権を筆頭に様々な既得権により動きようも無く、もしそれが無くなり他に移動したり分散したりする可能性が有るとしたら。。

それはこの様な地球レベルや国家レベルでの災害などが有った場合か、リニアモーターカーなどの高度な交通インフラの整備が完了した上での時間的距離の短縮による東京~名古屋~大阪と言う大都市を1つとした巨大都市を形成した場合くらいしか想い当たりませんでした。。

そんな事なんですが、この巨大都市の形成の場合と言うかリニアモーターカーの件では現在において静岡県がそのトンネル建設において大井川の水源が他県へ流出する問題で工事に待ったをかけて揉めていて工事は中断していると言う事で。。

これに関しては資源の少ない日本において水資源は貴重な財産であり、枯渇なんかしたら目も当てられないのでその心配が1番に頭を過り、どう言った結果になろうと開発において水資源は減らさないようにと想いましたね。。

しかし今回は滝の話しが逸れに逸れて様々な世の中の問題について自分なりに書いてしまい、答えなんて出しようのない事が大半の雑多なものになってしまいましたね。。

その中であえて結論として出した問題とそれに対する予想としては前述の地球温暖化問題と東京一極集中問題と言った2つの問題についてとなりましたが。。

こうした問題を考える事に行き着いたのは、滝などの自然探索を自分なりにしてきた過程で自然とは何なのか、そして自然破壊とは何なのかと言った漠然とした疑問が強くなってしまったからなのかとも想いました。。

でもこの問題は結論なんて同じように出せないし予想さえ困難ですね。。

森林などの問題を考えれば、化石燃料を使用するようになれ遥か以前の過去においてから欧米にしても日本にしても散々と森林を禿げ山にしたりする行いを繰り返してきたのに、現在の日本は森林を国土の67%は森林に覆われていると。。

日本にしてみればこの4割が植林で、このままにしていると災害、荒廃、木材としての利用価値の喪失などを招くと言っても、それは人間基準の都合や時間スケールで考えた場合であり、熱帯林などは人間が関わらなければ20年余りで二次遷移(にじせんい)で8割がた原生状態に回復し動植物の多様性も60年で回復するような説も有るように、時間はかかり以前との違いも有るだろうが自然は回復するのではないだろうか。。

違いが有ると言っても、地球の歴史を考えると地球では過去に5回の大量絶滅を特定していると言う話しで、大量絶滅が起こった場合には、短期間に生物の多様性を大きく損なう規模の絶滅が起こり、新たに誕生する生物によってもその穴を埋めることができない短期間での生物の多様性を大きく損なう絶滅が起こったと言う事であり、その後に形成された現在の世界の人間が問題としている自然もその後に誕生したものならば、永い地球の時間スケールで考えれば自然は破壊され新たな自然が誕生するサイクルの一環なのか。。

植物や細菌を生産者に始まる食物連鎖や生態ピラミッドと言った考えも様々な説や範囲が有り解明されきれず実際とは違う概念的なものみたいなもので、農業や畜産など生産をコントロールし、何でも食べようとする雑食で環境も都合良く変えようとする文明を手に入れた現在の人間がその何処に位置するのかも分からないが、もはや完全な地球を支配する生き物なのか。。

現在の生物の種類は世界で約175万種が認知されていて、未確認の生物も含めると地球上には3,000万種の生物が存在していると考えられているらしいですが、地球ではその歴史が始まって以来に誕生した生物の99%が絶滅しているように、生命の歴史において絶滅は不可避であり、種の絶滅は常に起きていて、ある種が絶滅して空いた穴は自然淘汰によって、その新しい環境に適応し生き残った生物や新たに誕生した生物がその穴を埋めようとするサイクルの中で、人間が進化してその絶滅を回避する為に抗うのも自然の摂理の一環なのか。。

里山に広がる雑木林や田畑がなども自然破壊ではあるが人間の理想的な自然との関わりで、地球の資源を工夫して利用した末の化石燃料の使用は、人類の破滅への入口だったのか。。

ある意味で人間のエネルギー政策が引き起こした最悪の場所となるチェルノブイリ原発事故の現場となる立入禁止区域は、セシウム137の半減期である今ではあらゆる種類の動物たちがすむ楽園となり、放射能の影響の有無などが論議になっているみたいですが、人間が乱獲や開発を無くせばまた理想的な自然は復活するのか。。

日本では約1世紀前に生態系の頂点捕食者であるオオカミを絶滅させてしまい、天敵のいなくなったシカは植生をみさかいく食べつくし繁殖する為に人間はその対策を強いられてきたが、そうした人間より知能の劣る動物が地球の覇者の地位についたら現在と比較にならないほど急速に地球の荒廃は進んだのではないか。。

などなど、素人の僕なりに様々な考えをもとに調べたりしても、疑問が増えるほど仮説や推測が殆どの未確定な疑問が積み重なり、より不可解なものに成っていき、そうなると地球温暖化説をはじめとした自然論は宗教と言うカテゴリーに分類されるのも良く分かる気がしましたね。。

そんな事でここで最後に注目した説は、1960年代にイギリスの生態学者であるジェームズ・ラブロックが唱えた、地球と生物が相互に影響しあうことで地球がまるでひとつの生き物のように自己調節システムを備える、とする地球を1つの生命体のように捉えたガイア理論と言った説になりましたね。。

ラブロック氏は現在102歳で1960年代にガイア理論を発表した当初はNASAの研究員で、その後はフリーランスで活動する学者と言うか本人によれば発明家で機械工だと言う実際に数々の功績を残す方みたいですが。。

発表後に作家のウイリアム・ゴールディングによりガイア理論と名付けられたこの説は学術界などを中心に強い反発を受けたらしいですが、その後すべての生命形態をガイアという一つの惑星的存在と考える主張をラブロック氏自身も否定したりする中で、その理論の修復、強化をはかり現在では賛同者も増えて生態学の1つとしての地位を確立させているらしいと。。

そして100歳となる2020年に(ノヴァセン超知能が地球を更新する)を発表するに至り、それにしても100歳にしてこのバイタリティーには尊敬にも値するものとは想いましたが、これが紆余曲折を経て辿り着いた今のところのガイア理論の最新段階なのかと想い参考にしましたね。。

要はガイア理論とは地球環境が何億年もほぼ一定の状態を保っている事については人体のように自己調整機能が働いているからで、その調整を担う1つの要素が地球上に生きる人類を含めた無数の動植物で、そうした総ての生命体が地球によって生かされていると同時に、地球を宇宙に浮かぶ生命体として生かしていると言う相互関係が成り立っていると。。

そして地球は元来において太陽との位置関係や熱放射量の増加によりもっと熱い筈なのに熱くならず平均気温の増減がさほど変わらずに保てているのは生命の存在により熱を吸収する自己調整機能が働くからであると。。

その考えを基にすると地球に存在する生命体は地球にとっての細胞のような存在にもなり、現在に環境破壊を行い地球の生命体を支配しようとしている人間は地球にとってのガン細胞のような存在であり、人間がその環境破壊の問題を正すのは殆ど無理であろうと。。。

しかし人間により地球温暖化などの大災害が起こっても人間の文明やそれと相互関係にある動植物にとっては驚異と成るが、地球にとっての驚異とはならずに地球は存続し、動物としての人間を含めた生命も生き残りはするだろうと。。

そして近い将来に人間の知能を遥かに凌駕するAI(超知能)が出現し、その超知能となるサイボーグみたいな存在が人間に変わる地球の覇者となりますが、生命の存在による自己調整機能を存続させないと地球が終わってしまうので、その先はそれを見越した超知能と人類などの既存生命との共存世界であるノヴァセンの時代と成っていく、と言った説なのかと何となく解釈したところでした。。

この説においては、地球温暖化問題はIPCCの主張に近い感じで起こっている事や原発推進などの考えも有り、そこは僕には賛同出来なかったですし、もし超知能が支配する地球になると言ってもここで言う地球温暖化問題がその通りなら、その前に大災害が起こり超知能の開発や発展の環境は後回しになるのではだとか、現時点では受け入れられないところも多々有りましたが。。

地球が人体のような自己調整機能を宿していると言う考えには強く賛同出来るところも有り、超知能のような突飛な説も実際に人口知能の急速な発展は危惧されているところも有り、何かと自動化され掃除ロボットや配膳ロボットなどを実際に見ている僕としては有り得るとは想えました。。

しかし何だかやっぱり自然の話しとなると過去の滝のにも散々と絡めてきて、ここで更に長大かつ多義に渡り、答えなど出しようがないのに終らないこの書き物を終わらせたいところですね。。

それで最後に僕の頭に浮かんだ環境対策としては、取り敢えず今現在に人間が素晴らしい自然だと想える環境を出来るだけ残していくには、高次消費者ほど個体数が少なくなる生態ピラミッドの理論も有るような中で、地球ではその世界を支配するような位置にいる人間の数が増えすぎたのが何より明確な問題で、世界で地球温暖化対策より先に出生率対策を施せば良かったんじゃないかと想えました。。

IPCCが唱える産業革命以前の気温の1.5度未満に気温を押さえる話しにしても1850年辺りで11億人強だった世界人口が1950年辺りで25億人強となり2020年辺りには75億人強となると言った感じで、人口の爆発的な増加が発電量を主に温室効果ガスの排出量を増やしたり、大都市や施設、穀物や生活品の数を増やし自然破壊を助長する原因の根元となったと想えるし、他の環境対策より数字に現れて明確なんだから最初にその対策を打つべきだったんじゃないかと僕には想えました。。

もちろん人権の問題やら大変な問題が沢山有るでしょうが、先進国での出生率における人口置換水準は2.1と言う事で、それを下回る先進国では人口減少による高齢化社会などが問題視されている訳ですから、爆発的に人口が増えている現在の途上国に先進諸国がそんなに子供産んだら後々に超高齢化社会になって困るから出産はせいぜい2人までにしておいた方が絶対に良いですよと真面目にバックアップする世界共通の政策を国連だかで施せば良かったんじゃないかと。。

何でも2100年には世界人口は110億人に達してピークアウトするだとか、もっと早くて2064年に97億人に達してピークアウトし世界的な高齢化社会になる事を懸念する予想なんかもされているのだから手を打つべきだっだと。。

何も子供を産んじゃいけないんじゃなくて2人までが理想ですよとするんだから問題ないんじゃないかと想えるので今からでも世界政策として即急に手を打つべきだと。。

そうして世界人口を出来るだけ早く50億人以下か或いはもっと少なく戻して、発電など需要量を減らしつつ再エネ政策を進めれば、今までの地球の美しい自然や環境は太陽系が今の状態のままのうちは守られていけると想いましたが、もう遅いのかも知れませんし、現実する訳がないとも想いましたがねと。。

そんな事で、何れにしても太陽もこれから約50億年後には赤色巨星となり、その前に現在の地球環境は木っ端微塵になってしまうのは何となく確かなんでしょうが、自然なんて何なのか分からない、人類の行く末なんて分かりようがない。。

だいたい地球は生命が誕生した奇跡の星だと言うくらいなんだし、人類が誕生の事なんて分からない、宇宙の誕生や全容なんて分からない、死後の世界なんて有るかも分からない、奇跡で存在している人間なんだから常に危うさが付きまとうのかも分からない。。

その奇跡を人類が解明する日が来るのかも分からないが、もし人類にそれらが解明される日が訪れたなら、人類は永久に生き続けられるのかも知れませんが、それも分かりませんね。。

そんなこんなで(鈴ヶ滝)の話しの筈が、自然や環境について色んな想いを巡らせたり考えたりで答えも出ないし終わらないしで、何が何だか分からないし、次に進みたので。。

もうこれで。。この終わらないし、分からない話しを終わりにしますね。。

最後に。。

この(鈴ヶ滝)に関しましては、取り敢えず林道を車で走行して訪れるような滝は、例え駐車場から大して歩かない滝でも、ちゃんと林道が開通している事を確かめてから向かわないといけないと言う教訓を植え付けられた滝に成りましたね。。

この(鈴ヶ滝)に訪れるまでは、何となくゴールデンウィーク明けで駐車場から大して歩かない滝なら別に大丈夫だろうとたかをくくっていた僕が、事前に朝日スーパーラインおよび朝日地区の道路状況を確りと確認しないで訪れようとした事が主因で、結果的に中々この滝まで訪れる事が出来ない結果と成りましたからね。。

この(鈴ヶ滝)に訪れられる迄の事を振り返ると、確か2010年~2012年辺りのゴールデンウィーク明けから初夏の時期に、最初は朝日スーパーラインを山形県側から、次に新潟県側からと2度訪れようとしたのですがどちらも途中で通行止めで引き返したと。。

そして3度目は2017年6月に向かったのですが、この時は途中で車が故障して訪れられなくなり、今回の4度目は村上市の高根集落を起点とした林道鈴滝線~林道鈴川線から向かうも5月29日の時点でまだ途中のゲートが未開通で、そこから歩いて向かう事になってしまったと言う事で。。

まあ総て他の観光なども兼ねての事ですからそんなにダメージは無かったのですが、けっきょくこの(鈴ヶ滝)は僕にとって正規の駐車場と言える場所に車で到達する事は無かった滝と成りましたからね。。

その原因はやはり、3度目の車の故障は論外としても、豪雪地帯ゆえの開通期間の短さや、厳しい地形ゆえの土砂崩れなどによる通年での通行止めの可能性と言ったところで、林道の接続箇所がどうなっているかも怪しいとする、このエリアの林道の厳しい状況ゆえにと言ったところで。。

取り敢えずこの(鈴ヶ滝)を確実に訪れたい場合は、朝日スーパーラインを経由して向かおうなんてもっての他で、役所のHPの閲覧をするなり問い合わせの電話をするなり、しっかりと開通状況の確認をして、高根集落からの林道鈴滝線~林道鈴川線を進んで向かいましょうと言ったところですね。。

しかしこれは車で訪れようとした場合であり、中には交通公共機関を利用して訪れる方もいるのでしょうから、そうなると高根集落のバス停から約8km余りの林道歩きを経由しての滝への訪問と成ると。。

ですからもし(鈴ヶ滝)を訪れるのに良好だと想える時期に林道が閉鎖されていても建前上は推奨はしませんが、林道を歩き滝を訪れるぶんには役所の方も問題にしなかったので、林道を歩いてでも(鈴ヶ滝)に訪れたいと言う情熱の有る方は向かわれても良いかとは想いましたがね。。

しかし僕自身は滝まで残り約6kmの地点のゲートが閉まっていて、そこからの林道歩きとなり、車で訪れる場合に閉鎖しているゲートはここのゲートかと想われ、その場合に歩くはめになるのはここからかと想われますが。。

気持ちを切り換えて歩くぶんには、緑の中を雄壮な山並みなどを眺めながらの林道歩きと成り、シンプルな道だったし、そんなに苦には成らなかったですから、それはそれで良いかとは想いました。。

そうした事で、取り敢えずこの(鈴ヶ滝)へ訪れようとした場合は、林道の状況を確りと確認した方が良いかとは想いますね。。

遊歩道入口から15分だと言う(鈴ヶ滝)までの道程は、それなりのアップダウンが有り長く感じる人もいるかも知れませんが、深い森林の中で渓谷を横切りながらの清々しい散策を官能出来る事でしょうかね。。

ともすればすり鉢状と言える滝前の狭い空間は、転がる巨石や大岸壁などと相まって、微かに2条になって流れ落ちる斜瀑と言った分岐瀑となる繊細さも兼ね揃えたような豪快な(鈴ヶ滝)の滝景色が眺められるでしょうね。。

よってこの(鈴ヶ滝)は観るに価する良い滝かとは想いますが、僕の個人的な主観で同じ新潟県の100選滝の中では、妙高市に落ちる(惣滝)と(苗名滝)の方が好みではありましたがね。。

しかしそれは滝の形状だけを考えての事で、(苗名滝)などは過剰な観光開発で興が削がれるし、渇水期の水量のショボさも気になるところで。。

(惣滝)などは(鈴ヶ滝)の林道の開通状況の危うさとは違いますが、現在だとその地形の脆弱さ故に滝壺まで向かうには危うさに満ちていると言う難点が有るような気がすると。。

そう考えるとこの(鈴ヶ滝)がこの3滝の中で総合的には良い滝のような気もする訳で、何れにしてもこの(鈴ヶ滝)は観る価値の有るお勧めの滝ではある
と言う事でしたね。。

しかしこの(鈴ヶ滝)は日本の滝100選掲載順カウントアップの記念すべき折り返し地点となる50滝目と言う事で、訪れようとしてなかなか訪れられなかった滝として掲載するのに相応しいと真っ先に想い浮かべて選んだ滝と言う事でしたが。。

前述どおりに、最初に訪れようとして林道が閉鎖していた為に断念してから10年余りの時を経てやっと訪れられた滝と成ったのは良いとして。。

その後に書いて掲載するまでが本当に苦労する
大変な滝と成ってしまいましたね。。

これと言うのも自分で勝手に話を広げに広げたら苦しくなり断筆を繰り返した揚げ句と言った理由ですが、書いていて疲れるし辛いしで何をやっているのかと言った感じで、こうして(鈴ヶ滝)の書き物を終わらせるにあたる現在の心境は、2度とこんな滝に関わりたくないし観たくもないと想ってしまっているどうしようもない状況だと。。

そんなんで、これじゃあ掲載数は増えないし何の為にやってるのか分からないしと言う事で自分なりに反省し、これからは少しでも楽しめるように書いていこうと想いましたね。。

もう自然だとか環境問題だとか守りたいけれど、何だか漠然としていてどうしていいのか分からないものを頭でっかちに考えても仕方無いし、世の中で環境団体なんて立ち上げで主張する気なんて更々無いですからね。。

そしてこんなカオスで長い書き物を読んでくれる人がいたら飯でもご馳走したい気持ちにも成ると。。

でもこうして色々と自分なりに考えられたのは良かったところも有るし、このHPを創るのに協力してくれている友人にも感謝しているし、ここで行き詰まりを脱してこれからまた頑張ろうと前向きにも考えられました。。

そう言う事で、この(鈴ヶ滝)は滝だけを考えたら僕にとってまずまずの滝と言う感じでしたが、日本の滝100選掲載順カウントアップを行う上でターニングポイントに相応しい特別な滝と成りましたね。。

そして今はこの滝の事なんてもう観たくもないし考えたくもないとは言いましたが、いつか時が経てばまた観たくなる時がくるような気がしますし。。

もし地球温暖化現象などによる完全な地球環境の激変を目の当たりにする時が、この近い将来に本当に来るのか来ないのか見届けるまで生きられればと心の隅に置いて人生を全うして行きたいと想いました。。

そしてもしそれが本当で人間の文明が滅び逝くならば、自分は永い人類が創り上げた文明の最後の時期を生きられた人間だったんだと納得してあの世に旅立ちたい、なんて不謹慎にも想える考えが頭に浮かんだりもしたと言う事で、この話しは終わらせて頂きます。。

鈴ヶ滝)

新潟県村上市高根

問い合わせ

村上市観光課 0254-53-2111(内線3712)

駐車場

遊歩道入口前の空き地に約20台分くらいのスペース